耐寒登山[1976・2・8 日曜]
ああ、足腰が立たぬくらいピキピキする。ああ、今も痛い! しんどい! 腰が痛い! どうしてこうなったのかといえば、それは昨日のことだった。
岩湧山(いわわきさん)。標高897メートル。いつのことだったのか、この地は山深い印象だった。母と子らが以前ピクニックでこの地に来た時は、静かで穏やかだったが……。
6時ちょっと過ぎ、起床。朝は早い。外は薄暗い。全然眠くない。静かだ。そしてサッと眼が覚めた。ところが、フトンから出たのは7時前、寒いものだ。家を出たのは7時半、母は朝の通りにたたずみ、その子に手をふるいて微笑む。
ああ母よ、われ遠く和泉の国の山々へ行くとても、淋しがることなかれ。思え、母よ。わが無事を、わが生命を……。
と、ええかっこうだか知らないが、キャラバンシューズの地を踏みしだく音を、初めて耳にして驚く自分は、バスに乗っても驚き、知っている人と会ってはたまげていた。
8時15分新今宮駅、Nくんともども到着。さすれば、Sくん、Iくん、SSくん、その他のクラスメートが先着して、たむろしていた。そろって難波に行き、さらに人数は増えて、高校の生徒が大勢おり、みんなで一つの急行に乗る。いろいろなことが郊外へ向かう電車の中で起こるが、それはみな集団意識にささえられていた(同じ学校の生徒ばかりの車両で騒いでいたということだろう)。
53分間電車に揺られ、10時5分になり岩湧山へ出発! 最初はIくんと歩いていた。三合目でメシを食う。しばらく行くと、ようよう積もった雪が見え始めたあたりで、後ろから来た一行とIくんは先行し、自分は彼らが先を急ぐらしいので一人ゆっくり歩む。そうして級友のNくんが片思いの相手を追い抜かそうとして無理が出て見事こけてしまった無惨な姿を目撃する。そうしてまた歩くうち、先に行った人たちを追い抜かそうとしてやってきたTくんと一緒になって共に歩む。
★ 高校入学当初から話題になっていた耐寒登山に初めて参加する。現地集合・現地解散ということなので思い思いの電車に乗るため、時差が生じてしまう。何本か電車はあるので、出発時間もバラバラになる。細い山道を、だれがどこを歩いているのか、だれとだれが今一緒にいるのか、だれがバテていて、だれが元気なのか、すべては不明である。今であれば、ケータイですぐに連絡がつくのだろうが、当時はすべてを知るためにはとにかくゴールにたどり着くしかなかった。
同じ時間にスタートをしても、体力や体調も違い、先に行けるのであれば先に行ってもらい、休みたければ休むという、自分の体と相談しながら歩く形であった。体育の授業の一つのイベントなのだが、おかげさまで自分を見つめる作業、自分との対話を少し行うことができた。行事が終わってからも、何度かこの時の場面を夢に見ることがあって、それほどに印象的な行事ではあったのである。
そうして行くうち、突如、体育のK先生と国語のN先生が現れて、ここからは危険なので尻で滑って行けと指示しているところに出る。あとで振り返ってみればそこは八合目だったが、その時は何がなんだかわからなかった。細い急な斜面はよく滑る。ただ滑るのではなく両側の木の枝や斜面をつかみながらの下りで、その時は素手だったからよく枝がささり、痛いこと! チクリとしみる。それでやむを得ず軍手をはめる。そして、よくこける。そうしたらいろいろな人に会う。おもしろきこと限りなし。一つのルートを、数珠玉のごとく並びて歩む。
あの人はいつごろ出発したのだろう。今どこなんだろうと、ふいに思い浮かべる。いつの間にか山頂を過ぎて、どんどん下りていた。そうすると、道は凍結しておらず滑らない。やはり温度は違う。低地に近づけばそれだけ俗化する。俗化したくなかったら高地にいけばよい。行くにはツルツル滑ってしまう。柔道の金ちゃん先生は大江山で生まれ育ったそうな。やはり男だ。このルートを1時間40分で走破したという。もうゴールに着いているかもしれんと、思ういとまもあらばこそ、またこけてしまう。安心して下りるには、もっと低い所でないといかんらしい。必死で下山する。
はぐれていたみんなとばったり会う。「なつかしいなあ」と連発する。「やっと追いついたか」とNくんいわく。それから岩湧寺までちょっとの行程だった。生徒たちがたむろしているのが見えた。そんなもんだから、「もしや」と思ってかどうか知らないが、自分は駆けっぱなしに駆ける。すると、たくさんいるもんだから、誰が誰とはっきりわからない。そこで、せっかくみんなと一緒になれたのに、食事をする組とこのまま歩行を続行する組とにグループは分裂する。食事組「あとから走って追いかけてくるぞ」とのこと。これからは歩きやすしとの思いの言ならむ。されど違った。しんどかったのだ(時々変な古文のような言い回しがでてきますが、少しかぶれていたのです)。
お寺からはじっと黙り続けてTくんと歩いてゆく。田舎のパノラマが広がっている。詩的な気分の上半身と、歩き続ける惰性で動いている下半身とがおもしろいみたいに共作している。地元の少年たちが三人やってくる。
