進化する怪物たち

夢は母親塾

第853話 3分で癒してみせる

2010-09-17 23:56:55 | 脳の性格

今日も ♪を聞きながらスタートです。

QUEEN We Are The Champions MP3

このンクィーンの曲が流れるのが 約3分です。

この3分の間で頭のリフレッシュにチャレンジしてみました。

こちらに 訪問の皆様にももれなく参加してもらおうとの試みです。

 

さて 今日の私は朝から頭の中で 区切りをつけた弁当箱

全体が 5つに分かれていてなんとか その枠から

答えを出そうと ずっと考えていました。ロジカルシンキングとでも

いうのでしょうかねぃ。

でも 今ひとつ慣れなくて ヒントまでは見つかったものの・・・。

夕方になって これではいかんと 食事の準備をしながら

連想ゲームを 思いつきました。

 

 第1のヒント

 

 日曜日に使ってくれると うれしいけれど・・・

 

これからの 4枚の花の画像はまったく関係ありません。

さて 第2のヒント

第3のヒント

 犬のお散歩です。

ここで 皆さんの 想像力が試されそうです。

 フローリングのウェット 食品の発泡スチロール(使ったあとのラップつき)

 そして 犬のお散歩です。

 

 

 チ チ チ チ チ チ ・・・・・

 正解は

 今週は お散歩のお兄さんがわけあって散歩にいけません。

 (単に 学校の実習が長引いているだけですが)

 ですから 毎日お母んが散歩です。

 今日は 小学生4年生の男の子に出会いました。

 「おばちゃん その犬こわいね。

  うん とても臆病だから ついエラそうにするんよ。

 へぇー でも 強そうだよね。

   う うん。

 その会話の途中で バス君にとってはとても大切な用を足そうとしたのですが

 もちろん 後始末はちゃんとしないといけないので スーパーの袋と 

 スコップは持参ですが・・・・。

 どうも 今日は・・・・。

 バスは オスなので もちろん赤ちゃんを産むわけないのですが

 見慣れぬものが・・・・・・。しっぽの根本から離れません。

 な なんだぁ? やっと出たかとおもったら 発泡スチロールと

 ラップのかたまり。

 

 その間も 小学生は時々 声をかけてくれるのですが

 お母んも 気づかれるとまずいと思い (汗

 なにくわぬそぶりで ・・・・・

 なんとか バレなくて済みました。

 

 問題は その発泡スチロールをいつ口に入れたか?です。

 近頃 朝 お父んが出勤したあと

 私が2階で PCチェックをしている時 決まって

 玄関で物音がします。 いつもこの時間なのです。

 玄関だけがバスの許されたエリアです。

 でもどうしても怖いときは 廊下にまで上がってきます。

 しかし あの発泡スチロールはキッチンにあったものです。

 と いうことは 人がいない時間を知っててキッチンのゴミ箱から

 もっていったということになるのです。

 

 近頃 完全になめられている。

 こちらの心理を読まれている。

 10月になったら怖いお兄さん帰ってくるから

 しっかり し・つ・け してもらうから・・・。 

 

 と 最後にフローリングウェットは お父んが

 日曜日に 気が付いてかけてくれると・・・いいな!と

 ひそかなる期待をして 買ったということです。

 

 

 

           

 ネットで 感情障害(うつ病を含む)の患者数を見ていました。

 精神障害というと 自分たちにはあまり関係ない感覚があったのですが

 どこからが境界線だといえないくらいに

 こころの病気は 深刻なようです。

 

 特に 30代 40代の働きざかりの人に多いようです。

 薬の問題もいろいろからんでいそうです。

 ・・・・と いうことで 私流の心のリフレッシュでした。

 3分 たったかなぁ???。

 

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第852話 21年もかかってやっと

2010-09-17 01:07:17 | 

今日は この曲を聴きながら

やさしさに包まれたなら

 

今日は 午前中は企画書の関連でデータをあれこれ

自分でも結構進んだかと 自己満足だったのですが・・・

夕方少し ネットの上で寄り道をしてしまって思うように作業が進みませんでした。

1970年代からの出来事を調べているうちに 自分がその頃何をしていたのか?

