マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

野口さんが搭乗している『ISS』が土星を貫いていきました!・・・『国際宇宙ステーション』 そして 『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』

2020-11-20 18:20:00 | 日々のこと。 世界のこと。
11月21日。金曜日。曇り。

今日は宇宙の世界に
ご一緒いたしましょう。

      『米国商業有人宇宙船 クルードラゴン 有人運用飛行(Crew-1)ミッション』 
                             搭乗いたしましょう!!


        その軌道を肉眼で目視した・・・
           『ISS:国際宇宙ステーションの軌道』
      
            2020年11月18日 18時19分00秒~18時22分00秒
                 『3分間のISS軌道』
              埼玉県和光市で一般男性が撮影
          3分間の間に『ISSの軌道と土星と木星と月』が同時に見える『奇跡』ですね。
                           想像を絶する世界が見えたのですよね♡♡
                         
           
     撮影した方のコメント:
     『野口さんが搭乗しているISSが土星を貫いていきました!』

        私のコメント:『何と壮大なロマンなのでしょう!』


私も早速にチェックしました。
『宇宙ステーション・きぼう』
広報・情報センターの
『ISSの目視予想情報』

  その結果・・・
           今日:『11月20日 18:20~25分』 肉眼で目視できます!!  
         夕方の6時頃から、大空のよく見える2階のベランダに張り付きました。
               三脚を立て、カメラをセットしました。
            美しい三日月が見えたり・・・の中に隠れたり・・・ 
          いよいよ。18時20分。 見えるのか!? 
            空はに覆われてしまいました。
            
    今夕、私のコメント:
『野口さんが搭乗しているISSが土星を貫いていくのを見ることができませんでした!
              残念です! 悲しいです! 再挑戦してみます!』

                  それにしても、埼玉の男性の撮影した『ISS軌道』はお見事です。素晴しい。


         野口 聡一 氏
   
         1965年、横浜市生まれ。博士。
2005年(当時40歳)STS-114ミッション、 2009年(当時44歳)第22次/第23次長期滞在、
        今回が 2020年(今回55歳) 3回目の飛行となる。


       野口氏らの搭乗する 今回の 『Crew-1ミッション』は、
2020年11月16日。 午前9時27分。 米国フロリダ州 ケネディ宇宙センター(KSC)から打ち上げられました。
   なんと! 1日と3時間半で・・・
   地上から約400km地点:『ISS]』に到着です。
11月17日。午後1時1分。  『ISS:国際宇宙ステーション』へ、ドッキングしました。

 
     『クルードラゴン宇宙船に乗る野口さんクルーたちが、ISSに接近する様子をモニタする』
 
        すでに『ISS:国際宇宙ステーション』に乗って宇宙を回り続けているクルーたちと
            ドッキングする『時』を見極めている野口さんたち4人のクルーです。
              私のコメント:『すごい! 素晴しい! ファンタスチック!』

                 『Crew-1』や『ISS』を作成する方々、 そして それに搭乗する野口さんやクルーの方々、
                      なんという素晴しい方々でしょう。
                         お目にかかってみたいような、お話ししてみたいものです。



ドッキング成功後・・・

   今、現在、野口氏らが乗っている・・・   『ISS:国際宇宙ステーション』
              
              『国際宇宙ステーション(ISS)』
         地上から約400km上空に建設された巨大な 『有人実験施設』:人工衛星です。
             地球1周約90分(一日に地球を16周するのです!!)
             というスピードで地球の周りを回りながら、
           実験・研究、地球や天体の観測などを行っています。

私の想像を絶する
『宇宙冒険』現実です。
思い返せば・・・
高校3年の息子と私の二人で、
『アメリカ航空宇宙局 (NASA) 』
を訪問しました。 27年前です。
色々の『体験』をしながら半日を過ごしました。
『宇宙服』を着て、現物と同じサイズの『カプセル』に入り、
グルグルグルグル回されました。😵😵
宇宙食も食べました。
そこで
訓練をする宇宙飛行士たちは、
『宇宙空間』と同じ空間として
『巨大なプールの水中』で訓練を重ねておられました。
『精神的訓練』のための厳しい方法も
流れるテープから聞きました。


   2021年春。6ヶ月の滞在の後。 野口さんたちは、大西洋上フロリダ半島沖に着水帰還する予定です。

              野口士たちか帰還した後は・・・
           一般人の『宇宙飛行』が可能となるそうですね。
           すでに、世界の超金持ちたちは予約済みとか!?
      私も、お金を寄付して下さる方がいたら!! 『宇宙冒険』に行ってみたいものです。
      それには、まず、『巨大プールの水中での訓練』 に耐えなくてはなりませんね!!


     今日は、野口氏たちのクルーの『頑張るお姿』 と 埼玉の方の『ISS軌道写真』
            お陰様で、『宇宙の世界』に迷い込めました!
          そこは、夢ではなく、現実の世界でした。 感謝!感謝!
            皆様もお楽しみいただけましたでしょうか? 
            ご一緒して頂き、ありがとうございました。


そして。

今日は11月20日。年間第三十三金曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、 あなたは御自分の息を送って、
    彼らを創造し、地の面を新たにされる。』

       詩編 104章30節


『今日の福音 イエスの御言葉』


   『そのとき、 イエスは  神殿の境内に入り、
      そこで商売をしていた人々を 追い出し始めて、
 
        『神殿から商人を追い払うイエス』

      彼らに言われた。
       「こう書いてある。
  『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』
    ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」

      毎日、イエスは境内で教えておられた。
   祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、
      どうすることもできなかった。
   民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。』
 