「お菓子ちょうだい」
そう言って集まってきたこの子らは、大阪府の住民なんだろうかと不思議な気分にさえなった。残念ながらリュックを開けて彼らに与える余裕なんかなかった。ただ歩み続けるだけなのだ。それから、化学と生物の先生にお会いした(ポイントごとに先生たちは詰めておられたのだろう)。あと少しだ。そこからはずっと坂道で苦しかったが、いつしか道は思いっきり登りつめたら、下りになっていた。そして下りた。ようやくゴールが見えた。信じられない。でもうれしい。もしかしたら、Oさん(当時Kがあこがれていた人でした)に会えるかもしれない。いろいろな思いが入り混じる。
ようやくゴールに着いたら、そこはお社だった。井戸で生徒会の先輩(この先輩もステキな人だった。のちに一年間海外留学をされ、卒業はボクたちと同じになってしまうのだが、声がシャープで聞きほれていた!)が水をくんでいた。ようよう3時間かけてたどり着く。みんないろいろな感慨を含んで、たたずんでいる。山を下りるのがあまりに何気なさすぎた。未練が誰にもあった。それから20分あまり途中で食事を取ることにした仲間たちも到着する。
他の人たち、クラスの女の子もどんどんひっきりなしにやってくる。でも、Oさんがいない。気軽に声をかけてくれるクラスの女の子が「Nくんがねえ、Oさんは? って言ってたよ」と話しかけてきた。
Nくんが「それは……」、
Iくんが「(指でボクに向けて)こいつのためや」
女の子「……?」と不思議そうなまなざしで見ている。
男連中の片思いの相手がゴールするたびに周りが騒ぎ、とうとうこのオレにその手は向けられた。Oさんを迎えに行こうってことになったのだ。
Sくん「何気なく誰かの持ち物を持ったるから、おまえはOさんのを持ったれよ」という。
Nくん「オレも持ったるからな」という。
ところがそう思い通りにはいかない。3人で来た道をもどり始めてすぐに、よそのクラスの女性の一行があった。それをよけて通ったら、その中にまぎれてOさんがいた。びっくりした。折角あともどりした3人はただ笑うしかなかった。
★ 70年代の高校生たちのある風景を、Kは切り取って描いていた。Kには珍しく、風景描写に走らず、人事や会話を描こうとしている。もっとこうした会話を掘り下げ、しっかり人の気持ちを知ろうとする大人になれたら、Kの人生も変わっていたかもしれないが、Kはこれから風景偏重へと向かっていく。
ああ、足腰が立たぬくらいピキピキする。ああ、今も痛い! しんどい! 腰が痛い! どうしてこうなったのかといえば、それは昨日のことだった。
岩湧山(いわわきさん)。標高897メートル。いつのことだったのか、この地は山深い印象だった。母と子らが以前ピクニックでこの地に来た時は、静かで穏やかだったが……。
6時ちょっと過ぎ、起床。朝は早い。外は薄暗い。全然眠くない。静かだ。そしてサッと眼が覚めた。ところが、フトンから出たのは7時前、寒いものだ。家を出たのは7時半、母は朝の通りにたたずみ、その子に手をふるいて微笑む。
ああ母よ、われ遠く和泉の国の山々へ行くとても、淋しがることなかれ。思え、母よ。わが無事を、わが生命を……。
と、ええかっこうだか知らないが、キャラバンシューズの地を踏みしだく音を、初めて耳にして驚く自分は、バスに乗っても驚き、知っている人と会ってはたまげていた。
8時15分新今宮駅、Nくんともども到着。さすれば、Sくん、Iくん、SSくん、その他のクラスメートが先着して、たむろしていた。そろって難波に行き、さらに人数は増えて、高校の生徒が大勢おり、みんなで一つの急行に乗る。いろいろなことが郊外へ向かう電車の中で起こるが、それはみな集団意識にささえられていた(同じ学校の生徒ばかりの車両で騒いでいたということだろう)。
53分間電車に揺られ、10時5分になり岩湧山へ出発! 最初はIくんと歩いていた。三合目でメシを食う。しばらく行くと、ようよう積もった雪が見え始めたあたりで、後ろから来た一行とIくんは先行し、自分は彼らが先を急ぐらしいので一人ゆっくり歩む。そうして級友のNくんが片思いの相手を追い抜かそうとして無理が出て見事こけてしまった無惨な姿を目撃する。そうしてまた歩くうち、先に行った人たちを追い抜かそうとしてやってきたTくんと一緒になって共に歩む。
★ 高校入学当初から話題になっていた耐寒登山に初めて参加する。現地集合・現地解散ということなので思い思いの電車に乗るため、時差が生じてしまう。何本か電車はあるので、出発時間もバラバラになる。細い山道を、だれがどこを歩いているのか、だれとだれが今一緒にいるのか、だれがバテていて、だれが元気なのか、すべては不明である。今であれば、ケータイですぐに連絡がつくのだろうが、当時はすべてを知るためにはとにかくゴールにたどり着くしかなかった。