どんな事を考えながら 日々を送っていたのか?

日本の高度成長期 景気のいい時代 

いろいろなヒット曲や ニュースを見てしまって寄り道してしまいました。

 

さて 今日9月16日は 三男の誕生日です。

21歳になります。 もし三男が産まれてなかったら

私は どんな母親になっていたんだろうって考えます。

もちろん 母親塾なんて考えなかったことでしょう。

自分の子育ての間違いに気づくことなく 長男 二男に

どのように接していたんでしょうね。ちょっと想像すると

長男は ひょろひょろのもやしのお兄さん (内向的)

二男は でぶでぶのおデブさんだったりして・・・。

 

三男の3か月検診で 病気が見つかった時

8歳の時 交通事故で自宅の玄関で抱きかかえたと時

「この子は 何のために生まれてきたんだろう?」と

 一瞬だけ思ってしまいました。厳しいことに出会ったら

 すべて裏返すことさえ覚えれば なんだってできるそう思えるようになりました。 

その大きな衝撃がなければ 今の私になっていなかったでしょう。

娘時代に お金の苦労もそれなりに辛かったけど

それとは 比較にならないほど痛みを覚えました。

子供を救うためには なんでもしてみせる。そう思っていました。

 

母性本能とは 本当に大きなエネルギーを持っているものだと思います。

母親塾などと よくまあぁと思われるかもしれませんが

母性の隠された力を信じているから 考えるのです。

何よりも 自分が変わったことをよく知っているからです。

 

このように自己開示をすることを 読まれる方はどう思うのだろうと

少しはためらいもあります。 でも 節目としてまた明日からの

エネルギーに変えるつもりです。

 

 

今日は あまり多く書けませんが

我が家の中で 少しずつ変化が出てきました。

卵にたとえると 21年間の温めてきた卵の殻に やっと

ひびが入ったということろでしょうか。

さて 中からどんな怪物が 顔をだすやら・・・

 1匹 ? 2匹  3匹・ ・・・

今日は このへんで。

 

 

 

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第851話 進化の芽

2010-09-16 01:22:17 | 脳の性格

近頃 新しい発見が2つの場面で使えることが多くて

今日はそのお話です。

朝から仕事で エクセルと戦っていました。

昨日しっかり データとにらめっこしていたせいで

拒否反応が無くなったようです。

昨日のおさらいを実技でやってみたいと思っていたら

有難いことに 大量のデータの処理があったのでいい練習台に・・・。

これは仕事でも これから応用できそうだと・・・早速上司にも報告。

これからは 職場でもいじってなんとか攻略したるから・・・。

   

次なる発見 

「精神疾患」という言葉を 昨日の研修で聞きました。

もちろん仕事の研修だったのですが 病気や介護については

日頃よく使うことなのですが 精神疾患については ノーマークでした。

しかしその患者さんの数は とても増えているようです。

ここについても プライベートで企画していることにも少し関連がありそうなので

少し調べてみたいと思います。ほんの数日前その事について

教えてくれた方があって ・・・ビンゴでした。

次に データ解析分析について

私の苦手分野なのですが ちょうど手ごわいライバルと話す機会があったのですが

これまた不思議で いつもテーマが同じで速度も似ているのですよ。

ですから 旬の話題を共有できるというのが不思議です。

 

ふっと気がつくと なんでこんな事にはまってんだろう?って

思うときがあります。・・・・それが何になるのって聞かれたら

いや 何にもならんかもしれない。

ただ 今まで私の体感したことのない 感覚を味わっていることは

鳥肌がたつほど 興味なのです。(知らない自分を発見したい)

 

なぜ こんな時代になったのだろう。

なぜ 心の病にかかる人が多いのだろう?

