甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

禁酒と日々の飲酒

2018年01月18日 14時50分51秒 | わたしと大阪

 先週の土日、大阪へ行きました。用事があって行きました。まさかそこで病気をもらってくるなんて、思ってもみなかった。

 病気嫌いの母は、実家に帰ると、外で来ていた服をすべて脱がせて、手を石けんで洗わせ、できれば風呂に入れとまで徹底している人です。

 それでも愚か者の私は、風邪をひいたり、熱が出たりします。でも、めったなことではインフルエンザにはならなくて、2011年と、1989年の2回しかインフルになったことはありません。残念ながら、2回とも正月過ぎたころの、少し気の抜けた何でもないお休みの日に熱を出すパターンでした。まあ、正月じゃないのがありがたいくらいかな。

 おたふくかぜは、高校入試の前にかかりました。よくよく運のない私です。でも、なんとか入試前に回復し、卒業式にも出て、志望校は合格しました。この時は、中学生だから、禁酒どころの話ではないですね。

 1993年、日本全国が冷夏に泣いた年に、二月に水ぼうそうになり、体中がブツブツになりました。中学の時はまだ大丈夫だったけど、たぶん、この時に私の男的部分は消滅したのかもしれない。たぶん、そうだったかな。よくわかりませんね。

 その93年の夏、尿管結石になり一週間入院しました。病室は相部屋で何人かの人たちがいたけれど、どういうわけか、冷房をつけなくてもまったく暑くなくて、不思議な年だねと怖くなったりしました。

 その結果、お米は取れなくて、仕方がないので石の混じっているタイ米を大量に輸入し、うちも一度だけ買ってみました。でも、あまり食べたくはならなくて、どんなふうに食べたんだろうな。

 93年の夏、うちの子は小さくて、元気で、だれかれと声をかける子でした。病室に入るなり、
「お父さんのチンチンに石ができたんです!」
とみんなに話していて、私は恥ずかしいやら、かわいいやらでした。病気は苦しかったけれど、うちの子や妻が元気を与えてくれて、私は何ともサクッとしない病気を、モヤモヤしながら抜け出ていきました。

 お酒のことでしたね。93年は三十代でした。お酒を毎日飲む人ではありませんでした。何かイベントがあったり、それが終わったり、何かの節目でお酒を飲んでいました。主にビールでした。

 それが、仕事の関係でたまたまカゴシマに二日続けて出なければならなくなったときがありました。普通ならカゴシマ市内に二泊したことでしょう。でも、その少し前にカゴシマの別邸を作っていた父母は、だったらイブスキから通いなさいと、大阪からカゴシマの家に先乗りして、あれこれ準備してくれていました。

 秋でした。カゴシマでいいものを食べた記憶のない私は、いつも甘ったるい、お魚もシャキッとしない、料理もセンスがない、素材を生かし切れていない、まどろっこしい料理しか食べたことがありませんでした。

 でも、カゴシマの父母の家では、いつもと料理するところは違うけれど、正真正銘母の手料理だし、それなりにおいしくいただきました。

 さて、そうなると、「何かビールでも……」と思ってしまい、欲しかったら買えばいいのに、勝手がわからず、買えなくて、仕方なしに父の飲んでいる芋焼酎に初めて挑戦しました。何十年も飲んだことがなかったし、あの匂いをかぐだけでイヤだった、あのお酒です。

 父と同じようにお湯割りにしました。それさえ半信半疑でしたが、少しずつ飲むと、少しずつお酒の味は全身に広がるし、口に含むと遠目で嗅いでいた匂いが香しいものにかわっていました。ああ、あの時から、焼酎を覚え、夏はビールでもいいけど、秋から冬はお湯割り、夏はロックでもOKと、毎日飲むようになりました。

 そうです。私が毎日お酒を飲むようになったのは十年そこそこでした。あと十年くらいは飲むとして、それからは断酒しないといけなくなるのかなと思います。

 晩年の父は、母からお酒を責められ、一応止めてはいましたが、時々、母のいないゲートボールの世界に出勤していた時代に、「近所のお色気奥さんに勧められていたはずや!」なんて、父が亡くなってからそんなことを言われていたんですが、たまには父も、母とは違う世界に行きたかったろうし、少しくらいならお酒も飲みたいとか思っていたことでしょう。母は自分の目のある所では認めなかったのです。ものすごい管理体制でした。

 私は、お酒さんといろいろ関係していて、これといって決まった相手はいません。芋、ワイン、発泡、リキュール、梅いろいろつきあってますね。残念ながら日本酒さんとは全く付き合いがなくて、この年になっても、自分から飲みたいなんて思わないです。これも出会いの関係かな、いい出会いでもあれば、変わるのかもしれない。

 何を書かなきゃいけないかというと、禁酒のことでした。

 昔は、ごく自然に何日も飲まない日がありました。それがここ十年くらいは毎日になってしまった。そんなに強いわけでもないので、少し飲んだら満足します。でも、大阪の実家に行き、弟が来ると、たいしたことはしゃべらないのに、お酒だけはたくさん飲んで、限度を越してしまい、すっかりタガがはずれたところで風邪を拾ってしまい、ここ何日間か不調でした。というわけで、今は不調にならないと禁酒しないというとんでもないオッサンになりました。

 おとといは、もう風邪も治ったろうとお酒を少し飲みました。そうしたらすぐ熱が出てきて、しんどくなりました。ああ、私は何をやっているんでしょう。

 お酒に遊ばれ、体調を崩し、フラフラしながらあまりたいした仕事もできていない。

 やはり、ものすごくお仕事した人しかお酒が飲めないということになってたら、私なんか、月にどれくらい飲めるだろう。数えるほどしかないですね。


以上、禁酒と日々の飲酒でした。


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