   『イエスとイエスの話を夢中になって聞く民衆 そして 
                      イエスを殺そうと謀る民の指導者たち』

           ルカ福音書 19章45-48節


      『神殿』は
 神が民と一緒におられる『しるし』です。
    又。
 民が、『神の言葉』を聞き、 『祈り』をする、 聖なる場所です。


      『神殿境内入り口の商売人』は、
           神への『捧げ物』を売ったりして・・・
      騒がしく『祈り』の妨げとなり、 『貧しい人』をだましたりしました。
    商売人も、商売を許可するお偉いさんも・・・イエスの話には興味がなかったことでしょう。


      神殿に入ろうとしたイエス様は、
 商売の騒ぎのために、人々が落着いてイエスの話を聞くことができないことを、心配しました。
   そこで、 『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』 と、
        商売をしていた人々を追い出したのです。
  

     夢中になってイエスの話に聞き入った民衆は、
 『祈り』の中で、神と出会い、神に相談し、神の言葉を聞くのです。
 『イエスの話』を聞くことは、祈りともなり、信仰ができる人もいました。


私たちも、
神との会話や、神の御言葉、を聞く時
『妨げ』となっているものはないでしょうか?
まずは、
『妨げのもの』を
心から取り除かなくてはいけませんね。
『忙しさ』も『妨げ』の一つでしょう。
それから、
教会でも家でも、落着いて祈りができるようになりますね。


『今日の祈願』

   『神よ、キリストに結ばれた人が聖霊に導かれ、
   正しい道を歩み続けることができますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『宇宙』は目に見えない世界かと思っていましたが、驚くことに、
人間の限りない英知によって身近な世界になってきました。
楽しみが増えましたね。 お元気で!

記録更新・・・『健康への道』   そして 『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。』

2020-11-19 19:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
11月19日。木曜日。晴れ。

気象庁記録更新
今日は日本各地で夏日・25度以上
最も遅い夏日の記録
9月半ばの気温。


   11月の定番・・・        『小菊』

                                       我が家玄関口の小菊が全盛期。かわいい。

             一方。
             新型コロナウイルスの感染者数が最多の記録更新

        全国で新たに過去最多の2388人が確認された。二日連続過去最多。
     東京都534人、大阪府338人など8都道府県で1日あたりの感染者数が最多を更新。


          小菊・・・         色も形もいろいろ
  


           コロナ対策にとって、最も強い対策は何であろうか。 
             管総理は、「自助・共助・公助」を掲げる。 
          最も必要なのは、「自助・互助・共助・公助」 であろう。

          WHOが発表。
          「マスク着用率が95%になれば、外出制限はなくなる。
             マスク着用を徹底してください。」 と。

          私たち一人一人は、
          自分でできる対策を考えつつ・・・
          互いの助け合いを、忘れずに、考えたいものですね。



そして。

今日は11月19日。年間第三十三木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしたちの神は来られる。 黙してはおられない。
      神は御自分の民を裁くために、
  上から天に呼びかけ、 また、 地に呼びかけられる。』

        詩編 50章3&4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『エルサレムに近づき、  が見えたとき、
 
             『エルサレムの都・市街』
   今は『第二神殿』は破壊されて、神殿跡に『嘆きの壁』だけががあります。 イスラム教の聖地「岩のドーム」の金色が見えます。

        イエスはその都のために泣いて、 言われた。

  「もしこの日に、 お前も平和への道をわきまえていたなら……。
       しかし今は、それがお前には見えない。」


   
           『主の泣かれた教会』
       

           エルサレム東部のオリーブ山にある教会。
      イエス様がこの地から、以後のエルサレムに起きる惨状を嘆いて
         そのエルサレムのために、この地で泣いたのです。
    教会はイエスの『涙の形』をモチーフにして作られました。1955年に建立。


            『主の泣かれた教会・祭壇』
  

           エルサレムの市街を一望する窓に面した祭壇。
   真ん中に、イエスの十字架上で流された『御血』を示す『杯』が描かれています。


                  『巡礼団のミサ』
 
        我が巡礼団の神父様方によるミサが執り行われました。    2018年8月24日

           目の前に見える『エルサレムの街』を眺めながらのミサ・・・
          イエス様のエルサレムの街を眺めながら流した『涙』の追体験、
               『涙』を流しながらのミサとなりました。

                                   今日の写真は巡礼時に私が撮影したものです


イエスの御言葉が続きます。

             やがて時が来て、
    敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
     お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、
      お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。

 それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」』
           ルカ福音書 19章41-44節

   
        イエスが、最初に、エルサレムの街に入ったとき、
           群衆はイエスを大歓迎しました。

    イエスは、その折、この街の人々が『改心』するようにと、何回も呼びかけました。
          しかし、人々は、イエスの呼びかけに応えなかったのです。

    そして。
       この度も、イエスは、もう一度、改心を呼びかけたのです。
     『もし今日でも、平和をもたらす道が何であるかを知っていたならば…。』と。
          『本当の改心』 は 『平和への道』 なのです。


      イスラエルの人々は、イエスからの『救いへの招き』を断っていました。
          後に、彼らは、暴動を起こすときが来るのです。
      それがきっかけで、ローマ軍はエルサレムの街を滅ぼしてしまうのです。
          神殿は破壊され、精神的にも滅ぼされてしまうのです。

            そのことをご存じだったイエス様は、
           以後のエルサレムに起きる惨状を嘆いて
           そのエルサレムのために泣かれたのです。

私たちも、
イエスの救いの呼びかけに
応え、
『救いへの招き』のための
神の訪れの『時』をわきまえて、
神の働きを見い出したいものですね。
そのうえで、
互いのために涙を流すほどに
互いを思いやる心を成長させたいものですね。


『今日の祈願』

   『神よ、 
 わたしたちを悪への傾きから解放し、正しい行いに導いてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
気温の大きな変化や、コロナ禍に、お気をつけください。
今日も御自愛ください。 お元気で!

