たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

紀伊半島の旅(その5) 粉河・とんまか通りから華岡青洲生家、そして慈尊院へ

2016年03月30日 | 
続き






旧南丘家住宅

粉河が藩主の鷹狩りの拠点の場所で有った事を示す江戸時代の餌差の住宅です

(漆喰で固められた屋根裏部分は鷹の餌である鳩を飼っていた場所)

鷹狩りと言うのは世界中で盛んに行われていた貴族の遊びですが

馬を闊歩して山や森に分け入り「どんなもんだ!」と鷹を掲げ持つ気持ちは

相手が猛禽類なだけに最高の気分だった事でしょう



  



粉河寺の門前町「とんまか通り」では、ちょうど「粉河とんまか雛祭り」が開催されておりました

民家や商店の店先に並ぶお雛様の中で私の興味を引いたのが「流し雛」でした

一次、途絶えていたこの風習を近年、観光の目玉として復活させた様です

身の汚れや病を紙雛に託し3月3日、紀ノ川に流すと言うもので

この地方に古くから伝わっていた、何だか、ほのぼのとした行事ですよね







  

次に私達が向かったのは華岡青洲の生家と研究室です

世界に先駆けて全身麻酔を研究し乳癌摘出手術等に偉業を成し遂げた麻酔薬の父ですね

実験台に上がった母親を私の方が若いからと変わった嫁とのエピソードを

有吉佐和子は姑と嫁の確執として捉えた事は有名ですが

ここのところは義母への思いやりだったのか負けず嫌いの性格から生じた行為なのか

そして又、フィクションなのかノンフィクションなのか謎の部分が有りますね

有吉佐和子と言えば流し雛でも記した紀ノ川を舞台にした小説「紀ノ川」は

たとえ読んでいなくても題名だけは誰もが知っている有名な小説ですが

実際に紀ノ川の流れを目にしますと情景は様変わりはしたものの

その奥に有吉佐和子の世界が見えてくるのが不思議です


ここは女人高野慈尊院

ここも紀ノ川に登場する寺ですね

弘法大師の母と弥勒菩薩を祀った弥勒堂の柱を見てビックリしたのは








授乳、子授け、安産、子育てを祈る女性の必死の思いが込められた布製の乳房が

無数に奉納されていた事でした

最近では乳癌の治癒を祈願して訪れる女性の数が増えた様で

絵馬にもお守りにも乳癌治癒の文字が沢山、見受けられました






門から正面に119段の石段が伸びています

(必死で数えました)

上には慈尊院の守護神丹生官省符神社が祀られ大変、雅な神社が鎮座しています






ここに示す九度山

高野山が女人禁制の為、此処に踏みとどまざるを得なかった母に会うため

弘法大使は20数キロの山道を月に九度、高野山上より下り母を訪ねた事から付けられた地名だそうです

山の名前では無かったんですね 

その標識の下には匂いスミレが芳しい香りを撒き散らせておりました

続く

人気ブログランキングへ
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀伊半島の旅(その4) 粉河寺(天台宗施音寺)

2016年03月29日 | 
続き

前回の旅は城めぐりに明け暮れましたが今回は神社仏閣が主となりそうです

そんな事で粉河寺にやって参りました






さすが西国三十三カ所第三番札所

おそろいの法被を羽織った信者さんが列をなしておりました

各団体さんを引率するのは高校生

説明は覚束ないながらも一生懸命な姿に好感が持てました

ガンバレ!

でそれは私達も俄か信者となって大門を潜る事に致します


このドでかい木は樹齢1000年余りと言われる大楠です

この木に触れてパワーを戴いて下さいと有りましたので

パワー切れしつつ有る私は早速タッチ



  





今日は風も無く絶好の観光日和です

中門までの長い参道も気候のせいか楠の木のパワーのせいか足も心なしか軽い

ボリュームある刈り込みや庭園を左に見ながら進みますと、いよいよ中門です


四天王が安置されるこの門は重文に指定され建立は1832年との事でした

扁額は紀州十代藩主「治宝候」(はるとみ)の直筆だそうです


屋根が複雑に入り組む本堂は秀吉の紀州攻めにより焼失したのを

浅野幸長や徳川頼宣によって再建したものだとか

但し創建は770年と言いますからかなりの古刹ですね




この寺の守り本尊は鎌倉時代に作られた千手千眼観世音菩薩(重文)で

本堂内に安置されているそうですが残念ながら拝観する事は出来ませんでした

話によりますとお姿は一寸ほどの小さな物なのだとか

  



