私たちは、あまりに無責任で、すぐに権利を放棄するし、ちっとも努力をしていない。そりゃ、個々にはものすごく努力して、向上心を持ち、自分の生活や未来を手に入れようと目標に着実に進んでいる人もいるでしょう。
でも、自分自身をふりかえって、70まで年金は出なくなるよ。生涯活躍社会が待っていると聞かされたりすると、何だか今までと違うぜ、オイラはどうすりゃいいんだよ。何をして生活していくんだよ。今でもボケボケなのに、認知症の恐怖と戦いながら、生涯低賃金を稼いで細々と生きていくのかよ、と思ったりします。
今までと違うと言ったって、もう政府には年金を維持する意志もお金もないことでしょう。年金は生涯出ないものと覚悟しなくてはならない。
そうだ。ふたたび自分探し・職探しをしなくてはいけないのだ。
いや、そんなムキにならず、今まで通りの仕事を、少し低賃金で余裕を持ちながら、お年寄り同士でやっていけば、それで社会もおさまるのだから、せいぜい若い人の邪魔にならないように、細々と稼げよ。
政府も与党も、それがいいとおっしゃっているのですね。そして、にっぽんファーストで、移民を排斥して、一切の移民を受け入れず、東南アジアや南米・中国などから来る低賃金研修生だけを期間限定で受け入れつつ、彼らからも上手に税金を巻き上げて、さらに国の借金をこさえながら、場当たり的なイベントや会議などを国内で開催しつつ、未来への計画もなくやっていくのでしょう。
日本という歴史ある国に従わないものは許さず、お金を落としにやってくるお金持ちの外国人は今後さらに受け入れ、年間二千万から三千万まで拡大させて、観光にっぽんを切り開いていくことでしょう。
そうです。光輝ある日本を訪れ、たくさんお金を使い、その歴史や文化も知ってもらい、アジアの中で、自然・文化・治安に優れた社会を体験してもらおう。
そして、観光産業も盛んにさせよう。そう思っているんでしょう。
足もとを振り返れば、日本の歴史はどんどん崩壊しつつあります。スポットライトが当たっているところはより豊かで繁栄しているかもしれないけれど、そうじゃないところは、シャッター通りと荒廃した寺社仏閣、守りきれない仏さまは盗難に遭い、老人ばかりで祭りは下火になり、都会だけが輝いて、地方はズタズタになっている。
自然災害も、地方だけをねらって次から次とゲリラ的に起こっていきます。たまたま原発は自然災害のターゲットから外れているけれど、そのうちにとんでもない自然災害が原発を襲ったら、新たなチェルノブイリが起こるでしょう。
そうしたら、外国からの観光客三千万作戦は、今度こそとどめを刺されるでしょうね。国土は荒廃し、人びとは住む場所を失うことでしょう。でも、もう逃げ場はないから、多少のリスクには目をつぶって、あいかわらずそこに住むことになるのかな。
私たちは、極右政権をここ何年か、スクスクと育ててきました。よその国は、そんなのは不自然であり、まわりの国と協調して国際社会にあるためには、ある程度の妥協と、中道的な要素で国をまとめるしかなかったはずなのに、イギリス同様の島国根性で、よその国との協調よりも、自国の繁栄を優先させてきたんですね。
もちろん対外的にはソフトな強硬主義で、外国人は観光のみを許し、ごく一部だけの利用にとどまっていた。もちろん差別的な扱いで、要らなくなったらすぐ捨てることをよしとしてきました。
こんな国ですから、外国の人たちも、のぞき見する程度ならいいけど、決してここに住もうとはしなかった。白人系の人だけが珍重され、アジア系やアフリカ系など、はなつまみものとして扱ってきた国でした。
私たちが極右そのものだったというべきかもしれない。
私たちが外国に開かれておらず、内向きで、自分のことしか考えず、英語はできないし、できないことを何とも思わないように育ってきました。
私たちがそんな状態だから、それに乗っかって、私たちの極右政権は、今までの自分たちの重しとして数十年存在した憲法なるものを変えようとしている。
それが変えられたら、それこそ自由に極右的な政策も可能だし、言うことを聞かない周辺諸国には目に物を見せてやるぞ的なおどしも可能です。いよいよやりたいことができるようになりますね。