DIY・・・晩秋の紅葉狩り そして 『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。』

2020-11-18 06:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
11月18日。水曜日。快晴。


今日も
紅葉狩りを楽しみます。

           
              『真っ赤なもみじ』
 

            正に紅葉。 自然の織りなすです。
          陽を十分に受ける場所の葉が真っ赤になります。


                『黄色みを帯びたもみじ』
 

            真っ赤の葉 と 黄みを帯びた葉
    このコントラストがあるのが、2倍も3倍も楽しめて、かえって楽しみですね。


こんなもみじも可愛い。
    
           緑色黄色赤色のもみじ』


           陽のあたりが弱いと黄色っぽくなります。
     自然の営みは、ちょっとの温度差でまるで別物になる、正に神の御業と驚嘆します。

          
             『輝く逆光のモミジ』

            「もみじは逆光で撮ると良い写真になりますよ」
            写真教室に通っていたときの先生の教えでした。


       今日の私はDIY。 庭の樹木の剪定草抜き落ち葉集めでした。
             秋の始まりを楽しませてくれた金木犀。
            けなげな姿で楽しませてくれたホトトギス。 等々。
              ”ありがとう!”  ”来年もよろしくね!”
               『御礼肥』をったっぷりまきました。

             
まだまだ楽しめる紅葉狩りです。

                『緑のままのもみじ』
 
          朝陽が当らない部分の緑色のもみじが赤色になるのは最後の最後です。
         神様のなさり様は、ただただ脱帽で、人間の力をはるかに超えていますよね。


              6時半~12時半。 
      暖かく穏やかな気候で、働きやすく、6時間も働き続けたDIYでした。
           重労働で・・・庭も私の心も体もスッキリとなりました。
                       感謝!感謝!

今日の紅葉狩りは
我が家の『シンボルツリー』でした。

  31年目の巨木・・・     『もみじ』


         一本の樹が、カラフルに、『紅葉狩り』を楽しませてくれます。
           自然と共に過ごすって、なんて素敵なことでしょう。

              美しい葉も、風に舞って、散っていく。
           それまでの一時を・・・『紅葉狩り』 をしながら、
                晩秋を楽しみましょう。


そして。

今日は11月18日。年間第三十三水曜日。

『今日の入祭唱』

     『新しい歌を主に向かって歌え。
  国々に主の栄光を語り伝えよ。 その驚くべき御業を。』

          詩編 96章1&3節

 
『今日のアレルヤ唱 イエスの御言葉』

 『さて、ユダが出て行くと、 イエスは(弟子たちに)言われた。

            『最後の晩餐』             ジョット作品

     「あなたがたがわたしを選んだのではない。
          わたしがあなたがたを選んだ。

     あなたがたが出かけていって実を結び、その実が残るようにと、
     又、わたしの名によって父に願うものはなんでも与えられるようにと、
        わたしがあなたがたを任命したのである。」』
           ヨハネ福音書 15章16節


       今日のイエス様は、
       最後の晩餐の席で、 イエスを裏切るユダが部屋からでた後に、
       弟子たちに、最後に、いくつかの『大切なお話』をなさいます。


  イエスは、公生活の3年間の間に、
   弟子たちを教えるだけでなく、 御自分の生活とお姿をもって、
     神の愛、慈悲、労り、忍耐、をお示しになりました。
        弟子たちを教育しました。
        弟子たちを心からしました。

      『あなたがたがわたしを選んだのではない。
        わたしがあなたがたを選んだ。』

         と言って、 最後に、
      弟子たちに『自信』を与えたのです。

  弟子たちは、
  イエス様の神のもとへの帰還を見送った後に、 『イエスの愛』を理解して、
  『神の愛』を見いだして・・・『神の愛』証しをする人になったのです。


私たちも、
まず、
神が私たちを
先に愛してくださったことを
理解しなければなりません。
次に、
神の愛を経験して初めて、
神の愛を伝えることができるのです。
そうなりたいものですね。


『今日の祈願』

     『万物を治められる神よ、
   わたしたちがまことの礼拝をささげ、
 永遠の幸せにあずかることができますように。』 



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は暖かな小春日和の到来でしたね。
明日も同様のようです。穏やかな一日をお過ごしください。 お元気で!

晩秋の哲学の一日 そして 『聖エリザベト修道女 記念日』・・・『人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』

2020-11-17 06:00:00 | 私のこと
11月17日。火曜日。快晴。

今朝は
いつものように
朝ウォーキング。

       早朝の・・・      『落葉』
    
      当たり前のことといえ 
          同じ落ち葉の色が、 昨夕の落ち葉の色と、 まるで違います。
            
   人も、朝陽を浴びるのと夕陽を浴びるのとでは、大きな違いが出てくるのかしら?
                                  なんて考えました。

          どの朝も夕暮れを迎えて、 新しい明日を迎える。
          木の葉も吹き飛ばされて、 新しい実を結ぶ。
       人も微笑みながら今日を終え、 新しい明日を迎えたい。

  
 イエスの『御言葉』が思い出されます。

   『はっきり言っておきます。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
         だが、死ねば、多くの実を結ぶ。』 
ヨハネ福音書1章:24~25節

       イエスは、自分の命を手放し犠牲となり、 『新しい民』を生みました。
    私たちは、自分の命を手放し神に任せるなら、 神から『永遠の命』を受けます。


        今日は、穏やかな一日、ちょっぴり哲学する一日でした。
                       感謝!感謝!


