甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

斎藤茂吉さんと熊野へ行こう!

2016年03月07日 21時28分27秒 | 三重の文学コレクション
 斎藤茂吉(さいとうもきち、1882~1953)さんの歌碑が熊野地域に2つあるそうです。

いにしへのすめらみかども中辺路(なかへち)を越えたまひたりのこる真清水(ましみず)……和歌山県田辺市中辺路町野中

 古代のみかどがこの中辺路をお越えになったということですが、その時にお飲みになったという清水が今に伝わっています。

 わりと当たり前というのか、あいさつの歌というのか、地域への気配りが行き届いた短歌になっています。もっとおもしろいことや、もっと自分が見聞きしたこととか、自分にしか語れないこととか、そういう自分らしさにこだわっていると、あいさつの歌は詠めませんね。

 サラリと、そこにあるものと歴史をつないで、それが今どうなっているか、それを読み込まなきゃプロじゃないです。職人的な仕事です。 


ふる国の磯のいで湯にたづさはり夏の日の海に落ちゆくを見つ……和歌山県白浜町湯崎

 歌碑としてどうなんだろうという気がしますが、白浜のお湯のことを書いてあるから、採用されたんでしょうか。

 「ふる国」とは、どういう意味なんでしょう。古い国という意味でしょうか。昔からある国の磯辺に湧き出でるお湯に入っていると、夏の日は海に落ちてゆくのが見えました、というこれまたあっさりした短歌です。これは職人技というべきか、あまりに芸がないというべきか。何だかおもしろくない気がします。

 本当にこれでいいのか心配になります。それとも、もっと深い意味があるんでしょうか。




 1925年(大正14)の43歳の8月に茂吉さんは熊野を訪れています。これが1回目で、

山のうへに滴(したた)る汗はうつつ世に苦しみ生きむわが額(ひたい)より

 熊野の旅は、大変だったのかもしれません。紀勢線は通っていたのかどうか、調べないとわからないけれど、この汗は、夏に山の中をトコトコ歩いている感じです。

 ただ単に、夏の熊野古道を歩いているだけじゃなくて、この汗を流している私は、この現実に苦労して生きようとしている私の額から落ちているのです、という、かなり現実的というか、力説しているというか、必死になって生きている私を強調しています。

 歌碑になっている2首よりもなんだか共感できますね。風景をサラッと書くよりも、何だか必死になって生きているんだよ。でも、どうして私は熊野に来ているんだろう。

 そうだ。私は何か生きる実感みたいなのが欲しいから、生きる何かが見つけたいから、こうして汗をかきかき熊野の道をあるいているのだ。「うつつ世に苦しみ生きむ」って、私たちのテーマですよ!

 そういう、一生懸命さがありますね。やはり、元気をもらえる歌がいいですね。あっさり風景を詠んでくれても、「ああ、そうですか。ありがとう」で終わってしまう!

紀伊のくに大雲取(おおくもとり)を越ゆるとて二人の友にまもられにけり

 友だちと励まし合いながらじゃないと、熊野の道は厳しいのです。そうした厳しさを友の助けでどうにか越えて行けたよという、人の情けを詠んでいます。



 1934(昭和9年)52歳の作品では、

十年まへ友にいたはられ辿(たど)りたる熊野川原に二(ふた)たびぞ立つ

 これもわりとそのまんまの作品です。十年前に友に支えられながら歩いた熊野川の川原にふたたび私は今立っています。この間の歳月はあっという間に過ぎて、私はまた何かを求めて熊野を旅しています。

 そういう内容です。今度はだれと来たんでしょうね。1人だったのかな。




 さて、この日曜日、奈良のもちいどの通りの朝倉書店で「斎藤茂吉歌集」(1965 岩波文庫 ★★★)を買いました。

 もちろん、三重との関わりを求めて買ったわけですが、2つ見つけました。これも1回目の旅の作品みたいです。

紀伊(きい)のくに大雲取(おおくもとり)の峰ごえに一足(ひとあし)ごとにわが汗はおつ 

 ストレートな作品ですが、リズムはいいですね。これは声に出して読んでもいい感じです。紀伊の国と場所を限定して、「大雲取」という変わった名前の山越えがあって、いかにも大変そうで、そこを歩く一足ごとに大変だから、ホツホツ汗が落ちるというのです。リアルだし、実感がでています。



 もうひとつは、詞書き(ことばがき 歌の説明)がついています。

  大雲取小雲取を越え、本宮、湯峰(ゆのみね)を経て、熊野川をくだり、新宮より勝浦にいで、夜航路にて伊勢の鳥羽港に上陸せり。後、二見浦、伊勢神宮参拝

ゆふばえの雲あかあかとみだりつつ熊野の灘は夜(よは)にわたりぬ

 これは、本当にうらやましい旅の記録です。今なら、JRに乗るか、路線バスにするか、それとも高速で突っ切るか、それしかなくて、海はただ見ていくだけですが、昔は、新宮から伊勢の国に出るには、船という手段がありました。

 茂吉さんも、はるか南の紀伊半島であちらこちら見物して、お参りして、確かに日本なんだけど、なんだか山は迫っているし、和歌山側から入ってもかなり遠いし、そこから伊勢に出るには船しかなくて、その船を使って伊勢に出るとき、夕映えの雲は山々の上に浮かんでいたなあという強い印象が残ったようです。

 確かに、山また山で、人の住んでいるところは、海側のほんの少しの平地だけで、その背後には巨大な山脈が広がっている。けれども、空は少しだけ広くて、そこでは夕映えも独特の形をしていたという茂吉さんの発見がありました。



 山越えをしてきた人にしかわからない感動があったのだと思います。それくらい開放感が感じられる作品で、これもさすがに選者の人に選ばれるだけのよさがありますね。

 さあ、茂吉さんと熊野の山越えをした気分だけは共有できました。いい作品は、簡単に私たちをそこへ連れて行ってくれるからいいですね。熊野への旅、クルマでだけど、行きたくなりました。船はないんですけどね。



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