fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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言葉に酔っちゃあいけない

2016年03月16日 | 日記
 先日出かけた句会で回ってきた句を読んで、何度も「へえー」とつぶやいていました。

 「海境(うみさか)」「漁る(すなどる)」「磯馴松(そなれまつ)」など、初めて知る言葉達に感心して。
 海境なんて、持っていた電子辞書で調べると、「海の神国と人の国との境」なんてあって。ほおーっと。

 でも二次会でその話題になり、「言葉に酔っちゃあいけない」と。そうなんですよね。覚えると使いたくなるけれど、使いこなしてなくては仕方がない。優しい言葉の方が、すっと伝わるし。
 礁・・・いくり。も何句か出ていましたが、それらの句は、この堅い言葉が活きていないなと思ったのは、知っていたからかも。

 勉強、勉強。

  森戸神社脇の潮入り川の様子。

 なーんて、「潮入り川」という言葉も、俳句で覚えたんだったなあ。作りたかったけど、使えなかった。そもそも、この言葉を使おうという心持ちで望むのが間違いか。
 

開発

2016年03月15日 | 日記
 

 散歩途中にこんなふうに鶏を放し飼いにしている大きくて古い家があります。(ちょっとわかりにくいけど、写真には白い烏骨鶏? が3羽と黒いのが1羽。他にも数羽います)ホントに自然豊かなところです。
 と、言いたいところですが、実は・・・。
    

   
 ガーン。

 現在、こんなふうな状況です。甲州街道から八王子に抜けるバイパスがあるのですが、そのそばにもう一本大きな道路ができるらしい。田んぼもすでに住宅地になっています。鶏のいる家と、上の写真の左にある家2軒が、がんばって立ち退かずにいますが、いつまで? 
 だいぶ前にここにあった蔵を壊す前に見せていただいたことも書きましたっけ。

 
先日書いたように、私たちは自然を破壊しながら生活している・・・。ホントにここに道路が必要なのかなとずっと思っているのですけどね。

漫勉

2016年03月14日 | 日記
NHKのEテレ木曜23時から「漫勉」のシリーズ2が始まりました。
 シリーズ1は、見ていないのです。
 なので、今回は録画予約して。

 すでに2回終了していますが、第1回のことを。(第2回は、録画されてなかった・・・)
 1回目は、萩尾望都さんでした。
 とにかく、すごい! 少女漫画の神様と言われる大御所が、下書きからペン入れまで、一つの線も妥協せずにやってらっしゃる。当たり前であって、それは本当にすごい姿でした。まさに神々しい。
 手の形に納得がいかず、その部分の下書きに2時間も費やす姿。
 ペンで線を描くその様子が、「彫るっているよう」だと浦沢直樹は表現していました。ホント。
 感情をゆさぶるということは大変なこと。こっちも必死にやらないと伝わらない。
とおっしゃっていました。ひれ伏したい。いや、ひれ伏します。

 萩尾漫画で一番好きなのは、『マージナル』です。すべての漫画の中でベスト1かも。
 最近のは読んでないなあ。読みたくなりました。

  ミモザ 

 それにしても、膨大な量を描いてらっしゃる。正直私よりずっとご年配。でも毎日午後1時から午前3時まで描いているとのこと。アシスタントらしき人が一人いましたが、一人だけ。
 漫画の場合、ストーリーも全部一人なんですからね。いやー、すごすぎる。

病気?

2016年03月13日 | 日記
      

 群れと離れて用水に一羽だけいるこの鷺。もしかしたら、怪我をしているのかもしれません。以前は近づくと飛び立ったのに、ととととと水の中を歩いて向こうへ行くのですよ。

 この近くには鯉の群れもいて、パンをあげているのですが、その中にはあきらかに病気の鯉が一匹います。あまりにもグロテスクなので写真のアップはしませんが、頭から背中にかけて、盛り上がり、それもこのところひどい状態。癌なのではないでしょうか。
 みな黒い鯉なのですが、背中のあたりが白くなってきているものも一匹います。
 他の鯉といっしょに元気にパンは食べるのですけどね。

伏線ー西加奈子『さくら』と雑誌「飛ぶ教室」

2016年03月12日 | 日記
 西加奈子さんの『さくら』を読みました。だいぶ前のベストセラーなのですね。
 ああ、あの一章はこの一行のための伏線だったんだ。と思った部分がありました。見事です。作者がそう意識して書いたかどうかはわかりませんが。
 読んでいて体の中の水分がさざ波を立て続けるようで、読みながらも(ずっとではないですが)、そして読み終えた後も、部分部分がよみがえって涙が出る。という一冊でした。久しぶりに文学に浸ったような。でも一点だけ、疑問が残っています。

