
うちの奥さんを紹介しましょう! 俳句もびっくりするようなかわいらしい作品を書くし、才能があるのだから、もっと文章を書いて! と、いつもおねがいしてるのですが、なかなか書いてくれません。それで、もう30年以上前の彼女の作品を引っ張り出してきました。
私は冬に生まれました。十二月の雪の降る日です。冬は好きではありません。好きではなくなりました。なんとなくきたなく乾いていて。あっ、きたなく乾いたのはわたし……かな、とも思います。こどもの頃は好きだったらしいです。脳の左上にほっと浮かんで、胸のあたりにまでほっと伝わる思い出があります。冬を徹底的に嫌いにならないうちに、乾かないうちに、つまりは、懐古的・老人的めもりあるのおと。
私も、かなり卑屈なところがあるのですが、うちの奥さんも少し卑屈になってる書き出しですけど、ここからがすごいんですよ。
雪が降ると、そりを物置小屋から出してきました。ちょうどりんご箱をそのままそりにしたようなものでした。わたしは妹をそりに乗せてひっぱるのが好きでした。雪が斜めに降る中をひっぱって歩くのが好きでした。救助隊員兼セントバーナードごっこなのです。
まだ前の晩のぬくもりが残っているアンカを足の下に置き、毛布をかぶせてやると、妹ははしゃぎもせず黙って座っていました。わたしも黙って引っ張ります。雪が目に当たり、ほおに当たり、あごに流れてしずくになり、そのうちに指先だけを残してしびれるように身体が熱くなったら遊びは終わり、遭難者一名無事救出。

もう一つ雪の日の話です。小さい町の保育園。こどもたちはストーブのまわりで遊んでいました。厚着したうえに園児服をきちきちに着て、はなをたらしたきたないこどもたちです。ストーブから上がる熱とそのあたりの空気とぶつかって揺れて、壁にはった絵が全部ゆがんで見えました。わたしはガラス戸に背中を押しつけて立っていました。
チャリ、チャリ、チャリ、チャリ……。何の音? あっ、火事だ。ひなんくんれんだよ。一週間ほど避難訓練が続けられて、その前の日に終わったところでした。こどもたちの頭には避難の合図の鐘を聞く用意がしてあったので、みんなそうだと思いました。ガラス戸をあけて外へ出ます。ズック靴を脱いで手に持って、庭の松の木のところへ走るのです。雪が降っています。いや、練習の成果を示す時! ズックを脱いで、裸足で雪の中をかけていきます。もう松の木に着いた子がいます。わたしは小さい時からのろまでした。庭に一番近いところにいたのに、一番あとになってしまいました。
チャリ、チャリ……あれ? 音のする方を見ると、一人の男の子がびっくりして立っています。手にはたくさんの鈴、トライアングル。〈あっ、次はうたのじかんか〉、わたしは手にズックを持ったまま、男の子に向かって笑いました。男の子も笑いました。鈴についたリボンが外からの冷たい風になびきました。
夫の私が言うのもなんですが、うちの奥さんはかわいいものをそのまんまの形で上手にすくってくるんです。それを見せられると、いつも私は「やられたな、それじゃあこっちは、もっとつまらないような、人があまり注目しないところに目をつけていこう」と思ってしまうんです。それで、今は卑屈から偏屈にかわってしまったところがあります。これまた自己批判で、よくないです。つづきます。

冬の晴れた日の空は透明なセロハンをぴっと張ったようです。兄は鳩を飼っていました。飼い始めから初めて純白の鳩が生まれました。兄は飛ばす日を楽しみに大事に育てました。とてもきれいな鳩でした。晴れた日、兄は初めてじゅんぱく(わたしたちはそう呼んでいました)を鳩舎から出しました。足環をつけるのです。わたしが手に抱えなければなりません。それまではこわくて鳩を抱いたことがありませんでした。兄が足環をつけようとすると、じゅんぱくはしきりにもがいてわたしの手から離れようとします。爪でひっかきます。
「しっかりつかまえてろ! 」。
でも、しっかりつかまえると、じゅんぱくを壊してしまいそうなのです。ちょっと手をゆるめました。〈あっ、飛んだ〉、頭の上で旋回すると、ぴっとはった水色の空を裂くようにじゅんぱくは飛んで行きました。
「しっかりつかまえてろって言っただろ。」

