続き
入山、二日目の朝
東の空が明るんで、いよいよ御来光の時が来た
眼下は今朝も一面の雲海だ、太陽が姿を見せるにつれて
その雲の海が紅く染まっていく
~略~
テントを撤収して、いよいよ今回の山行の目的地
槍ヶ岳へ歩を向けた
直ぐに長い梯子で水俣乗越への下降が始まる
下って下って呆れるほど下る
下りきって今度は東鎌尾根への登りが始まった
ロープや梯子、鎖の手を借りてジリジリと高度を上げ
はい松と荒涼とした岩肌が迫って来ると、いよいよ痩せ尾根となり
そこが東鎌尾根だった
一寸歩いては一息つき天空を見上げる登りが始まる
目指す槍ヶ岳は本当に遠い
突然、本当に突然 目の前に憧れの槍
ヒュッテ大槍に辿り着いた時だった
ガスの切れ間に今まで槍が穂先を点に突き上げ
~略~
その直後、アッと言う間に槍ともども周囲の眺めも失せ
束の間の面会は閉ざされてしまった
ちょっと怖そう、でも何とか登りあげました
槍下山の写真ですがクリックして頂ければ拡大します
終に憧れの一万尺の穂先に立った
しかし絶好の展望を誇る頂は四方どちらを見ても乳白色
~略~
下山は登りより緊張した、雄さんの右、左の誘導に助けられ
2時50分、無事下山 改めて仰ぐ槍は相変わらず上半身を隠したままだが
あの急峻な岩を登ったのだと思うと感慨もひとしおだった
この日の夜は大荒れの天気
シュラフの中で震えながら、ふと喜作さんの無念の風かなと思ったものでした
これは後半の山行を共にした清水市のY氏から送られて来ました手紙です
奇遇にも横浜の某本社で技術研究していた私の長兄と同じ職場で働いていたと
いう事も有りY氏とはその後、ずっと手紙のやり取りが続きましたが
八年後、病に倒れ帰らぬ人となってしまいました
それが何としても残念でなりません
Y氏自作の版画絵を最後に載せて槍ヶ岳の章を終わりにしたいと思います
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長文になってしまいました
最後まで読んでいただきまして本当にありがとうございました
登山・キャンプ ブログランキングへ
初めて知りました。
お若い頃はマラソンランナーだったのですか?
その強靭な足と体力が今、山に向かわせているのですね。
喜作新道、お読みになられた様ですね。
その頃、山に興味が無かったとしても
中々興味を引く一冊だったと思います。
その本を思い出して今年の夏、憧れの槍ヶ岳、制覇してみませんか?
Kさんでしたら未だまだやれますよ。
私はこの頃、花に全く興味が有りませんでした。
当時のアルバムを開いても彩に欠けた写真集ばかりです。
槍は高山植物最盛期だったはずですがのに
どんな花が咲いていたのか全く思い出せないのです。
ただ、はい松に何故か関心が有りました。
あの頃は展望写真を写しては繋ぎ合わせ楽しんでいた様に思います。
アルバムは場所は取りますがブログと違い
直ぐに取り出せると言うのがいいですね。
写真は時代がかってしまっても、それはそれで味わいが出て来るものと言えましょうか。
でも、前回も記しましたが何冊ものアルバムは処理する者の事を考えますと
やはり気持ちを変えないといけない時期になって来ました。
槍の山頂は見渡す限り、見事なまでの乳白色
下方の小屋さえ見えませんでした。
takeさんは何と運の良いお方なのでしょう。
ただ、想像するしかない私達夫婦と違い
アルプスの山々を足元に
スペクタクルな体験をされたのですね。
「最大級」と言う言葉が眩しいです。
そうでしたか
殆ど同時に「みんなのブログ」を登録したなんて偶然
こんな事って有るんですね。
似合いのカップルかどうかは?ですが
若い時は誰でも元気ハツラツ
良き思い出です。
でも、もう一踏ん張り 人生楽しみたいと思います。
niceさんも喜作新道、読まれたのですね。
ベストセラーになった「あゝ野麦峠」に引き続き
人気をさらったノンフィクション小説でしたね。
夢だったアルプスに足を向けるきっかけを作ってくれた喜作新道
内容に多少の脚色は有るものの、とても興味深く私は
続けて3度も読んでしまいました。
その内、本棚をアサって、もう一度読んでみようかなと思っています。
ニッカボッカにノーヘルメット、それに半ズボン
そうですね、今ではあまり見られないスタイルです。
ヘルメットは未だに被った事は有りませんが半ズボンは無謀だった・・・ですよね。
あの当時は全てがメチャクチャでした。
「我らがたかさん」ですか!