私みたいな、つまらない文句言いのオッサンは、すぐに生活が困窮して、生活保護さえままならない、不平分子は懲らしめることも可能な社会、いよいよできそうじゃないですか。
困りましたね。これはそんなに遠い未来の社会じゃなくて、私が高齢者になったら、バリバリの極右政権は完成形になるのかな。
どうして、日本にはよその国に存在する中道派がいないのかな。困りましたね。私たちがそういう反対勢力も育てなきゃいけないのに、すべてそれらは頼りないものとして切り捨てて来させられたから、まるで信頼できない少数派になってしまいました。
中道を育てること。これは喫緊の課題です。仲間割れとパフォーマンスと、反対ばかりで具体策がなく、リーダーの存在が見えず、地方に顔さえ見せない中道派って、いったい何なんだろう。
地道な努力はどこかで行われているはずなのに、私には見えない。私が見ようとしていないだけなのかもしれない。つまらない旅番組や何度も同じことを繰り返すニュースで満腹になっている場合ではない。
ネットにも真実はない。テレビにもない。真実は、もっと見えないところにある。なのに、私はそれを探そうとしていない。それより自分の老後が心配で、いつまで働くんだろう。死ぬまで働くとしても、何をして働いていこうか、その未来図も見えない。
いつも自分で書いていました。身近な人とのつながりの中に、真実はあるような気がします。そこが充実したら、極右政権と戦う力も湧いてきそうな気がする。
1人ではもちろん立ち向かえないし、何人かの自分のコミュニティを築いて、政府なんか関係ない、自分たちの社会は自分たちでつくる、みたいにしてやっていくしかないのかな。
それが私の老後計画ですか。さて、具体策は? それがわからないのです。
とりあえずヒントとして、古本屋さんをやって、自分のコミュニティを作るのだ。いろんな人とつながるのだ。そういう思いはあります。でも、自信はありません。でも、やらなきゃ、極右政権に食い物にされるだけだから、あの人たちのいいようにはさせないぞ、そういう気構えで独立独歩でやっていきたいな。
でも、自分自身をふりかえって、70まで年金は出なくなるよ。生涯活躍社会が待っていると聞かされたりすると、何だか今までと違うぜ、オイラはどうすりゃいいんだよ。何をして生活していくんだよ。今でもボケボケなのに、認知症の恐怖と戦いながら、生涯低賃金を稼いで細々と生きていくのかよ、と思ったりします。
今までと違うと言ったって、もう政府には年金を維持する意志もお金もないことでしょう。年金は生涯出ないものと覚悟しなくてはならない。
そうだ。ふたたび自分探し・職探しをしなくてはいけないのだ。
いや、そんなムキにならず、今まで通りの仕事を、少し低賃金で余裕を持ちながら、お年寄り同士でやっていけば、それで社会もおさまるのだから、せいぜい若い人の邪魔にならないように、細々と稼げよ。
政府も与党も、それがいいとおっしゃっているのですね。そして、にっぽんファーストで、移民を排斥して、一切の移民を受け入れず、東南アジアや南米・中国などから来る低賃金研修生だけを期間限定で受け入れつつ、彼らからも上手に税金を巻き上げて、さらに国の借金をこさえながら、場当たり的なイベントや会議などを国内で開催しつつ、未来への計画もなくやっていくのでしょう。
日本という歴史ある国に従わないものは許さず、お金を落としにやってくるお金持ちの外国人は今後さらに受け入れ、年間二千万から三千万まで拡大させて、観光にっぽんを切り開いていくことでしょう。
そうです。光輝ある日本を訪れ、たくさんお金を使い、その歴史や文化も知ってもらい、アジアの中で、自然・文化・治安に優れた社会を体験してもらおう。
そして、観光産業も盛んにさせよう。そう思っているんでしょう。
足もとを振り返れば、日本の歴史はどんどん崩壊しつつあります。スポットライトが当たっているところはより豊かで繁栄しているかもしれないけれど、そうじゃないところは、シャッター通りと荒廃した寺社仏閣、守りきれない仏さまは盗難に遭い、老人ばかりで祭りは下火になり、都会だけが輝いて、地方はズタズタになっている。
