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廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

OJCのビル・エヴァンス(1)

2020年12月12日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / At The Shelly's Manne-Hole  ( 米 OJC-263 )


OJC盤は音がいい、というのは今では常識になっているが、具体的にどういう音なのかについてはあまり伝わってこない。
そこで、音楽を繰り返し聴くに耐え得るビル・エヴァンスのアルバム群を題材にして、オリジナル盤と対比させながらも、
実際のところはどういう音なのかを聴き比べてみる。

一口にOJCと言っても、何度かプレス・発売されていて、このタイトルもレコードは1986年、2018年にプレスされている。
手持ちのものは86年プレスなので、その前提で聴いてみる。

A面 OJC 263 A1 G1 (A) 手書き
B面 OJC 263 B1 G1 (A) 手書き

一聴して、3つの楽器のバランスの良さに溜め息が出る。再生される音は上質でなめらかで、極めて自然なステレオ感。
プレス品質も良く、耳障りなロードノイズはまったくない。

ベースの音はリアルで、弦が震える音がクッキリと再生される。ドラムもスネア、ハイハット、ブラシの音が物凄く自然な音。
ピアノはきちんとアコースティック・ピアノらしい音で、弱音になっても音場の中に埋没しない。拍手の音もクッキリとしている。
聴いていて、気になる瑕疵は何も感じない。

このOJC盤を聴いた後にオリジナルのステレオ盤を聴いてみると、こちらはピアノの音がもっと硬質で、音がより立っている。
一方でベースの音圧が弱く、音が音場の中で埋没していて、あまりよく聴こえない。チャック・イスラエルがラファロと比べて
大人しく覇気がないと言われるのは、こういうオリジナル音源のサウンド感が影響していると思う。ドラムも控えめな音圧で、
スネアの音に深みが欠けている。

オリジナルは明らかにエヴァンスのピアノを目立たせるようなマスタリングをしていることがわかる。ただ、各楽器の音色は
明るくクリアで輪郭もクッキリとしていて、音圧の強弱の影響からOJC盤よりもサウンドに奥行き感がある。
拍手の音は潰れて割れている。とにかく、ピアノの音に全神経を集中させたような音作りになっている。

もう1度OJC盤に戻ってみると、オリジナルは全体的に古風な雰囲気、OJC盤はリノベされたばかりの清潔な部屋のような印象だ。
各楽器の音色を根本から見直し、1つ1つ丁寧に磨き上げて、正しい位置にきちんと配置し直した、という感じである。





オリジナルのモノラルとステレオでは、音場感はまったく異なる。モノラルは音がこもっていて、ぼんやりと霞んでいる。
それに比べると、ステレオはベールを1枚剥がしたようなクリアな音。普通に考えれば、このアルバムはステレオ盤で聴く方がいい。
1965年のリリースという時期を考えると、これは当然の結果だろう。


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印象が180度変わるステレオプレス

2020年10月03日 | Jazz LP (Riverside)

Charlie Rouse / Takin' Care Of Business  ( 米 Jazzland JLP 9195 )


最近のステレオプレス聴きの中で気付くのは、単に音がいいというようなことだけではなく、その音楽がとても明るい印象へと変わることだ。
「明るい」というと誤解されるかもしれないが、言い換えるとその音楽の本当の姿が突然目の前に現れてくるということだ。これはかなり
重要なことのように思える。

ラウズのこのアルバムなんかはその典型で、モノラル盤を聴いていた時はなんて暗い音楽なんだろうと思っていたが、ステレオ盤を聴くと
これはブルーノートの1500番台後半のようなブライトでブリリアントな音楽だったんだ、ということがわかって驚いてしまった。
モノラル盤で聴いていた時の印象が180度ひっくり返ってしまったのだ。

CDが商用化された時、人間の耳には聴き取れない高周波帯域をカットしたために倍音などが消されて音が悪く聴こえるようになった、と
言われるが、その説明が正しいかどうかはさておき、ステレオ録音だったものをモノラルへリミックスしてプレスされたものも、これと
似たような現象が起きている盤があるのかもしれないな、と思うようになった。その時に消失したのは音色の艶やかさや音場の奥行き感
だけではなく、その音楽にとって重要な何かまでもが削れてしまったタイトルがあったのかもしれない。

1960年の録音だし、ラウズは元々新しい感覚を持っていた人だからいち早くニュー・ジャズの要素を取り入れたのかなと思っていたが、
そうじゃなかった。これは生き生きとした王道のハードバップだったのだ。他の4人のメンバーも明るくしっかりとした演奏をしていて、
良き時代のジャズの匂いが濃厚に漂う佳作だったんだなあと目から鱗が落ちた。ステレオ盤はモノラル盤の1/3以下の値段だし、
これはわざわざ高いものを買わされる必要はまったくないと思う。モノラル盤で聴いていてこのアルバムがあまり好きになれなかったら、
それは正しい感想なんじゃないか。その場合はステレオ盤で聴き直すと、きっと印象が変わって好きになる。


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傑作とは騒ぎたくないが・・・

2020年09月03日 | Jazz LP (Riverside)