同じ時間にスタートをしても、体力や体調も違い、先に行けるのであれば先に行ってもらい、休みたければ休むという、自分の体と相談しながら歩く形であった。体育の授業の一つのイベントなのだが、おかげさまで自分を見つめる作業、自分との対話を少し行うことができた。行事が終わってからも、何度かこの時の場面を夢に見ることがあって、それほどに印象的な行事ではあったのである。
そうして行くうち、突如、体育のK先生と国語のN先生が現れて、ここからは危険なので尻で滑って行けと指示しているところに出る。あとで振り返ってみればそこは八合目だったが、その時は何がなんだかわからなかった。細い急な斜面はよく滑る。ただ滑るのではなく両側の木の枝や斜面をつかみながらの下りで、その時は素手だったからよく枝がささり、痛いこと! チクリとしみる。それでやむを得ず軍手をはめる。そして、よくこける。そうしたらいろいろな人に会う。おもしろきこと限りなし。一つのルートを、数珠玉のごとく並びて歩む。
あの人はいつごろ出発したのだろう。今どこなんだろうと、ふいに思い浮かべる。いつの間にか山頂を過ぎて、どんどん下りていた。そうすると、道は凍結しておらず滑らない。やはり温度は違う。低地に近づけばそれだけ俗化する。俗化したくなかったら高地にいけばよい。行くにはツルツル滑ってしまう。柔道の金ちゃん先生は大江山で生まれ育ったそうな。やはり男だ。このルートを1時間40分で走破したという。もうゴールに着いているかもしれんと、思ういとまもあらばこそ、またこけてしまう。安心して下りるには、もっと低い所でないといかんらしい。必死で下山する。
はぐれていたみんなとばったり会う。「なつかしいなあ」と連発する。「やっと追いついたか」とNくんいわく。それから岩湧寺までちょっとの行程だった。生徒たちがたむろしているのが見えた。そんなもんだから、「もしや」と思ってかどうか知らないが、自分は駆けっぱなしに駆ける。すると、たくさんいるもんだから、誰が誰とはっきりわからない。そこで、せっかくみんなと一緒になれたのに、食事をする組とこのまま歩行を続行する組とにグループは分裂する。食事組「あとから走って追いかけてくるぞ」とのこと。これからは歩きやすしとの思いの言ならむ。されど違った。しんどかったのだ(時々変な古文のような言い回しがでてきますが、少しかぶれていたのです)。
お寺からはじっと黙り続けてTくんと歩いてゆく。田舎のパノラマが広がっている。詩的な気分の上半身と、歩き続ける惰性で動いている下半身とがおもしろいみたいに共作している。地元の少年たちが三人やってくる。
「お菓子ちょうだい」
そう言って集まってきたこの子らは、大阪府の住民なんだろうかと不思議な気分にさえなった。残念ながらリュックを開けて彼らに与える余裕なんかなかった。ただ歩み続けるだけなのだ。それから、化学と生物の先生にお会いした(ポイントごとに先生たちは詰めておられたのだろう)。あと少しだ。そこからはずっと坂道で苦しかったが、いつしか道は思いっきり登りつめたら、下りになっていた。そして下りた。ようやくゴールが見えた。信じられない。でもうれしい。もしかしたら、Oさん(当時Kがあこがれていた人でした)に会えるかもしれない。いろいろな思いが入り混じる。
ようやくゴールに着いたら、そこはお社だった。井戸で生徒会の先輩(この先輩もステキな人だった。のちに一年間海外留学をされ、卒業はボクたちと同じになってしまうのだが、声がシャープで聞きほれていた!)が水をくんでいた。ようよう3時間かけてたどり着く。みんないろいろな感慨を含んで、たたずんでいる。山を下りるのがあまりに何気なさすぎた。未練が誰にもあった。それから20分あまり途中で食事を取ることにした仲間たちも到着する。
他の人たち、クラスの女の子もどんどんひっきりなしにやってくる。でも、Oさんがいない。気軽に声をかけてくれるクラスの女の子が「Nくんがねえ、Oさんは? って言ってたよ」と話しかけてきた。
Nくんが「それは……」、
Iくんが「(指でボクに向けて)こいつのためや」
女の子「……?」と不思議そうなまなざしで見ている。
男連中の片思いの相手がゴールするたびに周りが騒ぎ、とうとうこのオレにその手は向けられた。Oさんを迎えに行こうってことになったのだ。
Sくん「何気なく誰かの持ち物を持ったるから、おまえはOさんのを持ったれよ」という。
Nくん「オレも持ったるからな」という。
ところがそう思い通りにはいかない。3人で来た道をもどり始めてすぐに、よそのクラスの女性の一行があった。それをよけて通ったら、その中にまぎれてOさんがいた。びっくりした。折角あともどりした3人はただ笑うしかなかった。
★ 70年代の高校生たちのある風景を、Kは切り取って描いていた。Kには珍しく、風景描写に走らず、人事や会話を描こうとしている。もっとこうした会話を掘り下げ、しっかり人の気持ちを知ろうとする大人になれたら、Kの人生も変わっていたかもしれないが、Kはこれから風景偏重へと向かっていく。