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廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

2017年のベスト作品ということなので(2)

2018年01月07日 | Jazz CD

Matt Mitchell / Forage  ( 米 Screwgun Records none )


2017年のベスト作品と推奨されたものの中で気に入ったもう1枚が、マット・ミッチェル。 師であるティム・バーンの曲をピアノ・ソロで演奏している。

マット・ミッチェルという名前は知っていたが、実際にちゃんと聴くのはこれが初めてであり、ティム・バーンに至っては聴いたことすらない。 だから、この作品の
意義や音楽的解析みたいなものは私には当然できない。 背景もわからないし、現在のニューヨークで行われている前衛音楽の状況についても何一つ知らない。
そういう状態であるにもかかわらずとても気に入って、この1週間ほどは家の中でこれが鳴りっぱなしなのだから、これは人の心にきちんと届く音楽なのだ、
ということである。 

ピアノ・ソロによるフリー・インプロという意味での衝撃みたいなものはここにはない。 少なくとも、セシル・テイラーの音楽に親しむ耳には、比較する意味は
ないとわかっていながらも、ピアニズムの観点では「かなり生ぬるい」という感想は自然と出てくる。 ただ、それはピアニストとしての力量の問題では
おそらくなく、やろうとしている音楽の種類が違うからだと説明する冷静さは必要だろう。 

この音楽から感じられる一番の印象は「知的な抒情感」であるが、これが作曲者であるティム・バーンの音楽の持つ特質からくるのか、演奏者であるミッチェルの
表現力によるものなのかはよくわからない。 読み齧りの知識によると、ティム・バーンはニューヨーク前衛音楽の重鎮と言われる人物であり、そういう人が
作り出す音楽にこういう抒情感が溢れているのだとしたら、その音楽は聴いてみなければなるまいと思う。

これを聴いていわゆる「フリー・ジャズ」だと感じる人はまずいないだろう。 また、ドビュッシー、ラヴェル、バルトークの名前を持ち出すのも不適切で、
そういう類いの音楽でもない。 私が類似例として最初に想起したのは、ブラッド・メルドーのソロ・ピアノ集なんかのほうだった。 

ゴリゴリの前衛ファンからは見れば想定外の抒情味溢れる小品ということかもしれないし、予備知識のない私のようなレベルから見れば凛とした透明感に
溢れた美しい作品、という感想になるかもしれない。 いずれにしても、何も警戒することなく聴けば、その美しさに心奪われることは間違いない。
2017年のベストに推されて当然の内容だと思う。

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クラウドファンディングとジム・ホール

2017年10月08日 | Jazz CD

Jim Hall / Magic Meeting  ( 米 ArtistShare 2060107000088 )


マリア・シュナイダーも所属しているクラウドファンディング・レーベルの先駆けであるアーティスト・シェアから2004年に5,000枚のみリリースされたジム・ホールの
最晩年の作品。 その後、しばらく絶版状態が続いて高額廃盤化していたが、この度ようやく再発された。 こういう地味な作品は地道に新譜リリース情報を
追い駆けていないとどうしても取りこぼしてしまう。 怠け者の私にはそういうのは無理なのではなから諦めているが、今回は偶然知ることができた。

2004年4~5月に行われたヴィレッジ・ヴァンガードでのギター・トリオのライヴで、ジム・ホールの音楽家としての変わらない日常のひとコマを切り取ったかのような
内容だが、彼が常に進化して歩みを止めなかったことを証明するような演奏になっている。

自身の3つのオリジナル曲やジョー・ラヴァーノのオリジナル曲を中核に置いた構成で、これが抽象性の高い演奏になっていて、彼の先鋭さをよく表している。
枯れて停滞した様子は皆無で、エフェクターを屈指してみたり、アコギのような音を出してみたり、と曲ごとにその表情は変わるし、浮遊するような感じや
無機質で幾何学的な感じを取り入れたり、といろんなことをやっている。 だから、ジム・ホールは聴く価値のあるアーティストなのだ。 老人の退屈な手遊び
とは無縁の人である。

ヴィレッジ・ヴァンガードのライヴというと音質の悪い録音で当たり前、という暗黙の了解があるけれど、このCDは音がとてもいい。 残響でごまかすことなく、
生々しいリアルな音場感だ。 楽器の音もクリアで、バランスも極めて自然。 時代が変わったんだな、と思う。

2000年代に入ってからアメリカではジャズに限らず、ロックなんかの世界でも既成の資本には頼らない形でのアルバム制作が目立つようになってきた。
テクノロジーの進化で音楽産業はすっかり様変わりして、音楽を聴く側からすると手段が細分化された分、却って不便さを感じることのほうが多くなった。
レコードを買うか、コンサートに行くか、の2つで事足りた時代にはもう戻れない中で、アーティストもリスナーも手探りで音楽と戯れる時代が十数年続いている。
このアルバムも当初はアーティストシェアのネットでCDをオーダーする形式だったらしいが、そういうのはなんだか味気ない話だと思った。
週末の大雨が降る中、仕事帰りにお店に立ち寄って音盤を買って、家に帰ってオーディオセットで聴くという慣れ親しんだ行為に安らぎを覚える。
CDという媒体自体には別に何の愛着もないけれど、聴くまでのプロセスというか、関わり方というか、そういうところには少しこだわりがあっていい。
ジム・ホールの音楽はそういう聴き方が相応しい、という気がした。


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イマドキ珍しい雄大な世界観

2017年09月30日 | Jazz CD

Kamasi Wasington / Harmony Of Deference  ( 米 YTCD171 )


楽しみにしていたカマシ・ワシントンの新作、さっそくプレミアム・フライデーの夕刻に新宿に寄って買ってきた。 前作とは打って変わって今回はミニ・アルバムで
1,000円+税である。

単純にとてもいい出来だ。 都会的な洗練さに満ちている。 たくさんの楽器を集めて分厚く雄大なサウンドを作っており、如何にもこの人ならではの音楽だ。
カマシのテナーを先頭にして、大勢のリード楽器群を従えて重厚なユニゾンでテーマをゆっくりと吹き進めていく、独特のスタイルが際立つ。 

