甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

奈良街道を、歩いているつもりでした。

2016年04月04日 21時50分00秒 | 街道を歩こう!
 まっすぐ地下鉄の駅にもどればいいものを、やみくも歩きの私は、奈良街道がずっと山科盆地を南から北へ貫いて大津京までつづいているというのを聞いていました。天智天皇の時代からある道ということで、それなりに雰囲気があるところなのかなと、歩いてみることにしました。

 醍醐寺のかたきをどこかで晴らそうというところでしょうか? それとも、単にアドレナリンが出ていただけかもしれない。それに、街道というと、とんでもない掘り出し物の街道があって、それを私たちは全く知らないままに放置してあることがよくあるので、とりあえず行ってみたら、宝ものが見つかるかもしれないです!

 山科の駅を降りたとき、地図を配っているボランティアの人がいて、その人にもらった地図が役に立ちました。もらったときは、醍醐寺が下の方に小さく描かれていて、「山科からこんなに遠いのかよ」と思ったんですが、確かに地下鉄四つの駅分あるので、それなりに遠いのだと知りました。すぐ目と鼻の先と思ったら大間違いでした。

 醍醐寺を出た人々の、ほんの一部の人たちが、トボトボ、駅とは正反対の方角に歩いて行きます。この人たちは道を知っている人なのか、それともただの天の邪鬼なのか、よくはわからないけれど、街道はこの先です。そして、たくさんの渋滞のクルマは醍醐寺の駐車場をめざし、じっと進むのを待っているようです。

 クルマでも待たされ、駐車場も入るのが大変で、お寺の中も大混雑とは、せっかくのお休みがメチャメチャになると思うのですが、みなさんもアドレナリンが出ているから、とにかくとことん行かなきゃ気が済まないのでしょう。

 私は、とりあえずはサクラを見ましたが、サクラに向き合う時間はあまりありませんでした。そのことに関しては、残念な感じでした。だから、何か別のステージで取り返さなくてはならない。



 どれくらい歩いたんでしょう。前も後ろもカップルがいちゃいちゃしながら歩いていて、ふーんだと思いつつ、とことこ歩くと、お寺がありました。

 最初はお寺とは見えなくて、美術館か、どこかの公開している有名な人物のお屋敷か、よくわからないままに、歩いている人たちが門の中に吸い込まれていくので、私も中に入りました。

 サクラはそれなりに咲いています。でも、醍醐寺のパワーには負けています。というよりは、ここは紅梅が有名だったそうで、あとでよく見れば、梅園が目の前に広がっていました。でも、それはここを去るときに気づいたことで、最初の印象は、よくわからなくて、何となくお寺の感じでした。



 何やら、不思議の国のアリスのように、小さくなるクッキーを食べて入りたくなるような、そんな感じの門がありました。入って見たら……、なんとここは、小野小町さんの屋敷あとがお寺になったという「随心院」というところだそうです。

 地図で見ても、その通りでした。近くの駅は「小野」というそうで、やはり小町さんゆかりの土地らしい。



 絵馬だってこの通り、女の子がそれぞれ恋愛などに関する願いを書いていました。小町さんにおすがりしているわけですね。



 お寺の中から、門を通して外を見ると、これもまた額絵のように、みごとな京都の春になっていました。ああ、私は京都の春の中を歩いていたんですね。醍醐寺からここまで、イマイチゴミゴミしていて、とても街道歩きの気分になれなかったので、少し観光気分がもどってきました。



 春の花、お堂、本尊など見せてもらった後、裏手に回って清滝権現という神様にお参りしました。中世のお寺はこうじゃなきゃいけません。神も仏も一緒に人々に慕われて同居していること、それが中世の人々が望み、作り上げた世界でした。どちらが主・従というわけじゃなく、どっちもどっちで仲良くいてくれなくちゃ困るのです。ここはたまたま、神社が従にはなっていましたが、住宅街に囲まれた静かなお社になっていて、ひそやかな雰囲気です。それなりにありがたさがありました。



 竹林を抜けると、お社とお堂がありました。ここまで来る人はいないようです。宝物、いくつか見つけました。



 立て札に書かれているのは、奥の石塔の説明で、小町さんがたくさんの男の人たちからもらった手紙を埋めた、ラブレターのお墓だそうです。

 今は、住宅街の中にオアシスのようにあるお寺だけれど、今から千年以上前は、さびしい土地だったのではないかと思います。古代からの道はあって、そこをたどれば奈良や伊勢にも通じていたでしょうけど、京の都人からすれば、ものすごい田舎に住んでいる絶世の美女で、ぜひ彼女と交際したいと、手紙を書いたんだと思います。そうした男たちの願いが積み重なってお寺になったというべきなんでしょうか。

 小町さんは、どんな人生を送った方なのか、イメージが湧きにくいですけど、ここに住んでいる時もあったのかもしれない。その時はこんな屋敷構えにはなっていなかったでしようけど、小野さんの家族もいろいろ住んでおられたことでしょう。

 当時の片田舎をイメージすることは、現在の竹林のおかげで少しだけ、思い浮かべられますが、そしてやがてお寺ができてしまうなんて、小町さんもたいしたものだと思ったりします。

 少し醍醐のかたきは打てたでしょうか。まだ、足りないですね。次はどこへ行きましょう。地図を見なくちゃ!
 


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