香港の初日の朝をどう迎えたのか・・・実は余り記憶にない。
初日はまだ様子見というか、、、、
訪れた場所と乗った乗り物や食べたものを中心に書いていこうと思います。
『地下鉄で九龍城のあったと思われる場所へ』
まず、向かった場所は九龍という地下鉄の駅。まだ日本では当時普及していない自動改札や磁気系のsuicaやpasmo的なカードもあったが、都度払いを心掛けていた。まぁ後で換金するのも大変そうではあった。なので、乗る前にはいつも行き先を完全に決めていた。行き先変更で追加料金を払うことも出来ると思うが、それはしなかったと思う。
九龍城という巨大な変形的な建物群が以前存在したとの話しか知らなかったのだが、そこでは重鎮なんかよりも怖い「近寄ってはならない場所」というイメージだけはあったのだが、駅から降りると、閑静な住宅地で並木もあり、なんだか拍子抜けな印象の街だった。
確か九龍城は折り重なるように建物が継ぎ足されて(増改築の繰り返し)まるで迷路のような建物で、「一度入ったら二度と出られない」という触れ込みを聞いたことだけしかなかった。返還前の無法地帯でもあり、Mr.B00ギャンブル大将でも出てきたと思う。
まぁやはり取り壊されて十分な時間が流れたのだろう。何もない街をすぐに離れることにした。次に向かったのは、太子(Prince Edward)。隣駅だけど、少し歩くのが不安で彌敦道(Nathan Road)の一本道とは違うので覚え立ての地下鉄に再乗車した。
『バードガーデン』
香港ではペットに鳥を飼うのだという。しかも綺麗な鳥篭を見せ合うとか?犬猫ではなく何故鳥なのか?太子からバードガーデンに向かうとそこには鳥を飾り、篭を見せ合う人々が本当に来ていた。
様々な鳥篭が売られている。。。竹で出来ているのか、バルサ?その木製の鳥篭は確かに綺麗な形をしている。吊った篭の屋根は金閣寺のような綺麗な形をしていて、四角い篭の下の4隅の部分には飾りが垂れている。とても綺麗で日本の鉄製で丸味を帯びているものとは違い、持ち運んだり見せ合うのに相応しい。
そこから旺角(Mong Kok)まで歩いて女人街の方に行ってみた。
もう一つ香港で珍重されているペットが金魚でこれもよく売られていた。金魚掬いでもらえるあの小さなビニール袋にパンパンに水が張られている中に綺麗な金魚が1匹ずつ詰められていて所狭しと飾られていた。この「所狭し」という過密さに香港のエネルギーが詰まっているように感じられた。鳥の皮を開いて炙り焼きしたものを並べたりとかもそうだった。吊るされ方や並べ方に凄い特徴があると思う。賑やかで華やかで惹きつけられるお店の特徴があってこっちの気分も上がってきた。ただ、そのうちどの街に行っても同じような派手なお店を見て少し食傷気味にはなるのだが。。。
『女人街』
油麻地の西側の「廟街」別名 男人街(ナンニンガイ)に対して、旺角(Mong Kok)の彌敦道(Nathan Road)の東側には女人街(ニョニンガイ、ノイヤンガイ)が存在する。そこまで行くと昼間にも関わらず出店が出ていただのが、アクセサリーや女性の下着、チャイナドレスなど、私にはまるで縁のないものばかりが売られている。。。。
夜に再訪したら印象が変わったかもしれないが、この旅の最中にもう一度訪れることはなかった。
『スターフェリー』
旺角(Mong Kok)から尖沙咀(Tsim Sha Tsui)に戻り、改めて昼間の街を眺めながら港を目指した。対岸の香港島の中環(Central)から銅鑼湾(Causeway Bay、トンローワン)辺りの高層な建物が有名な夜景を醸し出してくれるはずで、昼間見たそれは確かに未来都市のような様相だった。
地震がないということから高層ビルを建てることに躊躇がないのだと思う。また人口の過密さから高層系のマンションも必要になってくるのであろう。そうするとペットが鳥や金魚などの基本室内で飼育できて糞の始末が楽なペットというのも頷ける。
