3年前の私は、
怒ってばかりだった気がする。
おはようございます。
3年前、たれ蔵とのん太が我が家へやって来た。
たれ蔵は、3兄弟の中で唯一生き残って、我が家にたどり着いた子だ。
のん太は、ほぼ産まれたてホヤホヤで、我が家へ運ばれてきた。
何の生き物だろうが、赤子がやってくるというのは、
めでたいことだ。
そりゃ、野良猫の子との出会いは、いつだって突然だから、
私としては、途方に暮れる。
毎度、「あぁぁ~どうしよっ」っとしばらく時が止まる。
もはや、無理くり『めでたい』のだと思い込んでいる節もある。
自己暗示だ。
そんなめでたい奇跡を経験しながら、
私は怒ってばかりの日々が始まる。
子猫が成長するに従って、問題も大きくなっていく。
それは、先住猫との関係性だ。
最初はいい。
とりあえず、先住猫を褒めて褒めて褒めちぎっていればいい。
作り笑顔の唇の端が本当にちぎれるのじゃないかというほど、
褒めちぎる。
先住猫の方も、幼い子猫には優しい。
狂犬みたいな、あのきくさんだって、子猫には優しかった。
ただ、子猫が腕白盛りになってくると、そうも言っていられない。
私も先住猫も、怒ってばかりだ。
もちろん、怒りたくはない。
私はいつだって、笑顔で穏やかな暮らしを望んでいる。
ヒラヒラしたスカートを履いて白いエプロンなんかを掛けて、
コトコト丁寧に煮込む鍋の前で、鼻歌を歌いながら味見したい。
「よし、出来上がり」
と呟いて、足元に大人しく佇む猫に微笑みかけたい。
けれど、現実は違う。
仕事から帰れば、上着だけ脱いで、
ランニング姿のまま、慌てて料理をしながら、
腕白な子猫に、本気で怒る先住猫の威嚇の声が響くたび、
「おたま、シャーシャー言うな!」
と遠くから怒鳴り、それでもダメなら包丁を持ったまま現場へ走る。
まるで、映画シャイニングだ。
その時の私は、おかっぱヘアーのジャックニコルソンだ。
なんでも先住猫を優先させる。
これは多頭飼いにおいて、基本中の基本だ。
分かっている。
分かっているが、怒りの矛先は先住猫に向いてしまう。
どうしたって、気心が知れた先住猫には、怒りさえも向けやすいからだ。
これは、私の甘えでしかない。
大きくなったって、たった5~6キロの先住猫に甘えてしまう、
ジャックニコルソンだ。
あれから3年、本当に頑張った。
ジャックがじゃない、おたまが頑張ってくれた。
元来、消極的なおたまが、自分から考えて工夫して変わって行くさまに、
私は本当に驚いた。
「猫って、努力するんだぁ」と。
新入りのたれ蔵とのん太も、いろんことを学んできた。
いや、のん太はそんなに学んでいないかもしれないが、
たれ蔵は、おたまとの関係を、自身の頭で考えながら構築している。
たれ蔵も努力する猫だ。
猫は、偉いもんだ。
ところが、
ようやく、なんとなくだけれど、
おたまとたれ蔵を笑って見ていられるようになった頃、
母かずこが、ジャックになった。
昨夜も、酷く興奮した声で、電話を掛けてきた。
「ボケてるのに、電話は掛けられるんだぁ」と呑気に感心したが、
実家へ駆けつけると、かずこは頭頂部がかなり薄くなっているから、
本当に、見た目からして、ジャックだった。
怒っている理由なんて、ない。
あるとするなら、頭の中の『アルツハイマー』か、
血中にふんだんに溶け込んだ『ビール』と『焼酎』が暴れているんだ。
認知症の妄想か、ただの悪酔いだ。
認知症患者への対応の基本中の基本は、
否定をしない。叱らない。問いたださない。
分かっている。
悪酔いした人間への正しい対応は、飲ませない!それだけだが、
いずれにしても、現実は理想通りにはいかないものだ。
ただ、昨夜は一つ、見つけた。
怒り狂ったジャックになった母は、私の過去の失恋話に食い付いた。
そして大いに笑った。
人の不幸が、滋養強壮剤になっているかのごとく、元気に笑っていた。
私の恋話は、リポビタンⅮかよ!と思ったが、
まるで噺家か、浪曲師みたいにノリに乗って話してやった。
あの時の、
笑っていいんだか困惑した表情で同席していた、父の顔が忘れられない。
また、かずこさんが怒りに震えていたら、
そうだ!
今度は、あいつの話をしてやろう。
「お前は平成イチクズ野郎だな」って思った、昔のあの男の話を・・・。
おい、おたま?
のん太に絡まれてんのか?
おぉぉ、おたまが黙して勝ったね。
おたま「おらを怒るのか?」
怒らんよ。
おたま、よう頑張ってくれてるもんな。
ありがとうな。
おたま「おら、褒められた」
そうだよ。
お前は偉いんだ。