姫路市に網干(あぼし)という地域があるのは知っていました。ちゃんとJRでも、姫路行きと、網干行きと、相生行きと、播州赤穂行きと、そういうのがあって、兵庫県の西側に「あぼし」というのがある。
そこは電車の終点であって、そこを歩くことは目的ではなかった。姫路は、商店街とお城、網干も相生も赤穂も駅に降り立ったことはありますが、そこを目的に歩いたことはなかった。
でも、町歩きの先輩たちがいて、洋館と古い街並みが手つかずで残っているという話でした。だったら、観光客は行かないけれど、物好きのオッチャンとしては行かなくてはならないと思い、行くことにしました。
JRの網干は内陸にあって、海側の古い網干に行くには、山陽電車に乗らなきゃいけない。しかも、姫路からストレートには行けなくて、途中で乗り換えることになっていた。
ああ、もう数十年姫路の町をながめてはきました。でも、姫路の海に行ったことはなかった。新日鐵広畑という野球チームが昔あって(今は廃部?)、都市対抗などでも活躍していたように思いますが、姫路の海側には工業地帯がひろがっているのに、JRで通過するだけの私には、それを実際に見ることはできなかったんでした。
今回、町と工場の広がりを見ることができましたが、それは写真には撮れなかった。また、冬にでも撮りに行かないといけないかもしれない。なんとなく気になる場所ではありました。
山陽網干は終着駅でした。そこから先はありません。そのまま駅を出て、海側の南をめざします。
旧網干銀行が見えてきました。ここにぜひ行きたかったんです。あともう少し。橋を渡れば、たどりつけます。
洋品店になっているという銀行跡は、お店は営業していなかった。だったら、ここをホールとか、公民館とか、図書館とか、何か利用できるようにして、みんなの共有財産にしてくれたらいいのに、だれもそんなことはしてくれないかもしれないです。
手狭で汚いから、取り壊ししてマンションか駐車場にしてしまおう、それが世の中の流れだと思われますが、ぜひそういう世の中の流れに抵抗して、頑固として昔の雰囲気を変えないでほしいのだけれど、今後どうなるのか、少し心配です。
とにかく雰囲気はバッチリです。中に入れないのが残念です。
ここの商店街は、こんな雰囲気です。
たまたま中学生の集団が自転車に乗って走り抜けていきました。クラブ活動が終わったのか、これから始まるのか……。とにかく瀬戸内地方の光と人々の感じが胸に迫ってきます。
歩き続けると、神社があって、社殿の中には布袋さんみたいな神様(よく見たらエビス様ですね)がおられたので、カメラを向けてしまいました。もっと近くで見せてもらえたら、失礼なことはしないかもしれないのに、扉は閉まっていました。
新日鐵は、もう少し東側にあるみたいで、網干地区にはダイセルという会社が大きな会社のようでした。敷地はとても広く、エントツもいくつか見えました。
歩き続けて、やっと海にたどり着きます。ダイセルという会社は、ここではとても大きな工場らしく、昔は洋館を建てて技術者たちを海外から招いたそうです。だから、このダイセルさんの敷地には洋館がいくつか残っているということでした。そんな貴重な財産は、スポットライトも当たらず、ひっそりとそこにあって、私は今回は見られませんでした。とにかく海が見たかったし、港にたどりつきたかった。
揖保川(いぼがわ)の河口に港が開けていて、船もいくつかある雰囲気でした。でも、もう歩き疲れたし、ゴハンも食べたくなったのです。真っ昼間、水も飲まず、食べ物も食べず、ひたすら歩いていたのでした。
途中の駅で立ち食いソバのお店があったんです。駅で天ソバって、わりと好きなパターンなのに、近頃そういうことをしてこなかった。今回も少しそんな気分だったのに、踏み切れなかった。
それで、今は腹ぺこでクタクタになっていた。
実は、大阪の実家を出るとき、神戸の古本市に行ってくる、そう言って出てきたのです。それが、明石の町を散歩しように変わり、いや姫路にしよう、だったら網干に行こうと、無計画にここまで来てしまっていた。
帰りの時間は迫ってくるし、何が目的だったのやら……。
町の交流館というのを見つけて、ここでパンを買いました。あれこれ気になる建物もありましたが、もう帰る気分になっていた。そして、汗だくでヘロヘロだった。
駅へと歩いているとき、ブックオフを見つけ、せっかくだから1冊だけ、村上春樹さんの訳した本を買い、帰りました。そこから数時間かけて家まで帰りました。本も読まず、汗臭く、ギトギトおやじのまま電車に乗っていた。