港に着くとあの有名なスターフェリーがあり、それに乗り込んだ。実はこのフェリー記憶が定かでないが中環(Central)行きと銅鑼湾(Causeway Bay)行きの2系統が存在していたと思う。私は中環(Central)行きを選んで乗り込み、船の中の椅子で窓際にかじりついた。離岸・着岸の時は波止場をガン見し、それ以外は迫り来る香港島や帰りは九龍半島側の向こう岸を眺めるのが好きだった。だが、やはり好きなのは香港島側に行くときだった。
中環ではバスや路面電車が走り、その発着所があって香港仔(アバディーン)という船上生活者が住むという場所へ向かうバスに乗った。
『香港仔(アバディーン)』
着いた波止場では何艘もの船、船のレストランを見たのだが、もっと奥の方に行かないとその生活の様子は見れないのかもしれなかった。
まだ香港島そのものに慣れていないこともあり、そんな派手な客船のレストランに入るつもりもないとバスに乗って都市部に戻ろうと思った。
『公衆トイレ』
バスで戻る前に催したので、トイレに向かう。
香港のトイレと初めての対面だった。
ホテルのそれとは別の公衆トイレの大は、そうですね。隣との壁はお腹から胸くらいの高さまでしかなく、和式だった。(和式という言葉はなんかおかしいのかもしれないけど)
なので隣から覗き込まれる危険性もあった。よく考えれば『そんな見たくもないものをわざわざ覗き込むかい!』と思えるのだが、なかなか排便することが出来ない!ようやくの思いで済まして立ち上がると遠くの方でこれからしゃがもうとする人が見えたりする。
向こうは何も頓着していない。当たり前のことなのだろう。。。これには軽いカルチャーショック的なものを覚えた。
『お昼と買い物』
尖沙咀(Tsim Sha Tsui)のホテル周辺に戻り、遅いお昼を摂った。近くにちょうどデパ地下のようなフードコートを持つ場所を見つけ、昨日覚えた指差しと「this one」そして別のものを頼む時には「and this one」と置いてあるメニューを指で指していき、注文を完了することが出来た。出てくるものは少し日本で慣れ親しんだものとは違い、香草をはじめ何かの香辛料なのか、全体に独特の匂いを持っている。
食事を済ませると隣の書店に行き、香港の交通ガイドなる現地語のガイドブックを購入した。とても便利と書かれたその地図は眺めるのには最高だったが、十分な用を果たすことはなかった。路面電車と地下鉄の走破はしたが路線を知るのにはあまり役に立たなかった。広東路の方に向かうとデパートが出てくる。そこに入っているHMVを訪ねてみたのだが、日本のアーティストも置いてあるのだが、邦人のCDだけ高くちょうど日本の値段と変わらない設定になっている。。。他に薬局を回ってお袋が少し前に入院した静脈瘤にいい薬を探そうと思ったのだが、余り奇怪なものは日本に持ち込めない(ワシントン条約)というので諦めることにした。
『姉妹との再会』
昨日ホテルから着いたばかりの部屋から電話し、今日の夜に会うことを約束していた。九龍公園の入り口というのでここでいいのかと不安になったが、二人が揃って笑顔で現れてくれたのでほっとした。姉の方は尖沙咀(Tsim Sha Tsui)で会計事務所に勤め、妹は中環(Central)で香港中央銀行に勤めていると云っていた。
何が食べたいのかと云われたのだが、広東スタイルはいつでも食べられるから上海料理に行こうと云われて近くのビルの料理店に入った。
そのレストランの入り口で順番待ちしている間にどこに行ったのかという質問攻めにあった。
テーブルについてからの注文は彼女達に任せていた。
英和と和英の両方がついたコンパクト辞典もあったので、真ん中にそれを置いてお互いに言葉が通じない時はそれを使ってみた。
