遠く離れて父を想う。
母を幸せにしてくれなかったと、母のお通夜の席で父と私は大喧嘩をした。でも、親子だから、これを言うと父を苦しめると想った一言は、最後まで言わなかった。そして、いえない分ただただ、涙が流れた。私は言葉につまって涙を流したのではなく、言えない言葉を心の中で消化するのに涙が流れた。
その父が、気丈にしてくれているものの、老いて消耗しているらしい。誰も、異国にいる私に本当のことを教えてはくれない。ただ、想像するに、誰もが私に本当のことを言ってくれない・・・それだけ弱っているのだと、想像するしかない。
兄と歳が離れている、一人娘を、父はどう思っていただろう。母は私を同姓として、自分のできなかったことを、のびのびとやらせてくれた。早期教育も導入し、結果として、私は母の期待通りの成果を挙げる娘ではなかったが、とにかくのびのびと育った。
父は中途半端な期待を私に抱いていたと私は思っていた。職業を全うすような、女性であって欲しいと願う一方で、良き家庭をもち、良き母親になることも望んでいたようだ。両立できるはずだけど、私は中途半端な能力しかなかった。
もう何十年も前に、父は私に最後は像のようでありたいと話していた。正直、秋元さんの映画、像の背中 は、私が何十年も前に聞いた父の話そのものだった。
その父が老いて、でも自分の生き方を貫こうとしている。義姉は何もしてあげられないと泣いている。義姉の気持ちが身にしみてありがたい。
尊厳死、ホスピス、人生の最後をどう生きるかについては、様々の意見があり、情報がある。自分はきちんとかんがえているつもりでいたが、実は本当にそれを自分のこととして受け止められているのだろうか。。。。きっと、同じ立場に立たない限りは、父の気持ちには添えないのだろうと思う。
たくさん、たくさん父のことを想う。、