そして。

今日は11月17日。年間第三十三火曜日。

    『聖エリザベト(ハンガリー)修道女 記念日』
   


 1207年。  エリザベトは、ハンガリー王国・王女としてまれる。
4歳のとき。  ドイツのテューリンゲン伯爵の子息ルートヴィヒと婚約。
          将来皇后としての必要な教育を身につけるため、
            ヘルマン伯の城で教育された。

  エリザベトは、幼いときから敬虔であり、宮廷内の批判を受けることもあったが、
       ヘルマン伯とルートヴィヒによって大切に保護されました。

1221年。14歳。 結婚。 1男2女をもうけ、子どもたちをよく教育した。
         そしていっそう祈りと節制に励む一方、 貧しい人や病人を見舞った。

1227年。20歳。 十字軍の遠征中の夫の病死。

   夫の兄弟たちは、後継者として立とうとして、 エリザベトと子どもたちを城外に追放した。
      エリザベトと子供たちは、苦しい立場に置かれた。
    しかし、幸いなことに、教皇のとりなしによって、子どもが後継者として認められました。

      その後。 エリザベトは、宮廷から退き、聖フランシスコの第三会に入り、
             祈りと黙想に専念し、  清貧の生活を送り、
      持っている財産で病院を建て、そこで病者や貧しい人びとの世話をしました。

1231年。24歳。 マールブルクで死去。 24年の生涯を閉じた。

      エリザベトは、ドイツの人びとから親しまれている聖人のひとりであり、
           ドイツにはその名を取った病院や施設が多い。
               『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

  『そこで、主は右側にいる人たちに言う。
 「さあ、わたしの父に祝福された人たち、 用意されている国を受け継ぎなさい。
 わたしが飢えているときに食べさせてくれた。 病気のときに見舞いに来てくれた。
わたしの兄弟である最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。』

           マタイ福音書 25章34-40節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、 イエスはエリコに入り、 町を通っておられた。
      そこにザアカイという人がいた。
     この人は徴税人の頭で、金持ちであった。

イエスがどんな人か見ようとしたが、
    背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
それで、イエスを見るために、
      走って先回りし、 いちじく桑の木に登った。
      そこを通り過ぎようとしておられたからである。
 
    イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
      「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
     今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」


ザアカイは急いで降りて来て、 喜んでイエスを迎えた。
これを見た人たちは皆つぶやいた。
     「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」

しかし、ザアカイは立ち上がって、 主に言った。
    「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
 また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」


イエスは言われた。
       「この人もアブラハムの子なのだから。
   人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」』

           ルカ福音書 19章1-10節


    イエスは、
      『失われたものを捜して、救うために』
          神からこの世に派遣されたのです。
    『失われたもの』とは、アダムが禁断の木の実を食べて楽園・神の国からこの世に追放された、『人類』のことです。
     イエスは、その人類を、御自分の犠牲によって償い、故郷・神の国に戻すために、この世に派遣されたのです。


    ザアカイは、
    徴税人の頭であり、地位は高かったのですが、皆から嫌われていました。
    人をだまして仕事をしていたので、罪人と呼ばれ、宗教上でも破門され、
          寂しい人でした。

     そんなザアカイは、
      イエスは罪人をも迎え入れる人であるとの噂を聞き、
        どうしてもイエスに会いたかったのです。
      人目を避けるように、先回りをして、木に登りました。

    イエス様は、
      木に登っているザアカイを見て、泊まることをお願いしたのです。
    ザアカイは、
      罪人の自宅に人を、ましてイエス様を迎え入れることなど、想像できませんでした。
 初めて自分を認めてくれ、迎え入れてくれる、 『イエスの愛』 に触れたのです。
      愛されていることを知って、 『改心』する決心をしたのです。
  『改心』の『しるし』として、お人の損害を4倍にして賠償する約束をしたのです。

    イエス様は、
       ザアカイの『素直さ』を知っておられたのでしょう。
       どんな人をも、その人の『良いところ』を見ておられるのです。


私たちも、
イエス様を心にお迎えして
新たにされて
『新しい民』となりたいものです。
そうして
お人の良いところを見ながら
皆と仲良く過ごしたいものですね。


『今日の祈願』

   『恵み豊かな神よ、
      聖エリザベトにならって愛の業を行い、
   共に永遠の喜びに入ることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちの小さな行いが、お人の喜びになると嬉しいですね。
コロナ禍の中で、実行してまいりましょう。 お元気で!

いろいろの晩秋の景色 そして 『主よ、目が見えるようになりたいのです。』・・・『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。』

2020-11-16 16:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
11月16日。月曜日。晴れ。

今日は
日の出ではなく・・・

                  『日没』
 
                                           美しさに大いに感動です

       今日の散歩は、 いつもの日の出時ではなく、 例外的な日の入り時です。

        朝と夕では、景色がまるで違います。 それぞれに美しいのです。
        早朝の『躍動』 に対して 夕方の『沈着』 ということでしょうか。 
            『始まり』 と 『終わり』 の違いは大きい。
              色にすれば、、の違いです。
              違いが、とても新鮮に感じるのです。


樹木は
紅葉を終えて・・・

                  『落ち葉』
      
                  カラフル です。

             落ち葉だろうか?  ビー玉だろうか?
       若々しく美しかった紅葉が、 落ち葉となって最後の輝きを見せます。
             人もこういうことなのでしょう。
   それぞれの年代が持つそれぞれの輝きを見せて、最後にはさよならを告げていく。

そして。

友人からは・・・  
               『絵はがき』
 
          病だけがお友達(笑)の私から
             『美しい日本の秋』をあなたに!
               いつかおしゃべりさせてくださいね。
                    と書かれてありました。


           今日も、 人それぞれの秋が更けていきました。
       コロナ禍でのおしゃべりは、 便利な携帯電話がありがたいですね。
                             感謝!感謝!