 直木賞受賞作の原型とも言われているらしいですが、受賞作のほうは未読です。そして先日発売になった受賞後第一作目が児童文学なんですよね。(読みましたよ。こちらも、さすがです)児童文学と大人の文学の境はあってないようなものですが、でもある。でも、ない。というところ。
 
 また「飛ぶ教室」44号は、俳句、短歌、詩の特集だったので購入。その中で、詩人の斉藤倫(『どろぼうのどろぼん』の作者)さんの「伏線」という詩がおもしろかったです。普段現代詩をおもしろいとか、いいなとかってあまり思わない方なので、めずらしいことです。

 俳句の部分は、又吉直樹さん登場でしたが、出ている俳句がどれも自由律だったのが、私的には残念でした。
 雑誌自体は、興味の持てそうな部分を拾い読みしかしてませんが、詩も短歌も俳句も同じテイストのものが選ばれていて、これではようするに全部現代詩なのでは? という印象を持ちました。一人の方が選んでいるので、この結果は仕方がないのでしょうが。かえって、短歌が575のリズムで詠んでいるので、すーっと頭に入ってきました。短歌は若い方の活躍がすごいですね。俳句もがんばれ。

 そして、後藤龍二と佐野久子をもう一度読もうと思いました。(なぜか突如)探しているものがその中にあるのではないかとふと思ったので。

  蟷螂の卵in満天星躑躅(漢字ばっかりだな。ドウダンツツジの中に、カマキリの卵)

5年目

2016年03月11日 | 日記
 きょうは特別な日です。
 5年前も金曜日ではなかったかしら。

 あの揺れの大きさ。外に出たときの感覚。その後のこと。

 あの日のことは、忘れずに伝えていかなくてはいけないと思っています。
 
 このところテレビでも関連番組が多く、当時幼かった子の成長など、追っていました。(今の時期が過ぎて、さーっと取材の波がひいてしまわないでほしいのですが・・・)関連本もたくさん出ていることでしょう。
 一人一人にドラマがある。戦争を生き抜いた人達と同様です。
 それを現場にいなかった人間が物語で伝えることができるだろうかという問題を抱えてもいます。実際のできごとをありのまま伝えればそれでよいのかとも思いつつ、でも、物語という形で描かずにはいられないものもあり、実際に何編か書いています。書いても無理だよと言われても、もう少しあがきたいと思っています。
 
 きょうは、その作品のひとつの書き直しをしよう。


  陸前高田 震災後2年目くらい

  
 残った一本松。 この松はその後枯れてしまって、今あるのはレプリカですが、この写真は枯れる前です。

  

 流された松で作った数珠。合掌。

葉山に行ってきました

2016年03月10日 | 日記
          

 吟行です。
 海は、いい。
 ほんとに、いい。
 行ってよかった。

 お天気はイマイチだったけど、傘をささなくても大丈夫だったし。句会の最中はざんざん降りだったのに、終わったときには上がっていたし。

 江ノ島がぼんやり。富士は見えず。
 今年は和布(ワカメ・・・この表記について、句会の中でいろいろと)がまったく獲れていないという。今の時期だったら、本来干してあるはずの和布干し場に和布はなかった。
 釜揚げしらすをおみやげに買ったけど、こちらの漁の解禁は四日後。買ったものは12月に獲れたものだという。でもいいの。

 浜に打ち上げられた、海草や貝を拾って。(浜と磯が半々というのもいい)
 岩の石蓴(アオサ)をぽりぽいひっかいて。
 御用邸は、少し遠くて見られなかったけど。
 小綬鶏(コジュケイ)が、チョットコイと鳴いていました。
 鳶(トンビ)は、ピーヒョロ。

 この海は、夕日が有名。ずーっと以前にも一度きましたが、そのとき、夕日がきれいでした。が、私のように日本海側の町で育ったものは、夕日が海に沈むのは、日本海側の特権と思っていたふしがあって・・・。太平洋側でも半島の西側なら、夕日が見られるんですねえ。地球は丸いということ。

 とにかく、楽しかった! 

