リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

哲学しすぎて頭が痛い

2017年04月01日 | 日々の風の吹くまま
3月31日(金曜日)。曇り。今日で3月が終わり。1年の4分の1が終わり。いつもながら早っ。
まあ、3月はいつも仕事に追われてバタついている間に終わってしまうので、別に地球の回
転が早くなったと言う話じゃないんだけど、時間と言うのはおもしろい。動物にも「時間」とい
うか季節の感覚はあるだろうと、「時計」は人類だけのもので、人類が時を計るために発明
した道具に追われて時間が足りない!とストレスになっているのは皮肉な話・・・。

おととい観た『Angels in America』はテーマが同性愛とエイズなんだけど、何だかもっと奥
深いところに本質的なテーマがあるような気がして、つらつらと考えていた。そこへ、昔は親
しかったけど相手の(たぶん政治的な)思想の変化を「裏切り」と感じて疎遠にした友人を許
そうかと考えている人がいて、芝居のテーマの問いかけにどこかで通じるものがあるような
気がして、ますます考えさせられた。ワタシとしては、人間の生き方にはマニュアルがない
から、その人の思考体系は遭遇した状況やそれにどう対応したかによって形作られて行く
もので、他人が許すとか許さないとか言う次元とはまったく違うものだと思うんだけど・・・。

世の東西を問わず、最近はこういう思考というか心理反応が増えているような感じがするな。
家族も友だちも、考え方がちょっと違うというだけで付き合えないとか許せないとか、あっけ
なく「疎遠」になってしまうところがある。「自分と違う=敵」と言うような感じで、どうしてそう
なるのかワタシにはさっぱりわからない。異なるものへの寛容とか受容を叫ぶ人たちがいて、
それが声高になればなるほど人間は不寛容になって行っているような感じで、(自分たちと
は)異なるものに対して目立って不寛容なのが寛容や受容を要求している張本人たちとい
うパラドックスが見えて来る。

ワタシの家族や友だちの思想を推察する限りでは、相当な左寄りから中道左派、中道、中
道右派、はては相当な右寄りまでいろいろで、「みんな違って、みんないい」。ワタシにだっ
てもちろん誰とも違う自分なりの信条や思想があるから、いつどこで「許せないっ」と疎遠に
されるかわからないけど、基本的に「来るものは拒まず、去るものは追わず」の主義なので、
気づかないかもしれない。そこがのんきに「箱の外」で飛び回っている極楽とんぼのいいと
ころかもしれないし、許されざる欠点なのかもしれないし・・・。