廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

キャノンボール・バンドの凄み

2022年05月08日 | Jazz LP (Riverside)

Cannonball Adderley / Jazz Workshop Revisited  ( 米 Riverside RS9444 )


キャノンボールはやはりリヴァーサイドがいい。この前のエマーシー/マーキュリー時代やリヴァーサイドが倒産して止む無く移籍した
キャピトル時代のものはレーベル側の意向が優先されたアルバムが多く、キャノンボールの姿はあまりよく見えない。

それに比べて、リヴァーサイド時代は彼が当時考えていた音楽がそのままパッケージされていて、本当に自由にやっているのがよくわかる。
それはオリン・キープニューズが音楽は音楽家の物だと考えて、彼らの意向を最優先にして自由にやらせたからだ。
そういうのは経営者としては失格だったのかもしれないけれど、音楽プロデューサーとしては最上の資質だったと思う。
それはこのレーベルに残されたアルバム群が証明している。とにかく、このレーベルは傑作の森なのだ。

コレクターたちが相手にしないこの時期のキャノンボールの演奏は、音楽的には非常に充実している。ユーゼフ・ラティーフを加えた3管に
ザヴィヌルのピアノを擁した音楽の質は極めて高く、独自の世界観に満ちている。彼は自身のバンドを持つことにこだわり続けた人だったけど、
メンバーがなかなか安定せず、そのせいで音楽水準を維持させるのには常に苦労していたが、人格者だったラティーフの人柄に惹かれて
バンドに迎え入れてからは束の間の安定をみせた。

オーボエやフルートでオリエンタリズムをグループに持ち込んだことで、ファンキー一色だったバンドのカラーは当然ながら変化する。
このライヴでも、そのミックス具合いが面白いようにわかる。冒頭でキャノンボールがこれから演奏する "Primitivo" という異色の曲が
どういう曲であるかを熱心に解説するところから始まる。そして、2曲目、3曲目は往年のビッグバンド・サウンドのような、とても3管とは
思えない分厚い重奏による楽曲が続き、B面に移ると名曲 "Jive Samba" がカッコよく演奏されたかと思うと、ナット・アダレイの
夢見るような珠玉のバラード演奏が披露され、最後は正統派ハード・バップで幕を閉じるという何とも最高のセットリストだ。
ジャズのライヴ・アルバムとして、こんなにも音楽的に充実した万華鏡のような内容はちょっと珍しいのではないか。
音楽的な引き出しの多さが圧巻だし、演奏力の高さも群を抜いていて、これは本当に凄いバンドだということが理屈抜きにわかる。

そして、ステレオ・プレスの音の良さが音楽のダイナミクスをヴィヴィッドに伝えてくれる。会場の空間表現に長けており、観客の熱気、
演奏家の息遣い、そして何より楽器の音色の新鮮さが際立つ。リヴァーサイドのキャノンボールはステレオ・プレスがいい。



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イタリアを巡る狂騒曲

2021年12月30日 | Jazz LP (Riverside)

Chet Baker / With Fifty Italian Strings  ( 米 Jazzlamd JLP 921S )


1959年の秋にチェットが欧州へ演奏ツアーに出かけた際、ミラノ滞在中に現地のスタジオで中規模の弦楽団をバックにスタンダードを
収録したアルバムで、レコードとしてはアメリカではJazzlandから、イタリアではCelsonからリリースされている。イタリア録音だから
Celsonがオリジナルだと一部では認識されているようだが、これは単なる誤解である。

当時、チェットはリヴァーサイドのビル・グラウアーとアルバム5枚分の録音をすることを約束していて(但し、当時の大方のミュージシャンが
そうだったように、正式な契約書類は取り交わしてはいない)、これはその中の1枚であるに過ぎない。このジャケットの裏側には「この新しい
ジャズランド・レコーディングについて」というタイトルでライナーノートが記載されていて、ミラノ滞在時に録音された演奏が2つのLPに分けて
リリースされたことが記されている。Celsonというレーベルは1947年に設立されたが、実質的に活動していたのは1951年までで、その後身売り
して別資本が経営しており、この時期はアメリカのレーベルのライセンス販売をしていた。プレスティッジからはマイルスやモンクなどの一部の
タイトルがリリースされているが、基本的には自社でジャズのオリジナル録音ができるような実力はなく、これも現地でレコードを売るために
グラウアーがサブライセンスを与えたに過ぎない。日本では欧州ジャズのバブル期に欧州盤なら何でも価格が高騰した中で、チェットの
イタリア盤が稀少だという話になり(当たり前だ、マーケットの小さい欧州ではプレス枚数は少ないに決まっている)、どさくさに紛れて値段が
釣り上がり、これがオリジナルとして誘導された。こうして目の眩んだコレクターたちは、そうとも知らずに、ズルズルと金をまき上げられた。