  石蓴(アオサ)



霧か靄(もや)か

2016年03月09日 | 日記
 
 先日家人が「霧が出てる」と出がけに言いました。
 出てみると、たしかに。だいたいの方が「霧」と認識したと思います。
 でも、俳人としては(霧・・・でいいのかなあ)と思ってしまったのです。
 なぜなら、霧は秋の季語。

 気象庁のHPで、霧と靄の違いを書いていました。霞(かすみ)も。

 
 霞は気象用語ではありませんが、空気中に小さなちりやけむりのつぶなどがたくさん浮かんでいて、白っぽく見えることをまとめてこう呼んでいるようです。
これに対して「もや」と「霧」は、主に空気中の水蒸気が細かい水てきとなって浮かんでいる状態をこのように呼びます。水平視程(すいへいしてい=見通せる距離)が1キロメートル未満の場合を「きり」、1キロメートル以上の場合を「もや」と呼びます
 


 この水平視程というのがわかりにくい。靄のほうが、遠くまで見えるということ?

 でも、霧と靄(もや)は、同じもの。だったら、俳人はあの現象は「靄」とすべきだなあと思ったのでした。ただ、「もや」って、語感がよくないですよね。「ほら、靄だよ」とかっていわない。やっぱ「ほら、霧だよ」だよね。
 霧の中に入る、なら幻想的。
 でも、靄に入る、ではもやもやっとなる。朝靄だとまだいいか。

 NHKのお天気の番組では「霧」と言っていました。気象学上は霧だったのですね。
 
 霞が春の季語。霞は、煙や塵など。もっとお天気がいいときかな。

  
 
 日曜日、ここに行ってきました。 明日ご報告します。


竹の秋

2016年03月08日 | 俳句
         

 竹の秋、という春の季語。
 まさに、今の時期の季語です。と言いたいところですが、大歳時記を紐解けば、「晩春」なんですね。今はまだせいぜい仲春の始め。でも、実際の景色としてはあるものです。これからもっと黄色くなっていくのかも。

 なんて、細かいことをなぜいっているかというと。
 「童子句帖」の編集をしていて、載せる句を新年、春、夏、秋、冬と分けるのですが、それをさらに、初、仲、晩 と並べるわけです。でも中には、歳時記に「三」と書かれているのもある。これは、初、仲、晩(春なら初春、仲春、晩春)通じての季語ということ。これは適宜振り分けて……。なんてことをやっていたもので。勉強、勉強。
 
 思いこみで、夏に分類していた「松の芯」が晩春だったり、なんてこともあって・・・。
 生姜は秋だけど、新生姜は夏。でもうっかり秋に入れてたり・・・。
 
 とやっても、できたのに間違いがあとから発見されたりするわけで。だから本を出す前に二重三重に校正をするのですよね。

 夕方や吹くともなしに竹の秋  永井荷風

 

『ガラスの壁のむこうがわ』(せいのあつこ)ー国土社

2016年03月07日 | 本の紹介

 高学年から

「季節風」同人、せいのあつこさんのデビュー作です。
 「季節風」は投稿した作品を編集会議で協議し、これというものだけが掲載されます。せいのさんはその常連。圧倒的な実力の持ち主で、デビューが待ち望まれていました。
 そして、ついに! 
『ガラスの壁のむこうがわ』は、掲載作だったものの連作です。
 
 冒頭の章でぐいっと心をつかまれます。
「ガラスの豆」・・・ガラスの豆が、私の前にも落ちました。私もこのガラスの豆を見てたことがあったよ。
 
 もくじにある各章のタイトルを並べると、

 ガラスの豆/埃は光る/空を、さわる/パーティー・ケーキの味/風が吹く場所/沈黙のお姫さま/水底の宝/閉じる鍵、開く鍵/銀のバレッタ/仲原さん/ガラスの壁のむこうがわ/小さな声

 この一つがタイトルになったわけですが、他の章タイトルのどれもがタイトルになり得る。
 これは、すごい。
 

 繊細に紡がれた言葉が、きらきらと輝いて降り注いでいるような作品。

 
 内容について書こうと思ったけれど、読んでいただくのが一番いいかな。(あたりまえですね)この子は私だ。と思う子達が、きっといるに違いありません。そしてその子にとって、この本はどれだけ大事なものになるか。