Victor Feldman / Merry Olde Soul  ( 米 Riverside RLP 366 )


英国の白人という非アメリカ的な個性が良い方向に出たアルバムで、素晴らしい音楽が聴ける。傑作、と声高に騒ぐのは相応しくなく、
折に触れて針を落としてはじんわりとその良さに感じ入る、というくらいの接し方がちょうどいいと思う。

自作の楽曲のクオリティーが高く、美メロに溢れている。ピアノとヴィブラフォンを自在に操るが、どちらの演奏も品があって良い。
楽曲によってはハンク・ジョーンズも参加しているのが嬉しい。本人は、本業はヴィブラフォン奏者でピアノは余技だ、と言っていた
そうだが、そのピアノを聴く限りではとてもそうは聴こえない。

ブルースを弾いてもドップリとした情感ではなく、さらりと弾く感じが心地よい。こういう感覚が好まれて、例えばスティーリー・ダンの
アルバムに呼ばれたりしたのだろう。デビュー・アルバムから最終アルバムまでのすべてに参加しているのだから、只事ではない。

デ・ニーロそっくりの大顔で写っているジャケットからは想像がつかないほど、洗練されていて、繊細で、美しい音楽が溢れている
素晴らしいアルバムだ。音質もとても良好で、音楽が楽しく聴ける。






好きが嵩じて、ステレオ盤も拾ってある。バランスの良い、クリアな音場感。モノラルは1,300円、ステレオは750円だ。
人気がなくてありがとう、と言いたくなる。


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ジョージ・ルイスとの久し振りの邂逅

2020年06月15日 | Jazz LP (Riverside)

George Lewis and his Ragtime Band / Jazz At Vespers  ( 米 Riverside RLP12-230 )


先日、トラッド・ジャズの巨匠コレクター Cotton Club さんのブログにお邪魔して、「ジョージ・ルイスはいいですねぇ」なんてお話をさせて頂いて、
久し振りに聴いてみたいなあ、などと考えていたら、週末の新入荷のエサ箱でこうして邂逅する。中古漁りではこういうことがよくある。
リヴァーサイドの完オリで盤面ピカピカの安レコ。トラッドは残念ながら人気がない。

トラッド・ジャズは20代の終わり頃によく聴いていたけど、最近はすっかりご無沙汰している。単にそこまで手が回らないという理由からだ。
トラッド・ジャズはアメリカの大地のように肥沃で広大な領域で、いっちょ噛みしたくらいではどうにもならない。今はほんの端っこの一部を
ちょこっと齧るので精一杯。

ジョージ・ルイスはレコードが膨大にあって、素人にはどれから聴けばいいかわからないが、幸いにもブルーノートやリヴァーサイドからも
リリースされているので、お馴染みのこのレーベルあたりから入るのがわかりやすい。ブルーノートの話はまた別途するとして、今回はこの
リヴァーサイド盤である。オリジナルはEMPIRICALというレーベルの10インチで、こちらはライセンス販売になるそうだ。リヴァーサイドは
レーベル立上げ期に自社録音音源が少なかったので、最初はこういう他社ライセンスのレコードを作って売るところからスタートしている。

ニュー・オーリンズやディキシーランドのジャズはアメリカの他の音楽と同様、ブルースやラグタイムなどの原初の音楽から派生した音楽だが、
それらに最も近い距離にある。奴隷制度の過酷な生活の中から生まれたそういう音楽が表現する苦悩を一旦後退させて、白人や白人との混血たち
が好んだ軽い音楽と入り混じることで発展してきた。そのため、注意深く聴くといろんな音楽的要素が随所に練り込まれているのがわかる。

特に、このラグタイム・バンドの演奏はそういう元々の特質に加えて、ある種の洗練さを身に纏っている。それはまるで上質な麻の生地で作られた
ボタンダウンのシャツのような質感だ。苦々しい生い立ちは人目に触れないようにして、成熟した音楽へと昇華することで、人々を楽しませる
一流の芸術として生まれ変わることができた。だから、一見陽気な雰囲気の中にもそこはかとない哀しみのようなものがうっすらと漂い、それが
心地よい哀愁となって聴く人の心を癒す。ルイ・アームストロングのように強烈でわかりやすい個性で売らず、純粋に音楽的で控えめだった
ジョージ・ルイスの音楽がここまで大きくなったのは、そういうところがあったからだろうと思う。

スマホ片手に「続・公爵備忘録」を睨みながら、トラッド・ジャズのレコードを漁ると迷いがなくていい。これに勝る手引書は他にないのだ。


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ハードバップとしての最後の仕上げ

2020年06月04日 | Jazz LP (Riverside)

Cannonball Adderley / Plus  ( 米 Riverside RLP 388 )


ファンクへと舵を切る前に、ハード・バップの総決算として録音したキャノンボールの傑作。音楽の雰囲気は完全にブルー・ノートで、リヴァーサイド
のイメージとはあまり合わない。マイルスに倣って自己のバンドを作ったが、メンバーがまだ安定せず、バンドとしての音楽ポリシーが固まる前の
時期だが、それが却って功を奏したかたちになっている。