この人はイマドキにしては珍しい総合音楽を志向する音楽家である。 テナーのプレイを追求したり、音色に磨きをかけたり、フレームワークの取り扱いに
いろいろ凝ってみたり、というようなことはせず、自分の中から溢れ出して止まらない世界観をそのまま音楽として提示してくる。 そのためには弦楽器の重奏でも
荘厳な合唱隊でも、何でも抵抗なく取り入れる。 使えるものは何だって使って、自分の音楽にしていく。 そのためにそこには巨大な楽想の塊が立ち現れるのだ。

更に新世代のジャズに通底するソウル・ミュージックの流れに腰のあたりまでつかったような艶めかしくむせかえるような濃厚な質感にコーティングされたその様が、
我々には中々手が届かないような遠い世界の音楽のように響き、憧れと諦めが複雑に入り乱れた感情を湧き立たせることになる。 そういう不安げな情緒に
耐えられなければこの音楽にはついて行けないし、そういうもやもやとも上手くやっていけるのであればこの音楽の愉しさを享受できる。

不思議と懐かしい感情を呼び覚まされるようなムードが全体を覆っているのもこの人の音楽の特徴で、我々のようなおっさん世代にはかなり取っ付き易いはずだけど、
そこは一癖も二癖もあって、そういう雰囲気をエサにして独自の世界観に引きずり込んでいく暴力的なほどの力に満ち溢れている。

ミニ・アルバムなので30分程度とコンパクトな作りで、前作のような過剰さに圧し潰されるようなこともなく、一気に聴けるところも良い。
これはきっと売れるだろうな。



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ジャズミュージシャンがテクノを齧ったら

2016年10月29日 | Jazz CD

Robert Glasper Experiment / ArtScience   ( 米 Blue Note 4797050 )


手堅くまとめてきたなあというのが第一印象だが、よく考えればこの人の作品はいつもそうだから、これでいいんだろう。 とても真面目な音楽だ。

今回はテクノ系の要素が目立つ。 ヴォーカルのエフェクト処理にそれが顕著で、そういうヴォイスが活きるサウンドの風味も全体に施されている。
だから、Black Radio系ブラック・コンテンポラリーが苦手な人には歓迎されるだろう。 その象徴としてヒューマン・リーグのヒット曲 "Human" を
カヴァーしていて、ああそうか、彼はそういう世代なんだなあ、ということが垣間見れて親近感が沸く。 私もヒューマン・リーグは好きだから。

様々な音楽的要素が高度にブレンドされていて、これはちょっと一筋縄ではいかないぞ、というところは相変わらずだが、それでいて口当たりの良さは
群を抜いているので、高いポピュラリティーを獲得しているのは当然だと思う。 自身の黒人としての強いアイデンティティーを基盤にして全方位的に
アンテナを張って常に尖り続けながら、最終的なアウトプットは非常にわかりやすい形に仕上げるというところに誰よりも秀でた才能がある。 だから、
この人の音楽には専門家の解説が必要ない。 

所々に出てくるアコースティックピアノの音がみずみずしい。 この人のピアノは若い頃のハービー・ハンコックを思わせる。 音楽へのアプローチの仕方も
マイルスとよく似ていて、マイルスの遺伝子が引き継がれているのを強く感じる。 こういう人が出てくるのだから、ジャズの世界はまだまだ健全なのだろう。

家の中でじめっと聴くのではなく、街中に持って行って聴くのが相応しい生き生きとした音楽なのが何よりうれしい。 何だか気持ちも若返る気がする。



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第三世界への扉

2016年08月06日 | Jazz CD

Daniel Freedman / Imagine That  ( Anzic Recirds ANZ-0054 )


DUの試聴可能な音源を聴いていく中で引っかかった作品。 ニューヨーク出身の若いドラマーのリーダー作で、イスラエル人ギタリストのリオネル・ルエケを
迎えたギターカルテット。 第三世界のムードを基調とした現代ジャズだけど、ドラムのジャズにこだわらない多彩なリズムに乗って風通しのいい、
元気だけど落ち着いた風情に惹かれた。 

元気な頃のスティングが第三世界のムードを取り入れて発表したソロ・アルバムを聴いた時の印象に近いものを感じた。 楽曲は全てメンバー達のオリジナルだし、
ギターもワールド・ミュージック的なアプローチなので、いろんな血が混ざって複雑な要素を絡めた音楽になっている。 メロデイーを聴かせるというより、
リズム感を重視して、たくさんの写真をコラージュして創られた一幅の絵のようだ。 フェンダーローズのようなキーボードの使い方も上手い。

過去の遺産にもたれかかることなく、現在と未来を見つめた音楽をやろうとしている意志を感じることができるのは頼もしい。 この時代にジャズという
音楽をやることにどれだけの意義があるのかを考えるのは辛いことだと思うが、そういう辛気臭さは感じられない。 まだ若い音楽家たちなので深みのような
ものはないけれど、信じるものを見失わずに自分の音楽を続けていって欲しいと思う。 近視眼的に粗探しをすればいくらでも綻びは見えるけれど、
全体的に見ればある種の才能を感じる。 個人的に好きな演奏フォーマットだったせいもあるが、これは好感の持てるいい作品だと思った。


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ブートレグの存在意味

2016年05月14日 | Jazz CD

Miles Davis / Live in Europe 1967, The Bootleg Series Vol.1  ( Sony Music Entertainment 88697 94053 )


今年は少しマイルスのブートレグを聴いてみよう、と思っている。 ジャズに限らず、どんなジャンルでもこれまでは基本的にブートレグには興味がなかった。

そもそも、正規発売のものだって全て聴いているわけでもないのに、それらを差し置いてブートを聴くなんてことは普通はしないだろうし、やはり音質の
悪さと演奏の出来の不揃いさに失望することがほとんどだから、というのがその理由だったのだが、これを聴いてすっかり考え方が変わってしまった。

第二期ゴールデン5の最後の演奏ツアーの様子を収めたものだが、これが演奏が素晴らし過ぎて、更には音質も良くて、すっかり夢中にさせられた。
元々ブートマニアにはよく知られた音源だそうだし、これが正規発売になった時にはかなり大きな話題になっていたのは憶えているが、まさかここまで
内容がいいとは思いもしなかった。 これまで聴いてこなかったことが悔やまれる。