自然災害も、地方だけをねらって次から次とゲリラ的に起こっていきます。たまたま原発は自然災害のターゲットから外れているけれど、そのうちにとんでもない自然災害が原発を襲ったら、新たなチェルノブイリが起こるでしょう。
そうしたら、外国からの観光客三千万作戦は、今度こそとどめを刺されるでしょうね。国土は荒廃し、人びとは住む場所を失うことでしょう。でも、もう逃げ場はないから、多少のリスクには目をつぶって、あいかわらずそこに住むことになるのかな。
私たちは、極右政権をここ何年か、スクスクと育ててきました。よその国は、そんなのは不自然であり、まわりの国と協調して国際社会にあるためには、ある程度の妥協と、中道的な要素で国をまとめるしかなかったはずなのに、イギリス同様の島国根性で、よその国との協調よりも、自国の繁栄を優先させてきたんですね。
もちろん対外的にはソフトな強硬主義で、外国人は観光のみを許し、ごく一部だけの利用にとどまっていた。もちろん差別的な扱いで、要らなくなったらすぐ捨てることをよしとしてきました。
こんな国ですから、外国の人たちも、のぞき見する程度ならいいけど、決してここに住もうとはしなかった。白人系の人だけが珍重され、アジア系やアフリカ系など、はなつまみものとして扱ってきた国でした。
私たちが極右そのものだったというべきかもしれない。
私たちが外国に開かれておらず、内向きで、自分のことしか考えず、英語はできないし、できないことを何とも思わないように育ってきました。
私たちがそんな状態だから、それに乗っかって、私たちの極右政権は、今までの自分たちの重しとして数十年存在した憲法なるものを変えようとしている。
それが変えられたら、それこそ自由に極右的な政策も可能だし、言うことを聞かない周辺諸国には目に物を見せてやるぞ的なおどしも可能です。いよいよやりたいことができるようになりますね。
私みたいな、つまらない文句言いのオッサンは、すぐに生活が困窮して、生活保護さえままならない、不平分子は懲らしめることも可能な社会、いよいよできそうじゃないですか。
困りましたね。これはそんなに遠い未来の社会じゃなくて、私が高齢者になったら、バリバリの極右政権は完成形になるのかな。
どうして、日本にはよその国に存在する中道派がいないのかな。困りましたね。私たちがそういう反対勢力も育てなきゃいけないのに、すべてそれらは頼りないものとして切り捨てて来させられたから、まるで信頼できない少数派になってしまいました。
中道を育てること。これは喫緊の課題です。仲間割れとパフォーマンスと、反対ばかりで具体策がなく、リーダーの存在が見えず、地方に顔さえ見せない中道派って、いったい何なんだろう。
地道な努力はどこかで行われているはずなのに、私には見えない。私が見ようとしていないだけなのかもしれない。つまらない旅番組や何度も同じことを繰り返すニュースで満腹になっている場合ではない。
ネットにも真実はない。テレビにもない。真実は、もっと見えないところにある。なのに、私はそれを探そうとしていない。それより自分の老後が心配で、いつまで働くんだろう。死ぬまで働くとしても、何をして働いていこうか、その未来図も見えない。
いつも自分で書いていました。身近な人とのつながりの中に、真実はあるような気がします。そこが充実したら、極右政権と戦う力も湧いてきそうな気がする。
1人ではもちろん立ち向かえないし、何人かの自分のコミュニティを築いて、政府なんか関係ない、自分たちの社会は自分たちでつくる、みたいにしてやっていくしかないのかな。
それが私の老後計画ですか。さて、具体策は? それがわからないのです。
とりあえずヒントとして、古本屋さんをやって、自分のコミュニティを作るのだ。いろんな人とつながるのだ。そういう思いはあります。でも、自信はありません。でも、やらなきゃ、極右政権に食い物にされるだけだから、あの人たちのいいようにはさせないぞ、そういう気構えで独立独歩でやっていきたいな。