そして。

今日は11月16日。年間第三十三月曜日。

  『主よ、 あなたの御言葉は、 わたしの道の光。
      わたしの歩みを照らす灯。』

         詩編 119章105節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『イエスが エリコに近づかれたとき、
          ある盲人 が道端に座って物乞いをしていた。

群衆が通って行くのを耳にして、
        「これは、いったい何事ですか」 と尋ねた。
        「ナザレのイエスのお通りだ」 と知らせると、
..
彼は、 「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」  と叫んだ。
先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、
     ますます、 「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」  と叫び続けた。

   イエスは立ち止まって、 盲人をそばに連れて来るように命じられた。
     彼が近づくと、
   イエスはお尋ねになった。 「何をしてほしいのか。」
     盲人は、 「主よ、目が見えるようになりたいのです」  と言った。
     そこで、
   イエスは言われた。 「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」

     盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。
          これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。』
              ルカ福音書 18章35-43節

今日はこんな風に考えました。

    イエス様と盲人の話は、 
     イエスの『本当の姿』を見る目が あるか? ないか? と問うているのです。
      又。
     イエスへの信仰を持つ者は、決して『あきらめない姿』で表われる。
                            という話です。

     
   盲人は、
   信仰者として、
   『ダビデの子イエスよ』、『主よ』、 とイエスに語りかけます。
   『ダビデの子』、『主』、と呼びかけることは、イエスを『メシア・救い主』として認め、信仰している『しるし』です。
    又。
   反対されても、 『ますます』主を求めて、 『諦めない信仰』 を表わしました。

一方。

  弟子たちは、
  イエスと共に行動し、イエスと寝起きを共にしても、
     『イエスの本当の姿』 を理解しきれませんでした。 信仰はまだ浅いものでした。


    『目が見える』ということは、  『イエスへの信仰』が生まれたということです。


私たちも、
先が見えないような苦しみ
に陥ることがあります。
それでも
『信仰の目』をもって
どこまでも、決して諦めることなく、
イエスに従ってまいりたいものですね。
     

『今日の祈願』

  『喜びの源である神よ、
 わたしたちを救いの喜びで満たし、 真理の光のうちに導いてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍の中でも、普段と違う行動をしてみたりしながら・・・
小さな楽しみを見つけてまいりましょう。 お元気で!

孫息子の晴れ舞台・・・『小さなコンサート』 そして 『有能な妻は、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。』

2020-11-15 16:40:00 | 娘と娘家族
11月15日。日曜日。快晴。

今日は
小学五年生の孫息子
『晴れ舞台』です。
 
   第一部
   独奏


            🎻『ヘンデル・ソナタ第四番二長調 第三、第四楽章』🎻
   

                『小さなコンサート』
            コロナ禍のため、親族だけを招いての小コンサートです

              勉学 に サッカーに そして バイオリン
             精一杯の努力の日々の小学5年生の孫息子
     その日々に、孫息子はどれだけの涙を流して、この『日』を迎えたことでしょう。
           自分の理想とする姿に、心身の成長途上の孫息子は、到達できない。 
                 その時自分のふがいなさに悔し涙を流す孫息子です。



          涙の日々があって・・・迎えることができた『晴れ舞台』です。
       涙の日々・・・『自分を受け入れて生きることの尊さ』 を学ぶ孫息子です。

                             
            立派に、堂々と、上手に弾く孫息子。 お見事です。

    第二部

              ♪『先生とデュオ』♪
  

              『崖の上のポニョ』 と 『パプリカ』

        先生と共に軽快に、聴く人を楽しませる孫息子。 けなげです。



 孫息子の姿を見ながら・・・
 『イエスの御言葉』が思い出されます。

       『ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。』 ルカ福音書  16章10節

          日々の小さな努力の積み重ねが・・・
             心の強さを作り、大きな成果を成就するのです。
         
        今日、孫息子は、 涙の先の『景色』 が見えたことでしょう。 
         孫息子は、将来、どんな『花』を咲かせるのでしょうか。


ちなみに。
我が息子小学2年生
バイオリン発表会
         『バッハ・メヌエット』

姉の伴奏で・・・♪『姉弟のデュオ』♪・・・忘れられない思い出です。 


        今日は、 成長していく孫息子の姿に、 涙した私でした。
             人の成長は正に神秘ですね。 
            世界中の若者の幸せを祈ります。 感謝!感謝!



そして。

今日は11月15日。年間第三十三主日。

『今日の入祭唱歌』

   『主は言われる。
    「あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。
  それは平和の計画であって、将来と希望を与えるものである。」』

           エレミヤ書 29章11節


『今日の第二朗読 箴言』


          『有能な妻を見いだすのは誰か。
 
            真珠よりはるかに貴い妻を。
           
    夫は心から彼女を信頼している。 儲けに不足することはない。
 彼女は生涯の日々、 夫にいはもたらすが、 いはもたらさない。

     羊毛と亜麻を求め、手ずから望みどおりのものに仕立てる。
        手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。

       貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。

  あでやかさは欺き、美しさは空しい。 主を畏れる女こそ、たたえられる。
   彼女にその手の実りを報いよ。 その業を町の城門でたたえよ。』
         箴言 31章10-13&19-20&30-31節


        『箴言』の作者・ソロモン王は、問いかけるのです。
          私たちの前には二つの道が開かれている。
           『生命への道』 と 『滅びへの道』
    
          『生命への道』は楽園の命の木に達する道である。
            そのどちらかを知恵によって選びなさい。 と。
            

『今日の拝領唱』

   『わたしは、神の近くにあることを幸いとし、
      主なる神に避けどころを置く。』

        詩編 73章28節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の週末はいかがでしたか? 
皆様の迎える新しい週が幸せでありますように。 お元気で!

どちらが天?どちらが地?・・・『晩秋の景色』 そして 『人は、気を落とさずに絶えず祈らなければならない。』

2020-11-14 06:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
11月14日。土曜日。晴れ。

              『天 と 地』


              どちらが天?  どちらが池?

          左右対称であることを『シンメトリー』といいますよね。
        上下対称であることも、『シンメトリー』 と呼ぶのでしょうか?

    池を一周するする紅葉が美しい。 そして  紅葉を映し出す湖面もなんとも美しい。
           その 『対照的景色』 に感動、 しばし見とれました。

           自然界の美しさは、 人間の業ではなく、 神の業。
             今朝は、 晩秋の『神の業』に出会いました。
                      感謝!感謝!


