甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

フロヤ幻想 Kは語る  HSD-15

2014年11月13日 22時00分12秒 | High School Days
 Kはフロヤさんが基本的には好きだった。けれども、根がナマケモノなので、冬などはめんどくさいこともあった。そんな彼がフロヤをテーマに文章を書いた。

★ 風呂屋から  ……オフロヤ幻想

 近所の子供らがはしゃいでいる。みなそれぞれが好きなことをしていて、一人は狭い湯船に飛び込んで、ヒゲを剃っていた白髪の老人の顔に湯水をぶちまけている。また一人は、阪神ファンの番台のおじさんが売る二○円くらいのシャンプーの入れ物に水を入れ、敵をめがけてビチュッと発射する。ベチャッとシャンプーの香りが残るお湯がぶっかかると、それからまた騒動が起こる。刺青のおっさんや、浪曲をどなるおっさんたちは眉を逆立たさせて、怒る。とてもオッカナイ。でも、それもつかの間、「どうせ、ガキちゅうんは、みんな一緒で、こざっかしい!」となって、また、みんな自分を洗う作業に戻るのだった。



 そんなとき、たそがれの中から、洗面器にタオルと石鹸押し込んで丸腰の、パーマをかけた男たちが、どけどけどけーと言わんばかりにやって来た。……男といふものは/みなさん、ぶらんこ・ぶらんこお下げになり/知らん顔して歩いてゐらっしゃる……それはそうかもしれんが、すぐ湯の中にぶらんこを隠して、ゆらゆらと見えなくさせた。

 湯加減はちょうどよかった。ポカポカと春のようだった。いい気分で目をつぶれば、波の音が聞こえてきそうだった。そして、時間は、浦島太郎のように過ぎていく。

 過ぎし日々を自らのしわに刻み込んだ老人が、パーマをかけた男たちの後に現れ、浴場に入る戸を少し開け、かわいく、コトリッとしぼり出されたみたいに、ぶらんこを軽く湯の中に入れる。その途端にいい気分になって、眠りこけたみたいになって、波の音を聞いている。歴史が流れている。お湯もこぼれている。

 洗い場のすみっこの方で、閻魔大王の刺青が背中で重そうな、不思議に真顔な男がいた。パーマの男たちは、ぶらんこを湯から出してそちらへ向かう。湯船は夏の直後の海になる。何も知らないように老人は目をつぶっている。やおら刺青の人は、真新しい石鹸を取り出し、じっと見つめてから体をこすり始める。背中のアカを落としているとき、あの勇壮に見えた刺青の影が薄れてゆく。本人は知らないが、パーマの男たちはそれに気づいて、指さし、おののくが、声は出ない。

 二分経った。本人も背中が寒い。自分の暗い影を人に暴露した虚しさ、それに似たようものが感じられる。鏡で工夫して背中を見た。もう影すら見えぬ。あとかたもない。どうしたことだ。ぶらんこも、男の意地も、義理も何もない。刺青がないのだ。ぶらんこさえあらわにして、パーマの男たちにくってかかった。
「きさまだ。きさまだ。このオレの背中の………」
パーマの一人が「いいえ、何もしていません。あなたがあんなに強くごしごしこすったからですよ」と言う。

 もう一人が怒ったように「刺青がどうしたってんだー」とわめいた。
刺青の男は顔をひきつらせままだ。

 かぼそい三日月が山の向こうに沈むと、真っ暗になって、○○温泉と書いた看板の○○だけがやけに目立って表札みたいだった。

 さあ、ボクは感傷的な気分になんか浸ってられない。早く懐中電灯をつけて、村まで八里半走り通さなければならない。たとえ道の途中でタヌキが出ても、そんなの無視して走り続けなければならない。




* 意味不明の創作をKは書いた。だれに読んでもらうというのではなく、イメージのおもむくままに書いたのだ。どうして刺青が消えたのか? どうして風呂屋から八里半の距離(三十四キロ)を戻るのか? この風呂屋はどこなのか? 結末はどうなったのか? 前半は大阪の下町のフロヤという雰囲気なのに、突如山奥の温泉となったのは何か理由があるのか? その他いろいろとわからないことが多い。

 Kの真意がどこにあるのか、それはKにもはっきりわからないだろう。ただ「風呂屋」を題材にした文章を書きたかったのである。それほどに、Kにとっては、いや当時の下町の人々にはお風呂屋さんは魅力的な場所だったのだ。

 昔のお風呂屋さんには、本当に多くのドラマがあったような気がする。いろんな大人・子供・若者がいて、おしゃべりしたり、騒いだり、情報交換を全身で行える交流の場であった。たまに独自の動きをする人たちがいて、観察していると楽しいし、そこで、大げさに言えば、人間とは何かを教わるような、子どもにとってもう1つの学校だったのである。大人には大事な社交場としての意味があったはずである。

 人それぞれのこだわりというものがあって、好きな洗い場、いつも入る入り方、浴槽の中の好きなポジション、いつもの洗い方、独自の持ち物、人間関係の機微など、見所はいっぱいだった。高校二年までそのような「お風呂屋劇場」にほぼ二日に一回の割合でKは通った。



 大人になった現在のKは、フロヤにはほとんど行かない。だから、裸の人々を定点観測する機会はない。内風呂が当たり前となった今も、どこかでまた別のドラマが行われ、細々と続いているだろう。けれども、それを人々は楽しんでおられるかどうか。都会の銭湯では、人と人が作り出してしまう寸劇よりも、もっと大事なものができてしまったのかもしれない。たぶん、人と関わらずにすむ何かが大事になってしまっているのである。



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