この演奏旅行からの帰国後まもなく、チェットはニューヨークで麻薬の不法所持で投獄され、キャバレーカードも没収される。6か月の判決
だったが、模範囚だったため4カ月で釈放された。グラウアーとの約束だった残りの1枚(Plays The Best Of Lerner & Loewe)を録音し、
アメリカでは演奏できなくなったチェットは欧州へ移住する。まずはパリでブルーノートに出演し、その後再度イタリアへ行く。
イタリアでも麻薬問題で度々警察・裁判沙汰を起こしており、それはもうひどい生活ぶりだったが、この時期に伊RCAに録音されたものは
イタリア盤がオリジナルということでいい。アメリカでは既に過去の人となっていたチェットのレコードを発売するレーベルはなかった。

そういう彼を巡る一連の狂騒曲とは裏腹に、このアルバムの彼はそれまでとは何一つ変わらない様子でトランペットを吹き、ドリーミーな
歌を歌っている。彼の当時の生活状況と対比した時のこの落差というか、コントラストの違いは強烈だ。まるで自分の身には何一つ関係ない、
と言わんばかりに夢見心地に歌っている。パシフィック・ジャズ時代の歌の雰囲気そのままで、驚きを通り越して、半ば呆れてしまう。
この不変ぶりには、ある種の異質性のようなものすら感じる。

長年の不摂生で外見はまるで別人のような姿に変わってしまっても彼がその後も長く演奏していけたのは、この内面にあったナイーヴさを
外界からうまく守り続けることができたからなのかもしれない。そういう保護能力のようなものはおそらくは天性のものだったのだろう。
自分の大切な内面には誰にも触れさせず、立ち入らせることを許さなかったからこそ、彼は演奏家で居続けることができたのかもしれない。

このJazzlandのステレオ盤の音質は良好だ。ハイファイさや音場感の広さという意味ではまだまだだけど、弦楽隊の弦の音がきれいに
再生される。こういう編成だから、ステレオプレスの方がいいのは言うまでもない。



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何か特別な楽曲たち

2021年05月30日 | Jazz LP (Riverside)

Freddie Redd / San Francisco Suite  ( 米 Riverside RLP 12-250 )


ある意味、非常にリヴァーサイドらしいアルバム。ピアニストの創造性を尊重し、オリジナル楽曲を核にしたコンセプチュアルなアルバムを作る。
ブルーノートやプレスティッジでは見られないタイプのアルバムだろう。ドン・フリードマンのデビュー作なんかもそうだが、このレーベルは
アルバムを1つの作品として考える傾向がより顕著だったように思う。

フレディー・レッドはピアニズムで聴かせるピアニストではなく、作曲能力で聴かせるアーティストだ。ピアノの演奏には特に美質は感じられず、
感銘を受けるところは何もないが、この人が作った楽曲には何か特別なものがあった。その何かが、このアルバムには凝縮されている。

アルバム・タイトルにもなっている組曲は、サン・フランシスコの何気ない日常の心象風景が綴られている。名所の風景、ケーブル・カーが走る
チャイナ・タウン、海辺の情景、眠らない深夜の生活、そして明け方の街。ジャズという大衆音楽の中にこういう文学性を取り込んだアルバムは
おそらくこれが最初だったかもしれない。

"Minor Interlude" でのベン・タッカーが弾いた有名なベース・リフは、その後多くのミュージシャンやアレンジャーたちにコピーされた。
彼がそういう素晴らしい演奏を生み出せたのも、レッドの書いた楽曲の良さがあってのことだろう。

1957年に作られたこのアルバムには、単純なコード進行の上にアドリブが乗る大衆音楽としてのジャズが、やがては高度化し多様化することに
なる萌芽が見られる。ちょうど57~58年辺りがジャズにとっての1つの分水嶺で、この時期に一部の才能が徐々にジャズを次のステージへと
発展させていくことになる訳だが、このアルバムも地味ながらもそういうところへ貢献したんじゃないかと思う。


