マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

春爛漫・・・『夏日』 そして 『わたしは主を見ました。』

2019-04-23 05:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

4月23日。火曜日。全国的に夏日の到来。

午前中いっぱい庭仕事。草木の剪定や草ぬき等。

   After・・・   『バック・ヤード』
 
 
     暖かくなって、つつじも咲き始め、やっと腰を上げた。

  

   夫と二人で。
   朝5時~7時半 & 8時半~11時。
   2人で合計・・・10時間仕事で、ごみ袋8袋分の仕事となりました。

  
   ご近所さんの・・・ 『フロント・ヤード』

 

     ご近所さんも、あちこちで、『庭仕事』の一日でした。
     

午後4時。
夫と二人で、美しく手入れされたご近所さんを眺めながら、『春爛漫』の街並みウォークを楽しみました。
     5時間もかがみこんだ作業後の、ストレッチになりました。

 

そして。

今日は4月23日。復活の火曜日。

『今日の福音 復活なさったイエスの御言葉

  『そのとき、マリアは墓の外に立って泣いていた。
       泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
  
イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。

       一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。

    天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、
      マリアは言った。
「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」

 こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。
    
     しかし、それがイエスだとは分からなかった。

イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
     イエスが、「マリア」と言われた。

マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げた。』
                       ヨハネ福音書 20章11-18節


昨日のマタイ福音書では、3人の婦人たちが、イエスの墓に行ったと書かれていました。
        3人は、イエスから『おはよう』 と声かけられました。

今日のヨハネ福音書では、マグダラのマリアだけが、イエスの墓に行ったと書かれています。
        一人のマリアは、イエスから『マリア』 と声かけられました。

  『週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。』20-1のです。
        
 
 『まだ暗い』とは、光のない、まだ見えない、『信仰の光』のないという意味でしょうか?

  
  イエスが「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」と言われるように、

     マリアは、一生懸命に、いなくなったイエスを探していたのです。

   
 イエスを探しているマリアは、イエスに会っても、イエス様だとは分かりませんでした。

     イエスに『マリア』と呼ばれて、初めてイエス様だと気づきました。

   
   これからは、私たちは、肉体:『肉』では、イエスを見ることはできないのです。

     これからは、信仰の目:『霊』で、イエス様を確認するのです。

  
  『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。』
                    ヘブライ人への手紙 11章1節


     私たちキリスト者は、
マリアが『わたしは主を見ました』と、主が生きておられることを、弟子たちに伝えたように、
     『霊』に導かれて信仰を深めて、主をお人に伝えたいものですね。

 

            『主の復活』の朝を、3人の女性と、マグダラのマリアと、共に、
        迎えることができたことを、神に感謝します。
    私も、四人の女性と同様に、お人に『主のおわします事実』を伝えることに
     自分の人生をかけていけたらいいな! と考えた次第です。頑張ります!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
町中をつつじが美しき彩る気候になってきました。春爛漫です。 お元気で!