とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-4日目(十津川温泉~熊野本宮大社)

2021-07-16 19:22:55 | 熊野古道
最終日となり、宿の前で集合写真を撮ってから出発する。小辺路ルートの続きである柳本吊橋までは、宿の人に送ってもらう。


柳本吊り橋は、今までの吊橋とは違い、かなり揺れ緊張感に強いられる。一度に乗れるのは5人までとの事で、距離を取って渡っていく。




揺れながらも、吊橋の中ほどで川の流れを撮ってみる。


吊橋の先で、渡り切った仲間たちが迎えてくれた。


いよいよ、最後の峠である果無峠に向かって歩き出す。


10分ほど歩くと、果無峠の登山口だ。


急な上りの石畳道を進んで行く。




果無集落に入る。十津川村の中でも世界遺産が通る果無集落は果無山脈を見渡すその美しさから「天空の郷」と呼ばれている。果無集落は昔ながらの古き良き日本の生活が残っており、のどかな暮らしに旅人が「ほっ」とするスポットである。


集落の先から山を見上げながら、お花畑の中を進んで行く。


集落の出口には、世界遺産の石碑が建っている。熊野古道は、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に次ぎ、道として世界遺産に登録された2番目の事例となっている。


果無集落から八木尾にかけての峠道には、大正末期に地元の人々の寄進によって西国三十三番札所を模した観音石仏が据えられており、以後、観音様を見つけながら進んで行く。




果無峠への長い坂を進んで行く。


山口茶屋跡。東西には石垣が残っており、東側には防風林と思われる杉の巨木が数本ある。


山口茶屋跡から約30分で「観音堂」に到着する。峠越えで唯一の水場となり、トイレもあって休憩を取るにはちょうどいい場所だ。


展望が開けた場所から下界を見下ろす。


第18番観音。いろんな観音様の表情を見るのが面白い。


果無峠1114mに到着する。それにしても果無(はてなし)という名前は、何か、遠い遠い場所を想起させ、この場所に着いたことがとても感慨深かった。この名前の起源を調べてみると、紀伊半島を東西に貫く山脈の尾根にあって、果てがないから果無という説(江戸幕府が作った地史にも『谷かすかにして峰遠し、よりて果無といわく』と書かれている)と、1331年に鎌倉幕府打倒を掲げて乱を起こすも、失敗して隠岐に流された後醍醐天皇の息子、護良親王が果無集落のあたりまで逃げてきた。その時に、逃げても逃げても、追われて「果てがない」ということで、名付けられたという説があるらしい。


長い下り坂が終わるころ、八木尾の集落が見えてきた。


石段を下ると、車道となる。


川沿いの歩道を歩き、道の駅「奥熊野古道ほんぐう」で昼食休憩とする。


平岩口の分岐から三軒茶屋跡まで歩く。ここは、中辺路との分岐点だ。入り口には、九鬼ヶ口関所跡の門があり懐かしい。


あとは、前回通った道を進むのだが、ちょっとより道コースがあり、展望台に寄っていく。展望台からは、大斎原の大鳥居が見える。


熊野本宮大社に到着する。もう何度も来た場所だ。


本宮大社前からは、バスで新宮まで向かい、JRで帰路についた。3泊4日で熊野古道の中でも一番ハードだと言われる小辺路を一気に走破できた。毎日大きな峠越があったが、誰も遅れることなく無事到着出来たことが何よりだった。

参考1.4日目の高低図&タイム


参考2.4日目のコースマップ