萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

香港旅行記4 1998年11月

2011-09-18 01:37:14 | 懐かしい思い出
『毎晩の廟街』

昨日に続き、また訪れたナイト・マーケット廟街。
当時はそれほどお酒を呑む習慣がなかったので、ほとんど酔ってはいなかったはずだ。フラフラとやってきては廟街を一番奥まで行って元の場所まで戻ってくることを毎晩のように繰り返していたが、最後の方では『おおここはあの辺だな?するともう少しで大きな通りに一旦ぶち当たるな』とか、『この店がでてきたということはもう少しでendだ』という感のようなものが働くようにはなっていった。

ここで言い訳のようだが、「お土産を買うのだ」という口実で毎晩のように廟街に通い詰めていたのだが、最後はお土産を買うためだけに海外まで来たわけじゃないと思うようにもなった。買い物をする程度のことは、『それ違う!あれ、その向こう、そう』を(That is not it! that that,over there! yeah!)みたいな適当な英語で楽しんでいた。
合っているとかいないとかいうのではなく、結果通じたか通じないかだけで、向こうは売りたい、こちらは買いたいという意思さえ通じ合えばなんとでもなるような気持ちが芽生えてきた。ただ、さっきも書いたように、お土産ばかりを買っている自分が馬鹿らしくなることもあった。。。本当は香港で何がしたいのだろう?と考えると何がしたいというのは別に浮かばなかったのだが、色々と感じ、色々と考えるいい機会なのだと思うようになった。後は食事を中心にしたチャレンジ精神の鍛錬かもしれなかった。


お土産、さすがに日本の漫画のパクリTシャツは買わなかったが、アクセサリーや帽子や雑貨など、日本円に換算して安いと思えばいくつか購入することもあった。余り『それ高い、もっと負からない?』という交渉はしていない。それが提示されていればその値段に納得するかしないかだけだった。値段が書かれていないものは余り聞かなかったし、欲しいという衝動が起きなかった。

他にお土産に買ったものはクッキーを部署の人達用に買った以外では、8種類くらい用意し、会社の同期には1から8までの好きな数字を云えというメールを出し、回答をくれたものから順番に品物を渡していった。
番号がダブっても、何度も聞きなおすのも面倒だから、1が一つしかない帽子だったのだが、複数人が1といってきた場合は売り切れた時点で勝手に2に繰り下げてお土産を渡した。

帰国後にみんなあげたお土産は実は全て自分用にも買ってあり、帽子は実は私の分とお揃いになってしまうというなんとも如何わしい(いかがわしい)お土産になってしまった。

『腸粉』

たまに通りの脇にある飛び込んだレストランでは「腸粉」というものを頬張ることが多くなった。鮮蝦腸粉という、ぷりぷりの海老をぷるぷるの米で出来た雲丹のお化けのようなもので包んだものが代表的で、一度食べたら病みつきになった。「one more」と人差し指を立ててお替りをお店の人にお願いすることもあったほどだった。
(口絵の写真参照)


『HAWAII KONA COFFEE』

よく飲んでいた飲みものは何故か缶のハワイのコナコーヒー。
コンビニで必ず帰りに買っていた。量が多くて高くなかったこともそうだったが、クリーミーな割に美味しい珈琲だった。
まさか香港でハワイの珈琲に出会うとは思ってもみなかった。

『タピオカ入りのドリンク』
今では日本でもよく見かけるが、当時は台湾発と云われていたタピオカ入りのドリンクを香港の街角で見かけることが多かった。
なんとなくではあったが、少し気味悪く感じて手を出すことができなかった。