キャノンボールはビル・エヴァンスとの共演でそのピアノが気に入ったのだろう、まずはヴィクター・フェルドマンに声を掛けている。黒人ピアニスト
にはないフィーリングをバンドの中に入れたかったのは明白で、フェルドマンは期待を裏切らない見事なピアノを弾いている。この時期、他にも
ボビー・ティモンズやバリー・ハリス、このアルバムのようにウィントン・ケリーなどリヴァーサイドお抱えのピアニストも試しているけれど、
私はフェルドマンとのコラボが1番良かったと思う。だから長続きしなかったのは残念だ。

フェルドマンはピアニストとしては独特の和声感を持っていて、それが彼の演奏を他から一段上へと際立たせているけど、ヴィブラフォンに回ると
没個性的になってさほど面白くない。このアルバムでもケリーがピアノを弾く曲ではヴァイブに回っているけれど、これはちょっともったいない。
ケリーに罪はないけれど、同じポジションに2つの才能を置くのは作り方としてはあまり上手いやり方とは言えない。フェルドマンだって自分の
存在意義に疑問を持ってしまうだろう。

このアルバムのいいところは、楽曲のテーマ部にリフだけで済ますことなくきちんとオリジナルのメロディーがあり、それらにハード・バップ
固有の哀感が込められていることや、メンバーのソロがしっかりとしていて、演奏全体が上手く纏まっているところだ。パーカーの愛奏曲を
両面に取り入れるなど、構成の意図も明確。リヴァーサイドのいろんなアルバムで存在感を見せるサム・ジョーンズのベースの音もうまく録れて
おり、サウンド面も良好だ。

音楽教師でもあり、有能なプロデューサーでもあったキャノンボールの知性が上手くブレンドされた良質なハードバップとして、もっと評価
されていいアルバムだと思う。


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管楽器の生々しい音を愉しむ

2020年05月24日 | Jazz LP (Riverside)

Cannonball Adderley / Alabama Concerto  ( 米 Riverside RLP 1123 )


ジョン・ベンソン・ブルックスは40年代にレス・ブラウンやトミー・ドーシーに編曲や自作を提供するなどしていたいわゆるアレンジャーで、
ギル・エヴァンスと親交があった。ギル・エヴァンスはブルックスが書いた "Where Flamingos Fly" を好んで取り上げるなど、2人は仲が良かった。
ジャズの世界では Vikレーベルに1枚だけ残した "Folk Jazz U.S.A." で知られている。

その彼が南部の田舎で暮らす人々の生活を題材に書いた組曲 "アラバマ協奏曲" をキャノンボール、ファーマー、ガルブレイス、ヒントンの4人が
演奏したのがこのアルバム。ジャズのレコードではこれ以外には録音はないんじゃないだろうか。まあ、究極のマイナーアルバムだ。
4部構成で、譜面に込められたブルックスの想いを読み取ることができる知的な演奏家が必要ということで、この4人に白羽の矢が立ったようだ。

各楽曲はジャズのスイング感は希薄だが、元々のコンセプトがインプロヴィゼーションを中核にしながらもジャズの音楽を狙ったわけではない、
ということで、これはこれでいいらしい。"ポーギーとベス" のように歌があるわけではなく、インストだけで普通の人の生活を物語るというわけ
だから、これはなかなか難しく大変な仕事だと思うけれど、4人の一流はさすがにしっかりとした演奏で、じっくりと聴かせる。

ピアノとドラムがなく、ギターとベースは軽くオブリガートを付ける程度なので、実質的にはアルトとトランペットの無伴奏による二重奏という
内容となるため、管楽器の演奏には一定の腕が必要になること、そして、そういう内容だから管楽器の音が上手く録音されていなければいけない。
そう考えると、このアルバムは成功していると言える。特にキャノンボールのアルトは素晴らしい演奏だし、そういう演奏をリヴァーサイドの
ステレオ・プレスが実に生々しく再生してくれる。このレコードの音質はクリアで、楽器の音が非常にくっきりとしている。

普通の4ビートでスイングする音楽ではないので、そういう基準で聴いてもこのアルバムの良さはわからない。これはキャノンボール・アダレイと
アート・ファーマーという2つの知性が奏でる楽器の生々しい音をまるごと愉しむアルバムだ。リヴァーサイドのステレオ盤、サイコー!という
ノリで音量を上げて聴くとよい。


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版違いを愉しむ

2019年12月31日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Sunday At The Village Vanguard  ( 米 Riverside RLP 9376 )


古い音源は経年の中で版権の所有者が移り変わる。芸術作品とは言え、それは商品。売れるものは不思議な巡り合わせで人々の手を経ていく。
その中で過去のものと差別化を図るために、都度仕様に手が加えられていく。そこに差異が生まれ、その違いが人々を困惑させる。
どれが初版か、どれが1番音がいいか。

でも私は困らない。どちらかと言うと、楽しい。同じ演奏を微妙に違った音場感で聴き比べるのが楽しいのだ。それには高級なオーディオは
必要ない。版の違う音盤が何枚かあれば、それでいい。我が家のオンボロ機器でも十分違いは聴き取れるのだ。RLP規格のステレオプレスと
国内盤のレギュラープレス、そしてモノラルプレス、果たしてどういう違いがあるだろうか。