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愛すべき小品

2021年05月23日 | Jazz LP (Riverside)

Kenny Drew / Jazz Impressions Of The Rogers And Hart "Pal Joey"  ( 米 Riverside RLP 12-249 )


とても愛らしい作品。このジャケットは好きだな。色使いが品がいいし、ミュージカルの躍動感が控えめながらも上手く表現されている。
エサ箱で見かけるとちょっとうれしい気分になるレコードではないか。

内容もしっかりとジャズに寄った作品で、それはウィルバー・ウェアとフィリー・ジョーのリズムセクションの重量感が効いているからだ。
ドリューのピアノはもともと軽く、個性がない。だから普通に弾くだけではそのピアニズムはあまり印象に残らないけど、こうしてリズムが
しっかりとしていると没個性な面が逆に作用して、リズムを上手く引き立てる。

ロジャース&ハートの屈託のない朗らかな曲想がストレートに表現されていて、音楽としてしっかりと聴かせる内容になっているのがいい。
大作主義ではないリヴァーサイドらしい作りが功を奏した形だ。マイナーレーベルでよく見るタイプのスタイルではあるけれど、
そこはフィリー・ジョーの非凡なドラムの存在感が重く、一流の演奏へと格上げしている。

他のレーベルではこういうプリティーな小品はあまり見かけることはなく、そこがリヴァーサイドの魅力になっている。
我々のような古いジャズのレコードを愛する者は、こういうレコードを手にして聴いてきたことで育ってきたような面があるんじゃないか
という気がする。



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おそらくは間違えて出されたアルバム

2021年05月15日 | Jazz LP (Riverside)

Kenny Drew / I Love Jerome Kern  ( 米 Riverside RLP 12-811 )


RLP 12-811 という番号から、おそらくこの音源はリヴァーサイドではなく、傍系のジャドソン (JUDSON) からリリースする予定だったのでは
ないかと思う。同じくウィルバー・ウェアのベースとのデュオだし、作曲家シリーズという企画内容からも、それは容易に想像がつく。
ジャケット・デザインにしても、まったく同じ系統だ。レーベル・コンセプトがまだ十分に整理されていないレーベル初期のリリースなので、
こういう混乱が起こったのだろう。

演奏内容もまったく同じ系統で、真摯なジャズではなく、イージーリスニング志向のもので、特にそれ以上でもそれ以下でもない。
聴いても毒にも薬にもならない感じで、このレーベルの他の作品と同じような感動を求めても、それはここにはない。

ただ、それはケニー・ドリューがどうこうという話ではなく、あくまでもアルバム制作の目的がそういうものだった、ということで、
このアルバムを以ってこの人の才能云々を語ることは、当然ながら間違っている。こういうBGMとしてのジャズをやらせたら、
この人は一流の仕事をする、ということなのである。職業音楽家である以上、こういう仕事だって時にはこなす必要はあっただろう。

このあたりから白レーベルのフラットとグルーヴガードが混在するようになる。こういう仕様が混在する番号の盤はどちらがオリジナルか
という話になりがちだが、そういう話ではなく、仕様の切り替えが行われた端境期に当たっていたので両方の盤が混在しているだけだと思う。
生産ラインを止められないモノ作りの現場には普通にあることだ。マトリクスは同じで、音には何も差はない。
同じケニー・ドリューの "This Is New" 、ズート・シムズの "ZOOT !" 、セロニアス・モンクの "Brilliant Corners" なんかもそうだ。
コレクターはこだわるけれど、音楽を聴く上では何も関係のない話。気にする必要はないだろうと思う。



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ダブル・トランペットによる軽快さ

2021年05月08日 | Jazz LP (Riverside)

Don Elliott, Rusty Dedrick / Counterpoint For Six Valves  ( 米 Riverside RLP 12-218 )


マンデル・ロウのギター・カルテットをバックに、トランペット2本でカラッと乾いた空気感の軽快なスイングを聴かせる。ダブル・トランペット
である必要性みたいなものは特に感じないけれど、まあ一人ではアルバム1枚を持たせられないという判断だったのかもしれない。

テナーが2本の演奏だと無条件に「バトル」という言われ方になって自然と白熱したジャム・セッションのような演奏に化していくものだけど、
トランペットだとそういう感じにはならないのが不思議だ。音自体が軽く浮遊するからなのかもしれない。