 

本堂の横にある楠の木も年代を感じさせる巨木です

頼もしい雄さんが、この木を背にすれば何だか・・・

ソメイヨシノの開花は未だでしたが

湯浅の豪族(藤原宗長)が本尊のお告げで本堂の辰巳の方向に植えたと言われる湯浅桜

今が満開で彩の無い境内を賑わしておりました

しかし、未だ若木に見えますよね、二代目なのでしょうか

(桜の奥の建造物は六角堂)






同敷地内にある竜宮門を潜った先は十禅律院と言う紀州徳川家のゆかりの寺です

植えられたソテツが関東にはない異国的な雰囲気を醸しています




奥の間からは和泉山脈の山を借景に枯山水の庭園が見られるとの事

入口の机に説明書が重ねられ入館料が必要な様子でしたが

何度、声を掛けても現れませんでしたので今日は「自由見学の日」と勝手に解釈し

庭園拝借させて頂く事に致しました

ただ、どうなのかな?

畏れ多くも申し訳ない事ですが

私の好みで言わせて頂くと、もう少し遊びの空間(ゆとり)が欲しいかな


再び本堂に戻りますと鳥小父さん

側で母親と見ていた3歳くらいの男の子

怖さに眉を寄せながらも何故か離れずに見入っていた姿の方が印象に残りました


此方は本堂との段差を利用して作られた枯山水庭園

何でも桃山末期に作庭されたものだそうです

この頃は石組が流行したのでしょうか


拝観を終えた私達は大門には戻らずに途中から左に折れ橋を渡って門前町へと繰り出します

続く


人気ブログランキングへ
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀伊半島の旅(その3) 根来寺を訪れて、そして粉河寺門前の猛禽類

2016年03月27日 | 
岸和田SAでの事

昨夜、探していた眼鏡が布団の中から無残な姿で出て来ました

真ん中で真っ二つ

使い物になりません

「サービスエリアに瞬間接着剤が有るかもしれない」

私は完全に諦めモードに入っていましたが機転のきく雄さんがポツリ助言してくれました

と言う事で目出度しとなりましたが

当然「使ったら必ず元の場所にしまえ」とお目玉が飛びました

第二の失敗です




粉河寺へ向かう途中、道路脇に根来寺の案内表示板がやけに目立ちます

「寄ってみようか」

ハンドルを左に切り案内に従って10分ほど走りますと左手に大きな看板が有り

其処が駐車場でした

「でも、お寺は何処?」

本来は駐車場から直ぐに受け付けの有る場所に行けたのですが

そうとは知らず道路に出てしまった私達は廃道(多分)から無理矢理、進入します




ちょっと遠回りでしたが受付で拝観料一人500円を支払い壮大な大門を潜ります

根来寺は秀吉に滅ぼされる前は寺領72万石と言う大勢力を誇る寺だった様で

滝が落ち平坦な場所も随所に見られる事から山中には数多い堂が建ち並んでいたに違い有りません


門を潜って先ず目に飛び込んだのが高さ40mを誇る国宝、大塔

説明によりますと

「真言密教の教義を形の上で端的に表したもので

真言宗では「金胎不二」の精髄を示す塔として最も重要とされる」

と有りました

(大伝法堂内に安置されています本尊三尊像は撮影禁止)







こちらは常光明真言殿

本堂にご住職様の読経の声が響きます




この山道の奥に宗祖・覚鑁上人の廟所が有ると言う事でしたが何故かパス

車に戻ってパンフを見ますと行っておくべきだったかな?と後悔する建物が有ったんですね

下の写真はパンフレットを使用しました






行者堂の脇に池を配した庭園(小堀遠州の作と伝えられているそうですが定かでは無いらしい)が有り

聖天堂を池に写した景色は一幅の安らぎが頂ける落ち着いた雰囲気です


さて、根来寺を後に粉河寺へと向かいます

500円を支払った粉河寺門前駐車場(拝観料無料)に人気者の猛禽類がいました




ミミズク、フクロウの違いは残念ながら分かりませんが

なかなか鋭い目をしています




こちらはチョウゲンボウでしょうか?