すべて 関連があって定義があるに違いないってそう思ってしまうのです。

 

子育て中のお母さんの意識改革の為の 起爆剤ができたら・・と

わくわくしてしまうのです。

周り一面 草刈のあとなのですが

切られたすぐあとにも 新芽を出すたくましさ。

まさに 進化の芽に見えてきます。

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第850話 データの怪物をくすぐって

2010-09-15 01:04:01 | 脳の性格

ひさしぶりに ♪を聞きながら

Oklahoma Football - Bon Jovi, "We Got It Going On"

今日は 午前中高松にて研修 午後からはフリータイム

休みを返上して研修に行くのは ・・・商品知識をより研究するという仕事熱心?さと

やっぱり講師の人の話方にとても興味があります。

強弱のつけかた ポイントをいかに伝えるのか?

人材育成ではないので気づきのストーリーは もちろん無でした。

 

数か月前に 同じ会社の研修に行った際に 講師の人が私の事を

「大切なところで うなずいてくれるので 話していて自信になる」・・・みたいな

事を言ってくれたそうですが・・・実は私の目的は 別にあったわけです。

講義の内容でなくて 話す人を観察しているわけですから。(ごめんなさい。)

 

さて そんな事はどうでもいいのですが

午後からは 自分のやりたい事にいかに時間を裂けるか?

はやり休日と平日は 時間の深さが違います。

全体構想をまとめるのは こんな日が一番です。

その道のりを 歩いていくうちに出会ったのが データの怪物

ずっと考えていたのですが やっぱりこの怪物を避けて通るわけには

いかないみたいです。数字というだけで苦手意識が湧いてくるのは

なぜでしょうね。2時間ほどにらみつけて あれこれ触ってみました。

くすぐって笑わせたら 答えを出してくれるといいのですが

その手には のってくれそうにありません。

単に エクセルデータを グラフにするだけならクリックだけですが

ぼんやり頭にあるのは いくつかのデータを重ね合わせて 解決策を探ることが

できたらなぁって思っているところです。

ふと 気がつくと 夕方6時バス君のお散歩コールが聞こえてきました。

  お散歩で見つけた雑草と

 その後ろに張り付く やもり。

 

 朝から高松 そしてPCと睨めっこ。

 こんな日は ほんの数分でも自然にふれると心の色が

 変わるのがよくわかります。

 

 ひとりで ずっと企画書づくりのための勉強をしていて

 ちょっとだけ 弱い自分になることもありますが・・・。

 そんな時 いいタイミングで 茂木さんのTwitterが飛び込んできます。

  

福澤(1)福澤諭吉は、14歳になっても、当時の基本的な素養だった「漢文」を読むことができなかった。周囲が読めるのに自分が読めないということに気付いて、一念発起して、それから勉学を始めた。

福澤(2)学問を始めるのが遅いと、劣等感もあったはずである。しかし、福澤諭吉には、「自分にはできる」という根拠のない自信があった。また、それを裏付ける猛烈な努力をして、またたくまに頭角を現していった。

福澤(3)長崎に遊学していた諭吉は、中津に戻るように言われる。しかし、学問を続けたかったので、帰るふりをして、大阪の緒方洪庵の適塾へと向かう。

福澤(4)適塾で、諭吉は猛勉強を続ける。あるとき、病気になって寝ようとしたが、枕が見つからない。その時になって初めて、諭吉は、適塾に来て以来、猛勉強して疲れては仮眠し、目が覚めては勉強するというありさまだったので、枕を使って眠ったことがなかったと気付く。

福澤(5)長崎と適塾で蘭学を修めた諭吉は、横浜に外国人居留地が出来たと聞きつけてでかける。身につけたオランダ語の知識を試してみようと思ったのである。ところが、看板の言葉などが全くわからない。道行く人に聞くと、どうやらそれは「英語」という言葉らしい。

