今も元気な伯母は昭和の初め・大正の終わりの生まれだそうです。2年前に伯母から初めて聞きました。節目の年に生まれるって、何となく複雑な気がします。
たとえば、昭和64年・平成元年に生まれた人たちは、割り切って平成生まれということにしているでしょう。実際に昭和64年は一週間ほどしかなかったわけですから、1989年生まれの人はほとんど平成なのです。だから新しい時代である「平成」に乗っかるのは人情というものです。
「昭和」よりも「平成」の方がいいものなんですね。私なんかは、自分の所属する「昭和」に愛着がありますけど、二十代の真ん中くらいの人たちにとって「昭和」とは、古くさいものの代名詞なんでしょうね。「昭和っぽい」ということばは「古くさい・価値がない」と同義で使われているような気がして、何だか残念でくやしい。
だったら、昭和元年の人たちは? というと、ほとんどの人が大正15年の人になります。というのは大正天皇はクリスマスの日に亡くなっているので、その後の一週間だけが昭和元年でした。たぶん伯母は大正15年内の生まれで、昭和ではない感じです。でも、私たちがわかりやすいだろうと思って、昭和元年・大正の終わりの年と説明してくれるんですね。
普通に大正生まれだと宣言すればいいものを、なんとなく「私は昭和元年生まれなのよ」と言ってしまいたくなるのは、多数派に所属したいというか、その方が相手にわかりやすいというのか、大正だと相手がイメージできないというのか……。やはり元号を使うのは、短い期間を見るだけなら元号で間に合いますが、長いスパンで見ようとしたら、元号の年数でカウントすると思考が断絶されるような気がします。
まあ、私は数字がうまくイメージできない方の人らしく、特にピンとこないことが多くて、なるべく元号は使わないようにしています。
でも、父たちの世代は、昭和ヒトケタということばでくくってあげたくなります。この人たちは実際に戦場にかり出されることはなくて、銃後の控えをしていた世代です。自分たちより上の世代があちらこちらで命を落とし、平和になったはいいものの、とにかくがむしゃらに家族や社会のために働いてきた人たちでした。そして、昭和から平成の変わり目あたりでリタイヤして、その後は老後生活を送っていました。
生涯現役の人なら、高倉健さん、菅原文太さん、大島渚さん、中坊公平さん、天野祐吉さんたちがいました。みんな最近亡くなってしまわれました。最近読んでる司馬遼太郎さんは1つ上の世代です。安岡章太郎さん、M・サッチャーさん、レイ・ハリーハウゼンさん、茂山千作さん、川上哲治さんたちも父より上の世代です。
戦後に生を受けた私は、戦争というものを父から聞かせてもらい、小説を読み、映画を見て、ドキュメンタリーフィルムなども機会があれば見て、少しずつ太平洋戦争を自分にしみこませてきたつもりです。それは父たちの世代やその上の世代の願いであり希望だったわけです。戦争はしてはいけないものだとずっと教わってきました。それはすべてを無にする、愚かな行為であると念じていました。
伝えられたことを、だれかに伝えなきゃと思いつつ、これといったアクションも起こさず、何十年も過ぎてしまいました。今、日本の戦争体験は風前のともしびで、国内の一部のみなさんが、国家の利益のために戦うこともありではないかという声も出てきつつあって、国民の皆さんも欧米の人々と何となく同じように、狂信的宗教はつぶせ、不可解なイスラム教徒を排除せよ、不当な利益を得ているユダヤ人を排斥せよと、何となくみんな不寛容になりつつあるのではないかという気がします。すぐわからない相手に、力ずくで黙らせようというふうに考えてしまいがちです。
まだまだ私たち世代の努力が足りないのでしょう。戦争はなかなかイメージできないものになりつつあり、残虐な死を演出するような狂気の集団さえ生まれている。それは恐怖や憎悪や狂気を生むものだから、そうした映像は社会から排除する努力も必要だと思います。
ヨーロッパでユダヤ教の施設などを襲う事件が頻発しているそうです。やはり、ここでも戦争での教訓は生かされていない。憎しみは少数派へのいやがらせや、少数派の反撃、目には目をの暴力の連鎖が続いています。
