甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

植木さんとそのお父さん

2025年01月13日 15時55分55秒 | 三重の文学コレクション

 小さいころ、特に誰かにすすめられたわけでもないのに、クレージーキャッツは好きでした。ドリフよりもクレージーだった。

 その中でも、ハナさんじゃなくて、谷啓さんじゃなくて、植木等さんが好きだったんです。生き方どうのこうのより、突き抜けてる感じがあって、自分はなかなかなれてない「突き抜けるキャラ」。ご本人は実際の自分とのギャップに悩まれたということでしたが、映画だけの特別のキャラだったのでした。そんな、映画と現実を同じのものとして見てしまうなんて、お客なんて、ある意味簡単に騙せてしまいますね。何だか昨今の話題の選挙みたい。盛り上がってるときは、いとも簡単にだませてしまい、みんなが載ってしまう。

 植木さんは、その活動とは別に、お父さん(三重県のお坊さんで活動家でした)の生涯をふり返った本を出されています。

 植木さんのお父さん・植木徹之助(1895年生まれ)は、東京その他で活躍された時もあったそうですが、やがて奥さまのご実家のお寺に身を寄せてから、親鸞さんの影響を受け、得度して僧として地域の活動をしていったそうです。

 息子さんは、こんな風に書いておられました。

◇ 父と息子

 父と息子、という人間関係は不思議なものだ。
 父は息子に理解されたいと願い、息子は父を理解したいと望んでいる。だが、この二人が、しんみりと人の世の万般について語りあうなどということは、まず無い。たいていは「おい」とか「うん」とかしか言わないうちに父子、死に別れる。
 おやじと私も、そうだった。おやじが、じっくり己が人生を私に語り聞かせたことはなかった。たぶん、どこの父親にとっても、息子は人生を共に語るには、いつも若すぎるのだろう。

 このたび私は、おやじが敬愛した人たち、おやじを敬愛してくれた人たちに、幾十人となく会った。そして、そんな語らいの場に、おやじも参加し、時には共に談笑しているような幻覚に、ふと襲われることが一再ならずあった。
 おやじと語りあおうとするなら、息子は、それ相応な年齢を重ねなければならない。私もようやく、その年齢に達したようだ。
〈植木 等『夢を食いつづけた男』(朝日文庫)p.9〉

 私がこの文章に出会ったのは、もう20年以上前です。その時は、植木さんも、父もこの世にいましたね。

 それから、どれだけのことができたのか。もちろん、ろくなことはできてなくて、申し訳ないばかりです。何のために本を読んで、何をしようとして私は生きているし、生きていくんだろう。もう、いろんな人にお詫びしながら生きていくしかない。

 相手は、突然にそんなこと言われても、わけはわからないから、なるべく他人様に迷惑をかけないように生きていきたい、そう思うだけなのかな。お父さんとは、夢の中か、自分の日記で話せばいいのかな。独りよがりになりそうで少し怖いけれど。


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