プラグド・ニッケルの2年後の演奏なので一体どんな演奏になっているんだろうと興味津々だったが、演奏スタイルはそれよりもずっと纏まったものになっていて、
予想外の驚きだった。 ハービーはしっかりとピアノを弾いているし、ショーターもよりまろやかでブリリアントな音色へと成熟しているし、トニーの
ドラミングも激しさだけでは終わらない佇まいがあって、いい意味で大人っぽくなっている。 そして何より、マイルスのトランペットの音の輝きが
素晴らしい。 珍しく音数もいつもより多く吹いていて、調子が良かったのがよくわかる。

ミュージシャンというのは、その生活の大半がライヴ活動だ。 我々のような変態オタクはついレコードやCDだけが音楽家の全てだと思い込みがちだが、
実際はまったく違う。 だから、ミュージシャンという仕事を長く続けられるかどうかは、基本的に各地を飛び回りながらライヴ活動ができる気力と
体力があるかどうかにかかっているといってもいい。 そういう生活に耐えられない人は、音楽を生業にはできない。

私はマイルスの正規発売された作品は全て聴いているけれど、それだけではマイルスの実像を把握するには遠く及ばないのだということを最近強く感じる
ようになってきていて、十分繋がり切れていないミッシングリンクの箇所を補うのがこれらのブートなのだと認識を新たにするようになった。

ブートレグは本質的には音楽鑑賞のためにあるのではない。 だから、音質がどうのこうのというのはまったく意味がない。 この1967年のライヴ盤は
例外的に音がいいだけであって、他のものはまったくダメなのは承知の上で少しずつ聴いていこうと思う。 まずは一番好きな第二期クインテットの時代の
ものから手をつけたい。 このバンドの演奏ならどんな音源だろうと、すべて聴く価値がある。



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金曜の夜に更新なんて滅多にしないのに

2016年02月19日 | Jazz CD

Jeremy Pelt / #JiveCuture  ( High Nite HCD 7295 )


平日の、しかも金曜の夜にブログを書くなんて滅多にないことだけど、これはできるだけ早く書き記しておくほうがいい気がしたので。

現代のジャズシーンのことがまったくわかってない、ということは十分自覚しているつもりだけれど、さすがにこんなにいいトランぺッターのことを
知らなかったという事実を考えると、これからの猟盤生活を根底から見直さなければいけないんじゃないのか?と思わずにはいられなくなる。 
DUの中古フロアに行けば既にちゃんとこの人の独立コーナーがあって、自分が完全に出遅れていることを思い知らされもした。

最近発売になったジェレミー・ペルトの最新作で、とにかく、なんじゃこれ?というふざけたジャケットに脱力させられるけど、これがとてもいい
トランペットのワンホーン作品なのだ。 たまたま試聴可能になっていたので何の興味もなく聴いてみたら、ヘッドフォンが外せなくなって、1曲目を
丸ごと聴いてしまった。

どちらかと言えば線の細いトランペットで、アート・ファーマーのような暖色系トーンだけど、とにかく素直に気持ちよく伸びるフレーズが感じがいい。
アドリブラインはとてもセンスがよく、しっかりとスピード感もある。 そしてこのアルバムを素晴らしい作品にしているのは、ドラムのビリー・
ドラモンド。 上品で上手いスティックさばきで絶妙なタイム・キープをしていて、どの楽曲もこの人が裏から音楽を作り上げているのがよくわかる。
このドラムの演奏には感動させられた。 ついでに、ロン・カーター大先生も珍しく好演している。 この2人の重鎮がいるお蔭で、音楽全体が非常に
安定していて、いい具合に渋味も出ているのだ。 派手なところはなく地味かもしれないけど、ワンホーン名作の黄金律を備えていると思う。

随所に過去の数々のトランペットのワンホーンの名作たちの面影がちらつくようなところがあって、そういう遺産の最も優れた部分をこの一か所に
ギュッと凝縮したような懐かしさが漂っている、なんだか不思議なところがある作品だ。 それでいて懐古趣味的なチープさはなく、ちゃんと現代の
活きたジャズを無理せず気持ちよくやれている。 過去の名作群を聴いてきた諸兄諸氏なら、この作品の良さにはグッと来るんじゃないだろうか。

おちゃらけジャケットには目をつぶってもらって、聴いてみて頂きたい。 推薦できる自信が私にはある。


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今週のお買い物

2016年02月06日 | Jazz CD
久し振りのCDネタです。 以前ほどではないですが、現代モノもぼちぼちとチェックしています。 新旧織り交ぜていいものが見つかりました。





■ Avishai Cohen / Into The Silence  ( 独 ECM 2482 4759435 )
売れているそうである。 ECMだからなのか、アヴィシャイ・コーエンだからなのか。 誰も声高に騒がないけれど、こういう音盤が出ると黙って買って
帰って、家で静かに愛聴してるファンが実は大勢いるんだなあ、という現代のジャズ愛好家の好ましい実像が見えるような気がしました。

マイルスの第2期黄金カルテットを念頭に置いていることは明らかですが、それでも完璧にECMのコンセプトに沿ったECMらしい作品です。 現在のこの
レーベルにありがちな抽象的で退屈な曖昧さはなく、はっきりと現代のジャズを土台にした上で、今の時代においては見えにくくなった「静寂」を探して
歩くような趣きのある、静かで澄んだ音楽。 冒頭の "Into The Silence" のミュート・トランペットが物悲しく静寂を求めてさまよう様に心が揺すぶられる。
これは文句なしの必聴盤。 傑作です。


■ Stan Getz / Moments In Time  ( Resonance Records HCD-2020 )
とにかくうれしい未発表音源の発掘、1976年キーストーン・コーナーでのライヴ。 ジョアン・ブラッキーンのピアノトリオを従えたワンホーンです。
スタン・ゲッツのこういう発掘はどんどんやって貰いたい。 録音も十分な音質です。(但し、最後の曲はテープが痛んでいたようでダメ)

