ガブリエルは、尼僧になる決意をし、家を出ました。
数日前のBSテレビの『尼僧物語』
親兄弟。そして恋人。 すべての持ち物を断ち切って・・・
ガブリエルは、修道院の門をくぐりました。
今日は
『人が神に従う人生』。 人生の 『招命』 について考えます。
最初の一人。
ガブリエル。
修道院へ入る以前から熱望していた、ベルギー領コンゴへの派遣。
コンゴでの充実した日々。同時に 葛藤の日々。
そんなある日・・・
自分が結核に冒されている事に気付く。
仕事仲間の医者や人々の愛情のおかげで 病状は回復。
が・・・
ベルギーに呼び戻されます。
オランダとの国境に近い病院に派遣されます。
が・・・
戦争が始まり、中立国のベルギーに対して、ドイツ軍は砲撃を加える。
そんな最中・・・
著名な医者の父が、『機関銃の噴射で殺されたとの一報』 受け取ります。
『尼僧の戒律』
『全て意思すらも捨てる』 そして 『全てに対して慈悲の心を持たなければならない』
ガブリエルは
尼僧になって以来、戒律への葛藤で、悩み続けます。
そして今
『父の死の一報』 を受け取り、葛藤は一気に加速 します。
『父を殺した敵を許す事が出来ない』
戒律:『全てに対して慈悲の心を持たなければならない』 は守れない。 と。
更なる葛藤の結果・・・
遂に、『還俗』 を決断します。
『尼僧』 の人生ではなく、 『信徒』 の『人生』 を決断します。
尼僧の衣を脱ぎ、平服に着替えて、修道院を立ち去ります。
ガブリエルは、祖国・ベルギーと同胞への思いを胸に、『世間』に帰っていくのです。
もう一人。
次は青年。
青年は、 『完全な者になりたい』 と決意をし、キリストを訪ねます。
8月18日。月曜日。
『今日の御言葉』
『一人の男がイエスに近寄って来て言った。
「掟はみな守ってきました。まだ欠けているでしょうか?」
イエスは答えた。
「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい。
それから、わたしに従いなさい。」
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。』
マタイ福音書 19章20~22節
イエスは、
この青年がイエスの弟子たちの仲間に入ることは、この青年にとって良いことだと、考えたのではないでしょうか。
『わたしに従いなさい。』 と。 声をかけます。 イエスの『声かけ』 が 『招命』 の第一歩です。
そこで・・・
厳しい内容の事を実行するようにと、要求します。 厳しく 『・・・しなさい。』 と命令です。
『行って持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい。』 と。
イエスの『要求』を聞いた青年は
ガブリエル同様に、決断 をします。
決断は、『悲しみながら立ち去った。』 でした。
『弟子』 の人生ではなく、 『信徒』 の『人生』 を決断します。
司祭服でなく、平服を選び、キリストの元から、『世間』に帰っていくのです。
『決断』は
『すべて』 を捨てて・・・ 『一つ』 を選択することです。
『決断』 には必ず = 『悲しみ』 と 『涙』 = が伴います。
だからこそ・・・
『本物の喜び』 が伴います。 パラドックスですよね! 人生の醍醐味です。
『キリストに従う道』
その道は、『富士登山の道は色々とある』 と比喩されるように、色々あります。
修道者として、修道院で、自分を捨ててあくまで長上に忠実に、キリストに従う道。
信徒として、世間で、神から頂いた自分の能力を最大限に生かして、キリストに従う道。
『二つの道』
どちらの道も、『完全な者』 となるための、『道』 です。
厳しく『一つの道』を選択をして。 その後 中途半端でなく『一つの道』を全うして。 『完全な者』 となる。
私たち皆
『一つの人生』途上で、自分の足りなさを認めて そして 神の助けを願いながら、『完全な者』 となりましょう!
以上。
私の、思うがままの意見でした。 お粗末さまでございました
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様は、4つの富士登山ルートの、どの道から登りますか? 一番厳しい『御殿場ルート』をご一緒しませんか? それにしてもオードリーの美しいこと!
