たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(続)五料の茶屋本陣・お東

2022年08月24日 | 建造物

続き

お西から地続きのお東に向かいます、ではさっそく行って参ります

お西に同じく重厚な構えですね。お西もお東も宿泊用の施設は無く休憩や昼食、ほかの大通行が関所に掛かっている間の時間待ちに利用された様です。

 

矢島群芳の屏風絵「四季花鳥図」

高崎藩主の矢島兵左衛門の子として生まれた群芳は脱藩し諸国行脚の旅に出ますが和漢の歴史にも通じ禅学を学ぶなど学識が深く、また武芸にも秀でていた事から高崎藩主はその名声を惜しんで藩に召喚したと言います。

家の周りに溝が掘られています、雨どいが無いため屋根から落ちる雨が此処に落ちる仕組みになっているのですね。美観的にも優れていますし一石二鳥ですよね。

  

         ↑ ちょっとブレた

正月のお飾り、いまこれを伝承している人はいるのでしょうか

   

 

 

   

土人形など素朴な人形が飾り棚を埋めておりました

これは博多人形でしょうか?

 

夕食です。荻野屋の釜めし、味が上品なんですよ。久し振りで美味しかった~。

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五料の茶屋本陣・お西お東

2022年08月23日 | 建造物

「五料の陣屋跡に行った事が有るか?」と雄さん。行った事が無いのでSL撮影後寄る事にしました。五料の茶屋本陣は国道18号線と並行する旧中山道沿いに有ります。

 

本陣は隣り合わせで二軒の本陣が有りますが向かって左は「お西→本家」、右は「お東→分家」に分かれ参勤交代や中山道を通行する大名や公家などが、ここを休息の場としたのですね。現在屋根はスレート瓦葺になっていますが当時は茅葺屋根だったと説明を受けました。

宿場ごとに(坂本・松井田(ここ五料)・安中・板鼻)陣屋が置かれ 坂本には江戸城に嫁いだ皇女和宮が宿泊した陣屋が残されています。

 

 

 

 

明治天皇も北陸東海御巡幸の折り休息されたました

部屋から庭を眺めれば妙義山を借景に素晴らしい景色が見渡せます

 

裏庭

鼈甲の簪やこうがい・櫛など

 

お西・お東の境界

両家の先祖は松井田城の家老職を務め落城後、名主となり年交代で名手役を務めたとの事です。お東に続きます。コメント欄はお休み致します。

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臨江閣(国の重文)

2019年09月22日 | 建造物

 友人と会食後臨江閣を訪れました

仕事で東京生活が長かった、はるみちゃんのリクエストです

お茶会や今年の雛飾りなど私は何度も訪れその都度、写真を載せて参りましたので

今日は視点を変えて写してみました

 ウイークデーでしたが団体客が数組、市から派遣された職員さんも大わらわでした

この建物は明治43年、安中杉並木の巨木30本を払い下げ迎賓館として建てられた別館です

 

   

2階、150畳の大広間にある床の間は奥行き一間、天井は杉の一枚板が使用されております

軸は妙義の石門が描かれておりますが不覚にも作者を確認するのを忘れました

 

市の職員さんの説明にお付き合いのK子さん

少しも離してはくれない事に堪りかねたはるみちゃん

「有難うございました~」と言うや・・・・・・上手い事 逃げ出しました

 漸く解放された私達は本館へとやって参りました

当時の県令・楫取素彦氏の提案で明治17年に建てられた迎賓館です

余談・・県庁が一時的に高崎から前橋に移された訳ですが

終に県庁は高崎に戻って来る事は有りませんでした

高崎市民の怒りは相当なものだったと聞きますが今思えばお蔭で戦災を免れたと言う利点も有った訳です

この御所人形 は大正13年、昭和天皇御成婚時の引き出物だそうです

当時の前橋工業学校(現・県立前橋工業高校)の2代校長であった塚越万平氏が所蔵していたものを

平成20年に万平氏の御息女・恵子さんが市に寄付されたと説明書きされておりました

皇室の引き出物となると凄いものなのですね

ここ臨江閣は明治天皇はじめ大正天皇や多くの皇族も滞在され

大正天皇が滞在時、詠まれたのが上の漢詩です(自筆では無さそうです)

暖・桜・白雪・利根川の文字が読めましたが後は・・・

(畏れ多くも写真が斜めってしまいました)

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臨江閣西側に建つ侘びに徹したお茶室「畊堂庵」

    

 

少々疲れましたね、ちょっと給水タイム

私達が坐っている場所も池も当時は利根川 でした

今は川の半分が埋め立てられドームに遮られて臨む事は出来ませんが

ユッタリと流れる利根川河畔に建つ臨江閣はさぞかしだった事でしょう

この池は当時から存在していた「ひょうたん池」

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今、この面影はなく立派な(?)ビルとなって利根川河畔に聳えております

一府十四県連合共進会会場の絵図 奥に赤城山が聳えております

前橋、桐生と言えば生糸の街

この様な立派な蚕糸館が建っていたのですね 

残されていないのは先の大戦で空襲に遭い悉く歴史的建造物は破壊されてしまったからです

臨江閣が残ったのは奇跡的だったのですね

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閑話休題 しっとりと下田邸

2019年07月10日 | 建造物

肌寒い日が続いております

4月中旬という気候に我が家は炬燵のスイッチを入れました

 

 

秋には散り紅葉に敷き詰められた庭園に人影は無く

緑の苔に覆われて静まり返っておりました

引き続きコメント欄を閉じております

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曹洞宗 「仁叟寺」 吉井町

2019年04月05日 | 建造物

小幡で武者行列を観た後、吉井町に在る仁叟寺を訪れました

山門  1761年建立

仁叟寺は1300年代に建立された歴史あるお寺です

うっかり本堂を写し忘れてしまいましたが当初は屋根は茅葺屋根だったとか

1631年建立の鐘楼堂

 

 

寒緋桜

紫花菜

 薬師堂と文殊堂

十三重石宝塔は高さ13m、日本一だそうです

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仁叟寺三代銘木

 

 

 

(その一)

五輪桜(小彼岸桜) 樹齢100年

地中より5本の幹が立ちあがった珍しい形態の桜です

 

(その二)

モクの木 樹齢350年

目通り5・5m 根回り7・2m 樹高28m

(その三)

初代住職お手植えのカヤの木(御神木) 樹齢500年以上

目通り4・8m 根回り10m 樹高21・2m

落雷により樹勢が衰えたため平成元年に樹医指導の下に

樹勢回復工事を行ったところ空洞の中に白い羽毛のミミズクと白蛇がいたとの事です

まさに御神木ですね

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取り敢えず撮影を済ませ檀家の方が煎れて下さったお茶を啜り

銘木の説明を戴きました

姉も満足してくれた小幡のイベントと仁叟寺のお花見でした

 

  

         

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