4月2日。 東京3日目。
The東京・・・ 『芸武両道』
孫息子は、『バイオリンとサッカー』に生きる、『文武芸武両道』
朝から晩まで、バイオリン・レッスンも、サッカー服で過ごし、
いつでも走れるようにスタンバイしている。
これで『文道』も備わってくれると、言うことなし?
いえいえ。個性的が第一です。何をや望まんです。
孫息子は、私と街中を歩くときは、必ず、私と手をつなぐ。ラブラブ
彼の『やさしさ』は、彼の『個性』です。
祖母(私)のために・・・ 『ハンバーガー 昼食』
手作りハンバーグを焼いて、玉ねぎをさらして、トマトの薄切り、
おいしそうに作ってくれる。
『シェフ』も、『芸術』ですよね。
娘の子供たち・私の孫娘と孫息子は、『個性の塊』です。
そして、
『個性の塊』こそが、私の東京。見ていて飽きない『The東京』です。
そして。
今日は4月2日。四旬節第四火曜日。
今日、四旬節真最中、『回心の祈り』が強調されます。
『今日の第一朗読 エゼキエルの預言』
『その日、
主の使いはわたしを神殿の入り口に連れ戻した。
『エゼキエルの幻視』 ラファエロ・サンティ作品
すると見よ、
水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。
神殿の正面は東に向いていた。
水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。
彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。
その人は、手に測り縄を持って東の方に出て行き、一千アンマを測り、
わたしに水の中を渡らせると、水はくるぶしまであった。
更に、一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は膝に達した。
更に、一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は腰に達した。
更に彼が一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない川になり、
水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。
川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。
この水が流れる所では、水がきれいになるからである。
この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。
川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、
あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。
水が聖所から流れ出るからである。
その果実は食用となり、葉は薬用となる。」』
エゼキエル書 47章1-9&12節
今日は、理解の難しい『エゼキエルの預言』です。
主の御使いに導かれて、エゼキエルが見た『川』は、何を意味するのか?
その意味は・・・
『エルサレム神殿』から、『神の祝福』が世界中に広がってい行く様子なのです。
言い換えれば・・・
霊的な意味において、
イエス・キリストを信じる者たちの中に、この『神殿』は完成しています。
つまり。
『イエス・キリストの十字架』から、『神の祝福』:『完全な赦し』が広がっていくのです。
新約の時代において、
イエス・キリストが『神の宮(神殿)』なのです。
『キリスト』 レオナルド・ダビンチ作品
イエス・キリストを信じる者の中でも、『神殿』は、完成しているのです。
イエスは立って、叫んで言われたのです。
その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう。」
これは、
イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。』
ヨハネ福音書 8章26節
こういうことでもあります。
『神の宮』であるイエスから、『命の水』が流れ出たたように、
イエスを信じる者も、『神殿』となって、
イエスから流れ出た『命の水』を受け、『命の水』を世界に流れ出さねばならない、ということです。
同時に。
『エゼキエルの預言』のもう一つの意味です。
『今日のエゼキエルの預言』:『神殿から流れる川』は、
『洗礼の象(かたどり)』の一つなのです。
『主よ、ヒソプをもって、わたしを清めてください。私は清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。』
詩編 51章7節
四旬節中。
私たちは、節制し、回心し、雪より白くなる『清め』を願います。
司祭は、ミサの始まりで、『回心の祈り』を勧めます。
そして。
主日、特に復活節の主日は、
いつも行っている『回心の祈り』の代わりに、
洗礼を思い起こすために、『水の祝福』と『灌水』を行うことも出来るそうです。
聖書の理解、 ましてや 預言や幻視の理解は、難しい。
それでも、
それらが、生活に結びついて理解できた時の喜びと納得には、感動しますね。
感動の積み重ねが・・・信仰を深めていきます。確実にしていきます。
嬉しいですよね。神に感謝!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
孫たちの成長同様に、いくつになっても成長を続けてまいりましょう。 お元気で!