2日目の朝、野迫川温泉・ホテルのせ川周辺は好天になっていた。
スタート前の集合写真を、ホテル前で撮る。
ホテルからは、マイクロバスに乗り、前日ゴールとした大股バス停にまで送ってもらう。
大股バス停から、すぐに集落内の急坂を上っていく。
少し上がって行くと、バス停の下を流れていた川原桶川が良く見える。
この先は伯母子岳登山口だ。
40分ほど歩くと小屋が見えてきた。
看板を見ると萱小屋跡と書いてあった。跡とはいえ、今もきれいな避難小屋が建てられている。いざとなれば、避難小屋として宿泊もできるようだ。
小屋の裏に水場があるというので、回ってみると、冷たい水の中にビールが冷やしてあった。こんなところにビールがあるとは思いもよらなかったが、小屋番の気持ちが嬉しくて、2本分のお金を箱に入れて、有難く、みんなで分け合って飲んで行く。
さらに進んで行くと、木が倒れ、道をふさいでいる場所がいくつもあった。
登り始めて約2時間。伯母子岳山頂が見えてきた。
伯母子岳山頂1344mに到着だ。伯母子岳は紀伊山地西部・奥高野の山であり、日本二百名山の一座でもある。熊野古道・小辺路を通るコースでもあり、名所旧跡など歴史的な側面があるにも関わらず、アクセスの悪さから訪れる人が少なく静かな山だった。当初、二百名山とは思ってもいなかったので、ちょっと得した気分になった。
山頂からの展望は奥高野随一だという。
伯母子峠を経ての小辺路ルートは、登山道が崩落しているらしく、伯母子峠を通らずに迂回ルートを進む。
上西家跡。明治頃まで街道宿を営んでいた上西家の遺構。明治の頃には間口9間・奥行6間の豪邸があり、最後の住人が昭和初めまで住んでいたそうだ。
水ヶ元(茶屋跡)。この場所には、山姥のような老女が一人で住んでいたという。
待平。屋敷跡のある平坦地だ。「熊野案内記」では寺、他の資料では茶店とあり、さらに古老の話では関所跡との伝承があるという。
反対側の伯母子岳登山口に到着して少し歩くときれいなトイレがあった。
腰抜田。案内板によると、「南北朝の頃、北朝方から逃れた大塔宮護良親王が五百瀬を通過しようとした際、荘司に行く手をさえぎられ、通過を認める代わりに錦旗を置いていくこととなった。その後、遅れてきた大塔宮の家来がそのことを知って大いに怒り、荘司の家来を水田に投げ飛ばした。そのとき投げ飛ばされた家来が腰を抜かしたため、その水田を腰抜田と呼ぶようになった。明治の大水害で埋没したため、現在は川底にねむっている」
腰抜田から歩いてすぐに三浦口バス停がある。2日目のゴールは、三浦口バス停としていたが、時間が早すぎてまだ13時半だった。2日目の宿に電話をすれば迎えに来てくれるとの事だったが、早すぎて申し訳ないので、2キロほど先の宿まで吊り橋を渡って歩いていくことにした。
吊り橋を渡ると、小辺路ルートを外れる。
美しい沢が所々に流れていて、気持ち良い道が続いていた。
14時頃、農家民宿山本に到着する。歩行時間5時間50分。距離は15.2キロで、2日目もかなり速いペースだった。
参考1.2日目の高低図&タイム
参考2.2日目のコースマップ
「2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-3日目(三浦口~十津川温泉)」に続く。
スタート前の集合写真を、ホテル前で撮る。
ホテルからは、マイクロバスに乗り、前日ゴールとした大股バス停にまで送ってもらう。
大股バス停から、すぐに集落内の急坂を上っていく。
少し上がって行くと、バス停の下を流れていた川原桶川が良く見える。
この先は伯母子岳登山口だ。
40分ほど歩くと小屋が見えてきた。
看板を見ると萱小屋跡と書いてあった。跡とはいえ、今もきれいな避難小屋が建てられている。いざとなれば、避難小屋として宿泊もできるようだ。
小屋の裏に水場があるというので、回ってみると、冷たい水の中にビールが冷やしてあった。こんなところにビールがあるとは思いもよらなかったが、小屋番の気持ちが嬉しくて、2本分のお金を箱に入れて、有難く、みんなで分け合って飲んで行く。
さらに進んで行くと、木が倒れ、道をふさいでいる場所がいくつもあった。
登り始めて約2時間。伯母子岳山頂が見えてきた。
伯母子岳山頂1344mに到着だ。伯母子岳は紀伊山地西部・奥高野の山であり、日本二百名山の一座でもある。熊野古道・小辺路を通るコースでもあり、名所旧跡など歴史的な側面があるにも関わらず、アクセスの悪さから訪れる人が少なく静かな山だった。当初、二百名山とは思ってもいなかったので、ちょっと得した気分になった。
山頂からの展望は奥高野随一だという。
伯母子峠を経ての小辺路ルートは、登山道が崩落しているらしく、伯母子峠を通らずに迂回ルートを進む。
上西家跡。明治頃まで街道宿を営んでいた上西家の遺構。明治の頃には間口9間・奥行6間の豪邸があり、最後の住人が昭和初めまで住んでいたそうだ。
水ヶ元(茶屋跡)。この場所には、山姥のような老女が一人で住んでいたという。
待平。屋敷跡のある平坦地だ。「熊野案内記」では寺、他の資料では茶店とあり、さらに古老の話では関所跡との伝承があるという。
反対側の伯母子岳登山口に到着して少し歩くときれいなトイレがあった。
腰抜田。案内板によると、「南北朝の頃、北朝方から逃れた大塔宮護良親王が五百瀬を通過しようとした際、荘司に行く手をさえぎられ、通過を認める代わりに錦旗を置いていくこととなった。その後、遅れてきた大塔宮の家来がそのことを知って大いに怒り、荘司の家来を水田に投げ飛ばした。そのとき投げ飛ばされた家来が腰を抜かしたため、その水田を腰抜田と呼ぶようになった。明治の大水害で埋没したため、現在は川底にねむっている」
腰抜田から歩いてすぐに三浦口バス停がある。2日目のゴールは、三浦口バス停としていたが、時間が早すぎてまだ13時半だった。2日目の宿に電話をすれば迎えに来てくれるとの事だったが、早すぎて申し訳ないので、2キロほど先の宿まで吊り橋を渡って歩いていくことにした。
吊り橋を渡ると、小辺路ルートを外れる。
美しい沢が所々に流れていて、気持ち良い道が続いていた。
14時頃、農家民宿山本に到着する。歩行時間5時間50分。距離は15.2キロで、2日目もかなり速いペースだった。
参考1.2日目の高低図&タイム
参考2.2日目のコースマップ
「2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-3日目(三浦口~十津川温泉)」に続く。