居た中で一番、気が荒いと言う事で近づいてカメラを向けますと

一瞬、目の色が変わりました




ナカナカ精悍ですね

「鷹かしら?」とたか

「いいや、ワシじゃよ」と雄さん

実際のところ分かりません

何方か教えて下さい

続く


人気ブログランキングへ
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀伊半島の旅、その2  小野宿経由、岸和田サービスエリアまで

2016年03月25日 | 
続き




道の駅「ホットパーク浅科」を過ぎますと望月辺りも夕べの雪で山々は雪化粧でした

今回は雪道を敬遠して新和田トンネル(620円)に入りましたが旧道、和田峠は

松本藩との戦いで水戸天狗党が通った歴史的な峠で有り

途中には黒曜水の湧き出る名水広場が有ります

車だって大変なのに昔の人達はよく歩いたものですね


岡谷で急遽、高速道路を使う事にしました

「右車線にお入り下さい」とナビ

「エッ?名古屋は左斜線じゃないの?」

そう思った時にはナビの指示に従って右にハンドルを切っていました

道路標識は「左、大阪・名古屋方面」 「右、長野方面」

「やっぱり逆よ」

要するにナビを一般道で設定してあったままでしたので

ナビは元の一般道に戻そうとしていたんですね

仕方なく次のICで降り岡谷へは戻らず下諏訪・辰野線を走り辰野ICに向かう事に

これが先ず第一の失敗でした

小野を通りかかった時(R153)道の両側に数十軒の本棟造りの町並みが有りました

「ん?ここは、もしや旧中山道・小野宿?」

とんだ間違いも幸いに転ずる事も有ったんですね

空き地に車を停め早速、歩いてみました

ただ此処は車の往来が激しく横断は命がけです




小野宿は塩尻を通らない旧中山道(初期の中山道)で28番目の宿場町です

(私達が知る中山道(塩尻経由)は69宿ですよね)

当時のままに残っているのは十数軒でしたが、どの建物もみな重厚で往時の繁栄振りを物語っております




高札場跡


洋館も見られます


此方には武家屋敷の木札が立てられておりました




旧小野家住宅には雀脅しが見られます






思わぬ事からタイムスリップ体験が出来た私達は今度こそ間違いの無いようナビを

高速に設定しなおし目出度く名古屋方面へと車を向け






秋の旅行の時に車中泊した駒ヶ根SAで休憩です

「あの山、富士山かなぁ」

「富士は逆方向じゃないの?」

トンチンカンな事を言っている内に陽は西の山に姿を没し

残光に照らされた山々が見事に赤く染まりました


ここは、どこのSAだったか、持参の夕食をとる為、立ち寄り

岸和田SAまでの長い道中、只ひたすら走り続けます

人気ブログランキングへ
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀伊半島2100キロの旅、そのⅠ(寄り道をしながら先ずは長野へ) 3/11

2016年03月23日 | 
9時半、紀伊半島一周に向けて出発です

今回も上信越道は敬遠して内山峠から先ずは長野入りしました


家から20分、安中・秋間辺りは丁度 今が梅の見頃

「ちょっと覗いて行こうか」

急ぐ旅では有りませんので途中下車です

  









今日はウイークデーでしたが結構な人出です

私、靴に履き替えずツッカケのまま・・・

マッ、いいか

   



少し先のマンサクとサンシュユの咲く休憩所で一息






榛名山をバックに如何にも山里らしい雰囲気が心を癒す場所でまた一息




梅を糧に生きる村の人達の拠り所なのでしょうね

小高い場所に石祠が椿に飾られて佇んでいます

祠の前に捧げられた真新しい“おんべろさん”が印象に残った秋間梅林でした




車は妙義山麓に差し掛かりました

昨夜、山には雪が降った模様

荒々しい妙義とは対照的に紅梅と白梅が見事でした








車は内山峠に入りました

「ウワー!!」

雪を被った荒船山を見たのは初めての「雄とたか」

思わず車を路肩に停め、その景色に釘付けされてしまいました

私も二度ほど登った事が有りますが

「クレヨンしんちゃん」の作家や数多くの命を飲み込んだ最近では魔の山の異名が付いた軍艦山です


1時20分、漸く「ごろべえ米」で有名な道の駅「ホッとパーク浅科」に到着しました

此処からは浅間山のスッキリした山容が見られるのですが

今日は生憎、雲に覆われ裾野が僅かに覗くばかり

15分ばかり休憩を取り再び出発です

続く

人気ブログランキングへ
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする