報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
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 実際のものとは異なります。

御勧誡後、初の御講参加

2018-12-09 20:32:49 | 日記
 今日は日蓮正宗の各寺院で御講が行われ、私も御勧誡後、初めて参加が叶うこととなった。
 朝早く同支部の方の車に乗せてもらい、大石寺へと赴いた。

 約10年ぶりに再会した人、そうでない人、色々いらっしゃった。
 法道院と比べるとシニア層が多いかな。
 だが、変なノリの無い所が良い。
 少なくとも、ガチ勢たり得る人がいなさそうだったのは幸いだ。
 恐らく報恩坊は、今の『火の信心』ガチ勢や、『(流されるという意味で)水の信心』エンジョイ勢とは違う新しいタイプの傍観勢を進んでいることが何となく分かった気がした。
 因みに今回の御講で取り上げられた御文は以下の通り。

 (法華初心成仏抄)弘安元年 57歳
「当世の人何ともなくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。何(いか)にとして仏の種は法華経より外(ほか)になきなり」(御書1316ページ、4行目〜7行目)

 高校で習う古文の知識があれば、まあだいたい現代語に訳できるくらいの難易度だろう。
 これは……顕正会でも紹介される御文だろうか?
 もう10年以上も経つから忘れたな。
 私が現役でいた頃は、何とか紹介されたかもしれない。
 一応、内容的には顕正会としてマズい所は無いからだ。
 むしろ、折伏の大事さを伝えるという意味では紹介されているかも。
 因みに、御講で取り上げられる御文は各支部共通なのだろうか?
 実は前々から疑問に思っていて、聞き忘れてしまっている。
 尚、御住職の講義の前に上記の御文を皆で読み上げ、御題目三唱を行う。
 顕正会では浅井会長が読み上げ、御題目三唱だけは皆で行う。
 『御書を正しく拝せるのは浅井先生だけ』であるが故に。
 もしも顕正会員で、どうして最後に御題目三唱をするのか疑問に思った人は、これが答えだ。
 今や顕正会に残された、数少ない法華講だった頃の名残。
 そもそも宗門でやっているからである。
 学会はどうなのかって?
 学会畑を歩いたことの無い私には分からないので、んっ?さんに回答して頂ければと思う。

 何でもかんでも時事ネタや学会誹謗または宗門誹謗と絡めて指導する浅井会長に対し、宗門では純粋にこの御文が書かれた背景や誰に書かれたのか、そしてこの御文を書かれた大聖人の御心について説明されるのが特徴である。
 どちらが良いかは明白だ。
 尚、私はついつい浅井会長のような読み方をしてしまう癖があるのだが(いやはや、まだまだ顕正会時代の名残があるねー)、実際にはもっとゆっくり喋るので念の為。

 あと、特別御供養の話があった。
 御勧誡して日も浅い私は対象外であったが、少なくとも“フェイク”辺りに書かれているような強制は無かったよ?
 今言ったじゃない。
 私は対象外だったって。
 もしも強制されるのなら、私も強制参加だったはずだ。
 特別御供養とは何か?
 対象外の私にはあまり詳しく説明はされなかったが(積極的に質問しなかった私も私だが)、要は普請の1つという印象はあった。
 これが他宗なら、お祭りや縁日でもやって、その売り上げを特別御供養として計上するのだろうが、日蓮正宗にはそういうのが無い(寛師会とかでは屋台も出るみたいだけど、寛師会は普請目的でやっているわけではない)為、改めて信徒から募るという形式が取られているのだと理解した。
 顕正会なら新聞などの売り上げが通常の御供養で、年末の広布御供養が特別御供養みたいなものか。
 顕正会もまた外部に向けたお祭りや縁日を行わないので、如何に普請を行うか苦労するのだろう。
 次回、もし私がまだ所属しているようなら、今度は私も参加の対象になるはずだ。
 その頃には、ポーンと諭吉先生を何人も出せるようになりたいね。
 あ、因みに顕正会と違って毎年行われているわけではないので、これも誤解の無いように。

 あと、何があったかな……。
 まあ、年末年始のことか。
 顕正会員も今から元旦勤行のことを考えているだろうが、それは法華講員も同じ。
 ガチ勢やエンジョイ勢、傍観勢が等しく大石寺に向かうことを共通して考える行事だ。
 私はどうしようか考え中。
 年末の大晦日まで仕事で、その代わり年始は休めるので参加はできる。
 問題は、どのタイミングで大石寺入りするかだ。
 是非とも前泊して丑寅勤行に参加したいところだが、大晦日夕方の新幹線と高速バスは恐らくコミケ関係のせいでメチャ混みだと思うぞ?
 あのお祭り騒ぎは仏法ですら霞むほどだからな。
 いや、ほんとほんと。
 嘘だと思うなら、開催中の東京ビッグサイトに行ってみなって。
 広宣流布後、本門寺の戒壇に集まる信徒達とはどのようなイメージかが掴めるほどだから。
 あれくらいだと思うよ、きっと。
 それで顕正会の言う事を真に受けてたらダメだよ。

 話は逸れてしまったが、こちらも安全第一で御登山したいからさ、色々と考える必要かあるのだ。
 例えば、新幹線は何とかクリアできても、新富士駅からの足が無いという切実な問題をどう解決するかってのがあったりしてもう大変なのである。
 そういった意味では、確かに顕正会の会館は駅近で参詣はしやすいというメリットはあるか。
 駐車場は無いけどw
 でも地方の会館は、必ずしも駅近とは限らないんだよなぁ……。

 最後に往復共に私を送迎して下さったカイドウさんには、大変お世話になりました。
 この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
コメント (3)
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