■戦争の時代■
マッチ擦(す)るつかのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
煙草(たばこ)くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし
〈寺山修司『空には本』(ちくま日本文学全集)より〉
自分の命を投げ出してしまうほどの「祖国」というものはあるか?
今の若い人なら、みんな立派な、よくできた、しっかりした考えの人たちが多いから、
「そりゃ、私の命を投げ出して、祖国の人たちが助かるのなら、私の命を投げ出します。」
そう語る人もいるでしょう。
みんなの命を助けたいけど、自分を犠牲にしてまで助けることってあるのか? 私の命だけなのか、私を殺して、他の人だけは助かるというのか? ちゃんとまわりをよく見て行かなくてはと思います。
そして、できればそこまでしなくていい方法を探らねばならないし、命を投げ出してみんなを助けるというのは政治屋のごまかしと縁起担ぎでしかない。と、断言してもいいような気がします。
寺山さんもわかってたし、それをストレートに書くのは文学ではないので、こうした形で表現したのだと思います。たぶん、みんなもわかっているのだと思います。ガタガタ言うのは、私くらいなもんでしょう。
だれも自分の1つの命で、みんなが救われるなんて思っていない。ただ、そういう流れで、そうなってしまうということなのかもしれない。
だったら、犠牲的精神なんかは不要なものだと教えればいいのに、何だか世の中は、犠牲的精神がすばらしいことのように言うから、何となく窮屈になるんです。
犠牲なんか生んではならない。みんなが自分の寿命だけ生きる権利があるし、それをねじ曲げるのは、自然ではないし、不自然であり、本当に良くないこと、です。
ダバコくさい国語教師の「明日」ということばは、口から出たとたんに「かなし」くなるそうです。ムズカシイなあ。学校の先生は、若者たちの「未来」を提案しなきゃいけないと思うんですけど、それをすると、寺山さんには「かなし」く見えるそうです。
まあ、「明日」ということばじゃなくて、とにかく、本人がやりたいことを、本人に選び取ってもらうしかないのかなあ。そうですね。余計な説明は要らない。本人のやりたいように決めさせて、適当な助言をしたらいいのだと思います。
そうです。国語の先生って、ウソっぽいから、数学や社会や体育の先生に、未来を語ってもらわなくちゃ! そうだ。国語の先生は「昨日」「おとつい」「?年前」などの過去を語れば、持ち味が出せるのかも……。
◇ 汽笛
『日本週報』を購読していた父は、刑事のくせにアルコール中毒だった。家へ帰ってきてもほとんど無口で、私に声をかけてくれることなどまるでなかった。仕事にだけは異常に熱心で、思想犯として捕(と)らえた大学教授の顔に、平気でにごった唾(つば)をかけたりしたそうである。
私は、荒野しか見えない一軒家の壁に吊(つ)られた父の拳銃にさわるのが好きであった。それは、どんな書物よりもずっしりとした重量感があった。父はときどきそれを解体して掃除していたが、組立て終るとあたりかまわず狙(ねら)いをさだめてみるのだった。その銃口は、ときに私の胸許(むねもと)に向けられることもあったし、ときには雪におおわれた荒野に向けられることもあった。
今も私に忘れられないのはある夜、拳銃掃除を終った父の銃口が、まるで冗談のように神棚に向けられたまま動かなくなったことだった。びっくりした母が、真青になってその手から拳銃を奪いとって「あなた、何するの」とふるえ声で言った。神棚には天皇陛下の写真が飾られてあったのである。
〈寺山修司『誰か故郷を想はざる』(ちくま日本文学全集)より〉
* 寺山さんのお父さんは、一九四五年にインドネシアのセレベス(スラウェシ)島にて死亡したそうです。
もう10年以上前、いろんな人が語る「ニッポン」を探そうとしたんです。今からでも遅くないから、ふたたびニッポンとは何かを考えたいです。
どこかお出かけしようかな? それとも自粛ムード?
マッチ擦(す)るつかのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
煙草(たばこ)くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし
〈寺山修司『空には本』(ちくま日本文学全集)より〉
自分の命を投げ出してしまうほどの「祖国」というものはあるか?
