マリアテレジアの独り言

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  小さな感動をつづります。

聖書通読会・・・旧約聖書の完読。 そして 『イサクはリべカを迎えて妻とした。』

2017-07-07 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今日・7月7日。年間第十三金曜日。 
 聖書通読会・聖書100週間の日。 私達仲間には、『旧約聖書完読の祝い日』です。

  『アブラハムと三天使』
 
                                          シャガール作品。

 今日は、2年2か月をかけて、仲間と毎週読んできた、『旧約聖書』完読の日となった。

        聖書を読むということは、人間模様の勉強である。 
 
人は、日々何を考えるのか? どのように人生を設計するのか? どのように人生を全うするのか?

   神はなぜ人間を創造したのか? 人は与えられた命をどう生きるのが良いのか?

                 聖書は、『人生の案内書』 ともいえる。

   今日、旧約聖書を完読した仲間は、『聖書を読むと自分の姿がはっきりと見えてくる。』と語った。
 『自分だけでなく、他人も見えてくる、社会が見えてくる、そして神が見える。』とも語った。 私も同感です。

    聖書の言葉を、『霊的糧』、『いのちの言葉』 として、仲間と読み続けてきたのです。


たとえば。

      『今日の第一朗読 アブラハムの夫婦愛と家族愛』


    『アブラハムとその妻サラ』
   
               シャガールのアブラハムと三天使』の部分。     

      通りかかった3人の天使を食事に招待することで、
 アブラハムとサラのこれまでの人生は、全く別の人生に導いていかれる。
人類の『信仰の父』となる人生を、75歳のアブラハムはサラと共に、歩み始めるのです。

聖書の言葉が続きます。

 『サラの生涯は百二十七年であった。 サラは、カナン地方のヘブロンで死んだ。
        アブラハムは、さらのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。
ブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。

 アブラハムは多くの日を重ね老人になり、家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。
   「わたしの一族のいる故郷に行って、嫁を息子イサクのために連れてくるように。』


   
『リベカ』
   
   年老いた僕が探したイサクの嫁・リベカ。      ペレグリーニ作品。


   『イサクは、夕方暗くなるころ、野原を散策していた。
 目を上げて眺めると、楽だがやってくるのが見えた。リべカも目を上げて眺め、イサクを見た。』

  『イサクとリべカの出会い』
 

   『リベカはらくだから下り、
   「野原を歩いて、わたしたちを迎えにくるあの人は誰ですか」と僕に尋ねた。
   「あの方が私の主人です」と僕が答えると、リベカはベールをかぶった。』


  『ユダヤの花嫁 イサクとリベカ』
 
                                             
レンブラント作品

   『イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。彼はリベカを迎えて妻とした。
      イサクは、リべカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。』 

                                     以上。 創世記 23章1-67節

        聖書は、頭で読むのではなく、心で読む書物かもしれません。
     聖書の中の、神の考え、人々の考えから、『普遍性』を見出していくのです。 
 見出した『普遍性』を自分の『信念』として、迷いなく、『とこしえの道』へと、導かれていくのです。


そして。
今日は『花金』

     旧約聖書完読の祝い
    
  婿殿からのプレゼント・『SILENI Lodge』で、夫も祝ってくれた。
      私も、夫の好きな球団の応援をした。

  聖書を読み続ける最高の効用は、
       この地上で共に命を生きる『他者への愛の深まり』かもしれません。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
英語圏の絵画や音楽や文学に親しむとき、聖書の言葉に多く出会いますよね。 
物事への探求心を深めたいですね。 広く深く、人生を楽しみたいものですね。 週末もお元気で!