『飲茶とガイドブック』

香港の人は朝から飲茶だ。
飲茶とはお茶を飲みながら、ワゴンに乗せられた点心を選んで食べていくのだが、ページ縁が青く塗られている「地球の歩き方」を手に持って店に入ると、「ヤップーヤン(日本人)、ヤップーヤン、ウーロンチャ、ウーロンチャ」と馬鹿にされたように呼ばわれた。「地球の歩き方」を手に入ってきたのが拙かったのか、その呼ばわり方も気に食わなかったが、毅然とした態度でプーアル茶(普洱茶、Pu'ercha)を頼むと、烏龍茶じゃないのか?と確認される。ふーんという顔つきで納得している。多分「地球の歩き方」を手にした日本人が、非常に多く訪れるお店だったのだろう。たかを括られたのは、ガイドブックの弊害のような気がしたが、向こうも悪気があったわけではなく親しみを込めて烏龍茶と言ったかも知れなかった。

運ばれてくるワゴン車には角煮を餅米でくるんだちまきやらプリプリした点心が運ばれてきておばさんが私の方にも蓋を取って見せてくれる。
指を指すとその蒸籠を置いていってくれるのだ。単純だがお茶の名を告げる以外は言葉を交わさずに楽しめるのも気楽ではあったが、朝から精力的に食べるのはこちらとしても大歓迎だった。お粥を食べに行くこともあったが、2度ほど飲茶のこの店のお世話になった。
最後にお会計の儀式があり、伝票に書かれている金額より少しでも多目のお金を払い、向こうが様々な種類のお札や硬貨でお釣りを持ってきてチップ分を残してお釣りを受けとるのだ。いくらくらいが妥当なのかの相場が分からなかったが、Thank you を連発されたときはさすがにあげすぎたのだと気付いた。


『新しい宿とチェックアウトの心配事』

3日目の朝、飲茶で朝食を済ませてホテルに戻り、さぁ新しい宿を探すのだが、ガイドブックに出ているゲストハウスという類に電話かけて、条件と値段を交渉することにした。
要求したのは帝国酒店にはない”窓”と、付いておいて欲しい”シャワー”と”トイレ”、”エアコンディショナー”、後はベットだと伝えた。
全ての質問にyesと答えてくる。全て付いているというのだ。値段もかなり安い。(値段は忘れた。多分5泊で6,000円から7,000円くらい)ならば今から行くからと伝えた。

そこで帝国酒店をチェックアウトしたのだが、ホテルマンは部屋からかけた電話代を払って欲しいと云ってきたのでもちろん応じた。日本で先払いしてきた宿代は取られないのはもちろんなのだが、私はデポジットを到着時にカードで切っている。デポジットはどうなったんだ?と聞くと、あぁと云ってビリッと破いてみせた。私にはそのデポジットの仕組みとカード払いがその紙を破ったことで無効になるという仕組みを理解していないので帰国してからも不安だった。


『新しい宿、ゲストハウス、small room!!』

新しい宿は名前は覚えていないが、美麗都大厦(ミラドマンション)という重慶大厦(チョンキンマンション)の少し先にある香しい(かぐわしい)名前のビルの中にあるのだが、行ってみてビックリ。ほとんどいかがわしさは重慶と変わらないレベルだった。3階から上は全て中庭をみるように内階段の構造だった。2階まではフルのフロアで一旦中庭を持つフロアに出るのだ。そしてエレベーターも付いているが内階段の回廊型のビルだった。


指定された階に登り、受付で5泊分の値段を払うと鍵と数字を書いた紙を渡された。その紙の数字はなんだろうと思っていると、従業員の一人が上の階まで私を連れて行き、ドアのところに付いている数字式の南京錠のようなロックにその数字に合わせて開けてみろと云っている。その数字に合わせたら確かに開いた。
一番奥の部屋がお前の部屋だと云われたので、ドアの中を覗き込むと左右にいくつかのドアがあり、その奥の正面にもドアがあって、それが私の部屋で渡された鍵で開けることができる部屋だというのだ。じゃ!と従業員は階段を降りていく。チェックアウトの時は必ずその鍵を持って来いよと云っていた。
入り口のドアを閉めたらまた今まで嗅いだことの無い別の鋭い匂いのする場所で、一番奥の部屋まで全てピンクのペンキで塗り潰されていた。狭い通路の横のドアから誰かでてくるのか分からず、少し怖かった。