私たち世代は、父たちの世代の声を、もっと今の若い人たちに伝える努力をしていかなくてはと思います。
たとえば、昭和64年・平成元年に生まれた人たちは、割り切って平成生まれということにしているでしょう。実際に昭和64年は一週間ほどしかなかったわけですから、1989年生まれの人はほとんど平成なのです。だから新しい時代である「平成」に乗っかるのは人情というものです。
「昭和」よりも「平成」の方がいいものなんですね。私なんかは、自分の所属する「昭和」に愛着がありますけど、二十代の真ん中くらいの人たちにとって「昭和」とは、古くさいものの代名詞なんでしょうね。「昭和っぽい」ということばは「古くさい・価値がない」と同義で使われているような気がして、何だか残念でくやしい。
だったら、昭和元年の人たちは? というと、ほとんどの人が大正15年の人になります。というのは大正天皇はクリスマスの日に亡くなっているので、その後の一週間だけが昭和元年でした。たぶん伯母は大正15年内の生まれで、昭和ではない感じです。でも、私たちがわかりやすいだろうと思って、昭和元年・大正の終わりの年と説明してくれるんですね。
普通に大正生まれだと宣言すればいいものを、なんとなく「私は昭和元年生まれなのよ」と言ってしまいたくなるのは、多数派に所属したいというか、その方が相手にわかりやすいというのか、大正だと相手がイメージできないというのか……。やはり元号を使うのは、短い期間を見るだけなら元号で間に合いますが、長いスパンで見ようとしたら、元号の年数でカウントすると思考が断絶されるような気がします。
まあ、私は数字がうまくイメージできない方の人らしく、特にピンとこないことが多くて、なるべく元号は使わないようにしています。
でも、父たちの世代は、昭和ヒトケタということばでくくってあげたくなります。この人たちは実際に戦場にかり出されることはなくて、銃後の控えをしていた世代です。自分たちより上の世代があちらこちらで命を落とし、平和になったはいいものの、とにかくがむしゃらに家族や社会のために働いてきた人たちでした。そして、昭和から平成の変わり目あたりでリタイヤして、その後は老後生活を送っていました。
生涯現役の人なら、高倉健さん、菅原文太さん、大島渚さん、中坊公平さん、天野祐吉さんたちがいました。みんな最近亡くなってしまわれました。最近読んでる司馬遼太郎さんは1つ上の世代です。安岡章太郎さん、M・サッチャーさん、レイ・ハリーハウゼンさん、茂山千作さん、川上哲治さんたちも父より上の世代です。
戦後に生を受けた私は、戦争というものを父から聞かせてもらい、小説を読み、映画を見て、ドキュメンタリーフィルムなども機会があれば見て、少しずつ太平洋戦争を自分にしみこませてきたつもりです。それは父たちの世代やその上の世代の願いであり希望だったわけです。戦争はしてはいけないものだとずっと教わってきました。それはすべてを無にする、愚かな行為であると念じていました。
伝えられたことを、だれかに伝えなきゃと思いつつ、これといったアクションも起こさず、何十年も過ぎてしまいました。今、日本の戦争体験は風前のともしびで、国内の一部のみなさんが、国家の利益のために戦うこともありではないかという声も出てきつつあって、国民の皆さんも欧米の人々と何となく同じように、狂信的宗教はつぶせ、不可解なイスラム教徒を排除せよ、不当な利益を得ているユダヤ人を排斥せよと、何となくみんな不寛容になりつつあるのではないかという気がします。すぐわからない相手に、力ずくで黙らせようというふうに考えてしまいがちです。
まだまだ私たち世代の努力が足りないのでしょう。戦争はなかなかイメージできないものになりつつあり、残虐な死を演出するような狂気の集団さえ生まれている。それは恐怖や憎悪や狂気を生むものだから、そうした映像は社会から排除する努力も必要だと思います。
ヨーロッパでユダヤ教の施設などを襲う事件が頻発しているそうです。やはり、ここでも戦争での教訓は生かされていない。憎しみは少数派へのいやがらせや、少数派の反撃、目には目をの暴力の連鎖が続いています。
私たち世代は、父たちの世代の声を、もっと今の若い人たちに伝える努力をしていかなくてはと思います。