甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

神西 清 「わが心の女」  1952 その2

2015年02月02日 18時49分37秒 | 本と文学と人と

 僕はすでに外出を許されていた。嫉妬を紛らすため、僕はよく外出した。中央公園の素晴らしさについては、既に僕の送ったテレヴィで御承知のことと思う。やがて12月に入ろうというこの氷海の孤島の公園は、ありとあらゆる熱帯蘭の花ざかりである。その間に点々と、竜眼(りゅうがん)やマンゴーなどの果樹が、白や黄いろの花を噴水のようにきらめかせている。星形をした大きな池には、赤蓮や青蓮が咲きほこり、熱帯魚がルビイ色の魚鱗(ぎょりん)をきらめかせている。樹間には極楽鳥の翅(つばさ)がひるがえり、芝生には白孔雀(しろくじゃく)が、しっぽをひろげて歩いている。

 公園には博物館もあった。陳列品の中で思いがけなかったのは、ミイラのおびただしい収集であった。非常に保存がよく、包帯まで原態をとどめているのも少なくなかった。その中で特に、アカラヒメと標記された若い女性の一体と、ガシグツキと標記された一体とが、いちじるしく僕の注目をひいた。前者は日本、奥羽地方出土とあって、豊かな乳房がありありと面影をとどめている。後者は天山南路出土とあって、下腹部の隆起がどうやら子宮の厳存を思わせた。

 僕はまた、ほとんど毎晩のように、一流の劇場のボックスに納まった。そこでは、盛装を凝らした紳士淑女の姿に接することができる。盛装とはいっても、もちろん男子服はあくまで無色透明、婦人服は淡青色透明のガラス織であることは変わりはない。その代り様々のアクセッサリーの趣向にかけて、特に女性は恐らく世界最高の洗練に達していると称していいだろう。たとえば某高官の美しい夫人は、臍窩(せいか)にダイヤモンドをはめこんでいる。

 紅、黄、紫、藍、黒などの、禁ぜられた衣装を着用できるのは、舞台上の扮装の場合だけである。それも概して半透明ガラス織を限度とするが、ただ例外として特殊のショウには、不透明の衣裳の使用が許されている。ある運命的な晩、僕は図らずもその種のショウを観た。そして「彼女」を「発見」したのである!

 それはストリップ・ショウで当りをとっている小劇場であった。舞台の中央から、跳び込み台のようなものが観客席へ突き出している構造も、わが国などと同じである。はじめ僕は、このショウに大した期待を持っていなかった。全く、平生(へいぜい)透明ガラスの衣装で歩いている女たちが、それを脱ごうと脱ぐまいと同じことではないか。ところが幕があくに及んで、僕は自分の不明を謝さなければならなかった。Q国でストリップというのは、逆に衣装を重ねることだったのである。

 フランス王朝風、支那(しな)宮女風、カルメン風、歌麿(うたまろ)風など、あらゆる艶麗(えんれい)または優美の限りをつくした衣装が、次々に舞台の上で、精妙な照明の変化のまにまに、しずしずと着用されてゆくのであった。着け終わると、舞踊が始まり、ついにプリマドンナが橋がかりの突端まで進み出て、妖艶きわまるポーズを作る。われわれの眼からすれば、ファッション・ショウにすぎないものを凝視する観客席の緊迫感は、真に異常なものがあった。

 ついに最後の幕が来た。それは日本の王朝時代に取材したショウであったが、はじめのうち幽暗であった照明が、次第に明るさを増して、やがてプリマドンナが現われた時、観客の興奮は青白い火花でも散らしそうであった。彼女はゆるやかに十二単衣(じゅうにひとえ)を着け終わると、淡紫の桧扇(ひおうぎ)(もちろんガラス製であるが)をもって顔をおおいながら、橋がかりへ歩を移し、そこで扇をかざして婉然(えんぜん)と一笑した。僕はその顔を見ておどろいた。それは彼女であった。あの阿耶であった。