福澤(6)時代が変わり、必死になって身につけたオランダ語がもはや役に立たない。落ち込む諭吉。しかし、立ち直りが早い。次の日には、もう、「やっぱりこれからは英語の時代」と頭を切り換えて、江戸に英語の先生を探しに行く。

福澤(7)諭吉は、やがて、咸臨丸で米国に渡る。米国に着いてまっさきにアメリカ人に聞いたことは、「初代大統領ワシントンの子孫はどこで何をしているのか」ということだった。ところが、誰も知らないし、興味もない。

福澤(8)諭吉は、日本と米国が全く異なる国であることに気付く。日本では、徳川家康の子孫がどこで何をしているか、誰でも知っている。江戸で将軍をやっている。一方、初代大統領の子孫がどこで何をしているか、アメリカ人は誰も知らないし興味もない。諭吉の中に、「情熱」が生まれた。

 

福澤(9)諭吉の父は、下級藩士に生まれたため、学問への志は高くても取りたてられることはなかった。「門閥制度は親の敵で御座る」という諭吉の言葉の背後には、激烈なる憤怒がある。親の地位で子どもの地位が決まる日本の在りように対して、諭吉は根源的疑問を持つ。

福澤(10)日本に帰国した諭吉は、猛然たる啓蒙活動を始める。慶應義塾を創設。『学問のすすめ』、『西洋事情』、『文明論之概略』など多くの著作を通して、日本人に蒙を啓くように訴える。このような諭吉の「情熱」の背後には、二つの「受難」があった。

福澤(11)自ら、学問を始めるのが遅かったという「受難」。そして、父が封建制度ゆえに機会を得られなかったという「受難」。この二つの「受難」を、「情熱」に変えて、諭吉は明治における輝く超新星となった。

福澤(12)「受難」も「情熱」も、英語ではpassion。キリストが十字架を背負うという「受難」(passion)と、ポジティヴに生きる、高みを目指すという「情熱」(passion)は、同じところに由来するという叡智がここにある。

福澤(13)諭吉は、「独立自尊」を説いた。自分の外にあるさまざまなものに、自らが自らであるということを依拠させないこと。その理想は、百年の時を経た今でも、日本では実現されているとは言い難い。

福澤(14)今の日本には、封建制度があるわけではない。学問する機会はあふれている。しかるに、「枕を使って寝るのを忘れていた」と後になって気付くような激烈なる学問への没入を、どうして今の日本人は持ち得ないのか?

福澤(15)諭吉は、決して過去の人ではない。むしろ、諭吉がその生き方を通して示した課題は、今の日本人にとってのテーマでもある。諭吉の「受難」と「情熱」に震撼し、感染せよ。そして、今日から全力で走り出せ。

福澤(16)諭吉は、自らの体験に基づいて、子ども時代に必要なことはのびのびと思いきり遊ぶことであると言っている。「お受験」や、「お稽古事」でいきいきとした生命力を失っている今の子どもたち。親たちは諭吉の主張に耳を傾けるべきだろう。

 以上 茂木 健一郎さん連続ツィートでした。

自分のやっていることが何のために?と聞かれると うーん?と思うけれど

興味のある事を掘り下げる勉強を 一生続けたらそれなりになるのでしょうかねぃ。

                進化する怪物を夢みて

 今日は このへんで

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第849話 神隠しのお告げ

2010-09-13 23:46:26 | 微妙を感じる

昨日の夜は 適度な体の疲れと 快適な温度で

ぐっすりと寝ることができました。

夜中に風と雷が怖くて愛犬バスが ビーひゃら ビーひゃら鳴いていたのは

知っていたのですが赤ん坊であるまいし かまってやると癖になる・・・と

無視して寝てました。

 

さて昨日 山の中で迷ったおかげで ・・・・・

  ○○と ○○の神隠し てな感じです。

近頃は できわく事すべてを関連づけて考えるの事が習慣というか

無意識にそうしているので 身のまわりでできわく事に意味があると

プラスにとらえる事ができるようになった気がします。

何かをするとき すんなりといくほうがいいと思い込んでいますが

実は 迷って迷ってしんどい思いをしたほうが 結果的には

学習の学びが深いように思います。

 

