甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ドラティさんとミシマさん

2020年11月25日 21時41分00秒 | 本と文学と人と

 クルマのハードディスクに、久しぶりに録音しようとアンタル・ドラティさん指揮の「春の祭典」を朝持っていきました。

 朝の間は、FM聞いて、ストラヴィンスキーさんの出番はなかった。今朝、何を聞きましたっけねえ。モーツアルトさんのヴァイオリン協奏曲だったかな。そんなに耳に残りませんでした。心地よいけれど、何度も聞かないと、私みたいなボンクラには何も残りません。

 それより何より、今朝はクルマの流れが悪くて、そして、気温も寒くて、いつも以上に時間がかかりました。最近は何だか調子が悪いです。別にゆっくり走っているわけではないのに、巡り合わせが悪いみたい。

 何だか、もう通勤に新鮮な感じがしないです。というか、何年も何年も同じ道を走っていて、それで一つか二つか、発見がある、という程度のことなんだろうな。そんなに毎日、発見と感動があったら、体が持たないですね。淡々と普通の日々を過ごし、ボンヤリしたり、あれこれ考えたり、お腹が鳴ったり、眠くなったりしながら毎日は過ぎていくものでした。


 「春の祭典」は、中学・高校と一緒だった友だちが好きな曲でした。彼からそんな曲があるって教わって、そんなの全く知らない私は、何とも反応できなくて、そういうのがあるんだね、いつか聞いてみようと思ったまま、ずっとチャンスはなくて、何年か後にやっと聞けて、その時もよくわからなくて、これもずーっと時間をかけて吸収したものでした。

 簡単に私の脳みそに突き刺さる曲って、あるんだろうかなぁ。もう、これからはないかもしれません。

 それで、LPの時代は、ロシアの指揮者スヴェトラーノフさんと、アンセルメさんのを買い、それから何十年も後にCDでドラティさんを買ったんでした。コリン・デイビスさんのが欲しかったけれど、これもとうとう買わないままに終わってしまいました。

 出会いとタイミング、大事です。


 帰りにちゃんとハードディスクに入れましたけど、既聴感のある音楽で、そりゃ、もう何年も持っているCDなんだから、何回かは聞いたはずですけど、この年になって、また何度か聞いてみて、何か思い当たるところがあるのかもしれません。

 でも、去年の終わりから「三角帽子」もう何回くらい聞いただろう。百回は聞いたかもしれないけど、何も生まれないですけどね。まあ、私の耳ですから、ボンヤリ聞き流しているんでしょうね。


 そして、今日はミシマさんが亡くなってから50年目の節目の日でした。やはり、これもずっと意識してきたけど、私の中からは何も生まれなくて、今も分からないままです。

 こんなオッサンになったのに、もう少しいろいろと分かってもいいはずなのに、何もわかっちゃいません。そもそもミシマさんの作品、ここ40年くらいちゃんと読んでないかもしれない。

 40年前にムチャクチャ読んだ気になってたけど、それから何も私の中には残っていませんでした。ああ、何たることか。

 行き当たりばったりなんだと思われます。何か課題がないと、そのテーマに入り込めないし、この40年間、世の中はミシマさんがいたことさえ忘れようとしている。

 誰かが、いや、こうなんだよ。こういう側面もあるんだよと、問題を投げかけてくれないと、あんなに輝いてた三島由紀夫さんだって埋もれてしまうかもしれない。

 昨日、たまってた新聞の切り抜きをしましたので、これから少しずつミシマさんのこと、書いていこうと思います。

 何か書けるのかどうか。何も読んでないんだから、書けないのは確かなんだけどな。


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