先週、東京都三鷹市のホームページに「みたかデジタル平和資料館」というのがあり、
その中に「沈没した戦艦武蔵の最後を明かす元乗組員」という新聞記事を見つけました。
ばあちゃんの長兄は武蔵に乗って戦死したので、その方の話は聞いたことがありますが、
今まで戦争の残酷な事実からは、あえて目をそらしてきました。
新聞記事を見て、同じ武蔵の乗組員の話を聞いてみようと思っていたのですが、
昨日はちょうど雨だったので、動画を拝見しました。
全編後編で80分くらいですが、話を聞き取るのが結構大変でした。
塚田義明さんという方は、中2で特別年少兵というのに志願し、
昭和16年7月、全国で3万人の志願者の中から3200名に選ばれました。
横須賀海兵団の一期生になれたことは、軍人のほこりだったそうです。
私の伯父は徴兵されて横須賀に行き、機械や電気に詳しかったようで、
戦闘員としてではなく武蔵を操縦する方の役割だったそうです。
昭和19年10月24日のシブヤン海での戦闘までの経緯、
進むしかない、力はないことは分かっていた、武蔵は囮役だったという話、
実際にその場所にいた人の言葉には重みがあります。
米軍の5回の攻撃で武蔵は次第に傾き、ついに艦長から撤退命令が出て、
傾いた武蔵から多くの兵士が海へ飛び込んだそうです。
生きて日本へ帰るまでの話も壮絶で、生き残れた人はごくわずかだったようです。
伯父は機械室にいたのでしょう。
浸水してきて電気系統が壊され、そこから出ることが出来なかったのか、
既に覚悟を決めていたのでしょうから、逃げるという選択は無かったのかもしれません。
米兵は勇気が無くて弱いという教育を受けていたのに、飛行機を急降下して攻撃してくる米兵に、
「相手もすごい、大変なんだなと思った。」と塚田さんが言っています。
お互いの間には何の恨みもない人間同士が、殺し合わなければならない戦争、
なぜ無くすことができないのか、動物の性なのかと思ってしまいます。
塚田さんは海に飛び込んだ時、体中を包帯で巻かれていたため自由が利かず、
もう駄目かと思った瞬間、母親の顔と子供時代に遊んだ風景が目に浮かんだそうです。
そしてたまたま流れてきた木材につかまって、必死に生き延びた・・・。
伯父は閉じ込められた武蔵の中で、仲間たちとどんな思いで沈んでいったのか・・・。
夏休みの終わりに子供たちの自殺が急増するというニュースを聞きながら、
複雑な気持ちで過ごした雨の一日でした。