昨日、やっとあがたさんの小説の三つ目を読みました。
大事に大事に読んでる感じです。とても研究者にはなれないですね。ただ、ヤキモキして読んでるだけです。
どうしてもっと理論的に、構造的に読めないのかなあ。何ごとも気分優先、雰囲気優先で、目先の変化ばかリ追いかけてしまいます。
「姉妹の部屋への鎮魂歌(たましずめ)」という小説です。
成人した双子の姉妹がいて、妹さんはパリで勉強中です。お姉さんは、小さな子どもさんがいて、二人目もお腹にいる。何も不満はなさそうにみえて、実は家族への不安・心配を抱えている。
そもそも妹さんが家を出たのは、父親の家族への暴力・虐待が原因で、妹さんは事故とはいえ、お父さんに火傷を負わされた過去を持っている。お母さんも、主人公のお姉さんも、父親に対して、わだかまりを持ち、離れてしまいたいと心から思い、今は実害がなく、ただ、母親が心配で、母親も早く父から避難させたいと思っている。
そうした母と子から疎んじられた父親は、どうしてそうなるのか、そこは描かれていないのだけれど、力任せに家族に怒りなどをぶちまけてきたようなのです。結果としては、自らの孤独を招くことになるのに、それよりも自らの怒りに正直になることしかできないでいる。
きっと、家の中ではそうしなくてはならないような、外でのイライラを家でぶちまける人たちがいたのだと思われます。
それはいつ頃の話になるんだろう。1970年前後の働き盛りの男だったんだろうか。
家族はかくして崩壊し、娘たちは去り、外で懸命に働いていた父親は、ひとりになり、自らが入院することになれば、誰からも世話してもらえず、娘がチラッとでも顔を見せてくれただけで、すべてをゆだねてしまうような、そんなか弱い存在になっている。
タイトルの部屋への鎮魂歌とか、そうした家族が消滅してしまったことへの今さらながらの唄になるんでしょうか。
パリの妹さんから、不思議な唄が送られてきました。
少女の部屋への鎮魂歌(たましずめ)
うすあかり うすくらがりの部屋の中
少女が人形抱いている
人形よくよく見てごらん
それはほんとの赤ん坊
うすあかり うすくらがりの部屋の中
少女が赤ん坊抱いている
赤ん坊よくよく見てごらん
人形みたいに死んでいる
うすあかり うすくらがりの部屋の中
少女が死んだ子抱いている
少女よくよく見てごらん
眼から涙がこぼれてる
少し不気味な感じです。何だか怖い展開です。とてもあがたさんの小説世界ではないみたい。でも、これはパリで孤独に奮闘している妹さんの心の中でもあるわけで、何か悲しいものを抱えながらも、何かに向かって生きていこうとしているのは感じられます。
涙が出ているのは、今までの辛い過去への追憶ですか?
うすあかり うすくらがりの部屋の中
少女が涙をこぼしてる
涙よくよく見てごらん
ニセ細工師のガラス玉
うすあかり うすくらがりの部屋の中
少女の涙はガラス玉
ガラス玉よくよく見てごらん
少女と死んだ子うつってる
うすあかり うすくらがりの部屋の中
少女はいったいどこにいる
部屋をよくよく見てごらん
少女は鏡の中にいる
私たちがハラハラしていたのは、鏡の中の世界でしたか。死んだ子というのも、現実世界のものではなかったんですね。そりゃ、そうですね。妹さんは単身でいるんだし、今まで日本で結婚したこともなさそうです。お姉さんだけが所帯じみていて、妹さんはそういうのも嫌って、一足飛びにパリにいるんですから。
全部、ただのイメージだったのか。
うすあかり うすくらがりの部屋の中
ほんとの少女はどこ行った
少女王国ぬけ出して
母たちの国へ行きました
この母たちの国って、どこにあるんだろう。父がいるのが王国で、母たちの国は、自分で自分を探している国、ということでしようか。
女性たちの自分探しはまだ続くということでしょうか。
主人公の母親は、娘の近くでアパート暮らしを始め、父親との離婚も成立しそうだし、主人公も二人目の子をお腹に抱えながら、母と自分の家族を大事にしながら生きていこうとする、そういう場面で話は終わります。
とりあえず区切りはつけた。父はかわいそうだとは思うものの、一緒に暮らせないのは確かだから、切り離されたまま、とりあえず、自分たちの人生を続けよう、そう思いながら終わるようです。