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これは去年の11月ごろの、宮川沿いの茶畑で撮ったお茶の花です。冬にお茶の花は咲くし、やがては実をつけるはずです。お茶の実って、何かの役に立つと思うんだけど、あまり見たことはないですね。
茶畑を管理している方は、伸びすぎると面倒になるので、ザーッと刈り込んで、初夏の新芽だけを期待するんだろうな。お茶も、人間に利用されて、うれしいような、困ったようなものではあります。
さて、「歴史とグルメ」(荻昌弘著)から、またも引用してみます。
東アジアに原生した茶という植物の葉が、この地域で飲料化され、十七世紀、インドを伝わって西欧へ渡り、今やTeaは世界の基本の飲みものとなっていることは、よく知られている。
しかし、朝鮮半島では、李朝における「崇儒排仏」政策の結果、仏教の飲料だった茶が政治的に圧殺され、いま同半島では飲茶の習慣を失った、という史的事実など、漢陽大の李盛雨教授に指摘されて、私は、このシンポジウムで初めて知ったことだった。焦がした米に湯を注いだものを飲むのが、そこでは通常であるという。
世界で、お茶の習慣なんて、ものすごい昔はありませんでした。それが、英国がインドを支配し、アッサム地方にまでその力が及んだ時、「お茶」は世界のものになりました。でも、それはTeaであり、緑茶ではなかった。
お茶、緑茶、いろいろと調べないと、簡単にたどれるものではないですね。でも、朝鮮半島でお茶の文化がなかったなんて、何だか不思議です。それくらいに朝鮮半島は儒教の土地になったようです。今、韓国社会にはどれくらい儒教があるのか、そういうのも知りたいけど、触れるチャンスあるかなあ。映画も最近は見ていないし、もどかしいなあ。
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この李教授の発言で非常に興味深かったのは、日本は例の元寇の際、神風によってよく襲来者の上陸を防ぎ止めた、が、食文化的にいえば、これは肉食という良質タンパク質の摂取を拒む結果になった。
――かりに北条時宗らが蒙古人の上陸、支配を許していたら、日本は肉食地帯化を強制され、民族の食形態に顕著な変化を生じたろう、という指摘だった。歴史で〝かりに〟が許されるのは想像力の領域でだけだが、われわれが結局今日まで、トロの刺身ばかり有り難がってるのは、北条時宗と日蓮上人とクビライ・カンの〝運命〟のおかげだったのだ、と考えたら愉快になってきた。
荻さんは、「食の文化のシンポジウム」に参加されて、そういうことを考えたというのを書いておられました。
2021年の現代は、世の中的には肉食は進んだと思うし、たくさんの若者たちが牛丼を食べ、肉に慣れ親しんでいると思います。ケンタッキーやマックだって大好きでしょう(モスは回復したかな?)。
それでも、やはり西欧の肉食文化までは遠い気がします。南欧の地中海的な肉食で十分だと思うし、魚介類も食べる日本的な食文化は大事にしたいです。
そこにお茶はどう入っていくかですね。お茶とお酒が合わさったようなものって、ないのかな?