クラブでの演奏なので力のこもったものになっていますが、ゲッツはいつもと変わらない懐かしいあの音とプレイで、ただもうそれだけでうれしい。
選曲もとてもよく、冒頭の "Summer Night" の叙情味にこの時の演奏の素晴らしさが集約されています。 もうこれ以上の哀感は表現できないのでは、
と思わせるメロディアスな主題のラインにうっとり。 ああ、スタン・ゲッツは本当に素晴らしい、と胸に込み上げてくるものがあります。
これはしみじみと聴き入ってしまいます。


■ Jacob Garchik / Ye Olde  ( Yestereve Records 05 )
サン・フランシスコ生まれで現在はブルックリンを拠点に活動するトロンボーンをメインにしたマルチ奏者で作曲も精力的にする若手のアルバム。
3本のギター、ドラムに自身のトロンボーンという異色の編成による非常に意欲的な音楽で出来もよく、驚きました。

リー・コニッツのノネットに参加したり、クロノス・カルテットやブラックストンらとも活動を共にするなど、東海岸の先鋭的な音楽シーンで活動して
いるようです。 そういうこともあって、このアルバムもフリー/アヴァンギャルドのコーナーに分類されていましたが、内容はそういうジャンルにも
当てはまることはないもので、ギターにはディストーションがギンギンにかけられているのでハード・メタルっぽい雰囲気がベースになっていて、
そこにトロンボーンのくすんだ音が乗っかって展開していく、これがちょっとカッコいい音楽になっています。

TVのCMやサスペンス・ドラマの背景に流れると話題になりそうなイカした曲もあり、これはなかなか聴かせます。 ロックのフィーリングがとても上手く
取り込まれているのにロックともジャズとも違う独自に質感を持ったところにほとばしる才能を感じます。 ちょっと注目していこうと思いました。



Denny Zeitlin / Cathexis  ( Columbia CL 2182 )

コメント欄で薦めていただいたデニー・ザイトリン、まずは初リーダー作を聴いてみたかったので新品廉価CDを求めてDUに行くも、在庫切れ。 中古も出て
おらず、人気があるんだなあと驚きながら中古レコードを探してみると、ちゃんと在庫がありました。 急に聴きたくなったものがロスタイムなく買える、
DUはこういうところが凄い。

調べてみると単に私が知らなかっただけで、昔から誰もが認める鉄板人気アーティストだったんですね。 どうやって発掘されたのかはよくわからない
けれど、いきなり最大手のコロンビアからデビュー作が出るんだから、当時はアンファン・テリブルとしてさぞ騒がれたんだろうと思います。

聴いてみるといきなり1曲目でガツンとやられて、なるほどなるほど、こりゃあみんなやられるわけだ、と思いました。 知的で力強くクリアなタッチ、
劇的な展開を持つオリジナル曲、優れた録音、中だるみしそうになると "Round Midnight" で幻惑したり、と緩急も自在。 私は "Blue Phoenix" が
気に入りました。 セシル・マクビーのベースもよく効いていて、サウンド面の快楽度も高い。 コロンビアが喜びそうなわかりやすさで全体が上手く
まとめられています。 残りのコロンビア3作も順次聴いていこうと思います。


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最近の収穫

2015年11月28日 | Jazz CD
今週は久し振りに中古CDで複数枚の収穫がありました。 うまく年末セール用の網から逃れられたようで、こうでなくちゃ面白くない。





■ Joe McPhee / Nation Time  ( 加 Unheard Music Series UMS/ALP201CD )

フリーの嵐が過ぎ去ってエントロピーの増大が誰にも止められなくなった70年代、もはや主流も非主流も無くなり、あらゆる境界線が消えてしまった中で
こういうのは当然のように現れるんだなと納得の内容。 1970年のヴァッサー大学のアフリカ研究センターでのライヴです。

この人はこれまでに60枚以上の作品をリリースしているんだそうで、売れない音楽をやるのも色々大変なんだなと思います。 当然これも自主制作盤で、
廃盤セールに出ればいつも目玉の大物として取り扱われる。 サン・ラーにしても、ブロッツマンにしても、作品の数があまりにも多すぎて、私のような
根性なしのいい加減なリスナーではその全てに耳を通すなんてことはできません。 もしレコードしかなかったらきっとこういうのを聴くことはなかった
だろうと思いますが、今はきちんとCDで復刻してくれるところがあるのでこうして聴くことができるわけで、こういうのは本当にありがたいことです。

元々トランペットを吹いていたのに68年からサックスを始めたそうで、始めて間もない頃の演奏なので当然ここでのサックスは上手くありません。
でも、音楽への情熱があり、他人や社会に向かって叫びたいことがあり、そういうものに突き動かされ、それだけに支えられてなんとかやっていることが
手に取るようにわかります。 音楽としてはあまりに稚拙すぎて、正直語るべきものは何もないような気がします。 でも、当時の黒人社会には全般的に
歴史的に途切れることなく鬱積されたものがやはりあって、人々はいろんな所に集まってはこうして叫んでいたんだなということがこういう記録からわかるし、
そのことを思うとやりきれない気持ちになります。 だから自然と演奏は煽動的になるし、観客も熱狂する。 ここにはもちろんフリージャズというような
高尚なものはまったくなく、アンダーウランドに潜って不気味にうねるブラック・ファンクの激しい鼓動しかありません。 

外形的には2曲目の艶めかしく黒光りするベースは凄いし、3曲目のドラムはとても聴き応えがあって耳を奪われるけれど、私は音楽を聴いているという
よりも、ボクシングの試合を観ているような、またはNHK特番で旧いドキュメンタリー・フィルムを観ているような、そういう感覚を覚えるのです。


■ Peter Kowald / Duos ~ Europe - America - Japan  ( FMP CD 21 )

ペーター・コヴァルトがベース片手に欧州、アメリカ、そして日本の怪物たちの元へ出向き、「ひとつ、恃もう!」とデュオで短い曲をさらりと演り、
ゆるりと帰っていったものを集めた作品で、レコード初版は3枚組ボックス(同時にバラ売りもされた)。 

