4月23日。火曜日。全国的に夏日の到来。
午前中いっぱい庭仕事。草木の剪定や草ぬき等。
After・・・ 『バック・ヤード』
暖かくなって、つつじも咲き始め、やっと腰を上げた。
夫と二人で。
朝5時~7時半 & 8時半~11時。
2人で合計・・・10時間仕事で、ごみ袋8袋分の仕事となりました。
ご近所さんの・・・ 『フロント・ヤード』
ご近所さんも、あちこちで、『庭仕事』の一日でした。
午後4時。
夫と二人で、美しく手入れされたご近所さんを眺めながら、『春爛漫』の街並みウォークを楽しみました。
5時間もかがみこんだ作業後の、ストレッチになりました。
そして。
今日は4月23日。復活の火曜日。
『今日の福音 復活なさったイエスの御言葉』
『そのとき、マリアは墓の外に立って泣いていた。
泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。
一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、
マリアは言った。
「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。
しかし、それがイエスだとは分からなかった。
イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
イエスが、「マリア」と言われた。
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げた。』
ヨハネ福音書 20章11-18節
昨日のマタイ福音書では、3人の婦人たちが、イエスの墓に行ったと書かれていました。
3人は、イエスから『おはよう』 と声かけられました。
今日のヨハネ福音書では、マグダラのマリアだけが、イエスの墓に行ったと書かれています。
一人のマリアは、イエスから『マリア』 と声かけられました。
『週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。』20-1のです。
『まだ暗い』とは、光のない、まだ見えない、『信仰の光』のないという意味でしょうか?
イエスが「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」と言われるように、
マリアは、一生懸命に、いなくなったイエスを探していたのです。
イエスを探しているマリアは、イエスに会っても、イエス様だとは分かりませんでした。
イエスに『マリア』と呼ばれて、初めてイエス様だと気づきました。
これからは、私たちは、肉体:『肉』では、イエスを見ることはできないのです。
これからは、信仰の目:『霊』で、イエス様を確認するのです。
『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。』
ヘブライ人への手紙 11章1節
私たちキリスト者は、
マリアが『わたしは主を見ました』と、主が生きておられることを、弟子たちに伝えたように、
『霊』に導かれて信仰を深めて、主をお人に伝えたいものですね。
『主の復活』の朝を、3人の女性と、マグダラのマリアと、共に、
迎えることができたことを、神に感謝します。
私も、四人の女性と同様に、お人に『主のおわします事実』を伝えることに
自分の人生をかけていけたらいいな! と考えた次第です。頑張ります!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
町中をつつじが美しき彩る気候になってきました。春爛漫です。 お元気で!