奥まで進み、ドアに鍵を差し込んで開けてみると、そこには正味2畳、一坪の部屋が広がっていた!
ドアを開けて半畳くらいのフリースペースがあるだけで奥に横になっているベットが1mくらいの高さの板の上に布団だけ敷いたようなものであり、ベットの真下が空洞になっていて、大きな荷物置き場となっていた。
ベットに登ってみるとベットの足元の方にさらに一段高い板が置かれ、そこには灰皿とテレビが置いてあった。
窓枠には小さいがうるさいよく冷えるクーラーが据え付けられている。
入り口の半畳スペースの横にレールのカーテンがありそこを開けると洋式のトイレだった。
???シャワーは?と思い、上を見ると便器の上の方にシャワーが付いている。トイレでシャワーを浴びろというわけだ。
入り口の方をみると天井から細い梁のようなものが垂れていた。

思わずそのあまりの狭さと全てを詰め込んだ部屋に驚き、大声で嗤い始めてしまった。
ベットをバンバン叩き、涙をこぼしながら、自分の引いた途轍もなく面白い部屋に感激したのだ。確かに窓もあり、エアコンもついていて、トイレもあり、シャワーもあった。確かにその通りなのだが。。。。予想した以上に上級者向けな部屋に驚いた。


ひとしきり嗤うと、荷物をまとめ、着替えて出かけることにした。
ドアを開けると狭い通路の左側のドアが開いていて、複数人のフィリピン人と思われる女性達がこちらを向いて笑っていた。さっきの馬鹿笑いが聞えていたのだろう。少し恥ずかしかったがぺこりと頭を下げて挨拶したのだが、含み笑いのような顔でドアを閉じてしまった。
何人で部屋をシェアしているのだろう。。。彼女達は『頭のおかしな奴が来た』とでも言い合って笑っているのだと思った、共同で使う入り口のドアを閉めるまで彼女達の笑い声が消えなかった。

『オーシャンパークと遊園地』

この日、行ってみようと思った場所は香港島の南側にあるオーシャンパーク(だったかな?)という水族館。伊豆三津シーパラダイスや八景島シーパラダイスのような場所だった。
香港島に渡り、それらしいバスを見つけて、オーシャンパークに行くか?と運転席から降りて煙草を吹かせている運転手に聞くと、チケットはあそこで売っている、入園券とセットで買うと安いとかいう情報を教えてくれた。あともうすぐ出発だ、急げと喚かれた。
施設の中は水族館とイルカやアシカなどのショーが開かれる会場がある。後方で遠目にそのショーを見ていたのだが、全てのショーがバイリンガルだった。
広東語のあとに必ず英語が流れる。今でこそ日本の電車でもNext station is・・・と流れるが当時はそのバイリンガルな香港がとても親切な場所に感じられた。ただ単に統治下だった影響でそうなっただけかもしれないが。。。子供達はキャッキャとはしゃいでいた。

ロープーウェイのある遊園地にも行った。ただ同じ日に行ったか別の日に行ったかの記憶が曖昧である。連れがいないとそのロープウェイも一人だけの乗車になる。
向かい側に降りてくるロープウェイに子供が乗っていれば必ず手を振ってくるのだが、私が一人で乗っていることに気付いた子供達は百発百中、手を振り終わると親の方に、『あの人一人だよ』と囁いているような仕草が辛かった。
園内で乗った小さな周遊電車みたいなものに、西洋人の夫婦が2組と私が一人で乗ったのだが、私は現地人とでも思われたのだろう。西洋人たちはちょうどリタイアされた方々のようで、私達はカナダのトロントから来ました。私達はアメリカのカリフォルニアから来ましたと、自己紹介が始まっていた。
水族館も遊園地も一人で行くところではない。会話といえばこれくれあれくれとかを英語で交わすばかりになっていく。たかだか1週間な旅行なのだが、この水族館と遊園地に一人で行った印象はかなり強烈に骨身に染みていて、日本だったら確かに一人では来ないかな?と自虐的に笑うしかなかった。

