続き
旧南丘家住宅
粉河が藩主の鷹狩りの拠点の場所で有った事を示す江戸時代の餌差の住宅です
(漆喰で固められた屋根裏部分は鷹の餌である鳩を飼っていた場所)
鷹狩りと言うのは世界中で盛んに行われていた貴族の遊びですが
馬を闊歩して山や森に分け入り「どんなもんだ!」と鷹を掲げ持つ気持ちは
相手が猛禽類なだけに最高の気分だった事でしょう
粉河寺の門前町「とんまか通り」では、ちょうど「粉河とんまか雛祭り」が開催されておりました
民家や商店の店先に並ぶお雛様の中で私の興味を引いたのが「流し雛」でした
一次、途絶えていたこの風習を近年、観光の目玉として復活させた様です
身の汚れや病を紙雛に託し3月3日、紀ノ川に流すと言うもので
この地方に古くから伝わっていた、何だか、ほのぼのとした行事ですよね
次に私達が向かったのは華岡青洲の生家と研究室です
世界に先駆けて全身麻酔を研究し乳癌摘出手術等に偉業を成し遂げた麻酔薬の父ですね
実験台に上がった母親を私の方が若いからと変わった嫁とのエピソードを
有吉佐和子は姑と嫁の確執として捉えた事は有名ですが
ここのところは義母への思いやりだったのか負けず嫌いの性格から生じた行為なのか
そして又、フィクションなのかノンフィクションなのか謎の部分が有りますね
有吉佐和子と言えば流し雛でも記した紀ノ川を舞台にした小説「紀ノ川」は
たとえ読んでいなくても題名だけは誰もが知っている有名な小説ですが
実際に紀ノ川の流れを目にしますと情景は様変わりはしたものの
その奥に有吉佐和子の世界が見えてくるのが不思議です
ここは女人高野慈尊院
ここも紀ノ川に登場する寺ですね
弘法大師の母と弥勒菩薩を祀った弥勒堂の柱を見てビックリしたのは
授乳、子授け、安産、子育てを祈る女性の必死の思いが込められた布製の乳房が
無数に奉納されていた事でした
最近では乳癌の治癒を祈願して訪れる女性の数が増えた様で
絵馬にもお守りにも乳癌治癒の文字が沢山、見受けられました
門から正面に119段の石段が伸びています
(必死で数えました)
上には慈尊院の守護神丹生官省符神社が祀られ大変、雅な神社が鎮座しています
ここに示す九度山
高野山が女人禁制の為、此処に踏みとどまざるを得なかった母に会うため
弘法大使は20数キロの山道を月に九度、高野山上より下り母を訪ねた事から付けられた地名だそうです
山の名前では無かったんですね
その標識の下には匂いスミレが芳しい香りを撒き散らせておりました
続く
人気ブログランキングへ