同志を感じちゃいます。これからも宜しく・・です
あの頃は既に頸椎症を発症していた時期ですから
いつ再発するか心配でしたが
山に足を一歩、踏み入れた途端
そんな心配はスッカリ忘れていました。
それ程、アルプスの雄大さに圧倒され
見るもの見るものが新鮮だったのです。
6人用のテントを担ぎ
あの急峻なアルプスに挑む体力はもう有りませんが
今はこうして思い出を追って
昔を懐かしむ事が出来る事に満足しています。
越後美人さんにも天晴れ大賞、戴いてしまった♪
何よりのご褒美です。
ありがとう。
本当に美味しいスイカでしたよ♪
もうあの味は二度と味わえないと思うほどの美味しさでした。
あの当時一切れ400円でしたから今ではどうなのでしょうね。
ホント、私も良く登ったものです。
今、スイカを只で食べさせて上げるから登れと言われても
もう無理無理、命には代えられないと逃げ出すでしょうね。
岩登りは好きな方でしたが、それでも下りはあと5㎝が恐怖で
自分の足の短さを恨んだものでした。
私も、その内その内と言っている間に登り損ねた山は沢山あります。
今は体力や左手の力も然る事ながら恐怖の方がマサッテとても岩山は登る気が起きなくなりました。
アッパレ大賞
ヤッタ~\(^o^)/ 嬉しいな、有難う。
妙義の女性の幻雄さんは靴音まで聞いたと言っておりましたが
時刻が時刻、どう考えても有り得ない事です。
絶対、あれは幻覚だったとしか思えません。
>仲良し振りは負けてない
sisiさん御夫婦の仲良し振りは何時も当てられっぱなし
とてもとても叶いませんワ。
昨年、燕岳まで行かれたのですか?
実は私達、燕岳のあの特異な山容を見てないのです。
あの時は一歩でも槍に近づきたくて此処は単なる通過点に過ぎませんでした。
今、思うと残念な事をしたものです。
合戦小屋のスイカは健在だったのですね。
昔、井戸で冷やして食べたスイカの味、そのものでした。
今でも、はっきり覚えています。
こうして同じ経験を語り合えるのは嬉しいですね。
槍に近づくにつれガスが舞い周辺の景色がなくなってしまいました。
この年は冷夏で夏らしいスキッとした天気は数えるしか無かったと記憶しています。
そんな時の束の間の雄姿です。感動しましたね。
中房温泉は、それほど良い温泉なのですか?