そして。

今日は11月14日。年間第三十二土曜日。

『今日の入祭唱』


       『新しい歌を主に向かって歌え。
      主は驚くべき御業を成し遂げられた。
 右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』

           詩編 98章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

 『そのとき、イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならない ことを教えるために、
           弟子たちにたとえを話された。
 

     「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
   ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、
 
       『相手を裁いて、わたしを守ってください』 と言っていた。

 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。
 しかし、その後に考えた。
            『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。
    しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。
            さもないと、ひっきりなしにやって来て、
           わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」

それから、主は言われた。
           「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。
      まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、
           彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
   言っておくが、
              神は速やかに裁いてくださる。
   しかし、
          人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」』
                  ルカ福音書 18章1-8節

  今日のイエス様は、
    気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、
           弟子たちに『たとえ』を話されました。


今日の『たとえ』 は 『一人のやもめの話』です。


    イエスの時代の『やもめ』は、
    収入もなく非常に貧しく、社会の中で孤立して、守ってくれる人もいませんでした。
    裁判官だけは 貧しい者を助けてくれるでしょう。守ってくれるでしょう。
          やもめは、何回も頼むなら、助け、守って下さるはずと思ったのです。 
          そう信じて、諦めないやもめの姿は、裁判官の心を動かしたのです。

    裁判官は、
    『あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。』
           と、やもめの望むことをかなえてあげたのです。


  やもめの貧しさと必死さが、 裁判官の心を動かし、 やもめを勝利に導いたのです。

では。
『たとえ』を私たちのこととして
考えてみましょう。


      私たちは、
      やもめ同様に、
        裸で生まれて以来・・・神様からすべてを頂く、『貧しい者』 です。
        自分は弱く、至らなく・・・神から力を頂く、『弱い者』 です。
      やもめ同様に、
        自分の無力を認めて、神に、執拗に、気を落とさずに、何回も、
             『神の助け』を祈り求めるのです。

   
     私たちの貧しさと必死さが、 神の御心にかない、 私たちを勝利に導くのです。
     自分の貧しさを認めて、気を落とさずに、絶えず祈らなければならないのです。



私たちは、
何よりも、まず、
自分の『信仰』を守るために、
自分の『貧しさ』と『無力さ』を認めて、
謙遜に、
諦めずに、気を落とさずに、絶えず、
神様に祈ることが必要なのですね。


『今日の祈願』

   『信じる者の力である神よ、
  あなたの恵みは限りなく、人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
  あなたの恵みに生かされて、永遠の救いにあずかる者となりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
大自然の美しさに畏敬の念が湧きますね。
今しばらく晩秋の美しさを楽しみましょう。 お元気で!

朝と夕方の6時・・・自主トレとカクテルタイム そして 『人の子が現れる日にも、同じことが起こる。』

2020-11-13 06:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
11月13日。金曜日。曇り。

自称山女の私。
コロナ禍のため
月2回ほどの登山
まるで実行されていない。
それでも
日々の練習は、怠ることなく
実行しておかなければなりません。

   朝6時・・・  
                 『自主トレ』


            今まで入ったことのない小山が気になりました。
              小山に分け入る『階段』が私を招きます。


 招かれるままに
 階段を上ると

    そこは・・・      『道なき樹林帯』


          足と頭を使って・・・体のバランスをとりながら
               小山に分け入ります。
          このバランス感覚が『自主トレ』に良さそうです。

      登山はなくなり、自主トレの日々になって、もうすぐ一年を迎える。
            毎朝のウォーキングは『自主トレ』というより
             ウイズ・コロナの『定番生活』となり
         ウイズコロナ生活の、『心身の鍛錬』の手段となっている。
         私も、すっかり『新しい生活スタイル』が出来上がりました。
              
              
      途中の・・・    『黄葉の大木』

                どっしりとした太い樹木に癒されました。

そして
   夕方6時・・・ 
                『花金』
     

      今日は、夫は、新しいプリンターの設置を頑張りました。 
           妻は、『聖書100週間・聖書通読会』を頑張りました。

                ”今日も お疲れ様でした!” 
                ”一週間 お疲れ様でした!” 
        『花金』のカクテルタイムが有り難いのでした。 感謝!感謝!


そして。

今日は11月13日。年間第三十二金曜日。


『今日の入祭唱』

     『わたしたちの神は来られる。
     神は御自分の民を裁くために
  上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる。』

       詩編 50章3&4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   今日も、イエスは、『イエスの再臨』 について述べます。

   『そのとき、   イエスは弟子たちに言われた。
 

    ノアの時代にあったようなことが、
 
            『ノアの箱舟』

            人の子が現れるときにも起こるだろう。

  ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、
       洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。

        ロトの時代にも同じようなことが起こった。
 
         『ソドムから脱出するロト』

   人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、
ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。

        人の子が現れる日にも、同じことが起こる。
      その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、
         それを取り出そうとして下に降りてはならない。
          同じように、畑にいる者も帰ってはならない。

           ロトの妻のことを思い出しなさい。
 
               『ロトの妻の塩柱』

 自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。

言っておくが、 
   その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。
    二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」

   そこで弟子たちが、 「主よ、それはどこで起こるのですか」 と言った。
   イエスは言われた。 「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」』
               ルカ福音書 17章26-37節


          『イエスの再臨』
     いつのことなのか? すぐのことでなくても、突然来られるかもしれません。

  そこで、イエス様は、
  その日のために、日々、怠ることなく、『準備』するようにと忠告なさるのです。
    自分のことだけを考えて生活しないように。
          お人のことを考え、助け合いの日々を送るように。
          飲食や持つことに、執着しないように。
    信仰ある生活をするように。
          お人のことを考えながら、自分のことは神にゆだねるように。
    『死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。』
          うろうろするのではなく、信仰に基づき動じないようにしなさい。
     

私たちは、
今日も明日も最後の日も
神は私たちを救いに来られる。
『救いの再臨』 を信じ、感謝しながら、
お人と共に
落着いて、謙遜に、
毎日の生活をしたいものですね。


『今日の拝領唱』

   『そこで、主は右側にいる人に言う。
     「さあ、わたしの父に祝福された人たち、
天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい
。」』
        マタイ福音書 25章34節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の週末が穏やかでありますように。 お元気で!

