今日・3月1日は、四旬節第二の主日。
四旬節も佳境に入ってきました。
今日は、四旬節にふさわしく、一神教の『信仰の父』・アブラハムの検証です。
今日。
神は、アブラハムの信仰を試します。
そして。
神は、私たちの信仰をも試します。
今日・主日の 『神の御言葉』
(長いですが、興味深いのでご辛抱して、お読みください)
『神はアブラハムを試された。
神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が「はい」と答えると、
神は命じられた。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリアの地に行きなさい。
わたしが命じる山の一つに登り、
彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
神の命じた所に向かっていった。
三日目になって、
神が命じられる場所に着くと、
アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べた。
そしてアブラハムは、
手を伸ばして刃物を取り、息子を屠(ほふ)ろうとした。』
『アブラハムとイサク』 レンブラント28歳の作品
『御言葉』は、絵のように 続きます。
『そのとき、
天からの御使いが、
「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。
彼が、「はい」と答えると、
御使いは言った。
「その子に手を下すな。 何もしてはならない。
あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。
あなたは、自分の独り子である息子すら、私に捧げることを惜しまなかった。」
アブラハムは目を凝らして見回した。
すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。
アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、
息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。』
創世記 22章1&2&9~13節
有名な聖書の箇所ですよね。
今日のミサ司式司祭は言いました。
「あなた方も、今日聞いた御言葉について、考えて下さい。
そして 良い四旬節をお過ごしください。」 と。
私も考えてみました。
いかがでしょうか? 皆様はどうお考えですか?
① アブラハムは、神の命令といえども、我が独り子をほふり そして 焼き尽くすことができるだろうか?
できるはずがない。 私はできない。 と思うはずです。
しかし・・・
『神への畏れ』 は、『私情』 に勝る。 と考えるということなのでしょうか?
神は、突然に、アブラハムに『大きな試練』 を与えたのではありません。
神は、徐々に、徐々に、アブラハムを教育します。
アラハムに信仰の何たるかを教え、アブラハムの信仰を確かなものにして いったのです。
『教育』の道のりは、長いものです。
まずは・・・・
教育の最初は『命令』から始まりました。
② アブラハムは、神の突然の召命に応えて、故郷を捨てて、見知らぬ地へ旅立ったのです。75歳でした。
『主はアブラハムに言われた。
「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。」
わたしはあなたを大いなる国民にし、祝福の源にする。
アブラハムは、主の言葉に従って旅立った。』
創世記 12章1&4節
皆様! 75歳になって、穏やかな老後生活を愛する妻と送っている日々に・・・
突然に、神から、「故郷を捨てて、見知らぬ土地に、いきなさい!」 と言われて、
「はい。出発します。」 と言えますか? 「75歳になっています。このままに・・」と迷いませんか?
さすが!
神が選んだアブラハムは、「はい。承知しました!」 と出発したのです。
ただし。 アブラハムには、疑問が一つありました。
子供のいないアブラハム夫婦です。
アブラハムは、『神の言葉』 が理解できなかったことでしょう。
”どういう風に、子のない私を、大いなる国民にするのだろう?”
実際には。 神は、アブラハムに約束したとおりに・・・・
アブラハムを大いなる国民として、祝福の源としました。
祝福の源・イエスキリストの系図。
『アブラハムはイサクを設け、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たち、と。
アブラハム から ダビデ王まで・・・14代。
ダビデ王 から エコンヤとその兄弟たちまで・・・14代。
エコンヤ から メシアと呼ばれるイエスまで・・・14代。』
マタイ福音書 1章1~17節
アブラハムに始まった『祝福の源』。
アブラハムから42代目のキリストで、『祝福』 が完成。
キリスト以降は、キリストの兄弟&神の子となったキリスト信者によって、『祝福の民』は続いています。
『神の示す土地』に向かう途中・・・・
③ アブラハムの独り子・イサクが、聖霊によって、アブラハムの妻・サラに宿ります。
アブラハムの妻・サラは身ごもれない高齢であったにもかかわらず・・・
我が子・イサクを、聖霊によって宿ったのです。
『主はアブラハムに現れた。 三人の人がアブラハムに向かって立っていた。
アブラハムは走り出て向かえ、地にひれ伏して、言った。
「何か召し上がるものを整えますので、
疲れを癒してから、お出かけください。」
シャガール作品。 『3人の天使に給仕するアブラハム』
聖書の続き。
『天使の一人が言った。
「来年の今ごろ、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」
アブラハムもサラも多くに日を重ねて老人になっており、
しかもサラは月のものがとうになくなっていた。
主は、約束されたとおりサラを顧み、彼女は身ごもり、男の子を産んだ。』
創世記 18章1~15節&21章1節
神は、
アブラハムに『神の奇跡』 を見せながら・・・
アブラハムの 『神への信頼』 を確固なものとしていきました。
④ そんな大切な子・イサクを、アブラハムは献さげることができるだろうか?
