法隆寺
790 法隆寺はやとほざかり雨ぐもはゆふべとともにせまりきたりぬ
賢治さんは、法隆寺の見学はしたのでしょう。でも、お天気が気になったり、古いお寺がどれだけ人々を救済してくれるのかどうか。古い仏さまたちは、みんな一緒になってお祈りされておられますが、守備範囲が狭い感じです。みんなはるばる日本まで来日して、仏さまのかたちになったけれど、下々のことまで考えてくださるのか、そこが少し不安な感じです。
聖徳太子さんのお姿を表現したという救世観音を見ることができたとしても、それでも賢治さんは救われなかったかもしれません。法隆寺の仏さまたちが、下々の人々の暮らしを見てくださっているか、その辺は何だか賢治さんも不安になったのではないかなあ。
法隆寺には素敵で、立派な仏像がたくさんありますが、どこか庶民的ではないですね。貴族的な気がしますね、確かに。みんな貴族の方の平安を祈ってあげているみたい。
仏さまたちは、確かに、歳月を過ごしてきました。でも、エリート好きのする高貴なお姿であって、迷える衆生なんて、視界に入ってないのではないか。だったら、そういう人々を救うのは、仏様じゃなくて、やはり人間なんじゃないか。
そういう人間たちは、雨に泣き、日照りに頭を抱えしているのです。それをもっとしっかり見ていきたい気分を感じる、自分の使命みたいなものを感じた旅だったのかもしれない。
奈良公園
791 月あかりまひるの中に入り来るは馬酔木(あしび)の花のさけるなりけり
日中に半月みたいなのが空に浮かんでいて、遠くの空の薄い月の光と、手前に白くたくさんの花びらが集まっている馬酔木の花とのコントラストを歌っている作品なのかな。
それとも、奈良公園の森の中で、昼間の月のようにキラキラ光っている馬酔木の花だ、と馬酔木の比喩としての月を持ってきたということなんだろうか。
私は、どうとったらいいのか、イマイチわかりません。それにしても、よくぞ奈良公園を歌に詠んでみようとチャレンジしましたね。その心意気が素晴らしい。普通はもっと下世話な世界が広がっているようにしか見えなのだけれど、賢治さんには詩の世界が見えていたんですね。
792 あぜみ咲きまひるのなかの月あかりこれはあるべきことにあらねど
花とお天気を詠んだり、月の光にとらわれたり、賢治さんは奈良公園では何かを見つけられそうな気配があったのかもしれないな。
街中に近い方じゃなくて、春日大社の参道とか、東大寺方面とか、そうしたメジャーな方面ではなくて、ひっそりとした山道に、アザミを見つける。ふるさと岩手でも見られた花を、遠い奈良の町の公園で見つける。そして、先ほどの昼間のお月さまと組み合わせ、静かで時間も止まっているような風景を描いています。
現実は、観光客がいたり、観光しなくてはとソワソワしたり、自分のこれからの進路とか、父と歩く奈良の落ち着かなさを書いてみたというところでしょうか。
でも、賢治さん。父親と一緒に観光するなんて、ふつうはめったにないことだし、父親としてもうれしいような、なかなかもどかしいような、特にどうしてウチの子は私の思うような方向に行ってくれないし、宗教だって独自の世界観を持っていて、いくら説得しても聞き入れてくれないし、何だか自分のことはいえ、すんなりと親の思うようには行ってくれないもんだな、仕方はないけれど、もうこの親子の溝みたいなものは、簡単には埋まらないもんなんだなとつくづく思っていたことでしょう。
それを思うと、賢治さんばかりチヤホヤするのも、何だか申し訳ない感じもします。賢治さんのお父さんにもあれこれ語ってもらいたい気分です。
春日裏坂
793 朝明(あさけ)よりつつみをになひそのをよぎり春日の裏になれは来るかも
奈良公園の奥、そこは山深いところで、山また山が続いています。その盆地やら峠やら山などをいくつも越えていくと、やがては三重県にたどり着くのですが、そんなに遠くまで歩いているわけではない。
奈良公園から正面に見える三笠山、はるばるとこんなところまで自分たち親子はやってきて、おしゃべりをしているんだか、お互いを理解しあってしんみり話もせずに行動しているのか、はるばるそんなところまで自分たちは来た。はたしてそれは何のために来たのだと思ってしまうくらい、自分の旅の意味を考えさせられています。
794 ここの空気は大へんよきぞそこにてなれ、鉛の鹿のゼンマイを巻き
はるばる関西を旅している自分たち父子。お土産屋さんも充実していて、ぜんまい仕掛けのシカを買った。それらのお店があった空間は楽しく、とてもおおらかな気分になった。
とてもいい気分で、さあ旅を続けようという感じです。
奈良公園で、次は楽しいところ、見つかりましたか。なかなかムズカシイですね。