そういうリゾート的な部分でいうと赤柱という浜辺があり、ガイドブックには泳げると書いてあった。確かに水着も持ってきてはいたのだが、泳ぐというのはかなりの安心感がないと出来ないと感じた。パスポート、帰りの飛行機のチケット、もちろん財布などなどホテルに置いておけるものもあるのだが、失くしたら困るものを数多く一人で身に付けている状態で泳ぐというのは余りにも開放感に包まれた行為だと思った。そこまで安心できることはこの旅行の最後まで訪れることはなかった。

『Cat StreetでHanging Scroll』

上環(ションワン: Sheung Wan)という中環から西に路面電車や地下鉄で行ける果ての街だが、親からもらった、「掛け軸を探してきて」というミッションを果たすために複数回来ることになった。ここから澳門行きのフェリーが出ていたりする。
骨董品街で、高級そうなものからインチキそうなものまで色々なお店があるキャット・ストリート摩羅上街Upper Lascar Row 別名Cat Street という場所に通った。


初めて訪れた時に入った一番初めのお店では、本格的に高いものが飾られている。若い店主が「説明します」というので、余り高いものは買えないんですけどと断ったが、構いませんと色々なことを教えてくれた。
山水や中国で有名な画家が描いたもの、掛け軸はHanging(掛ける)Scroll(巻物)と英語で呼ばれることを教えてもらったりした。若い店主といっても当時の自分と同い年くらいのその人はこれなんかも結構いいんですよと次々と広げて見せてくれたり、店の奥の方に飾られているものを見せてくれたりした。
やはりそれは所持金を全て渡しても足りない以上の値段で日本円で○十万円するようなものばかりだった。溜め息が出るばかりだ。予算を聞かれて「1万円くらいでないものか?」と聞くと沢山の店があるから気に入ったものが手に入るかは分からないけど、もっと安いものから扱っているお店もあるので探してみなよと教えてくれた。

Good Luckと励ましてくれる店主、初っ端のお店が高級本物店だったことは良かったのか悪かったのか。。。お礼を云って退店した。

何軒か訪ねたお店の中で、御婆様二人で開かれている店があり、Hangnig scroll、flower、ジェスチャーでツルツルツルと巻物を解く様や両手で花の形を作ったりして意思を伝えると小汚い掛け軸を出して来てくれた。
それは名も知らない花が墨水で描かれ、なんとも味のある掛け軸だが、ところどころ煙草の染みのようなものが散らばり、絵の脇辺りは少し破けているようなものだった。値段を聞くと1,000円しない。花の掛け軸はこれでいいか?と購入することにした。(笑)
実家に持っていくと親父はせっかくの新居にこんなの飾れないよと笑っていた。

他にも銅鑼湾(Causeway Bay)で掛け軸や絵画などの即売会が開かれていて、ちょうどいいとばかりに、たっぷり吟味した上で10,000円くらいの大きな鶴と松の掛け軸も購入した。もちろんそっちも実家に飾られているのを見たことがない。(笑)

ただ、骨董品や絵画を買うというのは、思った以上に楽しい買い物だった。

この前書いた、現地で調達したガイドブックが出てきたので、写真に撮ってみた。写真をクリックしてみてもらえば分かると思うが、'98版だというのが分かる。



実は川越に転勤になったばかりの頃、ちょうど同僚が香港に旅行に行くというので貸した記憶がある。
その時は結構役に立つと云って貸した気がする。。。記事では眺めるだけだと書いていたが。。。
小さい方は乗物のガイドブックだ。
トラムとかバスや高速鉄道の値段や種類が出ていた。
この現地のガイドブックが便利と書いてあったのは「地球の歩き方」の中だったのだ。
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