手合わせした19人の顔ぶれは凄いのですが、やはり目を引くのは尺八の松田惺山、琴の沢井忠雄、琵琶の半田淳子ら日本古楽器勢とのコラボ。
この3人との演奏が一番心を打たれる。 別にナショナリズムの血が騒ぐということではないですが、こうして各国の楽器が勢揃いする中で聴いてみると、
日本の楽器とそれを演奏するアーティストというのは素晴らしいものがあるんだなということがよくわかります。 これらの古楽器の柔軟性と
フリージャズへの親和性の高さには目から鱗が落ちるし、日本の古楽って本質的にフリーミュージックなんだなと気付かされます。 
そして、坂田明のここでも変わらない、いつもの素晴らしさ。 同録されているブロッツマンやエヴァン・パーカーらとなんら見劣りしない。

単純ですが、ヴァラエティーの豊かさに感動します。 形式うんぬんではなく、フットワークの軽さとメニューの数の多さにこの音楽が持つ豊かさを
感じるし、奥深さも実感できるのです。 作品のコンセプトの正しさを感じるし、これはちょっとレベルが高いなと思います。

ただし、ディアマンダ・ガラース(女性Vo)の呻き&絶叫とのコラボは怖い。 これはスピーカーから音を出してはとても聴けません。
間違いなく、警察に通報されます。


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今週の成果

2015年09月12日 | Jazz CD
今週もブラブラと探しましたが、新着中古はたくさんでていたにも関わらずめぼしいものは見つからず、新品を少しつまみました。 新品の棚を順番に見ながら
思ったのですが、新作のジャケット群はどれも似通っていて、中身への予備知識がなければ一体どれを買えばいいのかさっぱりわかりません。

一番困るのは内容とは全くリンクしない、幾何学的なデザイン画のようなものですね。 一体何が言いたいのかさっぱりわからないし、この手のものは
オリンピックのエンブレム問題ではありませんが、どれも似通った、いつだったかどこかで見たようなものばかりで、ジャケットだけでピンとくることは
まずありません。 こうなってくるとますます事前にレビューをしっかり見て置く必要がありますが、この時点ではまだ販促文しかないので、いい加減な
誇大広告を自分の中で如何に正しく翻訳変換できるかも重要になってきます。




■ The Daniel Vitale Quartet feat. J.R. Monterose, HankJones  ( 自主制作、番号なし )

ニューヨークのロチェスター生まれで音楽一家の中で育ち、いろんな楽器に手を染める中で兄弟たちからベース奏者が必要だからベースをやれ、と言われて
始めたそうで、その後は地元のローカルミュージシャンとして数多くの演奏家と共演し、そういう交流の中から生まれた演奏の1つです。

モントローズやハンク・ジョーンズの名前がなければ誰も手にしないのは間違いない自主制作盤ですが、写真を見ると一体モントローズはどこにいるの?
という感じで、もしかしてこの身体の小さな、お散歩に出かけたおばあちゃんのような人がモントローズ? とびっくりしてしまいます。 こんなに
小柄な人だとは知りませんでした。

無名のローカルミュージシャンと年老いたジャズ・ジャイアンツの演奏ということで、枯れ切ってえっちらおっちらとスタンダードが展開される内容で、
音楽としては聴くべきところは何もありません。 ベースが主役ということでアルコによる主題の演奏で始まるものが多いですが、これが音程が悪くて、
リズム感もヨレヨレで、もうお粗末以外の何物でもないですが、不思議なことに全体的には演奏のまとまりは良くて意外にちゃんと聴けます。
ベテランの味が全体にしっかりと染みわたっているんだと思います。 自主制作にもかかわらず音質も良好です。

中でもハンク・ジョーンズのピアノは別格の輝きを放っており、この人は本当にすごい人だなと改めて実感します。 年齢を感じさせない鋭いタッチや
素晴らしいフレーズを連発しています。 一方、モントローズの衰え方は著しく、聴いているのがつらくなります。 吹き始めるところなんかは
調子の悪いスタン・ゲッツのような感じで、力の無くなり方は気の毒になります。

こういうのを世に出すのがいいことなのかどうか、正直言ってよくわかりません。 


■ The Alan Simon Quartet / Without A Song  ( Whispering Pines Records WP 120651 )

ライオネル・ハンプトン楽団で活躍したそうですが、私は初めて聞く名前です。 ビッグバンドにいたのなら音楽的には間違いないだろうということで
聴いてみましたが、これが当たりでした。

1997年コネチカットでのライヴ録音ですが、とても落ち着いて地に足の着いたいい演奏で、テナーのワンホーンで参加しているラルフ・ラママがとにかく
素晴らしい演奏を聴かせます。 こういう音色のテナーを聴くのは初めてで、ちょっとクセになります。 

スタンダードをメインにただ淡々と演奏していくだけですが、全体を通して好感の持てるいい雰囲気があり、大人のための音楽だなあと思います。
最近、半年に1枚くらいの頻度ですが、こういう地味ながらもいい音盤が出てきます。 買い逃さないように新品のチェックをするのは大切です。
マイナー盤なので、機会を逃すとその後がまた大変です。 こちらも、ライヴな音場感が見事で、音質も良好です。


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今週の収穫

2015年08月29日 | Jazz CD
お盆の時期に久し振りのフリー中古CDセールがありましたが、色々と所用があり、見に行けたのはかなり日数が経ってからになってしまいました。
そのせいか、残滓はあまり精彩がなく、辛うじて数枚つまんだだけとなってしまいました。 残念ですが、また半年後の特集を愉しみに待ちましょう。





■ Steve Noble / Ya Boo, Reel & Rumble  ( INCUS CD 06 )

英国の若いドラマー・パーカッショニストのスティーヴ・ノーブルと、こちらも若きリード奏者のアレックス・ワードのデュオによる作品。 1989、90年の録音です。
これはレコードがあったかなかったかが記憶が曖昧ですが、INCUSは90年頃を境にCDに発売を切り替えていているので、レコードはないかもしれません。

内側の写真を見ると、リードのアレックスはまだ十代のような幼い顔をしているので驚いてしまいます。 ここではクラリネットとアルトを吹いて
いますが、かなり控えめな演奏で、まだまだこれからの人だというのが伺えます。 同じく写真に写るスティーヴもまだ若々しい感じで、こんな2人が
こういう音楽をやっているんだから、フリージャズの流れはまだ脈々と受け継がれているんだな、と思います。