それは残念な事をしました。
この時は車を回収したあと上高地から乗って来たタクシーの運転手さんに紹介して頂いた別の宿に山靴を脱ぎました。
今ならば絶対、予約を入れて宿泊したでしょう。
安曇野をゆっくり廻って中房温泉に泊まると言うのも良いかもしれませんね。いつか計画を立てて見ようと思います。
「あゝ野麦峠」に感銘をうけ 山本茂美さんに 興味あって
「喜作新道」読みました
当時は まったく山に興味ない 時代でしたので
ただ読んだだけ・・・
でも ほんの写真は 懐かしい(^^)/
今は この表銀座コースは 登ったことありません
東鎌尾根は今更もう無理でしょうから・・
ちょっと残念ですが
たかさんの登山記で 雰囲気だけでも味わうことが出来ました
奥穂には登った事あるのですが
やっぱり 槍ヶ岳は 憧れです
表銀座の記録。テント泊された逞しさ。素晴らしいです。
槍のテッペンでは ちょっと残念でしたね。山の天気は 運不運有り 心残りになるケース大いに有りますね。
私共(次男と三人)は 槍沢から 槍岳山荘泊でしたが 360度大展望が出来て その思い出は やっぱり 自分にとって 最大級となっています。
槍の他にも 沢山の思い出を持っておられるたか様、次も次も 期待しています。
たかさんご夫婦、若い時代、ほんとに素晴らしいお似合いのカップルでしたね!いまもですけど。取り急ぎ!
常さんのおかみさんエピソードも、ああそんなのあったなぁと。ありがとうございます。また読んでみようかな。
ニッカボッカにノーヘルメット。時の流れを感じます。
我らがたかさんを絶壁に追いやり、そこのけそこのけ登っていく団体さん、のように見えますね。
名の通りなんですね。
急峻な登山道に背中の大きな荷物、山男、山女の逞しさに感動しました。
素晴らしい山の思い出ですね。
本当に天晴れ大賞ものです(^_-)-☆
どんなに美味しかったことでしょう。
そしてお伽の国のような?燕黒山荘、見てみたいなあ。今も同じなんでしょうか。
それにしても槍のてっぺんに向かう垂壁!怖さしかかんじませんね。
数珠つなぎになって・・・・・おぉ恐っ!
登りは目の先に手をのばすのでまだましですが、下りは目と足の先の距離があるので、
難しさと恐怖感が尋常ではありませんよね。
私も若い時にもっと南北アルプスに足を運んでおけばと後悔何とやらの気分です。
とにかく、たかさんご夫妻の山旅遍歴には”あっぱれ、あっぱれ”大賞を授与させていただきます。
たかさまの人生のストーリーが垣間見えて、とっても面白かったです。
特に、ご主人さまが見られた”女性の幻”みたいなものが気になります。
(今の日記より、昔の日記に引込まれてしまったワタクシです<笑。
ご夫婦の絆は強いはずですね。
いろいろな事を乗り越えられたから、今が在る。
そして、今も、乗り越える力がおありなのですね。
仲良しぶりは、我が夫婦も負けてはいない・・・ナンて思っていましたが、アハっ<笑 完全負けていました<笑。
中房温泉から燕山荘まで去年の7月に登りましたが、
合戦小屋のスイカは、今も健在でしたよ。
今から思えば、
蓼科のホテルから日帰りで、中房温泉まで車で行き、燕まで登って、すぐに下りてきたのがもったいなくてしかたがありません。
山小屋に一泊か二泊して、もっと山行を楽しむべきでした。
槍は、とっても無理な私ですが・・・
もう一度、あの辺りは登ってみたい場所です。
とっても素敵なお話、ありがとうございました。
若い頃のたかさまにもお会いできましたし、ねっ<笑。
雲の切れ間から突然姿を見せた槍の穂先。感動された様子が目に浮かぶようです。
それにしても、こんな岩場をよじ登るのって大変そうですね。
下りは登り以上に危険性が増し、緊張されたことでしょう。
秩父宮妃殿下と常さんのエピソードも興味深く読ませてもらいました。
お二人の人柄がでていて素晴らしいなと感じました。
素晴らしい登山記録でした。続編も期待しています。
中房温泉で思い出したのですが、作家の山口 瞳さんが中房温泉は日本一の温泉だと
紹介されていたのをみて、友人と四人で訪れたことがあるのですよ。
ここには、蒸し風呂を含めて、13箇所だったかの風呂があり、
全部に入浴したものですから、翌日は湯あたりで、全員ぐったりしたことが懐かしく
思い出されました。