このステレオプレスを聴いて最初に感じるのは、非常に自然な音場感だということだ。昨年も似たようなことを書いた気がするが、
ヴァンガードでのライヴの録音はきっとステレオだったのではないか。モノラル録音を疑似的にステレオにした音には聴こえない。

よく知られているように、この録音はトリオのヴァンガード公演の最終日に急遽行われた。事情はよくわからないが、急ごしらえだったらしい。
そのような中で果たしてモノラル、ステレオの両方で録音されただろうか。

ピアノは右のスピーカーから主に鳴り、ベースとドラムは中央に定位する。実際にステージで演奏されているのを聴いているような音場感だ。
楽器の音はどれもクリアで、極めて自然な雰囲気である。1つ1つの音の分離がいいため、エヴァンスの和音がきれいに響いて、モノラル盤を
聴いている時とは楽曲の印象が少し違う。 "All Of You" や "My Man's Gone Now" のようなブロックコード主体で弾かれる楽曲の建付けが
よくわかり、エヴァンスがやろうとしていたことがよくわかるようになった。これが一番の収穫ではないか、と思う。

モノラル盤と比べると音圧が低いのでボリュームをかなり上げて聴くことになるけど、音量を上げてもうるさく感じることはない。




Bii Evans / Sunday At The Village Vanguard  ( 日本 ビクター音楽産業 VIJ-114 )


80年代半ばにプレスされたビクターの国内レギュラー盤。盤に厚みがあって、上記ステレオ盤と重量が変わらない。但しジャケットが如何にも
カラーコピーです、という感じなのがいただけない。

RLP9376のすぐ後に聴くとピアノやベースの音が少しくすんでいて、音像がややにじんでいるのがわかる。その分、ライヴとしての臨場感は劣る。
その代わりと言ってはなんだが、ベースの音量がかなり大きくなっていて、3人のバンドとしての纏まり感が増している。RLP9376は音の分離が
いい分、3人はそれぞれ独立した個として演奏しているが、こちらはバンドとして一体感を持って突き進んでいく感じがする。不思議なものだ。

同じステレオプレスにもかかわらず、RLP9376とはまた違う印象の演奏に聴こえる。つまり、別テイクの2種類の演奏を聴いた感じが残る。
なんだか、得をした気分だ。

不思議なのが、"Waltz For Debby" のビクター盤 VIJ-113 と比べると、楽器の音の艶が全然違うこと。ワルツのほうが楽器の音に艶があり、
残響も多い。同じ時期の製造なのに音場感が全く違うのが不思議だ。元のマスター音源の違いに起因しているのかもしれない。サンデーは常に
2番手の評価で地味な印象があるのは、こういうところに依っているのかもしれない。




Bill Evans / Sunday At The Village Vanguard  ( 米 Riverside RLP 376 )


お馴染みのモノラル初版を改めて聴き比べてみる。ステレオでは中央に位置していたベースとドラムが中央からは居なくなり、ピアノと同じ場所
から演奏が聴こえるようになる。この音源は元々 "Gloria's Step" の開始まもない箇所でテープの傷みから音がぐにゃっと曲がる箇所がある。
ステレオ盤ではその歪みが顕著ではっきりとわかるが、モノラル盤は音が歪むことは歪むのだが、ステレオ盤ほど酷くはない。
このことからも、モノラルマスターはステレオマスターをベースに作られたんじゃないか、という気がするのだ。

このモノラル盤はステレオ盤と比べるとピアノの音の劣化は目立たないが、ベースの音は大きく落ちる。ステレオでは弦のビリつきがリアルに再生
されるが、モノラルではベースの音像はぼやけて音の輪郭がなくなっている。但し音量そのものは確保されているので、モノラルプレスのベース
としてはこんなもんかな、という感じで違和感はない。あくまでステレオ盤と比較した場合の差異という話だ。このベース音の欠点はイコライザー
カーヴをRIAAからffrrに切り替えることで大きく改善する。ワルツ同様、この盤もRIAAでは真価を発揮しない。

我々のような古いレコードを日常的に長く聴いている人間には、このモノラルの音場感は身体に染み付いたものなので違和感がない。
逆にステレオの分離の良さや楽器の音の艶に新鮮な驚きを感じることができ、新しい別の演奏を聴けたような気がして儲けものだという感覚だ。
そこが愉しいのである。この中でどれが一番音が良いか、という話には興味がもてない。


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異様なほどの静けさ

2019年08月14日 | Jazz LP (Riverside)

Chet Baker / Chet  ( 米 Riverside RLP 12-299 )


ラーナー&ロウ集の半年前に同じメンバーによって録音されたもう1つのアルバムで、こちらは一般的なスタンダードで固められた。 ペッパー・アダムス
のバリトン、ハービー・マンのフルートという人気のない2人が入っていて、楽器の組み合わせとしても異色な構成だが、これが不思議とベストマッチな
相性を見せている。 そして極めつけはビル・エヴァンスで、このしっとりと落ち着いた雰囲気は "Blue In Green" や "Flamenco Sketch"の世界観だ。