あと17日で始まる・・・『待降節』 そして 『神の国は、見える形では来ない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。』

2020-11-12 10:06:08 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
11月12日。年間第三十二木曜日。晴れ。

今年も『待降節』
の声が聞こえるように
なってきました。

   早々に・・・

          『サンタさんとトナカイたち』    

             廃木で作ったトナカイさんたち              於:神戸市立森林植物園
         紅葉と共に、深秋を彩ります。 良いものですね。

『待降節』           
教会では、クリスマス(降誕祭)の4つ前の日曜日から
クリスマスを準備する期間に入ります。
この期間を「待降節」と呼びます。
神の独り子・キリストの誕生
を思い起こす日々です。
今年は11月29日(日)からです。

                  嬉しい待降節の到来ですが・・・
         コロナ禍の中、サンタさんは今年も世界中を回れるのでしょうか?


サンタクロースは実在の人物?
はい。実在の人物です。
モデルは、3~4世紀にリキュア(現トルコ)
ミュラの司教だった聖ニコラウスです。
ニコラウスは慈悲深く、多くの貧しい人を助けたと伝えられています。
ある日、聖ニコラウスは、貧しい3人の娘が住む家の暖炉に
こっそりと金貨を投げ込んで、
幸せな結婚をさせたという話が、特に有名です。
サンタクロースが、煙突から入って、
暖炉のそばの靴下にプレゼントを入れるという言い伝えは、ここから生まれたようです。
     カトリック中央協議会HPより


              コロナ禍でのクリスマスです。
           今年はどんなクリスマスになるのでしょうか?           
        正に『Silent Night』、 『静かな聖夜』になりそうですね♡♡


 私も早々に。
 気持を盛り上げましょう。

       玄関に・・・     『クリスマス・リース』
  

                  『待降節の祈り』
           『「主の道を準備し、その小道を正しくせよ。
           すべての谷は埋められ、山と丘は、みなならされ、
         人はみな、神の救いを見るであろう」イザヤ書40章3~5節
      とうったえる声が荒野のような、わたしたちの心に耳に響きます。
       神よ、今年もまた、めぐり来る主の降誕の日を間近に控え、
御力をもって、わたしたちの心を動かし、御子のためにを備えるように、励ましてください。
 罪のために闇に閉ざされたわたしたちの心は、光を求めて救い主の来臨を待ち望みます。
      わたしたちの罪のために、救いの日が遅れることなく、
   かえって、御慈しみによって、あなたの民としての使命を果たしたいと望んでいます。
    わたしたちの希望を強め、終わりの日までこの信仰を全うさせてください。』
              教会であるわたしたちは、
              「イエズス、来てください」と切に祈りながら、
          神が万事において万事となられる日、すなわち神の国の到来を待ち望む。
               カトリック祈祷書 『祈りの友』より



       今日は、 夫はゴルフ、 私は明日の予習で聖書三昧、 の一日でした。
        夫は「体がほぐれた」そうです♡ 一方 私は「体がこりこり」です♡
              楽しい一日に 感謝!感謝!


そして。

今日は11月12日。年間第三十二木曜日。

『今日の入祭唱』

   『神は仰せになる。
「わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立てよう。」』

       サムエル記上 2章35節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのか と尋ねたので、
 
  イエスは答えて言われた。

        「神の国は、見える形では来ない。
      『ここにある』 『あそこにある』と言えるものでもない。
        実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」


       それから、イエスは 弟子たちに言われた。
 
    「あなたがたが、 人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。
       しかし、 見ることはできないだろう。


  『見よ、あそこだ』 『見よ、ここだ』 と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。
        また、その人々の後を追いかけてもいけない。
 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。

         しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、
         今の時代の者たちから排斥されることになっている。」』

              ルカ福音書 17章20-25節

       
       神の国はいつ来るのでしょうか?

イエスは、はっきりとお答えになりました。

          『神の国』は、イエスの到来・イエスの誕生によって、
            すでにあなた方の中で存在しているのです。
           イエス様の存在そのものが、『神の国』なのです。

『神の国』は、大きな出来事を通してくるのではなく、静かに、目立たずに、来るのです。
        神の働きであり、 すぐにはっきりと見えるものではないのです。
       私たちが気づかないうちに、神は私たちを訪れて下さっているのです。
          神は私たちの中で働いておられるのです。


            ファリサイ派の人々も、 すべての人も、
        改心し、 心の中に御子のためにを備える時、        
      毎日の生活の中で、 『神の国=神の働き』 を見いだせるのです。
    更に。
私たちが、イエスに倣って、互いに愛し合い、助け合う時・・・私たちは『神の国』を作れるのです。
      『神の国』の証しとなれるのです。 『神の国』は発展するのです。


イエス様は
更に、おっしゃるのです。


           『人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、
         今の時代の者たちから排斥されることになっている。』

     『神の国』の完成のために、 『イエスの十字架上の死』 があります。
    あなた方は、『神の国』である『イエス』を見なくなる日、 が訪れるのです。


私たちは、
私たちの救いのために
神がなさって下さることを、
改心によって、見ることができますように。
その上で、
お人と愛し合い、助け合って、
思いやりを通して、
『神の愛』を証しして、
『神の国』を見えるものとする。
そうできるといいですね。 
正にクリスマスの到来です。


『今日の祈願』

   『父である神よ、
  わたしたちに、勇気と平和の賜物を注いでください。
 わたしたちも教会一致のために尽くすことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナの感染が広がっているようです。
気を付けましょうね。 お元気で!         