ちょっと 文章のつながりが悪いですが

 

朝 一番に浮かんできたのは 「両方から見る」です。

あるお客様のために 資料を作成していたのです

それは 私の職業人としての視点からの資料でした。

でも お客様の立場に立つと まったく違うとらえ方で表現する必要があったのです。

 

それから 仕事と プライベートで進めようとしている企画

私の頭の中には 常にこの両方があります。

    れ れ れ・・・・家庭の事もありますよ。 あ り ま す。 たぶんネ。

プライベートで進めている企画書で 

現状の問題点 → あるべき姿 ・・・こんな事を夜に考えて

職場でも 同じような視点で頭を使います。

やっている事は まったく関連はないのですが その両方にある共通点が

見えてくる時 「これだ」・・・と 進む速度がとても速くなります。

 

最後に一番気に入っているのが 今の自分と 将来の自分

目先で抱えている問題だけに思考を集中させてしまうと

ついつい感情的になります。 起こってもいないことを

ああでもない こうでもないと妄想しはじめます。

今と将来の両方を ぽわぽわと移動すると

感情の根っこがあまり伸びないような気がします。

職場でも 家庭でも長時間 時間を共有し始めると

ついつい 甘えや依存 押し付けがでてしまいます。

こんな時代ですから 皆なにかしらしんどい思いをしていますから

その表現の仕方を間違えると 衝突の原因になってしまいますよねぃ。

 

企画のほうは もう少しで全体イメージが固まりつつと

迷いのいおかげで 少し前進しました。

近くから見る そして少し離してみる

アイデァが煮詰まって 動きが鈍くなってくると

子育て関連の 参考資料を見るなど角度を変えることも必要だなぁって

思います。私のようなアイデァ派は ついつい自分の思い込みだけで

プランを練ってしまいますが 常に距離感を 近くしたり遠くしたり

今回は意識しているところです。 

 

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第848話 20万年

2010-09-13 00:37:12 | 微妙を感じる

今日は 仕事だったのですが・・・いつしかレジャーに変身していました。

広島県にある 鍾乳洞白雲堂に行ってきました。

気の合う お客様と約8時間の小旅行

おしゃべりに 花が咲く楽しい一時でした。

鍾乳洞の中の温度は 約11度 少し肌寒いぐらいです。

岩肌を見ると 長い年月(5万年~20万年)に

不思議な形を描き出していて とても神秘でした。

日々 頭の中ではああでもないこうでもないと

勝手に思い込んでいる悩みは とても大きな事のように錯覚して

いますが 鍾乳洞のほんの小さなカーブにも満たない

小さな 小さな悩みです。

近頃 自分の立ち位置を時々変えることを練習しています。

外から見ると たった80年程度の人生

あれこれ思い悩むこと自体 ほとんど意味がないように思えます。

悩みの内容の解決より 動物として どこまで能力を伸ばせるか

視点を変えてみたたいと思いますねぃ。

 愚者は経験に学ぶ

    賢者は歴史に学ぶ  プラス 自然に学ぶ

 

企画書のプランが今ひとつ納得いかないので

本を読みながら ヒントを得たいと思います。

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第847話 ままごとで人間関係を学ぶ

2010-09-12 00:02:15 | 脳の性格

 

近頃とても興味があることがあります。

どうやったら 他者からの攻撃 痛みを上手に回避できるか?

例えば 営業の仕事をしていたら 月末近くになると

上司の圧力が当然のようにかかってきます。

 

また 失敗をして落ち込むとしたら・・・

ああ 私はいつもこんな失敗をしてしまう・・と思い込みます。

不思議なもので 何回も同じことが重なると 行動を起こす前から

結果が見えるように錯覚します。

常に 過去の経験と関連づけて連想してしまうのです。

 

さて どうするか?です。

人との関わり方で強くなれといっても 限界があるように思います。

 

ふと 思いついたのですが

昔 女の子の遊びといえば おままごとがありました。

今の子供はままごとで 遊ぶの?