異様に遅いテンポの中、管楽器を重奏させずに各々のソロを繋いでいくやり方がこのアルバムの成功の要因だ。 特に目立つのがペッパー・アダムスの
深く重い音色で、トランペットやフルートの高音域帯との見事な対比を見せる。 エヴァンスも極力音数を減らし、全体的に隙間が多く、広い空間が
拡がっていく。 弾かないこと、吹かないことに徹する美学に貫かれたアルバムだ。

チェットのトランペットはヴィブラートが一切ないフラットな音で、金属感のない柔らかい音色で非常に安定している。 こういう音色はマイルスや
チェット以外では聴いたことがない。 チェットが楽器の演奏についてどう考えていたのかは語録が見当たらないのでよくわからないけれど、人と違う
音を手に入れるためにはそれなりの苦労があったのだろうと思う。

ジャズの喧騒感とは一切無縁のこの静かさは一体どこから来るのだろうか、と聴く者を考え込ませてしまう何かがここにはある。 元々チェットの作品
には独特の静寂感があるけれど、これはちょっと行くところまで行った感がある。 リヴァーサイドの制作陣がチェットのそういう特質みたいなものを
わかった上でこれを作ったのだとすればすごいことだ。 このレーベルにはこういう作品を作る芸術的に秀でた力があり、それがブルーノートや
プレスティッジとは一味違うところだったのだと思う。






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アラン・ジェイ・ラーナーとフレデリック・ロウ (2)

2019年08月13日 | Jazz LP (Riverside)

Chet Baker / Plays The Best Of Lerner And Loewe  ( 米 Riverside RLP 12-307 )


ラーナー&ロウ作品集と言えば、ジャズ界ではこれが一番知られているのではないだろうか。 但し、それは内容が優れているからということではなく、
目にする機会が圧倒的に多いからである。 このレコードはとにかくよく出てくる。 比較的足も速くて程なくして店頭から姿を消すけれど、またすぐに
出てくる。 売りやすく、買いやすいレコードということだ。 これはとてもいいことだと思う。 回転が速いというのはそれだけ愛好家の手に触れる
機会が多いということだし、店側にとっても儲けが出やすい。 中古レコードというのは売る側にとっても買う側にとっても回転率が命なのだ。

このアルバムには "The Heather On The Hill" という名曲が入っていて、チェットが静謐なバラード奏法で悩殺してくる。 ラーナー&ロウの曲は
おふざけモードの楽曲がある一方でこういう素晴らしい名曲もあって、その辺のバラエティー感が当時は受けたのかもしれない。 ガーシュインや
アーヴィング・バーリンのような大家ではなく、通好みのソング・ライター・チームとしてアルバムも作りやすかったのかもしれない。

東海岸のレーベルにとって50年代後半のチェット・ベイカーは喉から手が出るほど欲しい存在だったようで、リヴァーサイドも豪華なメンバーを揃えて
チェットのレコーディングを御膳立てした。 たくさんの管楽器がいる割には変なアレンジを施さずに全体を上手くまとめたセッションに仕上げている。
有名なメンバーを要所要所で登場させる贅沢な作りになっていて、まるで後期スティーリー・ダンのようだ。 チェットはドラッグ漬けで体調が悪かった
ようで、基本的には原曲のメロディーをなぞるように吹き流すだけだが、そこがかえって良かったように思う。 イージーリスニング風にもならず、
不思議とジャズのとてもいい雰囲気に満ちた作品になったのは幸いだった。

風呂場で録音したような過剰な残響感は評価が分かれるところだが、私はこの奇妙なサウンドが結構好きだ。 変にデッドで乾いた音場感でなくて逆に
良かったと思う。 チェットの妖しい雰囲気、ペッパー・アダムスの深いバリトンの音色、エヴァンスの知的なタッチがよく映える音場感になっている。
リヴァーサイドらしい柔らかい質感がとてもいいと思う。


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ベニー・ゴルソンの復習 ~その2~

2019年07月07日 | Jazz LP (Riverside)

Blue Mitchell / Out Of The Blue  ( 米 Riverside RLP 12-293 )


ブルー・ミッチェルと言えば "Blue's Moods" ばかりが人気で、それ以外はほぼスルーされる。 でもこのアルバムなんかはそれにも負けない内容を
誇る傑作だ。 にもかかわらずそういう話にならないのは、おそらくこの内容をブルー・ミッチェルのリーダー作として語ることの難しさにある。
このアルバムはベニー・ゴルソンの強い影響下にあって、ミッチェルの輝かしい音色だけでこの音楽を語り切るのは十分ではないからだろうと思う。
聴き終えた後、これは一体誰のアルバムなんだ?という戸惑いを感じる人がいてもおかしくない。

ベニー・ゴルソンのくすんだ音色とブルー・ミッチェルの明るい音色は対照的なのでここではゴルソン・ハーモニー色はさほど見られないけれど、それでも
ハーモニーは2管だとはとても思えないほど豊かで、ワンホーンのアルバムでは決して手に入れることのできない充実感を得ることができる。
ゴルソンが入ると普通のハードバップとはまったく違う新しい雰囲気に染まるところが凄いと思う。