いろんな打楽器を使って脈絡なく叩いて音を出していく中をアルトやクラリネットが呼応するように細切れの音を出していく。 隙間が多く静かな雰囲気が
ずっと続いていきます。 最初はああまたか、という感じでしたが、しばらく聴き続けていくとなかなかどうして悪くないぞ、と思うようになります。
2人は対話をしているというよりは、2人で顔を前に向けて並んで歩きながら、互いにぽつりぽつりと何かを言っている、という風情です。
荒々しいだけがフリーではない、とでも言いたげな感じです。 


■ Cecil Taylor / Double Holy House  ( FMP CD 55 )

セシル・テイラーがFMPに録音するようになるのは1989年頃からで、多作家らしくおびただしい量の作品がありますが、なんせ数が多くて、おまけに
そのどれもが廃盤ときているもんだから、まだほとんど聴けていません。 

セシル・テイラーが1人でピアノ、詩の朗読、パーカッションをこなす内容で、1990年9月22日に朗読とパーカッションを先に録音し、翌日にピアノソロの
ライヴ録音を行ったもの。 コンサート中に前日のものを流したのか、それともCD化の際にオーヴァーダブしたのかは定かでありません。

朗読の声でピアノがよく聴こえない箇所もあったりしますが、それでもピアノのタッチは凛としていて素晴らしい。 ところどころでストックフレーズも
見られますが、若い頃の激しい勢いとはまた違った落ち着きと切れるような鋭さがあり、もう完全にこの人だけの音楽になっています。

ジミー・ライオンズがいた若い頃の荒々しい演奏もいいですが、近年の独特の透明感が漂う演奏はもっといい。 ピアニストとしての1つの極みが
間違いなくここにはあると思います。 もっとたくさん聴きたいですが、なかなか出回らないのが残念です。


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今週の成果

2015年08月08日 | Jazz CD
もはや人間が暮らす環境じゃなくなってきてるんじゃないか?と思えるような灼熱の中、それでもDUに猟盤に行きました。 好きなことには際限というものが
ないもんです。 ようやく今週はいくつかつまめました。 よかった、よかった。




■ Art Ensemble Of Chicago / People in Sorrow  ( Pathe / 東芝EMI CJ32-5013 )

これは長らく探していたもので、ようやく見つかりました。 CDで欲しかったので、よく見かける初版レコードは全て見送っての邂逅です。

アメリカでの無理解さに耐えられず、家財道具の全てを売り払って旅費を工面し、決死の覚悟でフランスに渡ったメンバーたちの想いが詰まったところが
よくわかる内容です。 のちの精神的に安定した中で生み出された作品には見られない、静かに悲しみを見つめているような目線を感じます。

それは抽象的なものではなく、つまり原罪の悲しみというようなものではなく、状況としての悲しみの中に置かれたものを静かに見つめる視線で、
自分たちのことをも当然そこには重ねているのかもしれません。 奇をてらった仕掛けは何もなく、ただ静かに、言葉少なく音楽として語られています。

普段は奇抜な見かけや恰好で武装している彼らが、実はその底辺に隠しているあまり人には見せない心の震えのようなものだけで出来上がった音楽で、
ヨーロッパの人々はそれをきちんと受け止めてくれたわけです。 芸術を理解するという態度がどれほど大切なことかがよくわかります。
我々も常にこうでありたいです。 

日本での発売当時、「苦悩の人々」と訳されたのは時代を感じるなあと思います。 この音楽から感じるのは少し違うニュアンスです。
それにくどいようですが、これはフリージャズなんかじゃありません。 


■ Globe Unity Special '75 / Rumbling  ( FMP CD 40 )

グローヴ・ユニティが1975年にベルリンで行ったライヴを翌年FMPが2枚のアルバムに分けて発売していたものを1991年に1枚に纏めて発売したCDです。
彼らの古い音源は稀少廃盤になっていて入手が難しい。 これも3,000円と高かったです。

シュリッペンバッハがこのユニットを組んだのが1966年。 そこから10年近く経った時期のものです。 まだこの前後の作品を聴けていないので、
これだけでいろんなことを決めつけるのは拙速なのですが、それでもこの作品を聴くだけでもいろんなことを感じることができます。

シュリッペンバッハがこのユニットでやりたかったのは、既成の音楽を破壊しようというようなことではないのは明らかです。 1966年の時点で
既にそれは壊れていたわけで、シュリッペンバッハがそのことに気付いていなかったはずがない。 集団によるフリーインプロで個人の破壊力の限界を
超えようとしたのではなく、おそらく個々人では難しい再構築への課題を集まることによって解決していこうとしたのではないでしょうか。 
この内容を先入観抜きにして聴いた限りでは、そのように思えます。

ただ、集団になることでいくつかの制約事項も出てくるわけで、大物リード奏者たちが集まることでどことなく窮屈さを彼らが感じているような
ところがあります。 これを聴いていてすぐに思い浮かぶ映像は、狭い湯船の中に大勢の大人の男たちがギュウギュウ詰めになっている様子です。
中には早々にそこから出て行ってしまう人もいるのですが、すぐに別の誰かがやってきて湯船は人で溢れかえってしまう。

このユニットは常設だったわけではないようで、不定期にみんなが集まり、その時点での各々の最新の状況を持ち寄って演奏していたようなので、
できれば順を追って一通り聴いてみたいと思っているのですが、なかなか初期の音盤は入手が難しそうで、少し時間がかかりそうです。
もう少したくさん聴いてみて、感想を深めたいところです。



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今週の成果

2015年07月18日 | Jazz CD
急に暑くなった今週も、相変わらず軽くつまみました。 





■ Count Basie Orchestra / Long Live The Chief  ( DENON COCY-7101 )

結成50周年を記念して日本で制作された作品で、2人の日本人プロデューサーはこの企画を会社が認めなかったので、退社して別の会社に移ってこの作品を
作ったそうで、これは気合いの入り方が違います。 

84年に亡くなったベイシーの代わりにフランク・フォスターがリーダーで、フレディ・グリーンを筆頭にベイシー健在時の主要メンバーらによるこの楽団
でしかきくことのできないドライヴ感溢れる黄金のサウンドが聴けます。 やっぱり、カウント・ベイシー・オーケストラはSP音源ではなく、LP録音のほうが
その魅力をより享受できるように思います。

