1902年生まれの女優の岡田嘉子さんは、恋人である演出家の杉本良吉さんと南樺太、当時の日本領土から国境を越えてソ連に歩いて渡ったといいます。それも1937年12月末で、雪原を歩き、国境を越え、翌年にはソ連の領内に入ったということでした。二人で必死の思いで憧れのソ連に来てみれば、二人は別々にさせられ、ずっと拘束されることになります。
そこまでして日本という国を出なければならなかったのは、それなりに事情があったからだったそうです。もともとソ連にはシンパシー(共感)も感じていたし、日本ではもう当局ににらまれる存在だったそうで、逃避行を選ぶしかなかったということでした。今の日本では考えられないし、自分の力で逃げ込みたい国なんてあるんだろうか? もっと正式に移住したい国はあるのかもしれないですけど。
やがて入国してしばらくした1939年には、杉本さんはスパイ容疑で銃殺されてしまいます。どこにいても住むところはなかったんでしょうか。不法入国の罪ではなくて、最初からスパイと決めつけて、拷問、拘束で容疑を認めるまで拷問し、最終的には殺す、その理由を作るために2年かけるとは、恐ろしい情熱です。当時の世界はそんな風によそ者には厳しいところがあったかもしれません。
岡田さんも当然問責、自白強要を経て、罪を認めさせられ、ソ連政府に協力するという命令を受け入れて、忠実に任務を果たしたそうです。ノモンハン事変のソ連側の日本語放送は岡田嘉子さんが担当したとも言われています。
岡田さんは30数年後に帰国し(1972)、トラさん映画「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」(1976)にも出たそうですが、1986年にソ連にもどり、向こうでなくなったといいます。
もう少し樺太、サハリンを書こうと思いますが、明日につなげたいです。よろしくお願いします。