神の独り子・イエスも・・・
イサク同様に、
母マリアが、結婚前に、聖霊によって宿り、生まれた大切な子でした。
でも・・・
人類の贖罪のために。
神も、マリアも、自分の大事な独り子・イエスを、十字架上で献げましたね。
沈黙の中でアブラハムは結論を出しました。
アブラハムも、神を信じて、『愛児の献供』 を承知しました。
⑤ 神は、アブラハムには、なぜ?、『独り子・イサクの命』 を求めたのでしょうか?
神が、人に求めるものは、
祭儀上の動物の捧げ物ではなく、人としての 『愛の実践と信仰』 ですよね。
神が、アブラハムに求めたものは、
普通の人以上のものでした。
『愛児の献供』 の要求は・・・
無限なる神のために、有限なる物をあきらめる。
その 『決断』 ではなかったのでしょうか?
まさしく。
『神の騎士』 となるための、『試練』 だったのでしょう。
『神の代理者』 として、人を導く 『神の騎士』 を、
『神への完全なり信頼』 を学ぶために、 教育するために、
神は試すのです。
神は、イエスにも、『決断』 を求めました。
イエスは、神への完全な信頼で、
イエスは、無限なる神のために、『自分の命』 を献げました。
⑥ 『三日間の沈黙の旅路』 の意味は?
突然に、理解不可能な、神から命令を受けたアブラハム。
沈黙の中で、 独り子・イサクと歩きながら、
『神の真意』を、思い巡らしたのでしょう。
考えて考えて、『結論』 を出したのでしょう。
『沈黙』 は、神に近づくためには、欠かせないことのようです。
神は、多くを、沈黙の中で、語りかけるのです。
そして。
アブラハムは、自らの結論で、
命令通りに息子をほふる時になって…『神の真意』 を理解したことでしょう。
然り。 然り。 と。
神の母・マリアも、同様な姿でした。
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた。』
ルカ福音書 2章18&19節
⑦ 神の愛はいかなる愛であろうか?
神は、人間からは、長子の犠牲を求めず、
逆に・・・
神は、神の長子・キリストを、人間の贖罪のために、十字架上で、犠牲にしました。
『神の愛』は、人類に対して、海よりも深く山よりも高い、『無限の愛』 です
『友のために自分の命を捨てること、これ以上の大きな愛はない。』
ヨハネ福音書 15章13節
⑧ アブラハムの『愛児の献供』 は、私たちに何を語るのでしょう?
私たちの信仰も試されるのです。
アブラハム同様に・・・
この世で最も愛着のあるものを、神のために献げる覚悟がありますか?
神を、畏れおののきながら仰いでいますか?
以上。
司式司祭様の宿題をこなして、私が考えたことです。
お粗末様でございました
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
神はもちろん、家族も友人もその真意を知ることは難しいものですね。 謙虚に行きましょう!
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記録。 今日・2日は14㎞。
9時。 5度。 右足底の不調が続く
大会前月の、もう一つのノルマ『30km走』。
土曜日の14km+今日の14km=28km。 ノルマをこなしたことにして ”ヨッシャ!”
いいかげんなもんです。 3月走行距離合計 14km。