息子夫婦の愛・・・『各地の土産』 そして 『聖マルチノ司教 記念日』・・・ 『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』

2020-11-11 16:39:32 | 息子と息子家族
11月11日。水曜日。晴れのち曇り。

外出もなく
穏やかな一日。

先日Go to トラベルで
神戸に来た息子夫婦。
コロナ禍の今、
各地に『疑似大会』のため
自転車をかついで、電車に乗って、

『自主トレ』で、あちこちに遠征する。

  そんな旅先の珍味

          息子夫婦の愛・・・『遠征各地の土産』 
 
   神戸:六甲山牧場のチーズ。 若狭小浜:小鯛ささ漬&魚の肝。 石垣島:黒糖。

         ”御当地珍味を楽しんでください!” と持ってきてくれた。
             そのが嬉しい♡♡ そのが有り難い♡♡

      今日は、静かな一日。 夫と二人で、 『愛』を肴に、日本酒がすすんだ。
                        感謝!感謝!
          

そして。     

今日は11月11日。年間第三十二水曜日。

       『聖マルチノ(ツール)司教 記念日』
   
        『物乞いにマントを割いて与えるマルチノ』
 ある非常に寒い日、アミアンの城門で、マルティヌスは半裸で震えている物乞いを見た。
 彼を気の毒に思ったマルティヌスは、マントを2つに引き裂いて、半分を物乞いに与えた。
この物乞いはイエス・キリストであったといわれ、これが受洗のきっかけとなり、その後軍を除隊した。
      マルティヌスが持っていたほうの半分は、「聖マルティヌスのマント」として、
          フランク王国の歴代国王の礼拝堂に保管された。



316年頃。 異教徒の家庭に生まれる。
        ローマ軍人の父がサバリア(現在のハンガリー西部)に駐屯したときに生まれ、
        イタリアで育った。
 15歳。  ローマで兵士となる。フランスに派遣された。
        
  ある大雪の日に、凍えている貧者に出会い、着ていたマントを二つに裂き与えた。
      その夜、切れたマントをまとったイエスが夢に現れ
      「あなたがマントを与えた男こそ、この私である」と言われたという。

334年。18歳。 イエスとの出会いがきっかけとなり洗礼を受け、退役の決心をする。
          ポワチエの司教聖ヒラリオと出会い、彼の指導のもとで修道生活を始めた。

360年頃。44歳。 フランスのリギュジェーにヨーロッパ最初の修道院を創設。
            多くの弟子とともに祈りと労働と宣教に力を尽くした。

370年。54歳。  ツールの司教に任命される。

     その後も修道生活を続け、80人ほどの同志とともにマルムティエに住んだ。

     司教として各地を宣教して巡り、よい牧者としての模範を示し、
     多くの修道院を設立し聖職者たちを教育し、貧者に福音を伝えた。

397年。81歳。 死去。

         当時、教会は殉教者だけを聖人として認めていたが、
   殉教者ではない『聖人』として初めて認められたのが、マルチノである。
             『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『神は仰せになる。
「わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立てよう。」』

       サムエル記上 2章35節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『イエスはエルサレムへ上る途中、 サマリアとガリラヤの間を通られた。
      ある村に入ると、
       重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、
 
      遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、
   「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」 と言った。

イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、
      「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」  と言われた。

       彼らは、そこへ行く途中で清くされた。

その中の一人は、  自分がいやされたのを知って、
         大声で神を賛美しながら戻って来た。
  
       そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
          この人はサマリア人だった。

そこで、イエスは言われた。
       「清くされたのは十人ではなかったか。
         ほかの九人はどこにいるのか。
   この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」


それから、イエスはその人に言われた。
  
         「立ち上がって、行きなさい。
            あなたの信仰があなたを救った。」』

                ルカ福音書 17章11-19節


   今日の福音は、
    イエス様が、十人の重い皮膚病を患っている人たちを、癒します。
    イエス様が、十人の皮膚病の中の一人だけを、救われるのです。

      『癒し』 と 『救い』 は違うのでしょうか?

私はこんな風に考えました。

    イエス様は、すべての人を分け隔てなく、大切に思い、愛しておられます。
       ですから、お人が声を出して望むことを、かなえてくださるのです。
 
       
今日も、『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』 と声を出して、
           癒やしを望む十人を、
        イエスの『言葉』を信じて、司祭の所へ行く途中で、
       イエス様は、十人の病気を治し、十人を癒されました。

 しかし。     十人の内の、ユダヤ人の九人は、
         治された報告のために、イエスの所に戻りませんでした。 
            イエスは、自分に感謝することではなく、
        イエスは、九人が、神に感謝することを望まれていたのです。

 ところが。    十人の内の、 異邦人・サマリア人の一人だけは、
          すぐに戻って来て、ひれ伏して、イエスに感謝しました。
      サマリア人は、イエスの働きを見て『神の愛』を見い出し、感謝したのです。

    
イエスにおいて『神の愛』を見いだし、そして イエスを信じることが、『信仰』なのです。
         この『信仰』によって、 私たちは『救い』をいただくのです。

    イエス様は、 サマリア人の『信仰』によって、 サマリア人を救われたのです。
       サマリア人は、イエス様から『あなたの信仰があなたを救った』 
                 と言われたのです。

私たちも、
神様からされることが、多々あります。
それなのに、
恵まれていることに気づかないことがあります。
神様に感謝が足りないことがあります。
神様から、本当にわれるために、
自分の足りなさを認めて、
神様の許しと救いがいただけるように
祈りたいですね。


『今日の祈願』

  『聖なる父よ、 いつもみ旨を行う力をお与えください。
   すべてをささげてキリストに仕えた聖マルチノにならい、
    わたしたちもあなたに従うことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
親子間でも、お人とも、まして神様とも、心からの愛情を
示し合いたいものですね。嬉しいですよね。  お元気で!