お茶が運ばれてくる。ガイドブックに出ていたお茶を入れてもらったときのジェスチャーの意味を確認してみた。相手の湯飲みにお茶を注いであげると、注いでもらった人が「ありがとう」の意味で湯のみの横で指をトントンとテーブルを叩くということが書かれていたのだ。「本当に『ありがとう(Thank you、ドーチェ)』という言葉を添えないのか?」と聞くとその通りだという。。。姉妹でその様を見せてくれたが言葉を発しないありがとうというものがあるのかと感心した。ただ少し偉そうだね?と聞くと、そうかな?と言い合っている。そうすると料理が出てくるまで慣れろとばかりに姉妹で交互に私の湯飲みに茶を注ぎあい、その指トントンのジェスチャーを要求してくる。すました顔をしてトントン、トントンと叩くのに慣れてきたので、姉妹が香港の人みたいだと褒めてくれた。
彼女達は飲茶には行ったのか?と聞いてきたので、まだだよと答えると、お茶の種類を私のメモ帳に書き込んでくれた。一番ポピュラーなのが普洱茶(プーアル茶)だと教えてくれた。
また海老(鮮蝦)や豚や牛などの食材と麺、粥、飯などの主食の単語を書き込んでくれた。もし言葉が通じないもしくはメニューがない場合は、このメモを見せて指を指してみたら?と指南してくれた。
なるほど、海老ラーメンを食べたければ鮮蝦と麺を指したり、紙に書いて見せればいいわけか、、、、あとメニューが漢字だらけならこれらの単語から類推すればいいのか。。。
これは便利だとどうもありがとう!とお礼を云った。この上海料理屋(雪国とかいう名前だったと思う)で食べた料理がどんなものだったか忘れてしまったが最後はほとんど辞典がいらなくなっていた。
お会計の段になり、俺が払うからというとそれは駄目だと勘定書きを渡そうとしない。日本でご馳走になったのだからと一点張りなのだ。友達とみんなで奢ったのを私一人で受ける訳にはいかない。頼むから俺に払わせて欲しいというと、それならアイスクリームを食べに行くのでそこの会計を頼むと云ってきた。申し訳ないやらなんやら一人で異国の地に居る寂しささえも紛らわしてもらった上にご馳走になるなんて。。。ありがとう、それじゃあアイスクリームを山ほど食べて欲しいとお礼を云った。
アイスクリーム屋に向かいながら、広東語の数字を覚えさせられた。ヤッ・イー・サッと何度も復唱しながらあらかたの数字を広東語で云える様になっていった。
これは後々大変役に立つことになる。
アイスクリーム屋で私はAlmond(アーモンド)と書かれたアイスを頼み、彼女達も各々のアイスを頼んで、私が払うと「ドーチェ、ドーチェ」と笑いながら頭を下げている。こっちも日本語で申し訳ないと少額の返礼のお詫びを日本語で伝えて笑いあった。
一口食べると、その味はまるで杏仁豆腐のそれだった。アーモンドとはalmond、チョコに入っているあの豆だとばかり思っていたのだが、二人は「だって杏仁はalmondじゃない」と云っている。。。。これは多分国際的な勘違いが生まれているのだと思った。
杏仁とはアンズの種の中身の仁(じん)の部分のことだと思う。アーモンドはナッツでこれも種の仁の部分だが、どうも別種のものを混同しているかも知れないと感じた。それは上手く言葉で言い表せないので、伝えることを諦めた。
九龍鉄道で沙田の家に帰るという二人を送っていこうとしたら、ここでいいよというので、彌敦道(Nathan Road)のところでお別れをした。
それからホテルに帰ろうと思ったのだが、やはり「廟街」に行かねばなるまいとフラフラと香港の夜景を眺めながら街の方へ歩き出していた。明日はホテルをチェックアウトし別のホテルに行かねばならないのだが、香港の街を歩いていればそんな宿はすぐに見付かると腹が据わってきたのだ。言葉を覚えたことが私を少しだけ強くし始めていた。
~つづく~
