マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『人はパンだけで生きるものではない』・・・今日も『愛』に生きる♭

2014-03-09 09:00:00 | 娘と娘家族
食べたことがないよ。 可愛いね。     『動物パン』

昨夜。ビッセル神戸の応援の帰り道。                       駅前パン屋で。
    おいしいね。きっと。                  日頃口にしない菓子パン。
ばあちゃんの甘さが、『甘いパン』の経験に、つながります。 それが良い! 

2月9日。日曜日。  『今日の御言葉』

  『イエスは悪魔から誘惑を受けるため、”霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
そして四十日間、昼の夜も断食をした後、空腹を覚えられた。
すると誘惑をする者が来て、イエスに言った。
  「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
イエスはお答えになった。
  「『人はパンだけで生きるものではない。
      神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
                                  マタイ福音書 4章1~4節
イエスが答えました。
「『人はパンだけで生きるものではない。
      神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」と。

どこに書いてありましたっけ

          『申命記8章2-3節』
  『あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。
こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心のあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。
主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことにないマナを食べさせられた。
人はパンだけで生きるのではなく人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。』

      なるほどね~~
 福音家マタイは、イエスが断食の苦しみを味わった40日と、イスラエル民族が味わった40年間の苦しみは、ひとつに重なるものだ。 と。考えた。
どんなに人が空腹を抱えていても、実際に石がパンになってくれるわけではありません。空腹に苦しむ。
旧約の民は、神が準備なさった 『マナ』 を食べて、命をつなぎました。
イエスは神として石をパンに変える力を持っていたが、イエスは一人の人間として空腹に苦しむ人間と同じ苦しみのなかに、とどまりました。
イエスは、あくまで人間の生活と同じ地平に立たれ人間の苦労を共に担ってくださっている。ということですね
新約の民は、神の言(ことば)である 『イエス』 を食べて、命をつなぎます。


今日は日曜日。
私はいつもなら教会です。 
が・・・朝9時から、孫たちと、幸せの村入りです。 私も、あくまで孫たちの立場に立ち『孫達の喜び』が最優先です。
                                           『孫達の幸せ』の為なら教会ですけどね!
  9時半~12時:『プール』 & 『昼食』 & 1時半~2時半:『アソレティック公園』
              ・・・今日も孫たちへの『愛』 を 『人生の目的』に生きる私です!


        『神の御言葉』は、
  私たちを制限するものでなく、私たちの『神の子としての自由』 を体験するものです。
              ・・・いついかなる時も、『神の御言葉であるキリストの赦し』 の実感です。


弟:連日、冬の寒さの中での、遊び過ぎがたたった??
下痢。小児科待合室。 姉:弟に・・・  『絵本読み聞かせ』

『姉の愛の実践』。                      動物達も、姉に耳を傾けます                     
         無垢な子供たちからは、『御言葉=愛』が 自然にあふれ出ます!


         『毎日の食卓』
孫たちの滞在で、いつも2膳の箸が・・・   『4膳の箸』

食事が大事です。                          にぎやかな『数』『幸せ』と正比例する。
       食事も、『マナ』同様に、『神の愛の実践』です。


以上。
 今日も、『御言葉』を信じて、『希望』に向って・・・。

又・・・
水曜日・3月12日から、『2膳』の生活に戻る。 
じいちゃんばあちゃんの日常に戻ります。


いつの場合も、
別れは寂しい。
人は、別れの数だけ・・・『心の年輪』が増える。
前に進むしかない。 
寂しさに執着することは・・・『人生の目的』に逆方向になる。
変化に対応する。
力を尽くして・・・『新しい体験』を受け入れる。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 今日も心豊かに、寒の戻りの毎日、お元気で!