私の時代のように 泥汁や 葉っぱを鍋に入れることは

ないと思いますが・・・・。

あ 脱線です。料理ではなく 配役です。

女の子の遊びの中でも 決まってリードする子がいて

あなたは 「お父さん役ね」なんて 仕切る子がいたんです。

私は 地味で友達がいなかったので  姉以外の人とままごとするのは

苦手でした。 仕切られて勝手に イメージを作らえるのは嫌でした。

でも 今にして思えば お母さんになったり 子供になったり

配役を入れ替わるのは とても大切な学習のような気がします。

 

子供は 失敗すると親に叱られると思っていますが

親の立場になると まったく別なのです。

一時的に 嫌な感情を出すときもありますが(人間ですから)

常に 相手に成り代わる訓練をするのも大切かもしれません。

それも 若い時、子供時代に訓練するのがいいように思います。

大人になるに従って 過去の経験からプライドができたり

自分なりの考えができたり・・・でも 立場が変わればまったく別になると

いうことは ・・・・自分などというものを作るから 話がややこしくなるのです。

もともと 形は変化するのですから 勝手に決め込んでプライドだとか

落ち込みだとか まさに妄想の世界です。

常に 男性になったり お父さんになったり

 子供になったり ・・・ぽわん ぽわん!と 入れ替わって遊んでみたら

 ストレスに押しつぶされないで済むかもしれません。

 ○○屋さんごっこ ままごと・・・・

 女性は 日頃から化粧や 服装で化ける楽しさを知っています。

 男性が ○○屋さんごっこに はまると・・・・・ちょっと怖い。

 近年 心の病気になる人が とても増えているそうです。

 なぜ そうなるのか その原因は何なのか?

 もっと真剣に 考える必要があるように思います。

 

              

明日は 日曜日しっかりと心のリフレッシュをしてください。

 

 

 

 

 そんな事を 考える1日でした。

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第846話 お母んのげんこつ

2010-09-11 07:55:20 | 脳の性格

先ほどの 電話の件ブログにて・・・

脱抑制(1)理想の生き方は、集中しているけれどもリラックスしている「フロー状態」だが、そのためには、脳を「脱抑制」する必要がある。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(2)そもそも、脳は、強制できない。表面上強制しているように見える時でも、実は、神経回路の自発性が基礎にあり、それを脱抑制しているだけである。つまり、ある目的のために脳を「使っている」ように見える時も、脳の自発性の波の上に乗っているだけなのだ。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(3)自分の能力をフルに発揮することを恐れる「ヨナ・コンプレックス」を乗り越える必要がある。誰でも、自分の潜在能力を十分には発揮していないのだ。「脱抑制」することで、自分の中から、知らなかった自分が出てくる。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(4)才能というものは、泉のようにあふれるものである。苦労して押し出すのではなく、抑制を外してやると、あとは、脳の回路が自発的に活動して、すべては自然に、何の苦労もなく生み出されてくる。その「歩留まり」は、驚くほど高い。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(5)とりわけ、日本のようにお互いに抑制をかけ、過重なルールを守ることで成り立っている社会において独創性を発揮しようとすれば、「脱抑制」が一番の課題になる。抑制をかけることをあまりしないアメリカ人と比べると、日本人は自分自身を抑制というロープで縛った人形のようだ。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(6)私のケンブリッジ時代の恩師、ホラス・バーローは、ある人が学会のアブストラクトで「何を書きたいかかわからない」と悩んでいた時、「書いてごらん、そうすればわかるよ」とアドヴァイスした。情報は意識がコントロールして産出するものではなく、無意識から生まれるという哲学である。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(7)そもそも、脳は、システムとしてのバランスをとるためにも、各回路の潜在能力の100%を出し切っていないものである。そのような脳の「自己規制」を、いかにうまく外してやるかということが、創造性を発揮する上での鍵となる。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(8)スケートの清水宏保さんは、「身体の限界よりも先に脳の限界が来るのです」と言った。いわゆる「火事場の馬鹿力」は、危機にあって脳が自らの抑制を外すことによって生まれる。問題は、危機ではない時にも、いかにして抑制を外すことができるかだ<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(9)脱抑制を身につけるための一つのトレーニング法は、自らプレッシャーをかけて自分を追い込むことである。もうこれ以上できないというレベルに、ハードルを設定する。そのハードルを乗り越えようとする時に、自然に脳の抑制が外れていく。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(10)シドニー大学のアラン・シュナイダーは、「サヴァン能力」は、普通の脳の中にも実は潜在的に存在し、ただそれに抑制がかかって表面化しないだけだと考えている。うまく抑制を外してやることで、本人が思いもよらないような天才的能力が開花する可能性がある<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