数日前のBSテレビの『尼僧物語』
親兄弟。そして恋人。 すべての持ち物を断ち切って・・・
ガブリエルは、修道院の門をくぐりました。
今日は
『人が神に従う人生』。 人生の 『招命』 について考えます。
最初の一人。
ガブリエル。
修道院へ入る以前から熱望していた、ベルギー領コンゴへの派遣。
コンゴでの充実した日々。同時に 葛藤の日々。
そんなある日・・・
自分が結核に冒されている事に気付く。
仕事仲間の医者や人々の愛情のおかげで 病状は回復。
が・・・
ベルギーに呼び戻されます。
オランダとの国境に近い病院に派遣されます。
が・・・
戦争が始まり、中立国のベルギーに対して、ドイツ軍は砲撃を加える。
そんな最中・・・
著名な医者の父が、『機関銃の噴射で殺されたとの一報』 受け取ります。
『尼僧の戒律』
『全て意思すらも捨てる』 そして 『全てに対して慈悲の心を持たなければならない』
ガブリエルは
尼僧になって以来、戒律への葛藤で、悩み続けます。
そして今
『父の死の一報』 を受け取り、葛藤は一気に加速 します。
『父を殺した敵を許す事が出来ない』
戒律:『全てに対して慈悲の心を持たなければならない』 は守れない。 と。
更なる葛藤の結果・・・
遂に、『還俗』 を決断します。
『尼僧』 の人生ではなく、 『信徒』 の『人生』 を決断します。
尼僧の衣を脱ぎ、平服に着替えて、修道院を立ち去ります。
ガブリエルは、祖国・ベルギーと同胞への思いを胸に、『世間』に帰っていくのです。
もう一人。
次は青年。
青年は、 『完全な者になりたい』 と決意をし、キリストを訪ねます。
8月18日。月曜日。
『今日の御言葉』
『一人の男がイエスに近寄って来て言った。
「掟はみな守ってきました。まだ欠けているでしょうか?」
イエスは答えた。
「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい。
それから、わたしに従いなさい。」
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。』
マタイ福音書 19章20~22節
イエスは、
この青年がイエスの弟子たちの仲間に入ることは、この青年にとって良いことだと、考えたのではないでしょうか。
『わたしに従いなさい。』 と。 声をかけます。 イエスの『声かけ』 が 『招命』 の第一歩です。
そこで・・・
厳しい内容の事を実行するようにと、要求します。 厳しく 『・・・しなさい。』 と命令です。
『行って持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい。』 と。
イエスの『要求』を聞いた青年は
ガブリエル同様に、決断 をします。
決断は、『悲しみながら立ち去った。』 でした。
『弟子』 の人生ではなく、 『信徒』 の『人生』 を決断します。
司祭服でなく、平服を選び、キリストの元から、『世間』に帰っていくのです。
『決断』は
『すべて』 を捨てて・・・ 『一つ』 を選択することです。
『決断』 には必ず = 『悲しみ』 と 『涙』 = が伴います。
だからこそ・・・
『本物の喜び』 が伴います。 パラドックスですよね! 人生の醍醐味です。
『キリストに従う道』
その道は、『富士登山の道は色々とある』 と比喩されるように、色々あります。
修道者として、修道院で、自分を捨ててあくまで長上に忠実に、キリストに従う道。
信徒として、世間で、神から頂いた自分の能力を最大限に生かして、キリストに従う道。
『二つの道』
どちらの道も、『完全な者』 となるための、『道』 です。
厳しく『一つの道』を選択をして。 その後 中途半端でなく『一つの道』を全うして。 『完全な者』 となる。
私たち皆
『一つの人生』途上で、自分の足りなさを認めて そして 神の助けを願いながら、『完全な者』 となりましょう!
以上。
私の、思うがままの意見でした。 お粗末さまでございました
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様は、4つの富士登山ルートの、どの道から登りますか? 一番厳しい『御殿場ルート』をご一緒しませんか? それにしてもオードリーの美しいこと!