B面1曲目のミッチェルが書いた "Sweet Cakes" が非常に魅惑的な名曲で、テーマ部をゴルソンと共に演奏するところは圧巻だ。 そしてロンネル・
ブライト作のスロー・バラード "Missing You" ではミッチェルの切ないソロとゴルソンのずっしりと重いトーンの対比が見事で、音楽に深い陰影を
もたらす。 ゴルソンがいることで、この2つの名曲は更に深い感動をもたらしてくれる。 このレコードは音質も素晴らしくて、音楽の魅力を
最大限に引き出してくれる。 どこを切り口にしても深く満足できるとてもいいアルバムだ。

ウィントン・ケリーやサム・ジョーンズというリヴァーサイドお抱えのメンバーに支えられた5人の纏まり感は素晴らしく、この上質さはこのレーベルで
しかきくことはできないだろう。 そして、その中核にいるのは物静かで控えめなベニー・ゴルソンであることは間違いない。 こういう風に、彼の
存在が作る影は至る所に見ることができる。 その足跡を辿っていくのは愉しい。


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斜陽、諦観、So Sorry Please

2019年06月01日 | Jazz LP (Riverside)

Red Garland / Bright And Breezy  ( 米 Jazzland JLP 48 )


表舞台から姿を消す1年ほど前に録音されたしみじみと聴かせる演奏で、ガーランドのその頃の心境がにじみ出ているかのようだ。 演奏自体は明るく
元気はいいが、50年代の演奏とは少し違う雰囲気が漂う。 それはレーベルが変わったせいかもしれないし、バックの面子が違うせいかもしれない。
ただ、バラードでは極端にテンポを落とし、シングルノートを多用するなど、奏法自体にも変化がみられる。 それらを聴いていると、「斜陽」という
言葉が浮かんでくる。 

このアルバムはバド・パウエルの "So Sorry Please" で幕を閉じる。 これがパウエルそっくりの演奏で非常に驚かされる。 2つを聴き比べてみても
どちらがどちらの演奏なのかがわからないくらいよく似ている。 ガーランドはレコーディング・デビューした時には既に自分のスタイルが完成していて、
パウエルの影はどこにもちらつくことがなかった。 そういう稀代のスタイリストが、隠遁直前にまるでパロディのようにモダン・ジャズ・ピアノの開祖
そっくりに弾いてみせたのは、第一線から退く決意から出たジャズ界への愛嬌たっぷりの惜別の挨拶だったのではないか、とすら思えてくる。

そんな風に至る所で諦観の痕跡が見られるし、そこからくる切なさのようなものを感じ取ることができる。 それはごく微量で微かなものだけど、こちらも
年齢を重ねてくるとそういうものに自然と敏感になってくる。 若い頃に聴いた時は覇気のないつまらない演奏だと思っていたが、時間の経過が自分に
とっての音楽の価値を変化させていく。 人の数だけ音楽評はあると言われるけれど、実際は時間の流れの中でも評価は移ろいゆく。 作品の内容にうまく
感応するタイミングで聴くことが出来さえすれば、この世につまらない音楽なんて存在しないと思えるのかもしれない。


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2度目の欧州ツアーは大喝采の中で

2019年05月04日 | Jazz LP (Riverside)

Thelonious MMonk / Two Hours With Thelonious ~ European Concerts By Thelonious Monk  ( 米 Riverside RM 460/461 )


1961年の春、モンクはレギュラーグループを引き連れてジョージ・ウェインが主催した2度目の欧州ツアーに出かけた。 この時期、欧州ではモンクは
巨匠としての評価が確立していて、各国でのコンサートは熱狂をもって迎えられた。 およそ1ヵ月の滞在で、そのうちのミラノとパリでの公演の一部が
ここには収録されている。 

お馴染みのモンク・レパートリーが並び、チャーリー・ラウズが口火を切り、モンク、ダンロップ、オアらが順番にソロを取り、最後はまたラウズに戻って
曲が終わる。 観客の大喝采を受けていたし、ミラノではこの都市最古のオペラハウスが用意され、オフの時間はリムジンや一流ホテル、高級な食事が
あてがわれる歓待を受けて、モンク・カルテットは絶好調の演奏をしている。 特に目立つのはラウズの傑出した演奏で、中庸でいながらモンクの曲想を
上手く表現するフレーズを自由に操る様子は圧巻だ。 完全にモンクの音楽に溶け込んでいて、もはや不可分の状態になっている。 ドラムのフランキー・
ダンロップはモンクに鍛えられて育った人で、素晴らしいリズム感で曲をドライヴしている。

モンクのピアノも朗らかで打鍵も強く、キレのいいスピード感があって、とても調子が良かったようだ。 このカルテットの演奏は古いジャズを基盤にして
作曲されたモンクの曲を非常にモダンで抽象的て多層化した音楽へと昇華しており、成熟した独特な感じは筆舌に尽くし難いものがる。 ライヴという
こともあって、弾けるような張りの良さとグループとしての強固な纏まり感も際立っていて、あまりの見事さに言葉を失ってしまう。 凄い演奏だ。
この時のツアーを見た現地の評論家が「これまでで最高の体験だった」と語っているけれど、これは社交辞令ではなかったんだろうと思う。

