もう17年も前の事です
私は栃木の石裂山に登った帰り胃がひっくり返りそうな悪路を抜けて足尾へ立ち寄ったのでした
石裂山(古い写真なので変色してしまいましたが)
3枚目は下山途中、山菜取りの方そして真岡市にお住いのUさんご夫妻と同道
Uさんご夫妻は後日、栃木の郷土料理「しもつかり」と手製のお味噌を持って我が家を訪れてくれました
(写真はクリックで拡大します)
以下は当時の日記より
足尾の町は復元された銅山を見学する観光客でごったがえしていた
ふと「さらえ」に足尾で紙人形を作っている女性が居ると言う記事が載っていたのを思い出し
(略)
躊躇いながらも思い切って玄関を開けると初対面の、それも山帰りのひどい姿であるにも関わらず快く中へ通してくれた
70歳を超える白石勝子さんは50歳の時に公民館で行われた紙人形教室に参加したのをきっかけに
顔や指の動きをつける事で表情を出す事に成功
浮世絵を素に作り続け今では、その数も100体を超えたそうだ
京都や東京で個展を開いた(本人の意思では無くデパート側の依頼による)事がきっかけで
その後、数多くの雑誌社から取材が殺到し
その頃から遠くは高知より人形を見るためにわざわざ電車を乗り継いで訪ねて来た人も居たとの事
中には一番大切な顔を指でさわる心無い人もいて困ると言っておられた
優しい面立ちの白石さんも、そんな話をする時の顔は厳しい
私達の話を聞いている中でも心の中を探られている様な鋭い視線を時折感じる事もあるほどだ
お茶をご馳走になりながら一か八か私は思い切って尋ねてみる事にした
「お売りにはならないのでしょうね」
「同じ物が二つ有りますのでどちらか気に入ったほうを差し上げます」
「只でいただく訳にはいきません。お幾らお支払すれば良いのか仰って下さい」
「人形を売った事もないし、滅多にあげる事も無いんです。可愛がって頂けるなら喜んで・・・」
そう言うと恐縮する私の手の上に大切なお人形を乗せてくれたのだ
(略)
↑
戴いたお人形
(これらは客間に括り付けの棚を工務店に依頼しその中に大切に保管してあります)
そして後日、どことなく白石さんの面影を秘めた能面とこんな手紙が届いた
白石さんとは10年程お付き合いさせて頂いたのですがお体を悪くされ
「長い間のお付き合いありがとうございました。etc・・・」の葉書を最後にお会いする事も出来なくなってしまいました
気丈な方なので弱い姿は見せたくなかったのかも知れませんね
「足尾は寂れてしまいました」と言った時の寂しそうなお顔
「傷ついたカラスに餌を与えている内に懐きましてね・・・」と言った時の暖かそうなお顔
今でも蘇る白石さんとの交流の思い出です
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