この楽団の演奏は当たりハズレのようなものは基本的にはなく、どの時代(つまり、アレンジャーが誰か)のものが好きかで聴く音盤を選べばいいのですが、
そういう特定の色がついていないこういう演奏だとバンドの素の姿が剥き出しになるので、このバンドの魅力が却ってよくわかります。

スターソリストがいたオールド・ベイシーはそのトップ・ホーンのソロを聴くのが何よりの愉しみでしたが、ニュー・ベイシーの魅力は何と言っても
このキラキラと眩しく輝く分厚い金管楽器のハーモニーと最高にドライヴする黄金のテンポ感。 クラーク・ボラーン・オーケストラも一生懸命真似ようと
したこの恐るべきサウンドは、やはりこの楽団の演奏でしか聴くことはできません。 実際の速度はミドルテンポなのに、体感速度はその倍のスピードに
感じてしまうこの不思議な感覚は一体何なんでしょうか。 

"April In Paris"、 "Corner Pocket"、"Lil' Darlin'"、"Shiny Stocking" などのベイシー・スタンダードを網羅した日本企画ならではの内容です。
私はDENONのこのPCM DIGITAL録音物がその痩せた音のせいで昔から大嫌いなのですが、この音盤は低音不足気味の腰高なところがイマイチながらも、
楽器の輝きや鮮度は珍しく悪くない感じだし、とにかくフレディ・グリーンのギターの音がよく聴こえるのでそれだけで合格です。


■ Sun Ra / Lanquidity  ( Evidence ECD 22220-2 )

赤と黒のまだら模様を見るとサン・ラーを思い出す、ということでもないですが、DUに行けば必ずチェックするサン・ラー。
ようやくこの名盤に辿り着きました。

これは、傑作です。 紫煙が漂うかのような妖艶なムードの完全レア・グルーヴ・アルバムで、ジョン・ギルモアの最高のテナーサックスが聴けます。

切ない雰囲気のエレピで始まるアルバムタイトル曲の冒頭のメロディーはジミー・ロールズの "The Peacocks" の出だしと同じ旋律で、これが何とも
物悲しい。 その雰囲気がアルバム最後まで全体を支配していき、ゆったりとした心地い気怠さに身体が包まれて行く。 そんな半覚醒状態の中から
突然現れるテナーサックスの劇的に素晴らしいソロ。 

湯浅氏の書物によると、ファンク、ディスコが流行り出した当時、あるディスコミュージックのレコードをサン・ラーが持ってきてバンドのメンバーに
聴かせたところ、バンドメンバー達が「師匠、こんなのは音楽じゃありません」と口々に言い出したが、「こんな音楽でも、ある種の人々には有益な
音楽なのだから、そんなことを言ってはいかん」と諭して、このアルバムを制作したんだとか。 意外ときっかけはお粗末だったんですね。
それでもここまでの極みに達するんだから、サン・ラー、恐るべし。 この振れ幅の大きさは、我々地球人には到底理解が及ばないのでしょう。

このCDはオリジナルの2トラックテープを使って作成されたそうで、すごく音がいいです。 自然なアナログ感が上手くトランスファーできています。



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今週の成果~ 探し続けた最後の1枚

2015年07月04日 | Jazz CD
今週もブラブラと徘徊しました。 新宿では新着の大量棚出し、Jazz Tokyoは廃盤セール450点、という大盤振る舞いでしたが、買えたのは僅かに1枚。
新宿のほうは枚数は多かったもののこれといって引っかかるものは見つからず、Jazz Tokyoのほうはセールの残滓としては欲しいものは10枚ちかく
あったものの値段が少し高く、1枚以外はすべて諦めました。

面白いことに、新宿と御茶ノ水は客層が違うせいか中古のラインナップが重なることがあまりなくて、両方をチェックするとかなりの領域をカヴァー
できるのですが、残念なことに御茶ノ水は全体的に値段が新宿よりも2~5割ほど高い傾向があるような気がします。 駅前の目抜き通りにあれだけ
大きな店を構えているわけですから、きっと固定費が高いんでしょう。 

中古漁りを趣味とする者にとってこの「ちょっと高いな・・」という感覚はなかなかやっかいで、これを感じると買うのを躊躇してしまいます。
客観的に見ればその差は大した金額ではないんでしょうが、それでも目に見えない自分なりの基準値が厳然とあるわけで、それを超えると「うーん」と
考え込んでしまう。 1,700円という値段がついてるけど、新宿でこれが出たらきっと1,200円だぞ、と思うと、まあ今日はやめとこう、となります。
たかが500円ですが、長い目で見れば無視できない金額になってしまいます。 





■ V.A / That's The Way I Feel Now ~ A Tribute To Thelonious Monk  ( A&M Records 32XB-29 国内盤 )

25年探し続けて、ようやく出会えたおそらく最後の1枚。 レコードのほうはよく見かけるし、別にこのCD自体も珍しくはないのかもしれませんが、
私にはまったく縁が無かった。 これはどうしてもCDで欲しかったのですが、そもそもまったく中古CDを見かけないので、もしかしてCD化されて
いないのか?とさえ思っていました。 学生時代にFM放送のエアチェックで(懐かしい・・)この中のスティーヴ・カーンとドナルド・フェイゲンの
デュオによる "Reflections" を聴いて以来、ずっと探してきた思い入れのある1枚です。

ジョー・ジャクソンやトッド・ラングレンといった才人がいかにもという演奏をしたり、スティーヴ・レイシーやバリー・ハリス、カーラ・ブレイ、
そしてチャーリー・ラウズらも参加する楽しい内容です。 何か凄いことをやっているということでもないし、音楽的な深みがあるわけでもないですが、
風変わりな音楽だから面白がって演奏しに集まったのではなく、モンクの音楽には普遍的なものがあるからみんなから愛されているのだということが
改めてよくわかるのです。

これを手に入れることが出来て、何だが肩の荷が下りた気分です。 


■ Alexander Von Schulippenbach / The Living Music  ( UMS/ALP231CD )

こちらは少し前に入手したもの。 シュリッペンバッハの初期の代表作として、その道ではよく知られた作品です。
ピアノトリオにブロッツマン、マンフレート・ショーフら管楽器が4本加わったセプテットです。

