とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021第9回熊野古道ジャーニーマラニック:紀伊路編その1-3日目(湯浅~御坊)

2021-11-05 19:18:19 | 熊野古道
3日目は、朝から雨模様。雨具を着て早めの出発とする。夕食・朝食とも近くのスーパーで買い込んできたもので済ましただけなので、いつもより早めに出ることが出来た。


我々が泊まった宿の隣も、同じような古民家をリノベーションした宿だ。


雨の中、『重要伝統的建造物群保存地区』の通りを進む。


立石道標。熊野古道沿いに天保9年(1838年)に建てられた2.35メートルの大きな石の道標。四角い石の面には、東西南北の方角と「きみゐでら(紀三井寺)」「すぐ熊野道」「いせかうや(伊勢高野)」などと巡拝地名が記されており、各地へ巡礼をおこなう人々の道しるべとなっている。


紀伊国屋文左衛門の顕彰碑。嵐の中みかんを紀州から江戸まで運び富を築いたという「みかん船伝説」の残る、江戸時代の豪商「紀伊国屋文左衛門」の顕彰碑だ。文左衛門は湯浅町別所地区の生まれという説があり、この碑は現在のパナソニック株式会社の創業者である故 松下幸之助氏により奉納された。


井関地区に入ると、石垣に江戸末期の村の絵図が描かれていた。個人名の旅篭が多くあり、当時は栄えていたことがよくわかる。


河瀬(ごのせ)王子社跡。古い文献では「角瀬」あるいは「津の瀬」という王子社名だが、江戸時代の村名が河瀬であったことから、「ごのせ王子」と呼ばれるようになったそうだ。


紀伊路最大の難所として知られる鹿ケ瀬峠(大峠)への上りの手前にあるのが、地蔵時にある「汗かき地蔵」だ。峠へ上る人の背中を押して助けたので額に汗をかいているという伝説が残っている。


坂をグングン上っていき、峠まで710mの道標を過ぎると、野生動物除けのゲートを通り抜ける。


峠近くにある地蔵は、「痔の神地蔵」といわれるとともに、「縛られ地蔵」とも呼ばれ、尋ね人がみつかるよう、この地蔵に縄を掛け、見つかると縄を解く風習が続いているという。


鹿ケ瀬(ししがせ)峠に到着する。太平記、源平盛衰記など軍記物にも散見されるように軍事的にも要害の地であったため、古い山城の跡も残されている。また、江戸時代には茶屋もあったようだ。




小峠からの下り道は、熊野古道で現存する最長の石畳道(全長503メートル)である。


平らな石を選んで綺麗に敷き詰めた石畳は長いだけでなく美しく、このように古くて綺麗な石畳道は他にはない。


石畳道の終点まで来た。下りで石畳道を歩くのは、結構膝に来るので、終わってホッとする。


沓掛王子跡。峻険な峠越えの後では沓(わらじ)も相当に傷んでしまう。そこで、ひと休みして沓をかけ直したのでこの名がある。


四ツ石聖蹟地。この場所には4つの石があり、後鳥羽上皇が小憩した際、公卿たちと共にこれらの石に腰掛けられたので「四ツ石聖蹟地」と伝えられている。


四ツ石聖蹟地の後ろの田んぼに人がいるように見えたので、よく見ると案山子だった。あまりにもリアルなのでビックリ。


内ノ畑王子跡。藤原定家が木の枝を刈って槌をつくり、榊の枝につけて内ノ畑王子に奉納したと「御幸記」に書かれていることから槌王子ともいう。


高家王子跡。現在は、内原王子神社となっている。トイレや広場もあり、ここでランチ休憩する。


善童子王子跡。連同寺王子、田藤次王子、伝童子王子、出王子、出童子また若一王子とも呼ばれ、人間の耳のあいまいさに加え紀州の人々の発音の特徴を物語る呼び名が一番多い王子だという。また、善童子神社として祀られ、女性が願うと良い子が授かれるということから「よい子の神社」とも呼ばれている。


そして、この旅の最後は、安珍清姫伝説で有名な道成寺で締めくくりだ。まずは、山門前で記念撮影。


安珍清姫伝説で有名な釣鐘は、通常、道成寺にはないそうなのだが、今回はたまたま所蔵する京都市の妙満寺から17年ぶりに「里帰り」していた。鐘を寄進した地元の豪族逸見万壽丸(まんじゅまる)の生誕700年に合わせて、道成寺が企画、妙満寺が快諾したもので、10月24日から約1か月間、一般に無料公開されるようになったというのだ。


道成寺の名物は、安珍清姫物語の絵解き説法があることだ。まずは、宝物殿に入り、道成寺の由来、宮古姫の物語などを聞いた後、絵巻物を広げながらの安珍清姫物語を興味深く聞く。この物語を要約すると、こんな感じだ。
“平安時代、熊野詣に訪れた修行僧・安珍に恋した清姫が、失恋の痛手から大蛇となり、道成寺の釣り鐘の中に隠れた安珍を、鐘ごと焼き殺したとされる悲恋の物語”

一方、万壽丸は、南北朝時代の南朝方で武勲を上げて同寺周辺を含む矢田庄の領主となった。焼失したとされる鐘を復元し、同寺に寄進した人物だが、万壽丸が寄進した2代目の鐘は、復元後、音がこもったり、疫病がはやったりしたことから、清姫のたたりと恐れられ、山中に埋められた。1585年の豊臣秀吉の紀州攻めの際に戦利品として持ち去られ、妙満寺に納められたとされている。

説法を聞いた後、いよいよ本堂に向かい、釣鐘と対面だ。


本堂の前に安置されているのが、伝説の釣鐘である。高さ1.1メートル、重さ約250キロの青銅製だ。これが、あの釣鐘かと思うと感慨深い。


三重塔の西側には、安珍の霊を慰める安珍塚がある。石碑とその傍に塚のしるしとされている「榁(むろ)の木」が植えられている。榁の木は枯れて「蛇榁」といわれている。


道成寺を出てから、御坊駅近くの日帰り温泉に寄って汗を流してから、御坊駅で電車に乗って帰路についた。

参考1.3日目の高低図&タイム


参考2.3日目のコースマップ

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