そう言って兄は泣きました。何度も外に出て空を眺めても、じゅんぱくは帰ってきません。日が暮れかける頃には、兄ももうあきらめていました。猫に襲われないようにタラップをしめなければなりません。外に出た兄があっと大きな声を出しました。わたしも外に出てみました。ぐるっくう、ぐるっくう、じゅんぱくが屋根の上に止まっています。帰ってきたのです。兄が口笛を吹いて呼んでやると、じゅんぱくはきつく透きとおったうすむらさきの空を今度は二度旋回しました。「明日、タラップのくぐり方を教えよう。」空を見上げながら兄は言いました。
二十一回目の冬が来ます。他人の意見はおかまいなしに、あまったるい思い出にリボンをつけて、わたしからわたしにプレゼント。
最後のエピソードには、切なくて泣けてきそうなくらいです。そして、オッサンの今の私から見ても、どうしてこんなに鮮明に幼いころのことをおぼえているのだろうと、驚異になります。

今の私なら、さっき食べた夕飯のメニュー、今はおぼえてますが、明日になったら忘れるだろうし、何もかも忘却一辺倒でやっているのに、うちの奥さんは、1つひとつが鮮明で、夫としてはもう頭が下がります。
そうです。今晩は、奥さんの足をもんであげたり、奥さん孝行しましょう!
それでは無理矢理2句!
1 地を染める梅の花びら 見る夫婦
2 ハチたちよ梅を助けに来てくれよ
★ やたら梅に同情的でした。昨春がうちの梅の黄金期でした。今年はもうダメみたいです。残念!

★ さやわかや 朝の新聞 スズメの子
ただ並べただけですね。どうしたら朝のさわやかさが出せるかなあ。もう毎日、自分のダメさと向き合っています。限界がクッキリです。でも、下手の無理好きでやっていきます。今朝はとにかく寒いくらいです。フトンが復活しました! 二ヶ月ぶりくらいだけど、何だかなつかしい感じです。(2016.9.10)
私は冬に生まれました。十二月の雪の降る日です。冬は好きではありません。好きではなくなりました。なんとなくきたなく乾いていて。あっ、きたなく乾いたのはわたし……かな、とも思います。こどもの頃は好きだったらしいです。脳の左上にほっと浮かんで、胸のあたりにまでほっと伝わる思い出があります。冬を徹底的に嫌いにならないうちに、乾かないうちに、つまりは、懐古的・老人的めもりあるのおと。
私も、かなり卑屈なところがあるのですが、うちの奥さんも少し卑屈になってる書き出しですけど、ここからがすごいんですよ。
雪が降ると、そりを物置小屋から出してきました。ちょうどりんご箱をそのままそりにしたようなものでした。わたしは妹をそりに乗せてひっぱるのが好きでした。雪が斜めに降る中をひっぱって歩くのが好きでした。救助隊員兼セントバーナードごっこなのです。
まだ前の晩のぬくもりが残っているアンカを足の下に置き、毛布をかぶせてやると、妹ははしゃぎもせず黙って座っていました。わたしも黙って引っ張ります。雪が目に当たり、ほおに当たり、あごに流れてしずくになり、そのうちに指先だけを残してしびれるように身体が熱くなったら遊びは終わり、遭難者一名無事救出。