モダンでもデキシーでもない、何と形容すればいいのかよくわからないタイプの音楽が展開されている。強いて言うなら、ボビー・ハケットの
音楽あたりが一番近いのかもしれないが、あそこまでスタイルがきっちりと仕上がっているわけではなく、個性があるわけでもない。
リヴァーサイドのレコードだから辛うじて手に取って貰えるのであって、これが地味なマイナーレーベルだったらおそらくは誰からも顧みられない
レコードとなっていただろう。好き嫌いは別にして、客観的にはそういう内容と言っていい。

ラスティ・デドリックはこのレコードしか知らないが、聴いていてどちらが彼の演奏なのかは私には判別できないので、どういうトランペッターと
言えばいいのかよくわからない。ただ、演奏はどちらも闊達で上手く、演奏の妙を楽しむことはできる。初版は10インチだったが、楽曲を追加して
12インチとして切り直されたのがこのレコードで、追加された中でワンホーンでスタンダードを吹いているのがドン・エリオットだが、
2本になった途端に判別が難しくなる。おそらく副旋律を吹いているのがデドリックなんだろうとは思うが、あまり自信はない。


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もう一つの唯一のリーダー作

2021年05月03日 | Jazz LP (Riverside)

Marty Bell / The Voice of Marty Bell, The Quartet of Don Elliott  ( 米 Riverside RLP 12-206 )


マーティー・ベルというヴォーカリスト唯一のアルバムで、ドン・エリオット、ボブ・コーウィンらがバックを務める。裏ジャケットの解説によると、
ベルは15歳の時にトランペットを始め、軍隊のバンドに在籍中はショーティー・ロジャースやレニー・ハンブロらと共に演奏していたそうだ。
その後、自身のトランペットの才能に見切りをつけてヴォーカルへ転向したが、こちらのほうもパッとしなかった。その歌声はボブ・ドローや
ジョー・デライズのような質感でお世辞にも美声とは言えないし、歌そのものも上手いとはとても言えない。ライナー・ノートでは "新しい才能"
として一生懸命売り出そうとする文章が躍っているが、正直言ってこれは品名詐称である。

まあ、そんな感じだからこれ1枚でシーンから姿を消すことになったのだろうと思うけど、ヴォーカルはちょっと横に置いて、バックのエリオットの
バンドがなかなかいい演奏をしているのが拾い物だ。エリオットはトランペットではなくヴィブラフォンをやっているが、ベースのヴィニー・バークの
低音がよく効いたサウンドが心地よく、上質なスイングを聴かせる。これはまずまずイケる。

タイトルの上でもエリオット・カルテットとして併記されているし、ライナー・ノートでもエリオットの紹介にかなりのスペースを取っているので、
リヴァーサイドとしてはこちらも売り出したかったのだろう。

リヴァーサイドは他のジャズ・レーベルよりも遅れてスタートしたため、当時の契約金額が安く、且つ活きのいい若手たちは既に他レーベルに
押さえられてしまっていて、スタート時は運営に苦労していた。過去のトラッド・ジャズ音源のライセンス販売などでカタログ補強をしながら
レーベルの顔となるモダン奏者たちを懸命に探していた。そういう苦労の過程が記録されたのがこれら一連の白レーベル時代だった。

程なくしてセロニアス・モンクをプレスティッジから引き抜き、ビル・エヴァンスを大物へと育てあげ、一介のローカル・ミュージシャンだった
ウェス・モンゴメリーに白羽の矢を立てることで一流レーベルへと急成長していくことになるわけだが、そういう人目に付く側面とはもう一つ別の、
いわば日陰の存在だった人たちのレコードもこうしてひっそりと残っている。


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唯一のリーダー作

2021年05月01日 | Jazz LP (Riverside)

Bob Corwin Quartet featuring Don Elliott  ( 米 Riverside RLP 12-220 )


ボブ・コーウィンは50年代の半ば頃、ドン・エリオットとグループを組んでいて、その頃の記録がこうして少し残っている。
ニューヨーク生まれで、歯科医になるために大学で勉強する傍ら、クラブで演奏していたところをエリオットから声を掛けられ、
共に活動するうちに歯科医になるのをやめて、ミュージシャンとして生きていくことを選んだ。