当時、リヴァーサイドの財政状況の悪化は深刻な状態で、倒産への坂道を転がり始めていた。 アメリカ国内でのレコード販売数が伸び悩んでいたため、
欧州フォンタナ社とライセンス契約を結び、他社よりも積極的に欧州販売を進めようとしていた。 この時もロンドンにいたビル・グロウアーが急遽
ミラノへやってきて、当初は予定になかったこの公演の録音をすることにしたらしい。 リヴァーサイドは2重帳簿を作って粉飾決算を繰り返していて、
モンクへの報酬の支払いもごまかしていた。 そのせいでモンクとキープニューズの関係は破たんしていて、モンクの代理人は新たなレーベルとの
契約に向けて動き出していた。 そういうゴタゴタした時期だったということが信じられない、とても素晴らしい演奏が収められている。

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リヴァーサイド傍系レーベルの謎 2

2019年05月02日 | Jazz LP (Riverside)

Frank Strozier / Long Night  ( 米 Jazzland JLP 56 )


リヴァーサイド傍系レーベルの中では最も太い支流であるJazzlandレーベルは、次世代の若手や新しい感覚の音楽の受け皿として用意されたようだが、
実際はアバウトなラインナップになっていて、本流との境界線は曖昧。 今の感覚で見ると、レーベルを分ける必然性は感じられない。 本流の再発も
出したりするものだからリヴァーサイドの廉価レーベルのようなイメージが付いたりして何となく虐げられてしまっているけど、内容の優れたものが結構
残っていて無視できない。

実力の割になぜか評価されないフランク・ストロージャーが初々しい傑作を残したのもこのレーベルだった。 フィル・ウッズ直系の都会的なアルトが眩い
光を放っていて、これは圧巻の内容だ。 ブラインドで聴けばおそらく全員がフィル・ウッズと答えるはず。 またこのタイトルは録音が際立って良く、
最高の音質で鳴る。 ゆったりとしたバラード調の曲が多く、都会の夜を想わせるしっとりとした大人のジャズになっていて、どこを切っても満点の内容
であるにもかかわらず、暗いジャケットデザインと地味なメンバーのせいで名盤の選から漏れてしまった不幸なアルバムだ。 

そんなわけで私はこのレーベルが結構好きなのだが、面倒なことに本流と同様に橙大レーベルと橙小レーベルの2種類あって、どちらが初出なの?という
疑問が付いてまわる。 更にやっかいなことに、タイトルによってはどちらか1種類しかなかったり溝の有り無しが絡んだりして、仕様の不統一さは本流
以上に混迷していて、そこには規則性のようなものも見られない。

このストロージャーのアルバムは大小の2種類があって、どちらが初出なのかはわからない。 写真の大レーベルの方が数は少ないような気がするけれど、
音質はどちらもあまり違いがないような気がする。 好きなレコードだから白黒はっきりさせたいけれど、こういう小さい支流になるとわざわざ踏み分け
入って釣り糸を垂れる人も少ないから、情報も見当たらない。 カギは本流側の基準にあるんだろうけど、それ自体が不明確だからお手上げなのである。


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リヴァーサイド傍系レーベルの謎

2019年04月29日 | Jazz LP (Riverside)

Kenny Drew / A Harry Warren Showcase  ( 米 Judson L 3004 )


リヴァーサイドはいくつか傍系レーベルを持っていて、本流のアーティストがスピンアウト的にアルバムを残していたりする。 この傍系レーベルの基準や
運営方針みたいなものはイマイチよくわからないけれど、どうやら本流は正統派のハードバップで、そこから少し外れるようなポップス的なものや
ニュージャズ的な感覚のものは傍系で、という感じで使い分けていたらしい。 ただ、その振り分けもかなり曖昧な感じで厳格なものではなかったようだ。

この Judson というレーベルはいくつかある傍系の中では最もジャズから遠い音楽を収録していたもので、聞いたことのないアーティストのレコードが
少しばかりリリースされているけど、その中でなぜかケニー・ドリューのアルバムが2枚残っている。 ハリー・ウォーレンやハロルド・アーレンの作った
スタンダードをウィルバー・ウェアとのデュオでカクテル・ピアノ・スタイルでさらっと弾き流していて、明らかにBGM目的で作られた内容だ。

50年代の主要レーベルでこういうジャズというスタイルを通してBGM風の音楽をレコードとして出していたのは実は珍しくて、時代を先取りしたような
感じがある。 当時の各レーベルはガチンコなジャズのレコードを作るのが当たり前で、こういうビジネスライクなレコードをリリースするというのは
近年のジャズ・ビジネスの匂いがして、リヴァーサイドの共同経営者だったビル・グラウアーの意向だったのかもしれない。 プレスティッジにも Moodsville
シリーズがあるけど、あれはラウンジ・ミュージックというのではなくもっとどっぷりとしたジャズになっていて、雰囲気は全然違う。 プレスティッジの
XXXXvilleシリーズは当時のアメリカのリスナーの特定のジャンルに特化したレコードが聴きたいというニーズを反映して作られたものという感じだが、
リヴァーサイドの場合はレーベル側から人々に生活スタイルを逆提案するようなところがあって、まるで現代のオシャレ系雑誌のそれを彷彿とさせる。 
いずれにせよ、こういう傍系レーベルの運営には当時のアメリカ社会の人々の生活感が垣間見えるようなところがあって、なかなか興味深い。

