〈隠岐2日目-7月29日〉
たまたまだったのですが、5年ぶりの古典相撲が行われていました。隠岐の相撲は300年の歴史のある宮相撲だったのが一時途切れ、現代では何か慶事があったときだけ季節を問わずに開催されるのだそうです。今年は隠岐病院が新しくなったことを祝して。 現在国技となっている相撲の歴史は古く、季語としては秋に分類されています。これは日本は農耕の国なので、秋の収穫が終わったあとの奉納相撲が本来だからです。「村相撲」「力士」「関脇」なども秋の季語になります。夏の相撲は「涼み相撲」「納涼相撲」。外に土俵がしつらえられ、28日夕方から夜通しで取り組みがあり、私たちが行った頃は、3役の見応えのある取り組みに大盛り上がり。出場しているのが全て地元の人たちなので、各地区の対抗の形になっています。呼び出しは四股名ですが、そのあと四方に向かって「○○〈屋号)のあんさん〈長男)~」、「吉田屋のおっさ~ん(次男)」などと紹介され、そのたび大喝采でした。勝つと、半端じゃない塩が振りまかれるのも豪快でした。いやー、それにしても暑かったです。夜に見るのもよかっただろうなと思いました。隠岐出身の力士のいる大相撲の八角部屋が合宿をかねて来ていたようです。
横綱というのは大相撲だけの役で、大相撲以外では一番強いのは大関なのだと初めて知りました。
句会では、〈賞品は土俵柱や島相撲〉という句を出したのですが、なんと〈賞品は〉が他の助詞になっているだけ、つまり一字しか違わない句が他の方から出ました。吟行ではこういうことがあります。でも主宰からはどっちの句もとっていただけませんでした。(前日は、似たような句で入選もあったので、同じだからというわけではなく)島の人にとっては当然のことを言っただけで発見がない、ということです。句会は勉強ですから。ここではまだ公表できませんが、主宰の句はさすがとうなりました。
隠岐は小さな漁港がたくさんあります。これは船小屋。
俳人はこういう場所が好きです。低学年くらいの兄弟が横でシュノーケリングをしていました。この日の句会では、船小屋に玉葱が吊られていた、荒布(あらめ)が干してあった、船小屋の柱が夏潮の中にあった、などなどたくさん詠まれていましたがやはり似た句が多く、そこでどうぬきんでるか、季語をどう使うかなど、ほんっと勉強になりました。
隠岐は童子副主宰の出身地でもあり、もう家はなくなっていますがその跡地も訪れました。
安部元気生家の跡や南瓜這ふ あぶみ
この句、句会では点をいただけませんでした。あいさつ句として南瓜が這うというのはいかがなものかという講評。(同じ場所を読んで白瓜と取り合わせた他の方の句はこの「白瓜がいい」と特選だったこともあり)
ところがところが、東京に戻った主宰から、「あの〈南瓜這ふ〉の句が実はずっと気にかかっていました。あのときはああいったけれど、これだけ気にかかるということは、それだけインパクトがあるいい句だということです。訂正します」とわざわざ電話をいただき大恐縮、大感激。
他に樹齢2000年の杉のある玉若酢(たまわかす)神社、駅鈴や小泉八雲ゆかりの品が展示されている宮司を代々司っている億岐家(隠岐騒動のときの刀傷や銃弾のあとが柱にありました)、隠岐の島町最古の住宅佐々木家を見学というてんこ盛り。
夕飯のバーベキュー後は、海蛍を見に行って一日を締めくくりました。海蛍は、プランクトンである夜光虫とは違っていて甲殻類で、海の底で光ります。(夜光虫は波間に漂うという違いがあるとのこと)たくさんいましたよ! 海蛍。青く光っていました!