尤も、前へ出るタイプではなかったこともあり、フィル・ウッズなど白人ミュージシャンや歌手のバッキングを務めるのがメインで、
自身の名前を冠したリーダー作はこれしか残っていない。

指はよく回り、闊達な演奏だが、特に特徴があるわけでもなく、ピアニストとして大成するはずもなかった。
このアルバムではエリオットはトランペット1本に絞って演奏しているので、スコープが明快で典型的な平易な白人ジャズとなっている。
チェット・ベイカーがラス・フリーマンとやったワン・ホーンの演奏と雰囲気がよく似ていて、罪のない軽快なジャズだ。

リヴァーサイドの初期に特有の乾いた軽いサウンドで、ffrrカーヴで聴くと焦点がピタリと合って、心地よく聴ける。
何回聴いても特に印象が残ることもなく、褒めるべきところも貶すべきところもない内容だが、この時期のリヴァーサイドの初版は
プレス数が少なく、きれいなものもほとんど残っていないから、何となくレコード棚の中に残っている。そういう感じのレコード。


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短い季節の中で

2021年04月18日 | Jazz LP (Riverside)

Ernie Henry / Presenting Ernie Henry  ( 米 Riverside RLP 12-222 )


この3ヶ月、ジャズのレコードは結局1枚も拾えず、正に緊急事態でこれが長引いている。最近はもうジタバタしてもしかたがない、と
諦めていて、ジャズからは少し距離を置いている。手持ちの少ないレコードを、たまにターンテーブルに乗せる程度の日々。
このアルバムも頻繁に聴くということもなく眠っていたが、こういう機会に久し振りに聴いてみた。

Matthew Gee のセッションへの参加でレコーディング・デビューを果たした翌日に、この自身の初リーダー作を吹き込んだ。
レコード番号も繋がっていて、ジャケットの雰囲気といい、Gee のアルバムとは双子のような印象がある。
ドーハムら、リヴァーサイドお抱えの手練れたちにしっかりと支えられながらの演奏で、音楽的には手堅く纏まっている。
層の薄いアルトサックス奏者の中で将来を嘱望されたが、交通事故で31歳で亡くなってしまったのは何とも残念だ。

ソロ・スペースはドーハムの方が長く、本人はまだまだ不慣れな感じで頼りないが、それでも独自の個性の片鱗は濃厚で、イニシアティブを
取っているのはドーハムだけど、うねるようなフレーズで懸命について行っている様子が微笑ましい。

この人はパーカーとドルフィーのちょうど中間辺りにいる。パーカーのアルトが紆余曲折を経てドルフィーへと発展しているのは明白だけど、
その過程が一般的には見えづらく、そう言われても・・・という感じがあるわけだが、この人がその間に立っていたんだということがわかれば、
黒人モダン・アルトの系譜が見えてくる。パーカーのように吹くことは誰にもできないけれど、一生懸命に真似ているうちに、なんかこんな
感じになっちゃいました、という側面があったんじゃないだろうか。

黒人モダン・アルト奏者は偶然なのか必然なのか、みんな短命で、その音楽が十分に熟す前にハード・バップの時代は終わってしまった。
その刹那的な風景の一コマがここにもある。傑作などでは全然ないけれど、それでも存在自体が貴重この上ない、そういうアルバムだろう。


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OJCのビル・エヴァンス(7)

2020年12月27日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Waltz For Debby  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-210 )


さぞかし何度もプレスされているだろうと思ったら、1985年、2009年、2011年、2020年とのことで、意外に少ない。
手許には2種類あって、まずは1985年の厚紙ジャケットのもの。何だか複雑なマトリクスだ。

A面 OJC 210 A-G1A G1 A1 (F + AP)
B面 OJC 210 B1 (T) P T

ピアノの音は優しい音色だが、水に溶かした水彩絵の具のようにうっすらと滲んでいる。
ベースはくっきりとした輪郭、ドラムはブラシで触るシンバルの音が繊細な質感。
やはり、楽器の音よりも全体のバランスを重視したマスタリングだ。ラファロのベースのフレーズが一番よく聴き取れる。




Bill Evans / Waltz For Debby  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-210 )


