所属結社「童子」では毎年公募による「わらべ賞」というのを、やっています。私は2004年に入賞、2005年に大賞、2006年に明彦賞(編集長賞)を受賞しています。受賞作品は、当時の「童子」では発表されたのですが、それっきりなので、ここで改めて記録したいと思います。20句ですが、読んでいただけたら嬉しいです。2004年わらべ賞入賞作品。
「毛虫」
町内に葬(はふり)ふたつや雪の下
突き当たり毛虫は躰曲げにけり
しづかかな紫陽花祭と幟立て
青梅に茶店は閉ぢてをりにけり
夏花(げばな)摘む天神様の裏の山
滴りに殖えてをるなり神の鶏(とり)
客ぽつりぽつりぽつりと夏芝居
揚羽蝶アルハンブラに行くといふ
うはずみのやうな人かな端居(はしい)して
菰巻(こもまき)の跡苔むしてをりにけり
こんなにも急に来るなよ水中り(みずあたり)
簾ちよと巻き上げ雨を確かむる
紙魚(しみ)走る伊勢騒動の顛末記
家系図に我の名はなし冷素麺
祖父叱り祖母とりなすや簟(たかむしろ)
白南風や御先祖様が掛軸に
板の間を拭き終えへ土用蜆かな
真昼間の目覚まし鳴るや竹の秋
出口まで来て引き返す星の恋
捻花の影まつすぐにありにけり
*この年の大賞は、たなか迪子さんと如月真菜さんでした。主宰からは「郊外の小さな町の暮らしの哀愁を描写している。まるで向田邦子の小品を読むようだ」との評をいただいています。かっこ内の読みは、今回入れたものです。
1句として読んでも成り立つし、かつ20句で一つの作品になるように作るのは、楽しいものです。こういうとき季節がいろいろ混じらないようにするのも鉄則ですが、夏の中に「竹の秋」と春の季語がひとつ入っています。きっと当時夏季と勘違いして入れていたのでしょう。「星の恋」というのは、七夕のことで、これは実は秋。(旧暦だと秋になるので)でも、初秋だし、この辺が20句の終わりに入るのは許せるかな。と、「紫陽花祭と」と中8になっているとか、今だったら直したいところもありますが、そのままここに載せておきます。
句の中に出てくる御先祖様の掛け軸です。俳句はフィクションですが、実際のことを手がかりとして作る場合が多いので、自分のことがチラチラと入っています。
この掛け軸は義産和尚という人で、母方の御先祖さまです。江戸時代、秋田の佐竹藩主3代に仕えた天徳寺というお寺の住職でした。伯父が本に残してはいるのですが、読みづらく、内容をよく把握していません。が、そのもっと昔をたどると、南北朝時代の南朝方の天皇が金沢から山形方面に逃れ、秋田の湯沢に来たとか書かれています。このあたりになると信憑性のほどはわかりませんが、義産和尚と、伊勢暴動(上の俳句では伊勢騒動としていますが)のときに、伊勢に巡査として行っていたという人は確かにいたようです。その巡査だった人は、職を辞してから秋田看護学校を創設したとか。でも今は残念ながら、母方の親戚とはあまり交流もなく、でもこういう流れがあって自分がいる、そしてこれからも続いていくということは、ちゃんと把握しておきたいなと思っています。歳をとったということかもしれません。