  <o:p></o:p>

脱抑制(11)脱抑制ができて、集中しているけれどもリラックスしている「フロー状態」が実現できることが、ニーチェの言う「舞踏」(Tanzen)に相当する。意味や目的でさえ、「舞踏」の邪魔をする「重力の魔」となる。私たちは、自分の脳を無重力の空間に遊ばせなければならないのだ<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(12)江戸時代末期、時代の大きな変化を民衆レベルで予見したごとく各地で起きた「ええじゃないか」騒動は、当時の日本人の集団的な「脱抑制」だった。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

脱抑制(13)行き詰まっている日本を打開するための鍵は、脳を上手に「脱抑制」してあげることである。生命エネルギーは無理矢理ひねり出すものではない。抑制を解いてあげることにより 無尽蔵にわきでてくるものなのだ。

   茂木 健一郎さん twitter より

 しっかりと何度も読み解いて 

    また他の表現があれば調べて

 今度は  お母んや 友人にアウトプット!!

    以上 !!! ヨロシク

 

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第845話 1歳6か月の子供の能力

2010-09-11 00:39:25 | 微妙を感じる

今日は なんだか若返った気分 ♪ ♪

午前中2時間ほど 1歳半になる男の子のお母んを演じていました。

(こら! ばあちゃんだろ・・・なんて うるさいよ。)

自分の子供の時は ゆとりをもって接することができませんでしたが

よそのお子さんとなると まったく視点が違います。

驚かされたのは やはり空気を読む力の鋭さです。

無理になにかを 押し付けようとすると絶対に反発します。

また言葉が通じないので よけいにまわりの空気を読む力だけで

コミュニケーションをとろうとしているわけです。

ひとつひとつの行動すべて 「この世は知らないことばかり

    何でも 知りたい 触りたい 時には口に入れたい。」

私たち 大人が忘れかけている? ・・・表現が違いますね。

無理やり 閉じ込めようとしているものを 全部ストレートに表現できるのは

とても素晴らしい能力です。

例えば 2枚くっついているビスコは バラバラにしたい

子供用のカートは乗るのではなく 押してみたい(大人のマネ)

ロッカーは 開けたり 閉めたり 「いない いないばぁ」を繰り返す

押してみて 音がしたら何度も何度も繰り返す

メガネを してみたい。

丸い 色つきの画鋲は取りたくなる

疲れてきたら フロアに寝たり はいはいをして周りの大人を困らせたい。

大人の反応が大きい いたずらは何度もしたい。

私たち 大人はいつのまにか 勝手にフレームを作ってきたのだと

原点を見返すことの大切さを教えらえました。

 

歩きだすということは 自立の第一歩かもしれません。

最初は お母さんのそばにべったりなのですが 少ししたら

冒険にでかけます。 そしてたまに お母さんのそばに戻ってくる。

そう・・・たまにでいいんです。

途中で 一回だけどうしても お母さんでなければいけない場面が

ありました・・・・・ (お暇な方は ブログ村の画像でイメージしてください)