もう一つ雪の日の話です。小さい町の保育園。こどもたちはストーブのまわりで遊んでいました。厚着したうえに園児服をきちきちに着て、はなをたらしたきたないこどもたちです。ストーブから上がる熱とそのあたりの空気とぶつかって揺れて、壁にはった絵が全部ゆがんで見えました。わたしはガラス戸に背中を押しつけて立っていました。
チャリ、チャリ、チャリ、チャリ……。何の音? あっ、火事だ。ひなんくんれんだよ。一週間ほど避難訓練が続けられて、その前の日に終わったところでした。こどもたちの頭には避難の合図の鐘を聞く用意がしてあったので、みんなそうだと思いました。ガラス戸をあけて外へ出ます。ズック靴を脱いで手に持って、庭の松の木のところへ走るのです。雪が降っています。いや、練習の成果を示す時! ズックを脱いで、裸足で雪の中をかけていきます。もう松の木に着いた子がいます。わたしは小さい時からのろまでした。庭に一番近いところにいたのに、一番あとになってしまいました。
チャリ、チャリ……あれ? 音のする方を見ると、一人の男の子がびっくりして立っています。手にはたくさんの鈴、トライアングル。〈あっ、次はうたのじかんか〉、わたしは手にズックを持ったまま、男の子に向かって笑いました。男の子も笑いました。鈴についたリボンが外からの冷たい風になびきました。
夫の私が言うのもなんですが、うちの奥さんはかわいいものをそのまんまの形で上手にすくってくるんです。それを見せられると、いつも私は「やられたな、それじゃあこっちは、もっとつまらないような、人があまり注目しないところに目をつけていこう」と思ってしまうんです。それで、今は卑屈から偏屈にかわってしまったところがあります。これまた自己批判で、よくないです。つづきます。

冬の晴れた日の空は透明なセロハンをぴっと張ったようです。兄は鳩を飼っていました。飼い始めから初めて純白の鳩が生まれました。兄は飛ばす日を楽しみに大事に育てました。とてもきれいな鳩でした。晴れた日、兄は初めてじゅんぱく(わたしたちはそう呼んでいました)を鳩舎から出しました。足環をつけるのです。わたしが手に抱えなければなりません。それまではこわくて鳩を抱いたことがありませんでした。兄が足環をつけようとすると、じゅんぱくはしきりにもがいてわたしの手から離れようとします。爪でひっかきます。
「しっかりつかまえてろ! 」。
でも、しっかりつかまえると、じゅんぱくを壊してしまいそうなのです。ちょっと手をゆるめました。〈あっ、飛んだ〉、頭の上で旋回すると、ぴっとはった水色の空を裂くようにじゅんぱくは飛んで行きました。
「しっかりつかまえてろって言っただろ。」

そう言って兄は泣きました。何度も外に出て空を眺めても、じゅんぱくは帰ってきません。日が暮れかける頃には、兄ももうあきらめていました。猫に襲われないようにタラップをしめなければなりません。外に出た兄があっと大きな声を出しました。わたしも外に出てみました。ぐるっくう、ぐるっくう、じゅんぱくが屋根の上に止まっています。帰ってきたのです。兄が口笛を吹いて呼んでやると、じゅんぱくはきつく透きとおったうすむらさきの空を今度は二度旋回しました。「明日、タラップのくぐり方を教えよう。」空を見上げながら兄は言いました。
二十一回目の冬が来ます。他人の意見はおかまいなしに、あまったるい思い出にリボンをつけて、わたしからわたしにプレゼント。
最後のエピソードには、切なくて泣けてきそうなくらいです。そして、オッサンの今の私から見ても、どうしてこんなに鮮明に幼いころのことをおぼえているのだろうと、驚異になります。

今の私なら、さっき食べた夕飯のメニュー、今はおぼえてますが、明日になったら忘れるだろうし、何もかも忘却一辺倒でやっているのに、うちの奥さんは、1つひとつが鮮明で、夫としてはもう頭が下がります。
そうです。今晩は、奥さんの足をもんであげたり、奥さん孝行しましょう!
それでは無理矢理2句!
1 地を染める梅の花びら 見る夫婦
2 ハチたちよ梅を助けに来てくれよ
★ やたら梅に同情的でした。昨春がうちの梅の黄金期でした。今年はもうダメみたいです。残念!

★ さやわかや 朝の新聞 スズメの子
ただ並べただけですね。どうしたら朝のさわやかさが出せるかなあ。もう毎日、自分のダメさと向き合っています。限界がクッキリです。でも、下手の無理好きでやっていきます。今朝はとにかく寒いくらいです。フトンが復活しました! 二ヶ月ぶりくらいだけど、何だかなつかしい感じです。(2016.9.10)