続き
尊仏山荘
使用に耐えるのだろうかと思える日の出山荘の横を通り11時ジャスト、山頂に立った。尊仏山荘の前に広がる山頂広場は標柱を囲んで板が張り巡らされ、まるで競馬場の観客席(よく知らないが)の様だ。しかし見るものは馬じゃない。雄大な富士であり今まで見えなかった鍋割山や丹沢山、蛭ヶ岳を始めとした犇めく丹沢の山であり太平洋である。 苦有れば楽有りとはまさにこの事、階段登りのストレスを一気に吹き飛ばす眺めであった。
先ずは大観を肴に雄さんのビールを一口グイッと。側に賑やかな男性3人が到着し「これから油炒めを作るっちゃ、これが何とも美味いっちゃ」と言いながら小さなフライパンに油を注ぎ玉葱とベーコンを炒め始めた。・・・っちゃとは何処の言葉っちゃ?
一方、ご夫婦でやって来た奥さんの「この山で富士山がこれほど美しく見えるのは珍しいわねぇ」と言う声も聞こえてくる。
12時近くになると低気圧が発達しながら北上しているという予報通り怪しげな雲が海側から押し寄せ時間の経過と共に上空を覆い始め富士山をも徐々に包み始めた。気温もグッと下がり底冷えする寒さに慌てて防寒具を見につけ早々に山頂を辞す。
花立山荘に帰り着いた頃には富士山も太平洋の海原も消え表尾根の三ノ塔が主役の座を獲得していた。落ち葉を踏んで穏やかになった尾根道を下りマユミの木々に囲まれた登山道に入ると急に野鳥の声が飛び交い手を伸ばせば届きそうな枝にシジュウカラが止まり盛んに何かを啄んでいる。
すると他の木にツガイのヤマガラがやって来た。側に寄っても飛び立とうとしない。少し進むと今度は上空に8羽のトンビ?と思ったらそれはパラセールで1か所を、まるでトンビが輪を描くように旋回。単調な尾根上が思いもかけず楽しくなる。堀山の家で一休み。「ここからノンストップで下ろう」と掛け声も勇ましく防寒具を脱いで軽快に下山口に向かった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
分かりにくい道と江の島での大渋滞に辟易しながら兄の家に着いたのは18時半を回ってしまっていた。メキシコから一時帰国のNちゃんも待っていてくれた。(兄は長男であり私は末っ子なのでその差は親子ほどの開きが有る為、姪のNちゃんの年齢と私の年齢はあまり違いません)
先ずはお風呂を頂きサッパリしたところで改めて挨拶。すき焼きの鍋を囲んで談笑する窓辺にリスが現れ思わぬ闖入者にビックリ。歩いてすぐの所に海が有り、そしてリスが遊ぶ自然が有る。良いのか悪いのか住んでみなければ分からないが観光地で有る事を除けば余生を暮らすのには良い所なのかもしれない。
21時、失礼して床に就く。雨戸が閉まっていた事も有って雄さんも私も8時まで泥の様に眠った。
昼頃、国道1号まで道案内をして貰い第三京浜から環八を抜け意外に早く関越道に乗る事が出来た。どこを向いても車・車・車の世界から群馬県の何と静かな事か。赤城山が夕陽を受け美しい紫色に染まっていた。