本物のお母さんとは まったく比較にならないのですが

ちょっとだけ 思いださせてしまったようです。

 

          

さて ここからは さっきまで読んでいた本の中から

  他者にアクションを起こさせる要素

 

 合理訴求

   指示 命令

   地位 権利利用

   交換条件提示

   論理的な説得

 

 感情訴求

   自身 確信 熱意

   興味 面白さ 

   親密関係の訴求

   ほめる おだてる

   帰属意識の訴求

   使命感の醸成

 

 共感訴求

   課題 理解力に基づいた前提条件のすりあわせ

   ビジョン 思いの共有化

   信頼 興味を勝ち取るストーリー

  

   3つのバランスを 聞き手によって変化させる必要があるということです。

 

  ・・・・と 本当はメール送るつもりだったけど 一石二鳥ということで。

  こんな情報を共有できるライバルがいるということが 有難い。

 

 

  近頃 画像が少なくて・・・・8月の夏風邪から 歩きにいけてないので

  ついつい。 そこで気付かされるのが 自然から受ける癒しの大切さです。

  人と触れ合う事は もちろん大切です。

  でも時には 諸刃の剣になることもあります。

  それは 当然のことであるということを理解して

  どのような切り替えし方を覚えるか(自分にとって意味がある)

  そしてその繰り返しで 人としての厚み深みが増してくる、

  そのことを いつも忘れずにいたいものです。

  

  自然から感じるものは日々知らず知らず心のバランスを保ってくれていたと

  いうことがわかります。

 

  画像は じゅじゅ・・・正式な植物名は知りません。

  子供の頃は 針でこの中の芽の部分を取り除くのが

  面白くて。 で どういうわけかその楽しみが ・・・お耳かいかいが趣味

  (耳掃除)になったのですが 近頃は 誰もお耳かいかいを

  させてくれません。(お母んのは 痛いと不評です。

   だって 練習台は じゅじゅですから 文句いいません。

 

  今日は このへんで。

   

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第844 話 ドーナッツに学ぶ

2010-09-09 23:35:12 | 自らをマネジメント

今日は 届いたばかりのパワーポイントをあれこれ・・・・・

おかげで昼間 頭に浮かんでいたことを忘れるところでしたが

画像を見て思いだしました。

ある方とおしゃべりしていて考えました。

 社会からいつも注目される立場の方って

一見 目立っていいようだけど こんな時代ですから

良いことばかりではないはずです。その他 特別に目立つことがなくても

職業柄 常に人の心に触れる人・・・・

毎日 その繰り返しだったら いくら強い人でも限界があると思う。

たぶん 心が擦り切れそうになるだろう。

休養の時間に 自分の好きなことに夢中になるとか

まわりの人やペットに癒されるとか? 人それぞれ心の切り替えし方は

いろいろかもしれない。

 

でも それでも それでも 足りない ・・・・

毎日 マイナスを浴びせられる人って どうしてるのだろう?

例えば 毎日手術をしている病院の先生だったり・・・・。

 

もしも もしも 私や息子の夢が叶ったら

リターンも大きいけど リスクも大きい

強くなるのことには 限界があると思う。

そんな事を 考えている時お客様からドーナッツの差し入れを

いただいた。

「そうだ ! 心をドーナッツにすればい!」

もちろん 自分の理念はしっかり持っていても

形は 何でもいい。丸やハートにする必要もない。

 

今日は 久しぶりに心について濃いお話を聞くことができました。

人の心と接する事においては 専門家・・・まさにプロでした。

とても興味深く ついつい仕事を忘れそうになっていました。

 

今日の学習 

 心を強くするのにも限界あり。

 たまには甘いものも必要。

 心を ドーナッツにする。・・・でした。

 

 では また。

 

 

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