※これは1998年の記事です。勘違いなされませんように。
初日はまだ様子見というか、、、、
訪れた場所と乗った乗り物や食べたものを中心に書いていこうと思います。
『地下鉄で九龍城のあったと思われる場所へ』
まず、向かった場所は九龍という地下鉄の駅。まだ日本では当時普及していない自動改札や磁気系のsuicaやpasmo的なカードもあったが、都度払いを心掛けていた。まぁ後で換金するのも大変そうではあった。なので、乗る前にはいつも行き先を完全に決めていた。行き先変更で追加料金を払うことも出来ると思うが、それはしなかったと思う。
九龍城という巨大な変形的な建物群が以前存在したとの話しか知らなかったのだが、そこでは重鎮なんかよりも怖い「近寄ってはならない場所」というイメージだけはあったのだが、駅から降りると、閑静な住宅地で並木もあり、なんだか拍子抜けな印象の街だった。
確か九龍城は折り重なるように建物が継ぎ足されて(増改築の繰り返し)まるで迷路のような建物で、「一度入ったら二度と出られない」という触れ込みを聞いたことだけしかなかった。返還前の無法地帯でもあり、Mr.B00ギャンブル大将でも出てきたと思う。
まぁやはり取り壊されて十分な時間が流れたのだろう。何もない街をすぐに離れることにした。次に向かったのは、太子(Prince Edward)。隣駅だけど、少し歩くのが不安で彌敦道(Nathan Road)の一本道とは違うので覚え立ての地下鉄に再乗車した。
『バードガーデン』
香港ではペットに鳥を飼うのだという。しかも綺麗な鳥篭を見せ合うとか?犬猫ではなく何故鳥なのか?太子からバードガーデンに向かうとそこには鳥を飾り、篭を見せ合う人々が本当に来ていた。
様々な鳥篭が売られている。。。竹で出来ているのか、バルサ?その木製の鳥篭は確かに綺麗な形をしている。吊った篭の屋根は金閣寺のような綺麗な形をしていて、四角い篭の下の4隅の部分には飾りが垂れている。とても綺麗で日本の鉄製で丸味を帯びているものとは違い、持ち運んだり見せ合うのに相応しい。
そこから旺角(Mong Kok)まで歩いて女人街の方に行ってみた。
もう一つ香港で珍重されているペットが金魚でこれもよく売られていた。金魚掬いでもらえるあの小さなビニール袋にパンパンに水が張られている中に綺麗な金魚が1匹ずつ詰められていて所狭しと飾られていた。この「所狭し」という過密さに香港のエネルギーが詰まっているように感じられた。鳥の皮を開いて炙り焼きしたものを並べたりとかもそうだった。吊るされ方や並べ方に凄い特徴があると思う。賑やかで華やかで惹きつけられるお店の特徴があってこっちの気分も上がってきた。ただ、そのうちどの街に行っても同じような派手なお店を見て少し食傷気味にはなるのだが。。。
『女人街』
油麻地の西側の「廟街」別名 男人街(ナンニンガイ)に対して、旺角(Mong Kok)の彌敦道(Nathan Road)の東側には女人街(ニョニンガイ、ノイヤンガイ)が存在する。そこまで行くと昼間にも関わらず出店が出ていただのが、アクセサリーや女性の下着、チャイナドレスなど、私にはまるで縁のないものばかりが売られている。。。。
夜に再訪したら印象が変わったかもしれないが、この旅の最中にもう一度訪れることはなかった。
『スターフェリー』
旺角(Mong Kok)から尖沙咀(Tsim Sha Tsui)に戻り、改めて昼間の街を眺めながら港を目指した。対岸の香港島の中環(Central)から銅鑼湾(Causeway Bay、トンローワン)辺りの高層な建物が有名な夜景を醸し出してくれるはずで、昼間見たそれは確かに未来都市のような様相だった。
地震がないということから高層ビルを建てることに躊躇がないのだと思う。また人口の過密さから高層系のマンションも必要になってくるのであろう。そうするとペットが鳥や金魚などの基本室内で飼育できて糞の始末が楽なペットというのも頷ける。