こちらは薄紙ジャケットで、マトリクスが違う。

A面 OJC 210 A2 P (T)
B面 OJC 210 B1 (T) P T

ピアノの音色のクリアさが少し向上している。やはりマスタリングし直しているようだ。厚紙ジャケットのものよりも
ピアノが主役のバランスへと変更されている。

やはり、OJC盤はプレスのたびにこまめにマスタリングを見直しているようだ。最後は好みの問題に着地するので、
どちらを選ぶかは各人の判断になるだろうが、私はこの薄紙ジャケットの音の方が生理的に合っている。






このタイトルのオリジナルのステレオ盤は、ピアノの音がより大きく鳴る。ここがOJCとは違う点だ。
一方、ベースやドラムにはさほど違いは感じられない。ラファロのベースの音がややしっかりとしているかな、というくらいだ。
店員がかたずけるグラスの触れ合う音が一番生々しく聴こえるので、一定の音の鮮度は保たれているのだろう。

ただ、「すごくいい音か?」と問われると、「いや、そんなことはない、騒ぐような音ではないよ」と言うしかない。
オリジナルは各楽器の音はしっかりとしているが、全体のバランス感は明らかにOJCの方が優っているし、
そもそもこれを聴いて、「これは凄い音だ」とは誰も感じないないだろう。



こうしてしつこく聴き比べをしていくと、再発盤は音が悪い、という話はいい加減な話だということがわかる。
確かに駄目なものもあるが、少なくともエヴァンスのリヴァーサイド盤に限って言えば、再発盤が劣っているとはまったく思えない。

オリジナルが完璧だということは決してなく、そこに見られる欠点を丁寧に補正してリプロダクションされているし、
更に次のヴァージョンでは再度見直しして作り直されているのは明らかだ。
どの版にも独自の良さや欠点があり、その違いを享受できるようになれば、音楽はもっと楽しくなるだろう。


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OJCのビル・エヴァンス(6)

2020年12月24日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Sunday At The Village Vanguard  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-140 )


人気盤ということなのか、1984年、1987年、2002年、2008年、2015年、2020年、と頻繁にプレスされている。
手許には2枚あり、まずは1984年もの。

A面 OJC 140 B A1 C P GH1
B面 OJC 140 B2 C P GH T

ジャケットが国内盤のような厚紙仕様。最初はそれなりにコストをかけて作っていたようだ。

OJCに共通するベース音のクリアさと音圧の高さはここでも健在だ。音に輪郭があって、フレーズがよくわかる。
モチアンのブラシ音も粉を吹いているような粒の細かさで、1歩下がったような鳴り方だ。ただ、スネアの音が小さく、
あまりよく聴こえない。ピアノの音色は優しく美しく、不自然な着色も見られないが、少し音圧が低いのが気になる。

でも、トリオのサウンド感は全体のバランスがよく、聴いていて心地好い。個々の楽器にフォーカスするよりも、
全体のバランスを優先したようなマスタリングがされたようだ。




Bill Evans / Sunday At The Village Vanguard  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-140 )

こちらは、おそらく1987年もの。

A面 OJC 140 B A1 D5 P GH
B面 OJC 140 B2 A1 P GH T

こちらのジャケットは紙質が薄く、表面に艶加工が施されている。

84年ものと比べると、音が違うことがわかる。こちらはピアノの音が薄皮が1枚剥がれたような感じで、
よりクリアで明るく、音圧も上がっている。ピアノの音色はこちらの方がいい。
ドラムのスネアの音もクッキリとしていて、全体的に音像の見晴らしがよくなっている。

マニアの感覚だと厚紙ジャケットの方が何だか有難い気がして、そちらの方を探したくなるかもしれないけれど、
音質に関してはこの薄紙ジャケットの方が直感的にはいい音だと感じるはずなので、買う場合はよく吟味した方がいいだろう。
OJC盤にもマスタリングの違いで音質に差異がある、ということは頭の中に入れておくといい。





オリジナルのステレオ盤とOJCの87年ものとを聴き比べると、音質の差がまったくないことがわかる。これには驚かされる。
このタイトルについては、わざわざ高いオリジナルのステレオ盤を買う意味はない、と言い切ってもいいだろう。

OJC盤は優れているのである。



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OJCのビル・エヴァンス(5)

2020年12月20日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Portrait In Jazz  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-088 )


さすがに代表作ということで、1983年、2011年、2015年、2020年、とプレス回数は多い。手持ちの盤は、2011年もの。

A面 OJC-088 A1 RE6 18697.1(2)
B面 OJC-088 B1 RE6 18697.1(2)

