私は蔵フェチです。
西馬音内の盆踊りの行き帰り、増田町に寄りました。車で30分くらいのここも小さな町です。でも明治時代から昭和初期まで、交通の要所として相当栄えていたようです。
こんなふうに何気ない町です。
古い木造の家があちこちにあります。 この写真の二階部分に、蔵の外側の白壁が見えるのがわかるでしょうか?
上の写真とは別のお宅ですが、このように蔵の戸や壁が漆塗りの飾りがほどこされています。これも木造の家の中です。 内部は座敷になっていて、冠婚葬祭に使われます。家の人が亡くなったときも、ここに運ばれるのだとか。(内部までは観られません)
町中に、現存しているこれらの内蔵のうち10件ほどが、随時公開されています。上の写真はぼけてしまっていますが、漆蔵資料館を兼ねている稲庭うどんのお店です。ここだけは蔵の内部を公開しています。(写真、蔵の中です)他の個人のお宅に比べて、漆を磨いているので、すばらしく豪華です。京都の町屋のように、間口が狭く奥行きがある敷地に、蔵が三つも並んでいて、通し土間があるというお宅もありました。何より、そこで今現在も生活しているのですから、すばらしいです。横手市というのは、かまくらで有名な地。豪雪地帯です。大切なものをしまう蔵を雪から守るために屋敷の中に据えているのです。
関東北部のK市など、蔵で有名な町がありますが、増田のよさは、今現在そこで生活をしている方がいるということです。 10年前くらいまでは、秋田の人でもここの蔵の存在を知りませんでした。それがこの数年にわかに脚光を浴びています。このように訪れる人に、一軒一軒が丁寧に対応をしてくださるというのが、ずっと続くのかどうか、蔵自体が次世代に受け継がれていくのかどうか懸念されます。手入れや冬の寒さなどを考えたときに、今のように生活の場として受け継いでいくのは、なかなか難しいと思います。
東日本大震災の後、津波に町が流れてしまったところに、蔵だけがぽつんと残っているという景色も見ました。蔵はそれほど頑丈ということで、火災が多かった時代に、大切なものを火から守る役目がありました。今回説明をしていただいた中でも、「火事のときには~」と何度も聞きました。ただ残念なことに2011年3月11日の揺れにより、一部漆喰が落ちてしまったところや、ひびが走っている壁などもありました。
また写真を撮り忘れてしまいましたが、宿泊した湯沢は酒所で有名です。両関、爛漫という大きな酒元があるのですが、そこよりもっと古いという木村酒造さんを見学しました。(400年だそうです)ここの酒蔵は、日本酒の清らかな香りがしてまた違う風情でした。
町を見下ろす高台を歩いていて喉が渇いたと思っていたら、古いお宅で店風のところがあり、でもやっているのかな? 閉まっているのかなと覗いていたら、そこは「藤花」というパン屋さんでした。お店の方が出てきてくれて、きょうは休みで、残っているものだけど……と言いつつ、パンをトーストしたものと冷たいお水を土間でごちそうしてくださいました。このパン屋さんも、蔵が家とつながっていて、蔵の中に小麦粉などを保存しているとのことでした。(外は冬は零下になりますが、蔵の中は大丈夫とのことでした)
ここの高台の何気ない秋草に囲まれた家並みがとても静かで、暑いながらもほっとするひとときでした。