港に着くとあの有名なスターフェリーがあり、それに乗り込んだ。実はこのフェリー記憶が定かでないが中環(Central)行きと銅鑼湾(Causeway Bay)行きの2系統が存在していたと思う。私は中環(Central)行きを選んで乗り込み、船の中の椅子で窓際にかじりついた。離岸・着岸の時は波止場をガン見し、それ以外は迫り来る香港島や帰りは九龍半島側の向こう岸を眺めるのが好きだった。だが、やはり好きなのは香港島側に行くときだった。
中環ではバスや路面電車が走り、その発着所があって香港仔(アバディーン)という船上生活者が住むという場所へ向かうバスに乗った。
『香港仔(アバディーン)』
着いた波止場では何艘もの船、船のレストランを見たのだが、もっと奥の方に行かないとその生活の様子は見れないのかもしれなかった。
まだ香港島そのものに慣れていないこともあり、そんな派手な客船のレストランに入るつもりもないとバスに乗って都市部に戻ろうと思った。
『公衆トイレ』
バスで戻る前に催したので、トイレに向かう。
香港のトイレと初めての対面だった。
ホテルのそれとは別の公衆トイレの大は、そうですね。隣との壁はお腹から胸くらいの高さまでしかなく、和式だった。(和式という言葉はなんかおかしいのかもしれないけど)
なので隣から覗き込まれる危険性もあった。よく考えれば『そんな見たくもないものをわざわざ覗き込むかい!』と思えるのだが、なかなか排便することが出来ない!ようやくの思いで済まして立ち上がると遠くの方でこれからしゃがもうとする人が見えたりする。
向こうは何も頓着していない。当たり前のことなのだろう。。。これには軽いカルチャーショック的なものを覚えた。
『お昼と買い物』
尖沙咀(Tsim Sha Tsui)のホテル周辺に戻り、遅いお昼を摂った。近くにちょうどデパ地下のようなフードコートを持つ場所を見つけ、昨日覚えた指差しと「this one」そして別のものを頼む時には「and this one」と置いてあるメニューを指で指していき、注文を完了することが出来た。出てくるものは少し日本で慣れ親しんだものとは違い、香草をはじめ何かの香辛料なのか、全体に独特の匂いを持っている。
食事を済ませると隣の書店に行き、香港の交通ガイドなる現地語のガイドブックを購入した。とても便利と書かれたその地図は眺めるのには最高だったが、十分な用を果たすことはなかった。路面電車と地下鉄の走破はしたが路線を知るのにはあまり役に立たなかった。広東路の方に向かうとデパートが出てくる。そこに入っているHMVを訪ねてみたのだが、日本のアーティストも置いてあるのだが、邦人のCDだけ高くちょうど日本の値段と変わらない設定になっている。。。他に薬局を回ってお袋が少し前に入院した静脈瘤にいい薬を探そうと思ったのだが、余り奇怪なものは日本に持ち込めない(ワシントン条約)というので諦めることにした。
『姉妹との再会』
昨日ホテルから着いたばかりの部屋から電話し、今日の夜に会うことを約束していた。九龍公園の入り口というのでここでいいのかと不安になったが、二人が揃って笑顔で現れてくれたのでほっとした。姉の方は尖沙咀(Tsim Sha Tsui)で会計事務所に勤め、妹は中環(Central)で香港中央銀行に勤めていると云っていた。
何が食べたいのかと云われたのだが、広東スタイルはいつでも食べられるから上海料理に行こうと云われて近くのビルの料理店に入った。
そのレストランの入り口で順番待ちしている間にどこに行ったのかという質問攻めにあった。
テーブルについてからの注文は彼女達に任せていた。
英和と和英の両方がついたコンパクト辞典もあったので、真ん中にそれを置いてお互いに言葉が通じない時はそれを使ってみた。