これは見事な音だ。何と言うか、風格のある音。初めて聴いた時にはびっくりした。

ラファロのベースの音が大きく、響きが非常に深い。これが全体のサウンドを印象付けている。エヴァンスのピアノの音色は
ややくぐもってはいるけれど、気になるほどではなく、かえってシックな雰囲気に貢献しているような感じだ。
モチアンは1歩後ろに下がったような聴こえ方で、これがサウンドに奥行き感を与えている。

驚くのは、音楽としてオリジナルとは少し違う印象を覚えることだ。オリジナルで聴く場合よりも、音楽が雄大に聴こえる。
ステレオ感はさほど効いていないため、音場の拡がりがもたらすというような類いの話ではなく、リマスタリングされた音に
何か別のものが宿っているような、小手先の技で高音質化を狙うのではなく、根本的なところで何かを問うているような、
そういう不思議な感覚に陥る。

リマスタリングというのは、「高音質!」ということばかりを標榜することではなく、別の角度から光を当てて音楽の違う側面を見せる
という重要な役目も担っているのだ、というサウンド・エンジニアの声が聴こえてくるようだ。音楽は元々が多面的であり、今聴いている
音楽は1つしかないのではない。だからこそ人は音にこだわるのだ、とこれを聴きながら思った。




Bill Evans / Portrait In Jazz  ( 米 Riverside RLP 12-315 )


このアルバムがRIAAカーヴでないことは間違いないが、適正なカーヴがどれかがイマイチよくわからない。エヴァンスのピアノに
限って言えばAESが一番いいが、これだとベースやドラムが痩せて小さな音になる。これを解決するにはデッカにするのが一番で、
ラファロとモチアンが俄然元気が出てくるのだが、ピアノの音がフォルテになると少し歪む。

デリケートなピアノトリオとして堪能したければAES、インタープレイの傑作として聴くならデッカ、という感じである。
そして、OJC盤は両者のいいとこ取りをしたような感じだと言っていい。



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OJCのビル・エヴァンス(4)

2020年12月19日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Explorations  ( 米 OJC-037 )


OJC盤は1982年、2015年にプレス・販売されている。意外に少ない。手持ちの盤は82年もの。

A面 OJC 037 A G+ A
B面 OJC 037 B G+ A

音色の観点では、これはオリジナル盤と瓜二つな音と言っていい。

ステレオ効果は感じられず、モノラル盤の質感が漂う。ピアノの音色もモノラル盤で聴かれる音色と同じだ。
ラファロのベース音が小さい。モチアンのブラシやシンバルが、若干、音の粒子が細かくなって自然な感じになったかな、
というところで改善が見られる。

昔からこのアルバムの音は冴えないと言われてきた。おそらくはそれが原因で、4部作の中では一番成熟した大人の音楽なのに、
人気の面では常にデビーの後塵を拝してきた。そのためリマスターの効果を期待したが、どうやらこの時はあまり原音を
触らなかったらしい。触りようがない状態だったのか、それとも触る必要はないという判断だったのか、理由はよくわからない。




Bill Evans / Explorations  ( 米 Riverside RLP 351 )


このオリジナルのモノラル盤はRIAAカーヴではダメで、ffrrカーヴで聴くほうがいい。RIAAカーヴの方が繊細でいい、
という向きもあるかもしれないが、それは好みの問題としての話であって、客観的にはデッカ・カーヴで再生される音が
適正な音質だと思う。カーヴ補正後の音は音圧が上がり、音の歪みもなく、楽器の音が蘇り、音質が冴えないという印象は
払拭されるだろう。"Elsa" で、ラファロのベースが動く際にたてるギシギシという木の鳴る音がしっかりと再生される。
RIAAカーヴではここまでクリアには聴こえないのだ。


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OJCのビル・エヴァンス(3)

2020年12月17日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Moonbeams  ( 米 OJC-434 )


OJCのレコードは1990年、2002年、2009年にプレスされている。所有盤は1990年もの。

A面 OJC 434 A1 G1 A5 (T)
B面 OJC 434 B1 G1 A1 (T)

これはとてもいい音だ。OJC盤に共通しているのは、ベースの音が大きくクリアに刻まれていること。
そのおかげで、サウンド全体のバランスがとてもいい。これがオリジナルとは決定的に違う。