 
 児童書の場合、毎年課題図書というのが選定されます。この作品が、それになって、子どもたちに作文を書いてもらいたいなあ。読書感想文というものに対しては否定的な意見も多いし、それは確かに的を得ているとは思うのですが、でもでも。『ガラスの壁のむこうがわ』を読んで、「正解!」的な作文を書く子もいるだろうけど、なんだろう。もしかしたら、この作品に負けないくらいすごい文章を書く子がいるかも、なんて思ったりして。
 人の心の奥底に眠っているものを掘り起こしてくれそうな作品なのです。

森羅万象への畏敬 またまた続き

2016年03月06日 | 日記
 陶芸をやっている友人と話していたら、

 陶芸って、自然破壊してるんだよ。 と言うではありませんか? え、なんで? 化学薬品を使った釉薬とか? ときくと、それもあるけれど、粘土を採掘するということだって、自然破壊なのだと。個人が自分で土を見つけて採取なんて、ほんの限られた陶芸家だけ。大方は粘土は買うわけです。その粘土を採掘している現場とは、まさに自然破壊だと・・・。
 それに登り窯などでも、空気汚染をしているのだと。
 籾殻や杉の木を焼いた灰で釉薬を作るとかって聞くと、自然だなあなんて感じてしまうのですけどね。


 うーん。
 そう言われれば、私達の生活はすべてそうだとも言えるわけで。
 
 そういえば、眠らせているもので、このへんをテーマに書いた作品もあるなあ。(← めずらしく、かなりテーマを意識して書いた作品)

  雀達(鳥の恋の季節だけど、そんな雰囲気とはちょっと違うような。会議中とか?)

軽み(かろみ)

2016年03月05日 | 日記
 森羅万象への畏敬とかなんとか、堅いことを書きましたが、俳句の場合。それをそのままババンと打ち出しません。芭蕉が言っていた軽み(かろみ)というのがそこ。
 根底には季語、つまり言葉、つまり森羅万象への畏敬を持ちつつ、表現そのものは軽く。

 大寒や見舞ひにいけば死んでをり   虚子  

 という句。お見舞いにいったら、死んでたよー。と軽くいっているけど、じゃあ命を軽く見ているかというとそうとる人はいないんじゃないかな。亡くなった方の尊厳のようなものがこの句にはちゃんとあるように思えるのです。でも、いい方は軽いよね。

 そこが川柳とは違うところ。(川柳には川柳のよさがありますが)

 *上の虚子の句については、いろいろ考察できるのでしょうが、やめときます。ただ、ちょっと調べたら、実際にそういうことがあったというわけではないようです。文学はフィクションですからね。

梅にジョウビタキ

新羅万象に対する畏敬 続き

2016年03月04日 | 日記
 数日前に書いたことの続きです。
 
 新羅万象に対する畏敬。これは、文学に限ったことではないなあと、改めて思いました。陶芸も美術も音楽も、そして科学も、そうなのでは。
 それがあるかないかで、人の心に伝わるものがきっと違ってくるでしょう。

 あ、森羅万象の中には、もちろん人間そのものも含まれます。

 そんなことを考えたら、今更ながらご飯を食べるとき、土や太陽やこの大根(大根の味噌汁食べてたのよ)を作ったすべてのものに感謝しないとなと思ったりして。

 はい、単純な人間なのです、私。

 散歩途中の麦畑。麦秋の頃が楽しみ。

暗渠の下に

2016年03月03日 | 日記
        
  
 散歩途中に流れている日野用水の暗渠の下にいる鷺。(形容詞多すぎて、悪い文の見本のようだ← 直せよってね)

 浅川に群れというほどではないけど、数羽いるのですが、この一羽だけはここらあたりにいるのです。

 ちなみに、上の文を直すと、

 散歩途中に日野用水が流れているのですが、橋の下に鷺が一羽いました。でいいか・・・。暗渠なんて、仰々しい言葉を使う必要はないってことか。
 だいたい、一文をどうするか、文の流れをどうするか、どの言葉を選択するかは、最低限考えなくてはならないことなのだと思っています。それは小手先だけのことではないはず。
 俳句と一緒だ。 

 型は大事。
 575、そして季語を入れる。切れは一カ所。
 この基本を最初に言われて、始めるのだけど、ずーっとたってから、その大切さに気づくみたいな? 
 俳句はわかりやすいけど、この冒頭の文などは、間違いというわけではないから、見のがされる。あ、でも「暗渠の下」は違っているな。

 こんなことを書いていると、(ちまちまと考えるより、もっと大事なことがあるでしょ)なんて思われるかもしれません。でもひとつひとつを確かめながら、進むしかないと思うのであります。