お茶が運ばれてくる。ガイドブックに出ていたお茶を入れてもらったときのジェスチャーの意味を確認してみた。相手の湯飲みにお茶を注いであげると、注いでもらった人が「ありがとう」の意味で湯のみの横で指をトントンとテーブルを叩くということが書かれていたのだ。「本当に『ありがとう(Thank you、ドーチェ)』という言葉を添えないのか?」と聞くとその通りだという。。。姉妹でその様を見せてくれたが言葉を発しないありがとうというものがあるのかと感心した。ただ少し偉そうだね?と聞くと、そうかな?と言い合っている。そうすると料理が出てくるまで慣れろとばかりに姉妹で交互に私の湯飲みに茶を注ぎあい、その指トントンのジェスチャーを要求してくる。すました顔をしてトントン、トントンと叩くのに慣れてきたので、姉妹が香港の人みたいだと褒めてくれた。
彼女達は飲茶には行ったのか?と聞いてきたので、まだだよと答えると、お茶の種類を私のメモ帳に書き込んでくれた。一番ポピュラーなのが普洱茶(プーアル茶)だと教えてくれた。
また海老(鮮蝦)や豚や牛などの食材と麺、粥、飯などの主食の単語を書き込んでくれた。もし言葉が通じないもしくはメニューがない場合は、このメモを見せて指を指してみたら?と指南してくれた。
なるほど、海老ラーメンを食べたければ鮮蝦と麺を指したり、紙に書いて見せればいいわけか、、、、あとメニューが漢字だらけならこれらの単語から類推すればいいのか。。。
これは便利だとどうもありがとう!とお礼を云った。この上海料理屋(雪国とかいう名前だったと思う)で食べた料理がどんなものだったか忘れてしまったが最後はほとんど辞典がいらなくなっていた。
お会計の段になり、俺が払うからというとそれは駄目だと勘定書きを渡そうとしない。日本でご馳走になったのだからと一点張りなのだ。友達とみんなで奢ったのを私一人で受ける訳にはいかない。頼むから俺に払わせて欲しいというと、それならアイスクリームを食べに行くのでそこの会計を頼むと云ってきた。申し訳ないやらなんやら一人で異国の地に居る寂しささえも紛らわしてもらった上にご馳走になるなんて。。。ありがとう、それじゃあアイスクリームを山ほど食べて欲しいとお礼を云った。
アイスクリーム屋に向かいながら、広東語の数字を覚えさせられた。ヤッ・イー・サッと何度も復唱しながらあらかたの数字を広東語で云える様になっていった。
これは後々大変役に立つことになる。
アイスクリーム屋で私はAlmond(アーモンド)と書かれたアイスを頼み、彼女達も各々のアイスを頼んで、私が払うと「ドーチェ、ドーチェ」と笑いながら頭を下げている。こっちも日本語で申し訳ないと少額の返礼のお詫びを日本語で伝えて笑いあった。
一口食べると、その味はまるで杏仁豆腐のそれだった。アーモンドとはalmond、チョコに入っているあの豆だとばかり思っていたのだが、二人は「だって杏仁はalmondじゃない」と云っている。。。。これは多分国際的な勘違いが生まれているのだと思った。
杏仁とはアンズの種の中身の仁(じん)の部分のことだと思う。アーモンドはナッツでこれも種の仁の部分だが、どうも別種のものを混同しているかも知れないと感じた。それは上手く言葉で言い表せないので、伝えることを諦めた。
九龍鉄道で沙田の家に帰るという二人を送っていこうとしたら、ここでいいよというので、彌敦道(Nathan Road)のところでお別れをした。
それからホテルに帰ろうと思ったのだが、やはり「廟街」に行かねばなるまいとフラフラと香港の夜景を眺めながら街の方へ歩き出していた。明日はホテルをチェックアウトし別のホテルに行かねばならないのだが、香港の街を歩いていればそんな宿はすぐに見付かると腹が据わってきたのだ。言葉を覚えたことが私を少しだけ強くし始めていた。
~つづく~
※これは1998年の記事です。勘違いなされませんように。