マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『見ること』と信仰。 そして 『見ないのに信じる人は、幸いである。』

2017-07-03 08:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

月・水・金曜日の朝8時~9時45分。
近所の緑深い大きな公園グランド・ゴルフです。 

  今朝も。
 
  自然を満喫しながら・・・
 
  スタートマットからホールポストに向かって・・・ボールが打ち出されました。
 
        ホールインワンをねらいます。   
             集中力と調整力で決まるのですが・・・。  

  打つ時には、ホールインワンを信じて・・・
      手ごたえがあったような。
          ホールポストに走り寄り、この目で見て、確かめてみるのです。

   なかなかままならないのですが、緊張感が楽しい。 仲間との交流がいと楽しい。


そして。

今日は7月3日。月曜日。  『聖トマ使徒 祝日』

 
                    『聖トマス』        ミケランジェロ作品

  『今日の福音 イエスの御言葉』

  『トマスは言った。
  
    「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、
           また、
     この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」

  さて八日の後、
  イエスが来て弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
     それからトマスに言われた。

   「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。
   また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
 
     「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」』
                                                ヨハネ福音書 20章24-29節


     なぜ? 人は神の存在を信じないのですか?

           人は、トマス同様に、答えます。
         「神を見せて下さい。そうしたら信じられます」。

   トマスも、イエスの傷跡を見て、そして 確認したのです。 それから 信じたのです。
        
イエスが復活後に、トマスの前に、再度、現れたのは、”トマスの信仰を確かにしたい!”との、イエスの愛だったのですね。

            神を目で見ることは不可能です。
        『見ることのできる世界』に、信仰は不必要です。
  見たり、触ったり、味わったり・・・感覚で確かめることができたら、それはもう信じる必要がありません。

          『見ること』 の反対語が 『信仰』。 信じることです。


               
イエスの傷跡を見たトマスは、イエスに答えました。
             『「わたしの主、私の神よ」と言った。』 同20-29


      今の時代に生きる私たちは、イエス御自身に出会うことはできないでしょう。

        それでも。
          『弟子たちの証しの言葉』を信じることができる人は幸いです。
        今も。
          神は、社会の中、出来事の中、人々の心の中で、働いておられるのです。


   
『聖書が書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためである。」
                                                        ヨハネ福音書 20章21節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人を信じ、神を信じる。 信じることは、相手に信じて頂くことにもなるのです。 信じ合うことは最高の喜びですよね。

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7/3。5時。 千里の道も一歩から。 大海も一滴から。 歓走も一走からです。 10㎞。

  7月の運動: ランニング 32㎞  階段上り下り 0回
  登山 0回