ピアノの音色が艶めかしい。特に弱音の繊細な表情は見事だ。フォルテの箇所や和音も音が潰れていない。
モチアンのブラシは鳥が羽を震わせるような感じで聴こえてくる。

こういうデリケートな音場感が、このアルバムの演奏には相応しい。音楽の特性にうまく寄り添った音作りで、
エヴァンスのやろうとしたことが見事に再生されていると感じる。アーティストとサウンド・ディレクトとの
幸せな邂逅を見る想いだ。





オリジナルのステレオ盤は、モチアンのスネアの音に硬さが見られる。ベースの音もやや後退気味で、ピアノが前面に
押し出されたマスタリングのようだ。これが当時の標準的な音作りの考え方だったのだろう。

全体的に音質としては大きく気になるところはなく、音楽に集中できる。ただ、OJC盤は一聴してすぐに「いい音だな」と
無条件に感じる何かがあるのに対して、オリジナルの方はよく聴き慣れた60年代プレスのレコードという感じだ。

このオリジナルは両方ともRIAAカーヴで再生するのが一番いい。デッカ・カーヴだとバランスが崩れる。
タイトルによって、なぜこういう差異が見られるのかはよくわからない。

このアルバムは、よく言われる「静的な演奏だけを集めた」ことに特徴があるのではなく、"Re : Person I Knew" で始まり、
"Very Early" で幕を閉じるところに意味がある。エヴァンスが自作曲に込めたメランコリックな雰囲気が何より素晴らしく、
この2曲が聴きたくてターンテーブルに載せると言っても過言ではない。ジャズの一般概念ではうまく捉えることができない、
本当の意味でオリジナリティーが際立つ作品だと思う。


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OJCのビル・エヴァンス(2)

2020年12月13日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / How My Heart Sings !  ( 米 OJC-369 )


このタイトルも1989年、2009年にプレス・発売されているが、手持ちの盤は89年のもの。OJCのレコードは裏ジャケットに
バーコードがあればその番号で、もしくはマトリクス番号から何年ものかを判定する。

A面 OJC 369 A1 G1 (P) 手書き
B面 OJC 369 B1 G1 (P) 手書き

3つの楽器のバランスはよく、それぞれの音がしっかりと聴き取れる。特にベースの音圧が高く、ピアノ・トリオとしての快楽度が高い。
ピアノの音は若干固めで艶やかさに欠ける。人工プラスチックっぽいと言うか、そういう感じがする。ブラシの音も音圧は高いが
音が若干潰れ気味で、ブラシ音が束になっていてうまくほぐれていない。バランスはいいが、各楽器の音色があまり自然とは言えない。

次にオリジナルのステレオ・プレスを聴いてみると、ピアノの音に潤いと艶やかさがあり、ホッとする。ベースは一音一音に残響感があり、
音色に深みがある。音圧もあり、よく聴こえる。ドラムもよく聴こえる。3つの楽器の分離はよく、音がよく立っている。
各楽器の存在が独立しながらもアンサンブルとしてしっかりと結束している様子が上手く録れている。

もう1度OJCに戻って聴いてみると、やはり楽器の音色の質感が落ちているところが全体の足を引っ張っているような印象だ。
ただ、このアルバムは元々の録音がさほどいい訳ではないので、リマスタリングの成果が出し辛かったのではないだろうか。




オリジナルの方は、モノラルとステレオの音場感の差異があまりない。どちらで聴いても、似たような印象である。
正確に言うと、モノラル・プレスの音場感がかなりステレオ感に寄った感じで作られているのだ。そのせいで、似た印象になる。

このアルバムはRIAAカーヴではまったくダメで、ffrrカーヴで聴かないと音楽の輪郭がよくわからない。
カーヴ補正せずに聴くと、このアルバムはつまらない内容に聴こえるだろう。そのくらい大きなギャップがある。

アルバムタイトルにもなっている "How My Heart Sings !" は繊細で可憐なワルツで、このレーベルに収録された中では1、2位を争う
名曲である。また、"In Your Own Sweet Way" などプログラム内容が魅力的で、世評は芳しくないようだが、私は好きなアルバムだ。
評判が良くないのは、海外盤の再生の難しさにも一因があるのかもしれない。

以前、日本ビクターの紙ジャケCDを持っていたが、それがとても繊細な感じのいい音だった。このアルバムはもしかしたら国内盤で
聴く方がいいのかもしれない。いずれ機会があれば確認してみたい。


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