月・水・金曜日の朝8時~9時45分。
近所の緑深い大きな公園でグランド・ゴルフです。
今朝も。
自然を満喫しながら・・・
スタートマットからホールポストに向かって・・・ボールが打ち出されました。
ホールインワンをねらいます。
集中力と調整力で決まるのですが・・・。
打つ時には、ホールインワンを信じて・・・
手ごたえがあったような。
ホールポストに走り寄り、この目で見て、確かめてみるのです。
なかなかままならないのですが、緊張感が楽しい。 仲間との交流がいと楽しい。
そして。
今日は7月3日。月曜日。 『聖トマ使徒 祝日』
『聖トマス』 ミケランジェロ作品
『今日の福音 イエスの御言葉』
『トマスは言った。
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、
また、
この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」
さて八日の後、
イエスが来て弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
それからトマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。
また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」』
ヨハネ福音書 20章24-29節
なぜ? 人は神の存在を信じないのですか?
人は、トマス同様に、答えます。
「神を見せて下さい。そうしたら信じられます」。
トマスも、イエスの傷跡を見て、そして 確認したのです。 それから 信じたのです。
イエスが復活後に、トマスの前に、再度、現れたのは、”トマスの信仰を確かにしたい!”との、イエスの愛だったのですね。
神を目で見ることは不可能です。
『見ることのできる世界』に、信仰は不必要です。
見たり、触ったり、味わったり・・・感覚で確かめることができたら、それはもう信じる必要がありません。
『見ること』 の反対語が 『信仰』。 信じることです。
イエスの傷跡を見たトマスは、イエスに答えました。
『「わたしの主、私の神よ」と言った。』 同20-29
今の時代に生きる私たちは、イエス御自身に出会うことはできないでしょう。
それでも。
『弟子たちの証しの言葉』を信じることができる人は幸いです。
今も。
神は、社会の中、出来事の中、人々の心の中で、働いておられるのです。
『聖書が書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためである。」
ヨハネ福音書 20章21節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人を信じ、神を信じる。 信じることは、相手に信じて頂くことにもなるのです。 信じ合うことは最高の喜びですよね。
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7/3。5時。 千里の道も一歩から。 大海も一滴から。 歓走も一走からです。 10㎞。
7月の運動: ランニング 32㎞ 階段上り下り 0回 登山 0回