甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

17Cのお勉強 世界の近代

2016年08月24日 18時34分13秒 | 私たちの社会・世界
 「真田丸」というドラマ、時々チラリと見ることがあります。奥さんは熱心に見ているので、たまたま目にすることがあるんです。堺雅人さんの持っている力もあるし、三谷幸喜さんの脚本もいいのかもしれない。

 竹内結子さんは小悪魔的で、だから豊臣家は滅びていくのだという気にさせてくれます。意識的ではなくて、竹内結子さんは、存在が悲劇的なのかもしれません。もっといろんな役をさせてあげたらいいのに、いつも悲しいヒロインになってしまいます。そういうキャラを楽しんでいるのかもしれないけど、もっとありふれた女性も演じてもらいたい。でも、たぶん無理ですね。そんなのおもしろくないのかも……。

 私は、「ああ、もうすぐ徳川の天下になるのだな」と、うれしいような、悲しいような、どうでもいいような、何とも言えない気分になります。



 徳川幕府は、260年の安泰を生んでくれたわけで、明治になって何もかもが否定されたみたいになるけれど、結局、私たちは明治の形も引きずっていますが、江戸の形もたくさん引きずっていて、どちらかというと、江戸の形の方が自然で、庶民感覚になじんでいるのではないかと思ったりします。

 どんなに否定されても、江戸の文化・政治・社会は、わりと自然に入っていて、むしろそれを復活させたいと私たちは思っていますし、江戸の頃に生まれた祭りや儀式などは、それはもう熱心に受け継ごうとしている。まるでそれらが自分たちの町にずっと昔からあったように感じたりするけれど、それはそんなに昔ではなくて、ほんの400年くらい前に生み出したものかもしれないです。



 おさらいをしてみます。

1600年 関ヶ原の戦いがありました。石田三成さんはここで命を落とします。

1603年 家康さん待望の幕府がスタートします。でも、まだこの世には豊臣家とその支持大名たちがいた。徳川家にとっては安心はできないのです。

1614年 家康さん最後のしめくくりで、大阪冬の陣スタート! 関ヶ原から十数年チャンスを待ち続けた。少しずつ豊臣支持派の力をそいでいったから、この行動に出た。

1615年 大阪城の外堀を埋めさせて、いよいよ豊臣家は滅亡します。夏の陣でした。

1623年 徳川家のホープ、3代目の家光さんが将軍デビューをして、徳川システムは完成に向かっていきます。

 ですから、いっぺんに天下泰平が来たのではなくて、じっくり時間をかけて、仕組みに仕組んで、やっと徳川さんのシステムができあがる。1600年からすべてが徳川のものになったのではありません。社会はじっくり変化していくもので、それなりに手順がある。

 徳川さんの天下にたどり着くまでにも、破壊者の信長さんがいて、そのおかげで秀吉さんが跡を継ぐ形で天下を取ることができた。けれども、彼は盤石の体制が作れず、やはり破壊者の信長さん的な要素もあったので、朝鮮半島に、破壊するものを求めて、無意味な戦いを進めてしまった。彼がもう少し国内のシステムを作れる人であったなら、彼の家が天下を取り続けたと思われますが、残念ながら彼は天下を維持することができなかった。

 ……たけしさんはCMで秀吉さんをやっていました。信長さんは話題のキムタクでしたっけ。


 それをずっと見ていた家康さんは、1586年に秀吉が太政大臣になってから、十数年、新しい社会の形を考える期間があったので、ちゃんとそれを実現できた。社会を作り上げて行くには、プランが必要で、家康さんみたいに現実社会の中で世の中をどのように抑えていくかという経験も、すごく重要だったと思います。

 日本は、17世紀から、現代の日本につながる形ができたのだと思われます。家康さんは、グランドデザインのできる人だった。



 秀吉さんにメチャメチャにされた朝鮮半島。普通なら隣国の侵略によって王朝は倒れ、新しい政治システムが起こりそうな感じなのに、秀吉さんの侵略は李氏朝鮮を滅ぼすものではなかった。

 李氏朝鮮は、年表を見ると1392年から1910年の日本のふたたびの侵略で消滅するまで、ずっと500年続きました。1607年に日本に使節を派遣して、国交は正常化します。日本だけが相手ではなくて、1637年には、お隣の中国・清(シン)に服属しています。やはり、17世紀に、東の野蛮な国と西の大国とのつきあいのバランスを取りながら国を運営していく形がうまれたようです。

 500年の治世はあったけれど、朝鮮半島の節目というか、その後の国の形は、17世紀初め前後にありました。



 大国の中国はどうですか?

 1624~61年、オランダは台湾を占領していたそうです。その時の国は、明(ミン)でした。欧州の国の侵略をすでに受けていたわけですね。国が滅びる末期の頃は、国内はメチャメチャになり、やがて混乱した国内から、それらを統一していった英雄が国家を樹立するわけですが、満州民族のしっかりした国家が少しずつ大陸内部に進出していきます。

 いつもなら、反乱軍のヒーローだった李自成が北京を包囲していて、そのまま新しい王朝を作るチャンスに恵まれていた。めったにないチャンスです。

 しかし、それよりも力のある満州族が北京に入り、そのまま国家を樹立し、李自成はすぐに消え去ってしまいます。

 国家としては1636年成立の清(シン)は、1644年から北京を都にした。朝鮮は、この清(シン)がどれくらいのものか判断ができなかったけれど、その将来性を見込み、国家成立の翌年には友好関係を築いた。

 この清(シン)が滅びるのは、1912年で、ヨーロッパや日本などの植民地にされ尽くした結果でした。とはいうものの、1636~1912年の300年近く、巨大でたくさんの人口を抱える、過去にものすごい栄光を手にしていた栄誉ある国は、過去が偉大すぎて、まわりの国々を軽く見ているうちに浸食されてしまっていた。それからの100年はそれを払いのけるための100年であり、今も巨大で、たくさんの人口と力を持つ、過去の栄光をとりもどしつつある国になっている。

 ただ、政治システムにはガタがきており、このシステムの転換点は、百年後か、二百年後かには来るかもしれない。

 東アジアは、17世紀前半のフォーマットによって現代が築かれている。それはもう歴史は連続しているのだから、当然のことではあります。

 これはこのまま永遠に続くんでしょうか? ある低度そうかもしれないけれど、世界はアメリカ化が進んでいくだろうから、あらゆる大陸にあらゆる人種がいて、1つの人種だけが1つの国に住む、というのではなくなっていきそうな気がします。

 日本のオリンピックチームも少しではあるけれどそうでした。いろんな人種にルーツのある人たちが、日本という看板を背負って競技していた。少しずつ日本もアメリカ化・欧州化している。この動きがどんどん進んで、みんなが英語やらを話して、日本語・中国語も使って、たがいに行ったり来たりする、そういうふうになっていくでしょうか。

 それはどうだかわかりません。でも、着実に進んでいるのは確かでした。もっとロシア系日本人、フィリピン系日本人、中東系日本人、欧州系日本人など、いろんなタイプの日本人が出できたら、日本も21世紀型のフォーマットを手に入れられるかもしれない。

 まだ、まとまっていませんので、つづきはまた別の日に書きますね。


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