そういうレーベルの意向を汲んでのことか、元々そういう資質があったのか、ケニー・ドリューは軽い音楽に徹した演奏に終始している。 これを聴いて
思い出すのは、80年代に日本のBaystateレーベルが作った "By Request" シリーズだ。 コアなジャズファンからは軽蔑されるああいう一連の仕事も
実はリスナーの間には常に一定のニーズがあり、初心者にジャズを紹介するという役割も果たしており、レコード会社のマーケティングは決して間違っては
いないだろうと思う。 実際のところ、ちゃんと聴いてみるとしっかりとした正統派のジャズになっていて、私は案外嫌いじゃない。


そんなわけで、このレコードの音楽には特にそれ以上話すべきところはない。 前置きが長くなり過ぎたけれど、本題はこのレコードの初版はどれ?
ということである。 写真のレーベルはいわゆるリヴァーサイドの "小レーベル" だけど、このレコードには "大レーベル" も存在するのだ。
で、どちらがオリジナルなの? というマニアな疑問が出てくる。

見かける頻度は大レーベルのほうが圧倒的に多く、もう処分して手許にはないから記憶は不確かだけど、大レーベルのランアウト部分にはパテント番号が
あったように思う。 家にある写真の小レーベルにはパテント番号がなく、手書きで RLP 12 813 と書かれたものが上から横線で消されて、L-3004 が
手書きで追記されている。 つまり、このレコードは当初は本流レーベルのRLP規格で出される予定だったが途中でJudsonからのリリースに変わった、
ということで、こういうのは割とよくある話である。

安いレコードなので一時期大小両方を持っていて、聴き比べたら小レーベルのほうがピアノが生音に近い感じだったので大レーベルのほうは処分した。
もちろん聴き比べてみて初めて気が付く程度の差でしかないレベルだったけれど、果たしてどちらが初出なのだろう。 そもそも、リヴァーサイド本体の
青大レーベルと青小レーベルの件だって、あのタイトルは青大がオリジナル、このタイトルは青小がオリジナル、という今の定説の根拠が私にはイマイチ
よくわからない。 昔からそう言われているから「ふーん、そうなのか」という程度の理解でしかないのだ。 また、ユニオンの廃盤セールリストにはよく
「PAT番号あり」という記載があるけど、パテント番号はオリジナルの根拠にはならないだろう。 あれも何の意図で記載しているのかよくわからない。

プレスティッジも難しいけれど、リヴァーサイドもいろいろと難しい。

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ジミー・ヒースの私的愛聴盤

2019年03月16日 | Jazz LP (Riverside)

Jimmy Heath / On The Trail  ( 米 Riverside RM 486 )


ジミー・ヒースはリヴァーサイドにたくさんレコードを残していて、我々にとってはエサ箱の常連なので見る機会の多いアーティスト。 私も結構たくさん
聴いてきたけど、結局手許に残っているのはこのアルバムだけになってしまった。 ウィントン・ケリー、ケニー・バレルらがバックを支えるワンホーンで、
ジミーのテナーは冴え渡っている。 このアルバムはこの人の実像をヴィヴィッドに伝えてくれる素晴らしい内容だと思う。

抜群に上手いテナーを吹くし、作品もたくさん残っているから、もっと人気があっても良さそうなものなのにイマイチなのは、モダンの主流からは微妙に
外れたアーシー一歩手前の音色と感覚を持った独特の位置感のせいだろう。 その音色とフレーズはどこかテキサス・テナーを連想させるけれど、決して
そこまでバタ臭くなく、かと言って都会的ということもなく、音楽的にも目立った特徴が見られることもく、全体的にグレーゾーンにいた人だ。
マイルスはバンドメンバーに穴が開いた時によくこの人を臨時で使ったけど、常設メンバーに抜擢されなかったことからもその感じがよくわかる。

でも、ここでは目から鱗が落ちるような明快なハードバップを披露している。 何にも気兼ねすることもなく、自然体で非常に上質な音楽で圧巻の仕上がり。
なまじ作曲や編曲ができたからアルバムには色々と趣向を凝らしたものが多い中、このワンホーンはプレーヤーとしての力量がそのまま発揮されている。
サックス1本で全曲最後まで飽きさせずに聴かせるのは難しいことで、それができたのは限られたビッグネームだけだろうと思うけど、このアルバムは
そういう名盤群に入れても何の遜色もない。

中でも、サラ・ヴォーンが好んで歌った "Vanity" と "I Should Care" のバラードが最高の出来。 この人にはバラード・アルバムを作って欲しかった。
これを聴けば、誰しもそう思うだろう。

おまけに、このレコードは最高に音が良い。 オルフェウムはこういうのがあるから、決してバカにしちゃいけない。 

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