今朝起きたら、右足のふくらはぎが痛かったのです。走りもせず、運動もせず、ダラダラ過ごしているので、酷使ということはありません。ただの体の不調なんでしょう。少しずつ使えなくなって、体のコントロールの範囲が狭まるのでしょうね。こういうのと上手につきあっていかなくては!
今、パソコンの前にはメダカの子どもが2匹とヌマエビが1匹います。小さな水槽に入れて2階のテーブルの上に持ってきました。この年末年始、家の中に入れてあげたメダカたちがどんどんウイルスか何かで死んしまって、新しい水に移し替えてあげようとしたんでした。気持ちは焦っていたので、溜めてあった雨水に2匹移し替えてみました。
すると、2匹ともパタリと死んだように動かなくなりました。おそらく、心臓麻痺を起こしたのだと思われます。外にあった水なので、冷たかったのでしょう。あわててもとの水槽に戻しましたが、小さい方はそのまま死んでしまいました。
急激な温度変化はダメというのは、魚を飼うときの基本でしたが、ここ最近の私は、せっかちで目先のことばかりに走っていて、とにかく汚れた水から出してあげればいいのだとしか考えなかった。
猛省したものの、止まった心臓は動かなくて、本当にとんでもないことをしたと悔やむばかりでした。暗い気持ちが広がります。どうしてそんな簡単なことがわからないのかと、自分のアホさがいやになります。どうやらこれも、最近の浮かれた気分で、何も考えないでしたことの結果のような気がします。もう少し冷静に考えていたら、救えたかもしれない命でした。
夕方に2つの水槽の温度が同じになるまで待つことにしました。当たり前のことなのに、気づけなかった。そういう自分を反省しました。でも、次に何かしている時には、たぶんまた忘れているのだと思います。どうして冷静で穏やかな気持ちが持続しないのか、すぐその場の雰囲気で動いてしまうのか、今年の自分に向けて、じっと押しつけていきたいテーマです。なるべくこれを考えていくことにします。
気持ちを切り替えるために、家族で初詣に行くことにしました。行き先は、滝原宮(たきはらぐう)というところです。お伊勢さんに関連するお社です。奥さんはここへお参りしたことがないと言うし、最近のウチは、原点回帰というのか、自分たちが二十年前に住んでいた三重県の南を志向することが多く、三重県の南(牟婁・むろ、または熊野、または東紀州という呼び方をします)の入り口の滝原宮をめざすことになりました。
二十年以上前に私はお参りしたことがあります。けれども、家族は初めてで、何度も大鳥居前の道の駅・木つつき館には行っていますが、今日こそはその奥にあるお社に行くことになります。
参道の一本道では、お参りする人とお参りし終わった人がすれちがいます。適度なにぎわいで、滝原宮さんへ来させてもらった有り難みを感じつつ、少しずつ神様の空気に触れていきます。
伊勢神宮と同じように、こちらも遷宮が行われたらしく、社殿は新しくなり、ピカピカのお社になっています。そして、ついこの間までお社があった空間には白い石が敷き詰められ、神様はおられないけれど、何となく神聖な感じで、思わず写真を撮りました。
カメラなんかには写らないけれど、ありがたい空気は十分に感じます。もう4つの社殿すべてにお祈りして、今年、私自身はあちらこちらお参りしましたが、家族で初詣するのはこれが初めてなので、素直な気持ちでお祈りをしました。
お参りが済んで、帰ろうかと見てみたら、社殿の下に敷かれていた白い石がありました。これらはまた新たに社殿の下に置かれるのでしょう。こうして神様をおまつりする私たちの日常は続いていくんですね。
今、パソコンの前にはメダカの子どもが2匹とヌマエビが1匹います。小さな水槽に入れて2階のテーブルの上に持ってきました。この年末年始、家の中に入れてあげたメダカたちがどんどんウイルスか何かで死んしまって、新しい水に移し替えてあげようとしたんでした。気持ちは焦っていたので、溜めてあった雨水に2匹移し替えてみました。
すると、2匹ともパタリと死んだように動かなくなりました。おそらく、心臓麻痺を起こしたのだと思われます。外にあった水なので、冷たかったのでしょう。あわててもとの水槽に戻しましたが、小さい方はそのまま死んでしまいました。
急激な温度変化はダメというのは、魚を飼うときの基本でしたが、ここ最近の私は、せっかちで目先のことばかりに走っていて、とにかく汚れた水から出してあげればいいのだとしか考えなかった。
猛省したものの、止まった心臓は動かなくて、本当にとんでもないことをしたと悔やむばかりでした。暗い気持ちが広がります。どうしてそんな簡単なことがわからないのかと、自分のアホさがいやになります。どうやらこれも、最近の浮かれた気分で、何も考えないでしたことの結果のような気がします。もう少し冷静に考えていたら、救えたかもしれない命でした。
夕方に2つの水槽の温度が同じになるまで待つことにしました。当たり前のことなのに、気づけなかった。そういう自分を反省しました。でも、次に何かしている時には、たぶんまた忘れているのだと思います。どうして冷静で穏やかな気持ちが持続しないのか、すぐその場の雰囲気で動いてしまうのか、今年の自分に向けて、じっと押しつけていきたいテーマです。なるべくこれを考えていくことにします。
気持ちを切り替えるために、家族で初詣に行くことにしました。行き先は、滝原宮(たきはらぐう)というところです。お伊勢さんに関連するお社です。奥さんはここへお参りしたことがないと言うし、最近のウチは、原点回帰というのか、自分たちが二十年前に住んでいた三重県の南を志向することが多く、三重県の南(牟婁・むろ、または熊野、または東紀州という呼び方をします)の入り口の滝原宮をめざすことになりました。
二十年以上前に私はお参りしたことがあります。けれども、家族は初めてで、何度も大鳥居前の道の駅・木つつき館には行っていますが、今日こそはその奥にあるお社に行くことになります。
参道の一本道では、お参りする人とお参りし終わった人がすれちがいます。適度なにぎわいで、滝原宮さんへ来させてもらった有り難みを感じつつ、少しずつ神様の空気に触れていきます。
伊勢神宮と同じように、こちらも遷宮が行われたらしく、社殿は新しくなり、ピカピカのお社になっています。そして、ついこの間までお社があった空間には白い石が敷き詰められ、神様はおられないけれど、何となく神聖な感じで、思わず写真を撮りました。
カメラなんかには写らないけれど、ありがたい空気は十分に感じます。もう4つの社殿すべてにお祈りして、今年、私自身はあちらこちらお参りしましたが、家族で初詣するのはこれが初めてなので、素直な気持ちでお祈りをしました。
お参りが済んで、帰ろうかと見てみたら、社殿の下に敷かれていた白い石がありました。これらはまた新たに社殿の下に置かれるのでしょう。こうして神様をおまつりする私たちの日常は続いていくんですね。