 それを見てからというもの、僕がどんな懊悩(おうのう)の日夜を送ったかは、くどくどしく述べる気力がない。一口に言えば、僕は嫉妬と恋の鬼になったのである。ある午後、僕は博士の不在を見すまして、猛然と彼女に迫った。阿耶は拒まなかった。二人は黒眼鏡(くろめがね)をかけて、白熱光裏の人となった。しかし僕は、いたずらに不能者たる自分を発見したにすぎなかったのである。阿耶のからだは、まさにガラスのように冷めたかったのだ。

「阿耶(あや)! お願いだ……」と、僕はあえぎあえぎ哀願した。「今晩あすこの楽屋で……十二単衣すがたで……ね、いいだろう? 君は僕の……心の……」

「心の……ですって?」と阿耶は、唇を反らして冷笑した。
「なんていうお馬鹿さんなの! 心の……十二単衣(じゅうにひとえ)……」
彼女は、水色ガラスのシュミーズを着ながら、嘲(あざけ)るように繰り返した。

「とても似合うんだ。あれでなくちゃいけないんだ。……ね、楽屋で、今晩……」
「およしなさい、みっともない! 第一この私に、そんな真似(まね)ができると思って? 『女性解放』青年同盟の執行委員の私に!」
「じや、なんだって君は、あんな姿で舞台に立ったのだ?」
「わからない人! あれは男性の色情を馴化(じゅんか)するため、青年同盟が採択した方法なのです。ああして刺激の反復でもって、男の脳中枢を麻痺(まひ)させるんだわ。」

 僕は茫然と立ちすくんだ。危く白熱光を消さないままで、黒眼鏡をはずしかけたほどである。がその時、病院の中庭で、けたたましい銃声が立てつづけに響いた。自動車の爆音がきこえ、やがて大勢の足音が、入り乱れて廊下をこっちへ近づいて来た。僕たちが研究室へ飛びこむと同時に、廊下のドアから、顔面蒼白の鰐博士が駈けこんで来、あとから黒い影が二つ、風のやうに押しこんで来た。

 影たちの手にはギラギラ光るピストルがあった。
 それが一斉に火を吐いた。鰐博士はばったり倒れた。

「反動……革命だ……」というのが、その唇をもれた最後のささやきであった。阿耶は僕の胸のなかで失神した。
 僕は二人の下手人を見た。そして、それがあの博物館にあったアカヒラメ、ガシグツキという二体のミイラに他ならぬことを認めた。一人は乳房を揺り立てて笑い、もう一人はこれ見よがしに子宮部を突き出して哄笑(こうしょう)した。と、さっと身をひるがえして、再び風のように走り去った。……

 うわさによると、反乱はまだ続いているそうである。もはや市中には銃声は聞こえないが、急速に地方へ波及しつつあるらしい。その首謀者は、二三の高級軍人の夫人たちだとも言うが、真偽のほどは判明しない。

 きのう僕は阿耶の葬儀に列した。弔砲(ちょうほう)が鳴って、非常な盛儀であった。あのまま息を引きとった彼女の顔は、ガラスの棺(ひつぎ)のなかで白蝋(はくろう)のように静かであった。僕は純白の花束を、人々の後ろから墓穴のなかへ投げてやった。さらば、わが心の女よ!




★ というお話でした。ここに描かれた世界は、絵空事のように見えますが、同時代のジョージ・オーウェルの「1984」の世界に似ています。どちらも監視社会であり、革命・反動におびえている。

 透明の服とか、ミイラが反乱軍だったとか、十二単にあこがれる主人公とか、少し悪趣味な面はあります。でも、まじめな神西さんがおもいっきりハメをはずして、奇想天外な物語を描こうとしたというところが評価できるような気がします。

 そうです。どうして主人公のあこがれの女の人は、失神したままショック死したのでしょう。持ち込んだ時のバラと同じように、生命体はもろくこわれやすい設定になっているんでしょうか。

 まあ、私はこれからロシア文学の翻訳で神西さんを読んでみようと思います。何か見つけられたら、取り上げてみたいと思います。




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