この2か月ほど欧州フリーは一切聴かずにアメリカの古いフリーばかり聴いていましたが、久し振りに欧州ものを聴くと、その成り立ちの違いに
愕然とするというか、そもそもこれはまったく別のジャンルの音楽じゃないか、とすら思うようになります。

この人は元々現代音楽の巨匠に師事するところからスタートしているので、その音楽はジャズとクラシックのフュージョンになっていて、
フリージャズというような大雑把な言い方はお門違いのような気がします。

どの楽器の使い方も実験色が強く、従来の西洋音楽を否定して新たなものを創ろうとする過程にいることがよく伝わってきます。 
それが成功しているのか、あるいは成功しようとしているのかはではなく、そういう意志があることがわかるということが重要なのであって、
そこがアメリカのフリージャズとは根本的に違うのかもしれません。

でも、ところどころで楽曲のテーマリフのようなものが現れるし、最後の楽曲などは割と普通のハーモニーとメロディーを使ったものだったりするし、
ブロッツマンの作品ような荒々しさはなく、知性派らしい理知的な音楽になっています。

ちなみに、このCDは板起こしです。 オリジナルは自主制作盤だったので(後にFMPからも出されますが)マスターテープの状態が悪かったのかも
しれません。 溝を針が這うチリチリという音がところどころで聴こえます。



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能動 vs 受動

2015年06月27日 | Jazz CD
今週も少しですが、つまみました。





■ Sonny Murray / Sonny's Time Now  ( Jihad / DIW-355 )

サニー・マレイが1965年にニューヨークで自主制作として作った作品で、何と言っても目玉はアルバート・アイラーが参加していることです。
そのために、このアルバムはたくさんあるフリージャズの中でも別格扱いされることが多い。

ESPとの契約の関係で Sunny ではなく Sonny という綴りになっているし、アイラーも Albert ではなく Albbert という綴りで表記されています。
また、オリジナル・マスターはステレオ録音なのに、レコードが作られた際はミックスダウンしてモノラルとして発売されていますが、DIWはマスター
テープのままステレオとしてこのCDを作っています。 

アイラーの客演は珍しいのでそういう観点でどうしても聴いてしまいますが、やはり上手いサックスです。 この人は上手い。
アイラーはオーソドックスなフリースタイルとゴスペル調のスピリチュアルスタイルの2種類をアルバム毎に使い分けた人ですが、ここでは前者の形式で
吹いています。 ただ、それでも演奏は大らかでゆったりしているし、もう一方の管のドン・チェリーも奇音を発することなく普通のオープンホーンの
音なので、リード2人の音に不快感はない。 それよりも、誰かの"ウー"という低い唸り声がずーっと曲の間じゅう聴こえるのが不気味で、これが全体の
トーンを支配しています。 

サニー・マレイのドラムは所謂パルスビートでこれが革新的なことだったと言われる訳ですが、果たしてそうなんだろうかと疑問に思います。
リズムを作ることを拒否した時点で、ドラムという楽器はその存在意義を失ってしまいます。 じゃあ、その時ドラムは一体何をするのかというと、
何か音を出さなければいけない以上は選択肢は自ずと絞られてくるだろう。 スネアとシンバルを同時に鳴らし続けるこのやり方もルーツはきっと
ネイティヴアメリカンドラムなんだろうし、全く同時期にトニー・ウィリアムスも始めていますが、トニーの演奏には感動するのに、サニーの演奏には
特に感動しません。 大事なのはそういう形式上のことではなく、やはりクォリティーなんだと思います。 この人の演奏にそういう何か特別なものを
感じるかというと、そんなことはありません。

注意して聴くと確かに耳につくことはつくし、フリー以前の音楽では見られないものですが、でもそれはそれまでの音楽がそんなものを必要としなかったから
であって、サニー・マレイの場合はどちらかというとフリージャズからの要請にただ従っただけのことなんじゃないかという気がします。

だから、逆に主流派の中にそういうドラミングを持ち込んだトニーのほうが文字通り革新的だったし、そもそもリズムを作るためにこのやり方を選んだ
というのは、リズムを叩かないためにそれを選んだサニーとは正反対の発想だよな、と思うわけです。



■ Maria Schneider Orchestra / The Thompson Fields  ( artistShare AS0137 )

待望の新作です。 DUの週間売り上げチャートでは上位に入っていたようですが、なんだか不思議な気がします。

トンプソンフィールズというのはマリアの故郷であるミネソタにある広大な森林地帯の名前で、そこで彼女が感じたいろんなことをオリジナルの
楽曲として作品に仕上げたものを1枚のアルバムとして世に問うたものです。 

この人のこれまでの足跡を丹念に追ってきた人であればこの作品に違和感を感じることはないでしょうが、そうではない人にはいわゆるジャズっぽさが
まったくないこの内容にがっかりするんじゃないでしょうか。

豪華なブックレットの中には、草原に佇む彼女の姿や野鳥の挿絵、著名な森林学者の箴言などが載っていて、彼女の溢れる想いが詰まった作品である
ことがよくわかります。 そういう詩情豊かな音楽をこれまた豪華なビッグバンドを使って描き出していくのですが、各楽器の稼働率は低いので、
団員たちはジャズと演奏してるというよりはブルックナーの交響曲を演奏しているような気分だったのではないでしょうか。

この artistShare というレーベルはクラウドファンド型の投資レーベルで、ファンが投資することで作品の制作が始まり、投資した人への特典として、
その制作過程の様子など様々なプレミアム情報が提供されます。 だから、マリアはこのアルバムに収録されているいくつかの楽曲を資金集めのために
すでに2年前からコンサートで繰り返し演奏・お披露目していて、それに賛同し投資が集まったのでこの新作が出来上がっています。 
つまり、マリア・シュナイダーの次回作がどういう内容になるのかは、事前に簡単にわかるのです。

この作品、せわしない殺風景な東京の街の中で聴くのは相応しくない。
残念ながら今はその中にいるしかないのですが、いつの日か、もっといい環境の中でこの作品を愉しめるようになれたらいいなあ、
と夢見ながら聴いています。




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