草津線は美人路線と私は以前書きましたが、本当にキラッと輝く女性たちがたくさん乗っている電車ですが、薄汚いオッチャンの私は、何だかなあとと思いつつ、小さくなって乗ってたんですよ。
そこは電車の終点であって、そこを歩くことは目的ではなかった。姫路は、商店街とお城、網干も相生も赤穂も駅に降り立ったことはありますが、そこを目的に歩いたことはなかった。
でも、町歩きの先輩たちがいて、洋館と古い街並みが手つかずで残っているという話でした。だったら、観光客は行かないけれど、物好きのオッチャンとしては行かなくてはならないと思い、行くことにしました。
JRの網干は内陸にあって、海側の古い網干に行くには、山陽電車に乗らなきゃいけない。しかも、姫路からストレートには行けなくて、途中で乗り換えることになっていた。
ああ、もう数十年姫路の町をながめてはきました。でも、姫路の海に行ったことはなかった。新日鐵広畑という野球チームが昔あって(今は廃部?)、都市対抗などでも活躍していたように思いますが、姫路の海側には工業地帯がひろがっているのに、JRで通過するだけの私には、それを実際に見ることはできなかったんでした。
今回、町と工場の広がりを見ることができましたが、それは写真には撮れなかった。また、冬にでも撮りに行かないといけないかもしれない。なんとなく気になる場所ではありました。
山陽網干は終着駅でした。そこから先はありません。そのまま駅を出て、海側の南をめざします。
旧網干銀行が見えてきました。ここにぜひ行きたかったんです。あともう少し。橋を渡れば、たどりつけます。
洋品店になっているという銀行跡は、お店は営業していなかった。だったら、ここをホールとか、公民館とか、図書館とか、何か利用できるようにして、みんなの共有財産にしてくれたらいいのに、だれもそんなことはしてくれないかもしれないです。
手狭で汚いから、取り壊ししてマンションか駐車場にしてしまおう、それが世の中の流れだと思われますが、ぜひそういう世の中の流れに抵抗して、頑固として昔の雰囲気を変えないでほしいのだけれど、今後どうなるのか、少し心配です。
とにかく雰囲気はバッチリです。中に入れないのが残念です。
ここの商店街は、こんな雰囲気です。
たまたま中学生の集団が自転車に乗って走り抜けていきました。クラブ活動が終わったのか、これから始まるのか……。とにかく瀬戸内地方の光と人々の感じが胸に迫ってきます。
歩き続けると、神社があって、社殿の中には布袋さんみたいな神様(よく見たらエビス様ですね)がおられたので、カメラを向けてしまいました。もっと近くで見せてもらえたら、失礼なことはしないかもしれないのに、扉は閉まっていました。
新日鐵は、もう少し東側にあるみたいで、網干地区にはダイセルという会社が大きな会社のようでした。敷地はとても広く、エントツもいくつか見えました。
歩き続けて、やっと海にたどり着きます。ダイセルという会社は、ここではとても大きな工場らしく、昔は洋館を建てて技術者たちを海外から招いたそうです。だから、このダイセルさんの敷地には洋館がいくつか残っているということでした。そんな貴重な財産は、スポットライトも当たらず、ひっそりとそこにあって、私は今回は見られませんでした。とにかく海が見たかったし、港にたどりつきたかった。
揖保川(いぼがわ)の河口に港が開けていて、船もいくつかある雰囲気でした。でも、もう歩き疲れたし、ゴハンも食べたくなったのです。真っ昼間、水も飲まず、食べ物も食べず、ひたすら歩いていたのでした。
途中の駅で立ち食いソバのお店があったんです。駅で天ソバって、わりと好きなパターンなのに、近頃そういうことをしてこなかった。今回も少しそんな気分だったのに、踏み切れなかった。
それで、今は腹ぺこでクタクタになっていた。
実は、大阪の実家を出るとき、神戸の古本市に行ってくる、そう言って出てきたのです。それが、明石の町を散歩しように変わり、いや姫路にしよう、だったら網干に行こうと、無計画にここまで来てしまっていた。
帰りの時間は迫ってくるし、何が目的だったのやら……。
町の交流館というのを見つけて、ここでパンを買いました。あれこれ気になる建物もありましたが、もう帰る気分になっていた。そして、汗だくでヘロヘロだった。
駅へと歩いているとき、ブックオフを見つけ、せっかくだから1冊だけ、村上春樹さんの訳した本を買い、帰りました。そこから数時間かけて家まで帰りました。本も読まず、汗臭く、ギトギトおやじのまま電車に乗っていた。
草津線は美人路線と私は以前書きましたが、本当にキラッと輝く女性たちがたくさん乗っている電車ですが、薄汚いオッチャンの私は、何だかなあとと思いつつ、小さくなって乗ってたんですよ。