今の若い人なら、みんな立派な、よくできた、しっかりした考えの人たちが多いから、
「そりゃ、私の命を投げ出して、祖国の人たちが助かるのなら、私の命を投げ出します。」
そう語る人もいるでしょう。
みんなの命を助けたいけど、自分を犠牲にしてまで助けることってあるのか? 私の命だけなのか、私を殺して、他の人だけは助かるというのか? ちゃんとまわりをよく見て行かなくてはと思います。
そして、できればそこまでしなくていい方法を探らねばならないし、命を投げ出してみんなを助けるというのは政治屋のごまかしと縁起担ぎでしかない。と、断言してもいいような気がします。
寺山さんもわかってたし、それをストレートに書くのは文学ではないので、こうした形で表現したのだと思います。たぶん、みんなもわかっているのだと思います。ガタガタ言うのは、私くらいなもんでしょう。
だれも自分の1つの命で、みんなが救われるなんて思っていない。ただ、そういう流れで、そうなってしまうということなのかもしれない。
だったら、犠牲的精神なんかは不要なものだと教えればいいのに、何だか世の中は、犠牲的精神がすばらしいことのように言うから、何となく窮屈になるんです。
犠牲なんか生んではならない。みんなが自分の寿命だけ生きる権利があるし、それをねじ曲げるのは、自然ではないし、不自然であり、本当に良くないこと、です。
ダバコくさい国語教師の「明日」ということばは、口から出たとたんに「かなし」くなるそうです。ムズカシイなあ。学校の先生は、若者たちの「未来」を提案しなきゃいけないと思うんですけど、それをすると、寺山さんには「かなし」く見えるそうです。
まあ、「明日」ということばじゃなくて、とにかく、本人がやりたいことを、本人に選び取ってもらうしかないのかなあ。そうですね。余計な説明は要らない。本人のやりたいように決めさせて、適当な助言をしたらいいのだと思います。
そうです。国語の先生って、ウソっぽいから、数学や社会や体育の先生に、未来を語ってもらわなくちゃ! そうだ。国語の先生は「昨日」「おとつい」「?年前」などの過去を語れば、持ち味が出せるのかも……。
◇ 汽笛
『日本週報』を購読していた父は、刑事のくせにアルコール中毒だった。家へ帰ってきてもほとんど無口で、私に声をかけてくれることなどまるでなかった。仕事にだけは異常に熱心で、思想犯として捕(と)らえた大学教授の顔に、平気でにごった唾(つば)をかけたりしたそうである。
私は、荒野しか見えない一軒家の壁に吊(つ)られた父の拳銃にさわるのが好きであった。それは、どんな書物よりもずっしりとした重量感があった。父はときどきそれを解体して掃除していたが、組立て終るとあたりかまわず狙(ねら)いをさだめてみるのだった。その銃口は、ときに私の胸許(むねもと)に向けられることもあったし、ときには雪におおわれた荒野に向けられることもあった。
今も私に忘れられないのはある夜、拳銃掃除を終った父の銃口が、まるで冗談のように神棚に向けられたまま動かなくなったことだった。びっくりした母が、真青になってその手から拳銃を奪いとって「あなた、何するの」とふるえ声で言った。神棚には天皇陛下の写真が飾られてあったのである。
〈寺山修司『誰か故郷を想はざる』(ちくま日本文学全集)より〉
* 寺山さんのお父さんは、一九四五年にインドネシアのセレベス(スラウェシ)島にて死亡したそうです。
もう10年以上前、いろんな人が語る「ニッポン」を探そうとしたんです。今からでも遅くないから、ふたたびニッポンとは何かを考えたいです。
どこかお出かけしようかな? それとも自粛ムード?
ご教示ありがとうございます。ちゃんと読んでみたいです。
読んだら、コメントさせていただきます。また、機会がありましたら、どうぞお教えください。お願いします。
寺山のあまりにストイックな生き方、或る意味でそれは過激な生き方でもあったのだろう。その生き方の裏側に、限りない「孤独」が感じられ、私は、その寂寥感に耐えられなかった。
同時に、アメリカ文学等の「ロストゼネレーション」にひかれ、ヘミングウェイ、フィッシュ・ジェラルドなどを読み漁りました。
「誰か故郷を…」の中で、私は「へっぺ」という短文が好きです。
思春期の少年たちの「性」への興味を余すことなく発揮した短文だと思います。